ドイツ軍人になった一夏くん 作:強い一夏すこすこ侍
まだ五月と言うのに、陽の光は夏を予感させる熱さを孕んでいる。
夏服は半袖とかあるんだろうか、とぼんやりと考えつつ、一夏は寮の廊下を歩いていた。
いまだに、遠巻きに視線をぶつけられるのだが最早慣れた──もとい、慣れないとやってられない。と言うのが正確なところだ。
「おはよう。一夏」
「おはよう。箒」
食堂の入り口で、見慣れた顔に声をかけられる。
箒の髪に目をやるとうっすらと濡れている様にも見えた。
剣道部の朝練終わりに、シャワーでも浴びた後だろうか。
「朝から、精が出るな」
「一夏こそ、走っているのが見えたぞ」
「まあ、日課だからな」
どうやら、走っていたのを見られていたらしい。
並んで朝食を待つ列に並ぶと、一夏は和食の食券を購入し、職員に渡す。
「あれ。アンタさっきも食べに来てなかったかい?」
「育ち盛りなもので」
訝しげに見てくる職員に肩をすくめた。
ランニング前に食事を摂って、また食べに来たのだが、朝から二回食べる人を見たら、こんな反応をされるのも当然ではある。
適当なテーブルを見つけると、箒と肩を並べて座る。
「二回目の朝食、か」
「腹が減ってはなんとやら、さ」
軽く済ませるつもりのランニングが、昨日の戦いの熱がまだ残っていたのか、ハイペースになってしまった。
二度目の朝食は、それが理由の一つになっている。
「そういえば、鈴が怒っていたぞ。約束をすっぽかされた、と」
「試験が入っちまったからなあ。悪いことをした」
箒がつまらなさそうに鼻を鳴らす。
なぜ不機嫌になったのか、と一夏が首を捻る向こうで、断りもなく椅子に座る人影。
「悪い。って思ってるなら埋め合わせは期待させてもらって良い?」
「そんなにパフェが食べたかったなら、一人で行けばよかっただろうに」
金は出すぞ、と続けた一夏に鈴がジト目を向ける。
相変わらずこの男は、と言いたげな視線。けれど、一夏は気付かないようで、朝食の焼き魚と格闘していた。
「で、試験が入ったって何の試験よ」
「転校生の実力を測りたかったんだとさ」
結局、ISを使った試験とはならなかったが。
それに、後半は試験とも言えない内容だった。
「あたしらがやった入学試験と同じな感じ? で、その試験官には勝てたの?」
「……負けだな。アレは」
一夏が渋面を浮かべる。
最後だけ見れば引き分けと言えるかもしれないが、その前段階で寸止めを二回もされた。
本当ならそこで終わり。楯無の言っていた様に、実戦なら次は無い。
「まあ。しょうがないわよ。あの試験官も、元代表候補生らしいし」
「ん?」
「え? 戦ったのアンタのクラスの副担任じゃないの?」
鈴の言葉に一夏が眉根を寄せる。
どうやら、思い違いがあるらしい。
「俺が戦ったのは生徒会長だったぞ」
「え、今の生徒会長って……」
「確か、ロシアの国家代表ではなかったか」
鈴の言葉を引き継いで箒が紡ぐ。
鈴やセシリアの様な代表候補ではなく、純然たる国家代表。
試験で戦う相手ではない事だけは確かだ。
「結局、ISを使った試験にはならなかったけどな」
「IS学園なのにISを使わない試験をしたのか?」
「それ、意味ある?」
「俺に言うなよ……」
それに、転校生相手には試験をする必要がある。というのがそもそも怪しいところだ。
学園としても、自分の実力を知りたかったのもあるだろうが、半分くらいは楯無の意向ではないか、と一夏は思っていた。
「けど、生徒会長は生身でも学園最強なんだってのは身に染みてわかったよ」
無意識にギリっと奥歯を嚙みしめる。
ISを使った勝負なら、ラウラともほぼ互角ではあったが、生身なら身体能力の差もあって優位になっていた。
楯無とも、身体能力では勝っていた筈なのに、それでも勝てなかったのはシンプルに技術の面で劣っていたから他ならない。
箒は箸を止め、横目でそっと一夏の表情を伺う。
鈴は鈴で、パフェだの埋め合わせだのと言っていた勢いがふっと弱まり、じっと一夏の顔を見つめる。
「……アンタ、悔しそうね」
鈴がぽつりと呟いた。
からかいでも怒りでもない、妙に素直な声音だった。
「そりゃあな。簡単に勝てると思ってたわけじゃないが……身体能力で上回ってても、あそこまで手も足も出ないとは思わなかった」
言葉にしてしまえば、余計に胸の奥がざらつく。
楯無の動きは、速いとか強いとか、そういう次元にいなかった。
「どこかでリベンジをしたいけどな」
「リベンジ、ねえ。同学年ならクラス対抗戦とか、学年別トーナメントで機会はあるでしょうけど、学年が違うから難しいわよ」
鈴の言葉に、一夏が箸を止める。
楯無へのリベンジの機会がない事に失望した──ではなく、出てきた言葉が気になった。
「クラス対抗戦?」
「あれ? 知らなかった?」
「ああ。何も聞いていないな」
名前の如くだろうが、細かいところは一夏は何も知らない。
おそらく、編入するより前に発表されたイベントだからだろうか。
「各クラスでクラス代表を立てて戦うのよ。クラス内の親睦を深める意味も含めてね」
「だが、今年は一学年に三人も代表候補生がいて、そして全員が専用機持ちだ。異例の年だと千冬さんも言っていたな」
例年であれば、一学年に一人いれば十分。二人は稀。という専用機持ちが三人もいる。
異例と言えば異例だろう。それに、今は一夏を入れて四人。そして六月にはラウラが編入し五人となる。
「となると、ウチの代表はオルコットか」
「ああ。代表候補生で専用機持ち、異論もなく、満場一致で決まったな」
「あたしの所もそうだったわね」
となると、他のクラスにいるという、もう一人の代表候補生も彼女がクラス代表を務めているのは簡単に予想出来た。
故に今年は、例年以上の盛り上がる年になるのは間違いない。何せ、専用機同士の対戦がほぼ間違いなく見られるのだろうから。
「何? クラス代表やりたかった?」
「いや。代表となると、戦うだけじゃなく取りまとめもしないとだろうしな。俺には向いてない」
それは、一夏の偽らざる本心だ。
ラウラの様に、部隊の統率をした経験があれば別だが、一夏はそうではない。
ISでの部隊運用となればラウラやクラリッサと上官がいるし、場合によってはEOS部隊の四機が部下となる編成もあるが、気を回すのは四人で済む。
クラス三十人をまとめるとなると話は別だ。
その辺は、セシリアの方が明らかに上だろう。
「……まあ、アンタはまとめ役って柄じゃないわね」
鈴が肩をすくめる。
「どういう意味だよ」
「どういうもこういうも、そのまんまよ。アンタは
言われてみれば、確かにそうだ。
誰かの後ろに隠れるのは性に合わないし、かといって全体を見渡して采配を振るうのも得意ではない。
今でこそ、ヴァイスリッターの主武装が故に後ろに回ることが多いが、気質としては前に出たい方が勝る。
「……まあ、否定はしないが」
一夏が苦笑すると、箒がわずかに目を細めた。
その表情は、どこか懐かしむようで、そして少しだけ誇らしげでもあった。
「昔からそうだったな。一夏は、気付けば前に出ていた」
「そうか?」
「そうよ。自覚がないのがまた厄介なんだけどね」
鈴が呆れたように言い、箒も小さく頷く。
──各々が、思い出すのは過去の記憶。
いじめられた時、いつだって一夏の背中が目の前にあった。
「……まあ、代表はオルコットで決まりで、代わってくれと頼むつもりはないが」
一夏は箸を置き、軽く息を吐いた。
「俺は俺でやるさ。試験で負けたままってのも、気分が悪いしな」
その言葉に、箒がわずかに目を見開く。
鈴は、にやりと口角を上げた。
「そうこなくっちゃ」
「リベンジする気があるなら、鍛錬に付き合ってやってもいいぞ。一応、私は剣道部だしな」
「アンタ、剣道部って言ってもISの動きとは別物でしょ」
「だが、基礎は共通だ」
箒が静かに言う。
その声音には、昨日の一夏の戦いを見ていないはずなのに、どこか核心を突くような重みがあった。
「読み、間合い、呼吸。生身の戦いでも活かせることは多い」
「……そうだな。その時は頼む、箒」
素直に頭を下げると、箒は一瞬だけ驚いたように瞬きをし──すぐに、ほんの少しだけ頬を赤くした。
「う、うむ。任せておけ」
「じゃ、あたしはパフェで手を打つわ」
「お前は食い物の話しかしないのか……」
「いいじゃない。アンタの奢りなんだから」
鈴が笑い、箒が呆れ、一夏は肩をすくめる。
と、食堂の空気が、ふっと変わった。
ざわ……と、周囲の視線が一斉に入口へ向く。
その気配に、一夏も自然とそちらへ目を向けた。
そして、息を呑む。
食堂の入り口に立っていたのは──
生徒会長、更識楯無その人だ。
昨日、自分を完膚なきまでに叩き伏せた相手。
その姿を見た瞬間、胸の奥に沈んでいた熱が、再び鋭く燃え上がる。
楯無は一夏を見つけると、にこりと微笑んだ。
「おはよう、一夏くん。少し、良いかしら?」
その声は、食堂全体の空気を一瞬で支配した。
箒と鈴が、同時に息を呑む。
一夏は、ゆっくり頷く。
「……構いませんよ、生徒会長」
昨日の敗北が、胸の奥で静かに疼く。
食堂のざわめきが、まるで波が引くように静まっていく。
楯無は、ゆっくりと一夏の前まで歩み寄る。
その足取りは軽やかで、しかし一歩ごとに周囲の空気を支配していくようだった。
「放課後、時間をもらえないかしら?」
その声音は柔らかい。
だが、昨日の戦いを思い出すだけで、背筋に冷たいものが走る。
一夏の胸の奥で、昨日の敗北の記憶がざらりと疼く。
負けた相手が目の前にいるというだけで、身体が自然と緊張を強める。
けれど同時に、どこか期待にも似た熱が、静かに灯っていた。
「……わかりました」
一夏が頷くと、箒と鈴も同時に反応した。
「一夏。何の話かくらい──」
「それに会長、一夏をどうするつもりでしょうか」
二人の視線は鋭い。
楯無は、そんな二人を見て、ふっと微笑んだ。
「心配しなくても、取って食べたりしないわよ?」
その冗談めいた言葉に、誰も笑わなかった。
楯無は肩をすくめ、扇子を軽く開く。
「なら──三人とも一緒に来る? 聞かれて困る話でもないし」
その言葉に、箒と鈴が一瞬だけ顔を見合わせる。
そして、無言のまま立ち上がった。
◆◆◆
オレンジ色の光が廊下に差し込み、床に長い影を落としている。
放課後、迎えに来た楯無に連れられて、一夏達は生徒会室の前に来ていた。
楯無が扉の前で立ち止まり、振り返る。
「単刀直入に言うわね」
扉を開ける前に、楯無は一夏をまっすぐ見つめた。
「──織斑一夏くん。あなたを、生徒会副会長に任命したいの」
その瞬間、空気が止まった。
箒が息を呑み、鈴が目を見開く。
「……は?」
一夏の口から漏れたのは、間抜けな声だった。
楯無は微笑み、続ける。
「あなたの実力は、昨日で十分に理解したわ。生身であれだけ動けるなら、ISを使った時の伸びしろは計り知れない。それに──」
楯無の瞳が、わずかに細くなる。
その奥には、支配者の光が宿っていた。
「あの言葉に嘘はないわ。だから、生徒会で育てたいの」
あの言葉、とは学園最強の後継者、だろうかと一夏が思い返す横で、箒が一歩前に出た。
「勝手なことを言わないでください。一夏は──」
「本人の意思を聞く前に、あなたが口を挟むのは違うでしょう?」
楯無の声は柔らかい。
だが、その一言で箒は言葉を失った。
鈴もまた、拳を握りしめたまま黙り込む。
一夏は、胸の奥がざわつくのを感じていた。
昨日の敗北。
自分の未熟さ。
「……俺が、副会長になってやれることは無いと思いますが」
「いいえ。あなたにしか務まらない役よ」
楯無は一歩近づき、手を差し出す。
「織斑一夏。あなたの力を、生徒会に貸してほしい」
その手は、昨日の戦いで自分を圧倒した
差し伸べられたそれは、挑戦状にも、誘いにも見えた。
一夏の胸の奥で、熱が静かに燃え上がる。
敗北の痛みが、今は前へ進むための衝動に変わっていく。
楯無の差し出した手を前に、一夏はしばらく沈黙した。
その沈黙は、拒絶でも承諾でもどちらでもない。
楯無の瞳は、沈黙の一夏を観察するように静かに揺れていた。
焦らない。急かさない。
むしろ、この沈黙すら試しているように見える。
箒と鈴は、息を呑んだまま動けない。
やがて──一夏は、ゆっくりと口を開いた。
「……副会長の話、すぐに返事はできません」
楯無の眉が、ほんのわずかに上がる。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「簡単ですよ。俺は……昨日、あなたに負けたままです」
その言葉に、箒と鈴が同時に目を見開いた。
一夏は続ける。
「負けたまま、素直にあなたの下につくのは……どうにも気持ちが悪いです。だから──条件があります」
楯無の表情が、興味深そうに変わる。
「条件?」
「俺が望んだタイミングで、あなたに
廊下の空気が、ぴんと張り詰めた。
一夏の声は震えていない。
昨日の敗北を糧にした、静かな闘志がそこにあった。
楯無は、しばらく一夏を見つめ──そして、ふっと微笑んだ。
「いいわ。受けてあげる」
ただし、と楯無は扇子を一夏の胸元へ向ける。
「それはあなたも一緒。あなたが
その言葉は挑発ではない。
むしろ、一夏の成長を前提にした約束だった。
「……それでいいかしら?」
一夏は、迷いなく頷いた。
「はい。それなら、条件として十分です」
「なら──副会長としての役割、権限。その他諸々のお話をしましょうかね」
楯無が扉に手をかける。
「あ。二人はここまでね。ここから先は生徒会役員としてのお話だから」
楯無が軽く扇子を振ると、まるでそれだけで線引きが行われたかのように、廊下の空気が変わった。
箒と鈴の表情が、同時に強張る。
「待ってください。私は──」
「私も、一夏の──」
楯無は二人の言葉を、柔らかな笑みで遮った。
「心配しなくても、危険なことはしないわ。それに……あなた達がいては話せない内容もあるの」
その言葉は優しい。
だが、拒絶の意味しか持っていなかった。
箒の拳が震える。
鈴は唇を噛みしめ、悔しさを隠せない。
二人とも、一夏を奪われるかのような感覚に襲われていた。
「……一夏」
箒が呼びかける。
その声は、普段の彼女からは想像できないほど弱かった。
一夏は振り返り、二人を見た。
「大丈夫だって。これで今生の分かれって訳でもないしな」
その言葉に嘘はない。
だが、箒と鈴は気付いていた。
一夏の目の奥にある熱──昨日の敗北から生まれた、前へ進もうとする衝動。
それが、楯無の差し出す手に向かっていることを。
「……本当に、気をつけてよ」
鈴が絞り出すように言う。
「何かあったら、すぐ呼べ。一夏」
箒も続ける。
一夏は小さく頷いた。
「ありがとう。二人とも」
その瞬間──楯無が扉を押し開けた。
「では、行きましょうか。一夏くん」
扉の向こうから、冷たいほど整った空気が流れ出す。
一夏が一歩踏み出すと同時に、バタンと扉が閉まった。
箒と鈴は、閉ざされた扉を前に立ち尽くす。
その背中には、どうしようもない不安と、どうしようもない焦りが滲んでいた。