ドイツ軍人になった一夏くん   作:強い一夏すこすこ侍

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戦場の静寂が告げるもの

 外周で最後の黒い影が沈黙した瞬間、アリーナ全体を覆っていたシールドが低い唸りを上げた。

 空気が震え、光の膜が波紋のように揺れ──やがて霧散する。

 閉ざされていた空間に、外の風が流れ込んだ。

 その風は、まるで長い拘束から解き放たれた空気が一気に流れ込むようで、肌に触れた瞬間に戦闘の余韻を洗い流そうとしているかのようだった。

 薄く漂う焦げ臭さに、楯無は無意識に鼻を鳴らした。戦闘の余熱がまだ地面に残っている。

 熱気と冷気がまだらに混じり合い、足元の空気が揺らめいて見える。焦げた金属の匂いが喉に張りつき、胸の奥に鈍い痛みを残した。

 風が吹き抜けるたび、焼けた残骸がカラカラと乾いた音を立て、戦闘が終わったという実感を逆に遠ざけた。

 

「……解除されたわね」

 

 楯無は短く息を吐き、槍を肩に担いだ。

 目の前の敵を倒してからしばらくして解除されたことから、シールドを維持していたのは外周の敵だったのだろう。

 エネルギー残量は限界に近い。

 この後も警戒をしなければならないが、補給が先だろう。

 セシリアは鈴との試合からの連戦でビットを三機失っている。

 鈴は目に見える損傷はないが、実際は分からないところだ。

 

「セシリアちゃんは今日はここまでね。鈴ちゃんはエネルギーはどう?」

「甲龍は継戦能力がウリ……ではあるんですけど、流石にキツイですね」

「じゃあ、私たちは補給ね」

 

 とはいえ、指揮官に伺いは立てた方が良いだろう、と楯無は一夏に通信を飛ばす。

 

「一夏くん。アリーナ内の敵の処理は終わったわ」

 

 楯無が声をかけると、一夏はわずかに安堵の色のこもった声音で返す。

 その声には、張り詰めていた糸が一瞬だけ緩むような響きがあった。

 通信越しでも分かるほど、一夏の呼吸はわずかに乱れている。

 戦闘の最中に押し込めていた緊張が、今になって隙間から漏れ出しているのだろう。

 戦闘の最中に積み重なった疲労が、言葉の端々に滲んでいた。

 

『会長、それに鈴とセシリアも無事なようで』

「そっちこそ。……状況は?」

 

 一夏は短く息を整え、報告を始める。

 

『外周の敵機は三機でした。現在は残骸を回収しつつ、動ける教員機を四方に配置し、二次襲撃に備えて警戒中です。アリーナのシールドが解除されたので付近に敵機はいないかと思いますが……まだ油断はできません。状況は織斑先生にも報告済みです』

 

 その声は疲労を隠せない。

 だが、指揮官としての冷静さは失われていなかった。

 その冷静さは、戦場で何度も死線を越えた者だけが身につける、研ぎ澄まされた静けさに雰囲気。

 

「そう。よくやったわ」

『余裕があれば、援護に来ていただければ助かります。教員機が三機戦闘不能に追い込まれますし』

「わかったわ。補給後、私と鈴ちゃんが向かうわね」

 

 言いつつ、楯無はピットに戻り補給ユニットへ接続する。

 セシリアはこの後の警戒に参加できないのが悔しそうではあるが、自分自身がこれ以上戦力にならないのを理解しているのだろう。異議を挟むこともなくISを解除していた。

 セシリアの横顔は、悔しさが入り混じった表情だった。

 その瞳は揺れていた。自分の力不足を噛みしめるように、唇がわずかに震えている。

 もっと戦えたはずなのにという自責が胸に渦巻いているのが、楯無には痛いほど分かった。

 ほどなくして補給が終わると、楯無と鈴はアリーナの外に移動する。

 外周は、戦闘の痕跡が生々しく残っていた。

 地面には深い溝が刻まれ、黒い残骸が散乱している。

 その中心に──ヴァイスリッターが立っていた。

 白銀の機体は、まるで戦場の中心に突き立てられた旗のように静かに佇んでいた。

 だがその装甲には、無数の擦過痕と焦げ跡が刻まれ、一夏がどれほど激しい戦闘を潜り抜けたかを物語っていた。

 

「指揮権については会長に──」

「一夏くん」

 

 楯無の声が、静かに一夏の言葉を遮る。

 

「あなたが現場をまとめていたんでしょ。なら、最後までやりなさい」

「しかし……」

「私は今戻ったばかり。状況把握もあなたほどできていない。それに──織斑先生の指示で、私はアリーナ内の指揮権、貴方が外の指揮権と命令されている以上、勝手に変えられないもの」

 

 楯無の声音は柔らかいが、芯の通った強さがあった。

 その声は、一夏の背中にそっと手を添えるような温度を持っている。責任を押しつけるのではなく、支えるための言葉だった。

 その言葉は、一夏の肩にのしかかっていた責任を肯定し、同時に支えるものでもあった。

 一夏は驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと頷いた。

 

「……分かりました」

 

 その瞬間、周囲の教員たちも自然と一夏へ視線を向ける。

 その視線には、若い指揮官への不安ではなく、信頼が宿っていた。

 彼らはすでに、一夏の指示を待つ体勢に入っていた。

 

「全隊、警戒を継続。四方の索敵を維持して、異常があれば即時報告を」

『了解』

 

 ここに居る人員だけでなく、警戒に出ていた教員にも指示を飛ばしたのだろう、短い返答が通信に乗って返ってくる。

 通信の返答は短いが、そこには信頼があった。

 生徒であるはずの一夏に、教員たちが迷いなく従う──それは戦場での実力と判断力が認められた証でもある。

 風が吹き、砂塵が舞う。

 黒い残骸が静かに横たわるだけで、敵影は見えない。

 

「教員部隊が三機やられたと聞いたけど……」

 

 楯無が問いかけると、一夏はわずかに視線を伏せ、しかしすぐに顔を上げた。

 

「ええ。絶対防御が発動したので、身体に影響はないかと」

「そう。なら良かったわ」

 

 楯無と同じ様に、一夏が小さく息をついた。

 張り詰めていた緊張が少しずつ溶けていく気配。

 戦場では無事という言葉がどれほど重い意味を持つか、一夏はよく知っている。

 この後の襲撃がないとは言い切れないが、人的被害は無しと言っていい。

 シールドに閉じ込められたアリーナ内も、教員と簪を筆頭として代表候補生を中心に非難が進み大きな混乱は生まれなかった。

 IS学園始まって以来の襲撃に対して、ISの損壊だけで済んだのは僥倖と言って良かった。

 

「鈴も悪いな。生徒を前に出したくはないんだが、頭数が足りなくてな」

「別に良いわよ。──っていうかアンタも生徒でしょうに」

 

 鈴のジト目に一夏は肩をすくめて返す。

 彼女の言い分ももっともだが、あいにくと乗り越えてきた場数が違う。

 と、千冬から通信が入る

 

『織斑。アリーナ内のシールドが解除された事でそちらに送れる機体の目処がたった。打鉄とリヴァイヴが三機ずつ送るから使え』

「了解しました。それと、簪と二年、三年の専用機持ち、フォルテ先輩とケーシー先輩でしたか。三人にも出れるように伝達願います」

『わかった。だが、警戒には出せんぞ』

「ええ、あくまでも念のためにです」

 

 通信が切れてほどなくして、増援がやってくる。

 遠くから響くスラスター音が、静まり返った外周に新たな気配を運んでくる。

 すでに警戒に出ている機体と入れ替わるように指示を出し、一夏は鈴に向き直る。

 

「そしたら鈴。出てきてもらって悪いが、専用機持ちのところに戻ってくれ」

「わかったわ。何かあったらすぐに飛んでくるから」

 

 鈴は最後に一夏をじっと見つめた。

 その瞳には、心配と信頼が入り混じった複雑な光が宿っていた。

 本音を言えばここに残りたいが、そんなわがままを言えるような状況ではない事は鈴も分かっている。

 鈴が戻り、数分が過ぎた。

 

『北側、異常なし』

『東側、異常なし』

『南側、クリア』

『西側、問題なし』

 

 報告が続くたびに、張り詰めていた空気が少しずつ緩んでいく。

 一夏は深く息を吐いた。

 

「……どうやら、本当に終わったみたいですね」

 

 その声には、安堵と同時に、戦いの終わりを受け止めきれない戸惑いが混じっていた。

 終わりを告げる静寂が、逆に耳に痛いほどだった。

 戦場に立つ者にとって、終わりはいつも唐突で、実感が追いつかない。

 楯無も同じように息を吐き、空を見上げた。

 

「ええ。今は、そうみたいね」

 

 薄曇りの空は、戦闘の熱を吸い込んだかのように静まり返っていた。

 雲の切れ間から差す淡い光が、焼け焦げた地面を照らし、戦場の傷跡を浮かび上がらせる。

 静けさが戻ったはずの外周で、一夏はしばらく動けなかった。

 ヴァイスリッターから伝わる微かな振動が、まだ戦闘の幻影を呼び起こす。

 敵機の影が視界の端にちらつくような錯覚──それを振り払うように、彼は深く息を吸った。

 終わったと言葉にしても、胸の奥ではまだ何かがざわついている。

 戦闘の最中に感じた冷たい集中と、終わった瞬間に押し寄せる生々しい恐怖。

 その落差が、心のどこかを軋ませていた。

 楯無はそんな一夏の様子を横目で見て、静かに視線を伏せた。

 

(……やっぱり、戦場に慣れてるのね。一夏くんも)

 

 戦場の中心に立つ者だけが抱える責任の重さ──それを、楯無も痛いほど理解していた。

 風が吹き、砂塵が舞い上がる。

 黒い残骸が、まるで墓標のように地面に散らばっている。

 鈴が戻っていった方向を見ながら、一夏は小さく息を吐いた。

 生徒達を守れたという安堵と、もし次があったらという不安が、胸の中でせめぎ合う。

 自分が指揮を執った以上、誰かが傷つけば、それは自分の判断の結果だ──そんな重圧が、まだ肩に残っていた。

 

「……本当に、終わったんですよね」

 

 自分に言い聞かせるような声だった。

 楯無は空を見上げたまま、静かに答える。

 

「ええ。今は、そうみたいね」

 

 その言葉は慰めではなく、現実の確認だった。

 戦場に絶対はない。

 だからこそ、今この瞬間の静けさを噛みしめるしかない。

 一夏はフルフェイスの下で目を閉じた。

 瞼の裏には、先ほどまでの戦闘の後継がまだ残っている。

 敵機の動き、味方の位置、指示を飛ばした瞬間の判断──すべてが脳裏を駆け巡り、心拍だけが妙に速い。

 

「一夏くん」

 

 その声は、戦場の緊張を溶かすように柔らかかった。

 彼女の瞳には、指揮官としての評価ではなく、一人の先輩としての気遣いが宿っていた。

 

「あなたがまとめてくれたから、被害を抑えられたのよ」

 

 その言葉に、一夏の胸がわずかに揺れた。

 認められたことへの安堵と、まだ自分には重すぎるという戸惑いが入り混じる。

 

「……ありがとうございます」

 

 その返事は小さかったが、確かな重みがあった。

 戦いの終わりをようやく受け入れ始めた者の声だった。

 薄曇りの空の下、風だけが静かに吹き抜けていき、戦場の匂いが少しずつ薄れて冷たい空気が肺に満ちていく。

 その冷たさが、一夏の熱を帯びた思考を少しずつ落ち着かせていった。

 終わった という実感がようやく心に染み込んでいく。

 一夏は、指先に残る微かな震えを意識した。戦闘中は気づかなかったが、今になってようやく身体が「生き延びた」と理解し始めているのだと分かる。

 外周の空気が落ち着き始めた頃、足音が聞こえる。──振り返った先に居たのは、織斑千冬その人だった。

 現場の空気が一瞬で引き締まる。

 その足取りは普段と変わらぬはずなのに、周囲の空気がわずかに震えたように感じられた。教員たちの視線が自然と千冬へと向かい、緊張が波紋のように広がる。

 

「……状況はどうなっている」

 

 短く、鋭い声。

 だがその奥に、わずかな焦りの残滓があった。

 その焦りは、戦況の不確定要素に対するものではない。弟が無事でいるか──その一点に収束した、千冬自身も認めたくない種類の焦燥だった。

 

「教官」

 

 一夏が振り返り、敬礼する。

 

「報告の通り、外周の敵機は全て撃破済みです。残骸の回収はほぼ完了。索敵網も再構築済みで、現在は異常なしです」

 

 その報告は、姉弟という私情も挟まずに淡々としている。

 千冬はわずかに目を細める。

 

「……そうか」

 

 千冬は周囲を一瞥する。

 散乱する残骸、整然と動く教員たち、そしてその中心で指示を出していた一夏。

 千冬は内心で驚きを隠せなかった。

 この規模の襲撃なら、多少の混乱や指示の遅れが出てもおかしくない。

 だが現場は、異様なほど整っていた。

 千冬は、胸の奥に小さな違和感を覚えた。それは不安ではなく、成長を目の当たりにしたときの戸惑いに近い。

 

「織斑」

 

 千冬は一夏の名を呼ぶ。

 

「はい」

 

 一夏の声は、無駄な力が抜けていて、妙に大人びていた。

 その変化に、千冬はほんの一瞬だけ言葉を失う。

 その声は、かつての守られる側の少年のものではなかった。戦場で判断を下し、人を動かし、責任を背負った者の声。

 

「……判断は妥当だった。教員三機が落とされたと聞いたが、人的被害はゼロだな?」

「はい。絶対防御が発動しました。その後の配置転換も迅速に行えたので、二次被害はありません」

 

 千冬は静かに息を吐いた。

 

(……よくやった)

 

 その言葉が喉まで出かかったが、千冬は飲み込んだ。

 指揮官としての立場が、それを簡単に口にすることを許さない。

 だが胸の奥では、安堵が波のように広がっていた。無事でいてくれた──その事実だけで、身体の芯が少しだけ温かくなる。

 

「現場の統制は……悪くない。お前にしては、よくやった方だ」

 

 それは千冬なりの最大限の賛辞だった。

 一夏はわずかに目を見開き、そして小さく頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

 その返事は、誇らしさと安堵が入り混じったものだった。

 千冬の評価は、一夏にとって何より重い。

 楯無が横から口を挟む。

 

「織斑先生。一夏くんは本当に頑張ってましたよ。現場の判断も早かったし、教員たちも迷いなく動いていました」

「……そうか」

 

 千冬は横目で一夏を見る。

 

(……あまり、戦場に慣れてほしくはないのだがな)

 

 その視線は、指揮官としての評価と──姉としての複雑な感情が入り混じっていた。

 

 

「織斑」

「はい」

「……無茶はするな。指揮官は、倒れたら終わりだ」

 

 一夏は一瞬だけ驚き、そして微笑んだ。

 おそらく、二機がやられた時に残った二機を下げる指示を出し、自身が残ったことを言っているのだろう。

 

「気をつけます」

 

 その笑みを見た瞬間、千冬は胸の奥がわずかに痛んだ。

 戦場で笑う弟を見るのは、どうしてこんなにも苦しいのか。

 だが同時に、誇らしくもあった。

 千冬はほんの一瞬だけ視線を逸らした。自分の中に湧き上がる矛盾した感情を、誰にも悟られたくなかった。

 

「よし。後は私が引き継ぐ。お前は少し休め」

「いえ、自分は──」

「命令だ」

 

 一夏は観念したように息を吐いた。

 

「……了解です」

 

 そのやり取りを見ていた楯無は、どこか微笑ましそうに目を細めた。

 戦場の緊張が、少しだけ和らぐ瞬間だった。

 風が吹き、散乱した破片がかすかに転がる音がした。

 その音が、ようやく訪れた静寂を象徴しているように思えた。

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