ドイツ軍人になった一夏くん 作:強い一夏すこすこ侍
「ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。よろしく頼む」
自分が自己紹介をした時は、ここまで自信満々に立っていたか、と一夏はぼんやりと思った。
週明けの月曜日、編入生として壇上に上がり自己紹介をする彼女の姿は普段通り──軍での訓示を行う時の様子──そのものだ。
ドイツからの転校となると一夏が先立って来ている事から、気になる生徒が多いのか、おずおずと言った様子でこちらを窺う視線を一夏は感じていた。
……もっとも、千冬がいる手前か振り返ってこちらは見る生徒は少なかったが。
そして、そんな一組の生徒の動きはラウラも気づいたのか、ふっと頬を緩めるとゆっくりと口を開く。
「ドイツからの編入となると、一夏の事もあって気になる者もいるだろう。──織斑先生、質問を受けても構いませんか?」
「今日は伝達事項自体はそこまで多くない……そうだな、終了三分前までは許そう」
「了解しました」
千冬に小さく頭を下げると、ラウラは教室を見渡す。
と、さっそくとばかりに手を挙げる生徒が目に映った。
「しつもーん! ドイツでは織斑くんと同じところに居たの?」
「ああ、私と一夏は同じ部隊に所属していた。──機密があるため、私と一夏に関する詳細な軍事的な質問は控えてほしい。私も、ここでは学生としての立場を優先したいのでな」
機密。
その言葉に教室内の空気が一段と重くなったのを他人事のように一夏は感じ取った。
気軽に質問を受け付けるような雰囲気を醸し出しておきながら、軍だの機密だの言われたら尻込みもするのは当然と言えば当然であった。
もっとも、そんな空気もお構いなし、と言う人物はいるにはいるのだが。
「はいはーい。じゃあおりむーとは仲良かったの~」
冷え切った空気とは裏腹な、間延びしたどこか気の抜けた声。
挙げた手の先は、長すぎる制服の袖に隠れて見えない。
そんな彼女──本音の質問に、ラウラは「ふむ」と顎に手をやる。
「仲の良い、という言葉の定義は曖昧ではあるが……。私としては良い関係は築けていたのではないかとは思っている──あちらがどう思っているかは知らないがな」
ラウラがニヤリと笑いながらその言葉を言い切るや否や、今度こそクラスメイト全員の視線が一夏に突き刺さった。
視線を向けられた一夏は苦笑を漏らしながら肩をすくめる。
「俺も、仲良くさせてもらってたと思うよ。毎日、同じ釜の飯を食べてりゃ当然だろうけどな」
敬語にならない様に、そう強く意識しながら一夏は言葉を紡ぐ。
ざわ……と、教室で小さな波が立つ。
──同じ釜の飯。
その言葉が、軍隊経験のない生徒たちにも妙にリアルに響いたのだろう。
ただの比喩にしては重く、ただの仲良の良い関係を表す言葉にしては深い。
「え、え、え……? 同じ釜って、え、え、え……?」
「ちょ、ちょっと待って……それって、どういう……?」
「同居……? いや軍隊だしそういうもの……?」
勝手に想像を膨らませて勝手に混乱している。
その様子に、一夏は肩をげんなりと肩を落とし、そして──ラウラは、そんな反応を見て、ほんのわずかに目を細めていた。
「じゃあさ、おりむーのこと、どう思ってるのー?」
空気を読まない本音の声が、また教室を割った。
ラウラは瞬きもせず、その本音を見る。
「どう、とは?」
「ほらほら、仲良しって言ってたし~。好きとか~、そういうの~」
またしても教室が騒然となる。
千冬が眉間を押さえ、一夏は「勘弁してくれ……」と心の中で叫んだ。
そろそろ止めようか、そう判断して千冬が手を鳴らそうとするよりも早くラウラが動じた様子もなく口を開いた。
「好きという言葉は、軍では多義的だ。戦友としての信頼、指揮官への尊敬、部下としての忠誠。そのどれも好きに分類されるが──」
淡々とした説明。
だが、その後に続いた言葉は、教室の空気を完全に変えた。
「──一夏は、私にとって背中を預けられる数少ない存在だ。ただただ大切な戦友であり、それ以上でもそれ以下でもない」
騒然としていた教室が静寂に包まれた。
ラウラの言葉は、本音や他のクラスメイトが想像していた様な恋愛感情からくる甘いものではない。
恋愛よりも重く、確かな絆を感じさせた。
「さて、約束の終了三分前だ。他の質問は休み時間に受け付けるとしよう」
言ってラウラは壇上から降りる。
そのまま流れる様子で教室の後方──一夏の後ろの席に向かう。
「織斑先生。終了の挨拶をお願いいたします」
あてがわれた席にたどり着いたラウラが小さく頭を下げながら千冬を促す。
これではどちらが副担任かわからんな、そう真耶の姿を思い浮かべなが千冬は僅かに頬を緩ませる。
昔のラウラのままであれば、この教室に馴染むのも時間はかかっただろうが、この分ならその心配もなさそうだと千冬は心配事が一つ減った事に安堵した。
「さて諸君、本日の予定だが──」
かつての教え子の成長ぶりに喜ぶべきか、手が離れる寂しさを憂うべきかそんな事を思いつつも、それをおくびにも出さずに千冬は淡々と予定を伝えた。
そんな千冬の淡々とした声が教室に響き、ようやく生徒たちの視線がラウラから離れていった。
だが、HRが終わり、休み時間となった教室内の空気はまだどこか落ち着かない。
ラウラが壇上から降りた瞬間に生まれた静寂は、まるで刃物のように鋭く、誰もがその余韻に触れまいと息を潜めている。
ラウラは一夏の後ろの席に腰を下ろし、背筋を伸ばしたまま静かに息を吐いた。
軍人としての緊張を解くというより、周囲の反応を観察するために意識を切り替えたような、そんな呼吸だった。
一夏は椅子に座り直しながら、後ろを振り返る。
「……初日からずいぶん飛ばしたようで」
ラウラは瞬きもせず、一夏を見返した。
「質問を受けると言った以上、曖昧な返答は避けるべきだからな。──それより、敬語」
「いや、この程度は大目に見てくれよ……」
「それに、私の言葉で余計な誤解は生まれなかっただろう?」
言われて、一夏は苦笑するしかなかった。
確かに、恋愛めいた誤解はラウラの一言で吹き飛んだ。
とはいえ──
「誤解は生まれなかったけど、別の意味でみんな固まってたぞ」
「問題ない。戦友という言葉は、軽々しく使うものではないが、私とお前の関係を表すにはこれ以上の言葉は無いだろうしな」
ラウラは淡々と言いながらも、どこか満足げだった。
彼女が戦友という言葉を使ったのは、軍人としての正確な表現であると同時に──ラウラなりの、一夏への最大限の敬意でもあったからか。
「さて、約束通り次の授業までの間、質問を受け付けるとしよう」
遠巻きで見ている生徒に、ラウラが手招きをする。
威圧感は確かにある。
だが、その雰囲気は先ほどまで壇上で放っていた鋭さとは違い、今のラウラはどこか柔らかい。
その
「ボーデヴィッヒさんは代表候補生って言ってたけど、織斑くんと戦うとどっちが強いの?」
「そうそう。織斑くんも専用機持ちだし、オルコットさんにも勝ってたし」
どうやら質問の対象はラウラではなかったらしい。
思えば、編入してからこれまで一夏に対してどこか距離を置いていた故にか、このタイミングをチャンスと捉えたようだ。
それはそれとして、この前も似たような質問に答えたな、と苦笑交じりで一夏が口を開こうとしたタイミングで、ラウラが先に言葉を発した。
「どちらが強いか、か……」
少しだけ、悩む素振りを見せた後にラウラが口を開く。
「強さとは、状況によって変わるものだ。装備、地形、任務、敵の性質──そして、精神状態。どれか一つでも状況が変われば、結果は大きく変わる」
軍人らしい回答に、生徒たちは「なるほど……」と頷きかける。
だが、ラウラはそこで言葉を切らなかった。
「ただし──」
空気が張り詰める。
「
「えっ、でもボーデヴィッヒさんって代表候補生で……」
「織斑くんより経験あるんじゃ……」
確かに、クラスメイトの言葉は額面だけ見ればその通りだろう。
だが、あいにくと一夏の事情は少しばかり異なる。
「確かに経験で見れば私の方が多い。訓練量も、実戦回数も、軍での階級も。だが──それでも一夏は、私が背中を預けられる数少ない存在だ」
その言葉は、先ほど彼女が口にした
「戦場では、数字や肩書きよりも
ラウラは一夏のをまっすぐに見つめる。
その視線は、鋼のように冷たく、しかし奥底に熱を秘めていた。
「──一夏は、私が想定していた以上の結果を必ず出す。私が見落とした危険を察知し、私が選ばなかった最適解を選び、私が届かない場所に届く」
生徒たちが息を呑む。
一夏は、ラウラにかけられた言葉に思わず肩をすくめた。
いくら何でも、過剰に褒めすぎだ、と。
「いや、そんな大したもんじゃ……」
「謙遜は不要だ。それに、私がお世辞を言ったことがあるか?」
その言葉は、軍人にとって最大級の賛辞だった。
こんどこど、生徒たちの視線が一夏に集中する。
尊敬、驚愕、そして少しの畏怖。
「故に、私と一夏どちらが強いかという質問にはこう答えよう──」
淡々と、しかし揺るぎない声で続けた。
「状況による。だが、私が一夏を侮ることは絶対にない」
ラウラのそんな言葉を嬉しく思う一夏は頭をかきながら、それでもどう反応すべきか迷った。
まさか、ここまでまっすぐな評価をしてもらえると思っていなかったからだ。
「いや、ほんとにそんな大したもんじゃ……」
「一夏。謙遜は美徳だが、過度な否定は事実の歪曲だ」
ラウラが淡々と釘を刺す。
「私は事実を述べただけだ。お前が私の想定を超えた場面は、一度や二度ではない」
「……それは、隊長が無茶振りしてくるからでしょう」
「無茶振りではない。その時々に必要な判断だった」
言い切るラウラに、生徒たちがまた「ひえ……」と小さく震える。
そのやり取りは、どこか懐かしい。
軍にいた頃、任務の合間に交わした短い会話と同じ空気があった。
ただ、ここは学園で、周囲は一般の女子高生たちだ。
そのギャップが、余計に二人の関係を際立たせていた。
「じゃあさ~」
そんな空気を切り裂くように、またしても空気を読まない本音が手を挙げた。
「ボーデヴィッヒさんって、おりむーのこと、戦友以上には見ないの~?」
先ほども、似たような質問をし、答えてもらったというのにもう一度質問をする本音に教室が「うわぁ……」とどよめく。
本音の質問にラウラは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
その表情は、怒りでも困惑でもない。
「戦友以上、か」
静かに繰り返し、ラウラは一夏を見た。
その視線は、鋼のような冷たさとは違う。
もっと深く、もっと静かで、もっと個人的な色を帯びていた。あと、ほんの少しの悪戯めいた輝きを添えて。
「……戦友という言葉は、軽く扱うべきではない。それは家族よりも近く、血よりも強い絆だ」
生徒たちが息を呑む。
「戦友以上、という言葉が恋愛を指すのであれば──」
ラウラは淡々と続けた。
「私は、戦友という関係を以上にも以下にも変えるつもりはない」
その言葉は、拒絶ではなかった。
むしろ──恋愛という軽い言葉では到底届かないほどの、深い肯定だった。
「一夏は、私が守るべき部下であり、信頼する仲間であり、背中を預ける相手だ。それ以上の分類は必要ない」
ラウラはそう言い切ると、少しだけ口元を緩めた。
「……ただし」
生徒たちが一斉に身を乗り出す。
「軍を離れ、こうして学生として過ごす以上──新しい関係性が生まれる可能性は否定しないがな」
「えっ!?」
「えっ!?」
「えっ!?!?!?」
教室が爆発した。
ラウラは、そんな騒ぎをよそに淡々と続けた。
「それは戦場の絆とは別物だろうからな。混同するべきではないし、軽々しく扱うべきでもない」
その言葉は、恋愛を否定しているようで──否定していなかった。
むしろ、ラウラという軍人が恋愛という概念をどう扱うか、その慎重さと誠実さが滲み出ていた。
生徒たちは騒ぎながらも、どこか納得したように頷いている。
「一夏。お前はどう思う?」
「えっ、俺?」
「当然だ。質問の対象は私だけではないだろう?」
生徒たちの視線が一夏に集中する。
逃げ場はない。なぜ、こんな事にと苦虫を噛みしめたような表情を浮かべつつも、それでも生来の真面目さからかどう答えるべきか──一夏はほんの一瞬だけ考え、そして口を開いた。
「……俺は、自分は隊長の言葉で十分です」
ラウラが瞬きをする。
「戦友って言葉は、軽く使うもんじゃない。俺もそう思っています。だから──それ以上とか以下とか、そういうのは今は考えていません」
生徒たちが「おお……」と感嘆の声を漏らす。
ラウラは、ほんのわずかに目を細めた。
「……そうか」
その声は、どこか安心したようで──どこか物足りなさそうでもあった。
だが、次の瞬間にはいつもの軍人の顔に戻り、周囲の生徒に向き直る。
「質問は以上だ。次の授業の準備をしろ」
生徒たちは慌てて席に戻り、教室はようやく通常の空気を取り戻し始めた。
その中で、一夏は背後から小さく囁かれる声を聞いた。
「……一夏」
「ん?」
「
ラウラの声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
「ならば──いつか考える可能性はあるということだな」
一夏は思わず固まった。
ラウラは、わずかに口元を緩めたまま、何事もなかったように視線を前に戻した。
その仕草は、戦場では決して見せなかった