『男の子は狼よ。だから、簡単に信じちゃだめ。』
そのウサギの獣人は、私にそう伝えた。見るからに優しそうな瞳で、これからの悲劇をまるで知らないみたいに。お日様が頭のてっぺんに上るころ。針仕事がひと段落ついた時。彼女が私に読んでくれた絵本のお話だった。
その昔。神様が私たちの姿を作る前。ウサギはほかの種族に迫害されていたらしい。なかでも狼は、私たちをいとも簡単に食べてしまう存在だった。そんな物語は、私たちの間ではいくつもあって。狼とは恐ろしい存在だと、子供ながらに思ったのだ。でも、この日のママのお話は、いつもとちょっとだけ違っていた。
『どうして、信じちゃダメなの。』
『男の子はね、私たちの宝物を簡単に奪ってしまうの。時には命さえ奪ってしまう。だから、気をつけなきゃダメなの。オリビア。あなたはとても美しい。いくつもの宝物を持っているわ。だから、その宝物を大切にしてね。』
そう言い放ったママは、ある日、愛する相手に浮気されて。いつの間にかつめたくなっていた。
ああ、久しぶりに、この夢を見た。
午後3時。お日様がてっぺんを過ぎる頃。みんなの仕事が終わる頃。私たちは準備を始める。今日の朝ご飯は軽めに作った。ゆっくりと毛並みを整える。丁寧にオイルを塗りこんでいく。
「ちょっと!ここに置いておいた櫛無いんだけど!勝手に使ったのアビーじゃない?」
「知らないわよ、そんなこと。」
彼女は同僚のアビゲイル。背が高く、きりっとした顔立ちのユキヒョウの獣人だった。私たちは今は二人でこの寮で生活している。ハプニングはあるけれど、3年も暮らしていれば共同生活にはなれるものだ。私は鏡を見つめながら、今日の夢を思い出す。そこには、周りから美しいと言われる顔が映っていた。
都会に来て、真っ先に思い知ったのは。狼はウサギの間で広まっている程、恐ろしい存在ではないことだった。狼獣人は特定の番を作る。どこかで聞いたおとぎ話ほど、強いものでもないらしいけれど。いつだってその目線の先には番がいた。ほかの異性に目を向けない。決して浮気なんてしないぐらいに、強かな絆だった。昔話とは大違いだ。ウサギ獣人とは大違いだ。
だから、他とは違うあの視線を、あなたから向けられたとき、私は運命の番だと感じたのかもしれない。
「って、何考えてるのかしら、私。」
「どうしたの、オリビア。自分の顔見つめてボーっとして。」
「……何でもない。考え事してただけ。」
「ふーん。もしかして、自分の顔が美しすぎて、見とれてたり。」
「そんなわけないじゃない。」
その逆よ。
「まあいいけど。早くしないと遅刻するわよ。」
さあ、今日も一稼ぎだ。
酒場に着くと、牛獣人のおかみさんが、むすっとした顔で立っていた。
「おはようオリビア。昨日はお楽しみでしたねぇ。」
「あ、おかみさん。」
ああそうだ。昨日、そのまま帰っちゃったんだっけ。
「ごめんなさい。」
「アンタはうちの稼ぎ頭なんだから。勝手に抜けられちゃ困っちまうよ。」
「はい。すみません。」
「で、どこまで進んだんだい。」
「まさか。ただ食事をしただけです。あの人とはそれだけの関係。」
そう。昨日は出会った時以上の関係にはならなかった。別に変な事ではない。適当に男をあしらう術は知っている。私は男のせいで仕事をやめるような獣人じゃない。運命なんていうまやかしで、人生を捨てるような獣じゃない。
「ま、アンタのことだからさ、どうこうなるような関係じゃないと思うけど。貴族との恋なんて、そう簡単にうまくいかない、とだけ忠告しとくよ。」
「……なんで、貴族だなんて、分かったんですか。」
「客商売やってるとね、いろんな人の目を見るのさ。あの目はそこいらの労働者の目線じゃなかった。」
「私が、男に媚びるような獣人に見えますか。」
「いいや、もしもの話さ。」
その日はいつも通り、舞台の上で踊った。客席を探してみたけれど、彼の姿は見えなかった。