ドイツ軍人になった一夏くん 作:強い一夏すこすこ侍
空港に降り立った瞬間、一夏は思わず息を呑んだ。
湿った空気。遠くから聞こえる日本語のアナウンス。
三年ぶりの
三年前の記憶が、湿気を含んだ空気に触れた瞬間ふっと蘇る。
だがそれは鮮明ではなく、どこか輪郭のぼやけた夢のようで、一夏は自分が懐かしさを感じているのか、それとも別の感情なのか判断がつかなかった。
大使館からの送られてきた車両に乗り込むと、窓の外を流れる景色が目に入る。
見慣れたはずの看板や建物が、どこか遠い国のもののように感じられた。
車窓に映る街並みは、かつて暮らしていた日本そのもののはずなのに、色彩が微妙に違って見える。ドイツで過ごした年月が、彼の視界に薄いフィルターをかけているようだった。
(……懐かしい、のか? それとも……)
胸の奥に湧き上がる感情に名前をつけられず、一夏はただ静かに目を閉じた。
車内には、ドイツ軍から派遣された連絡将校が一人。
だが彼女は必要以上に話しかけてこない。
一夏が窓の外に意識を向けていることを察しているのだろう。
その沈黙が、逆にありがたかった。
しばらくし、一夏はIS学園にたどり着く。
「こんにちは、織斑くん。IS学園にようこそ」
正門には案内役とおぼしき女性が立っている。
ずり落ちそうなメガネに、サイズの大きな服、ともすれば学生とも見間違えられそうな雰囲気を纏っていた。
春の陽光が彼女のメガネに反射し、柔らかい光の輪を作る。
その頼りなげな佇まいとは裏腹に、彼女の声には教師としての芯が感じられた。
「今日、君の案内を務める山田真耶です。織斑くんの編入する一組の副担任もしています。よろしくおねがいしますね」
「こちらこそよろしくお願いします」
挨拶を交わした後、真耶は守衛に荷物を預けるようにと伝える。
寮部屋に運び込んでおくという提案を一夏は最初は遠慮したが、真耶の「織斑先生が待ってるので」という言葉で引き下がることにした。
どうにも、早く会いたくて仕方がないようである。
「だったら、自分が出迎えにくればいいでしょうに……」
「まあ。立場上、なかなか迎えには来れませんから」
互いに苦笑を浮かべながら二人はIS学園の門をくぐる。
休日だからか、生徒の数はまばらだ。
それでも、一夏は自身に向けられる視線のに若干辟易していた。
視線は刺すようなものではなく、ただ珍しさと好奇心が混ざったもの。
それでも、慣れない注目は肌にまとわりつくようで、一夏は無意識に肩をすくめた。
「流石に、これだけ見られるとアレですね……」
「そうですね。やはり皆さん男性と関わってませんでしたし」
こればっかりはしょうがないです、と苦笑いを浮かべる真耶だったが、実は彼女も彼女で緊張しているのだが。
なにせ、男性経験が無いのは真耶も同じだ。
真耶の歩幅がほんの少しだけ早い。
緊張を悟られまいとするその小さな変化に、一夏は気付かないふりをした。
「やっぱり男の人は少ないんですか? 守衛と用務員くらいって聞いてますけど」
「そうですね。実質、校舎内で過ごす人は織斑くんくらいになりますね」
事前に聞いていた通りの情報に一夏は軽く落胆する。
どうやらこの環境に慣れるしか無いようだ。
閉ざされた環境に放り込まれるような感覚が胸をかすめる。
「でも織斑くんも、ドイツ軍内でISの事を学んでいたんですよね? だったら割と慣れてるとかないですか?」
「ないですね。女性にしか動かせないったって軍内には男も多かったですし。身近なところだと整備士とかその辺は男でしたよ」
「そうなんですか」
「むしろ自分からしたら不思議ですね。ISの整備とかって割と男もいるのにIS学園に男を受け入れないってのは。二年生から整備士の養成コースとかありましたよね?」
「織斑くんの言葉も一理ありますね。卒業すると男性とも仕事する機会は確実に増えますし、そうなったら男性に免疫がないから云々は言い訳になってしまいますから。でも、だからといってIS学園としては今後も男性に門戸を開くことは無いでしょう」
真耶はそこで区切ると、タブレット端末を取り出し一夏に見せる。
映し出されているのは、IS学園に設置されているアリーナだ。
休日だと言うのに熱心な生徒が、自主練をしているのが映し出されている。
「あくまでもここ、IS学園は操縦者を養成するのが第一です。一年次の成績如何によっては二年生から整備士のコースを選択する人もいますが、あくまでもそれは結果的にです。一部の例外を除き、一番最初は操縦者として学んでもらいますし、私達もそのつもりで教えます」
「なる程。そういう事なら必然的に入学する人も教える人もISを動かせるのが前提になるわけですね」
つまりは、男子禁制なわけではなく、ISを動かせる人なら男でも入学できるという事なのかと一夏は納得した。
願うことなら二人目の男性操縦者が現れないかとも思うが、現段階だと期待薄だろう。
「自分だけ」という事実が、孤独を運んできて、胸の奥が少しだけ重くなるのを自覚した。
「ここが職員室です。中に織斑先生が待ってますよ」
そうこうする間に職員室に到着。
真耶に促されるようにして職員室に入ると、千冬がコーヒー片手に落ち着きがなく机を叩いていた。
一夏の姿を見付けた瞬間、ふっと頬が緩んだ。
その表情の変化は一瞬だったが、張り詰めていた胸の奥が、ようやく温かくほどけていく。
「久しぶりだな、一夏。元気だったか?」
「はい、お陰様で。教官もお元気そうでなによりです」
一夏が真面目くさって返すと、千冬が露骨に不機嫌になった。
「私はもう教官じゃない。ここでは織斑先生と呼べ。……あと今は就業時間外だ。真面目に呼ばんでいい」
「ごめんごめん。そんな怖い顔しないでくれよ千冬姉。……ついにバレちゃったんで、これからは生徒として世話になるわ」
肩をすくめながら言うと、千冬の顔も穏やかになものになった。
一年ぶり……いや、もっと期間は空いただろう。なんにせよ久しぶりの再会だ。
千冬の視線には、厳しさよりも安堵が滲んでいる。
彼女がどれほど心配していたのか、一夏はその目を見て理解した。
「寮生活は慣れているだろうが、ドイツとここじゃ勝手が違う。寮生活についての冊子を渡すからしっかり読んでおけ」
「わかった」
「後は、入学前にスムーズに授業に臨められる様にと資料もあったが、これはお前にはいらんな。あとは……お前は専用機持ちだから、専用機の取り扱いの規定も読んでおくように」
「専用機の取り扱いもわざわざ規定を用意してるのか」
「ああ。毎年一人は居るからな……。今年は代表候補生が学年に三人いてその全員が専用機持ちだ。そこにお前入れて四人。そしてラウラも六月に転校してくることを考えると五人。ハッキリ言って異常だな」
そして、この数はもっと増えていくだろうと千冬は思っていた。
各国が第三世代機の完成に近づいた今、入学させるのはこの学園の特性からして当然だし、一夏という存在がさらに拍車をかけるだろう、と。
千冬の眉間に刻まれた皺は、教師としての責任と、姉としての不安の両方を物語っていた。
「まあその資料は長々と書いてあるが、要約すると無闇矢鱈に展開するなってことだな。IS学園で展開していいのは教師の許可が下りた時とアリーナ内だけだ」
「了解了解」
資料を鞄に仕舞う一夏を横目に、千冬はチラリと時計を見る。
そろそろ昼食に良い時間だろう。
「一夏、もう昼は済ませたか? まだなら一緒に食べないか?」
「まだ食べてない。……なんか一緒に飯食うのも久しぶりだな」
「そうだな。私がドイツで教官をしていた時以来か」
二人の間に流れる空気は、懐かしさと照れくささが入り混じったもの。
かつての教官と兵士ではなく、姉と弟として向き合う時間が戻ってきたが故の空気だった。
◆◆◆
場所は変わって食堂。
生徒が寮生活をしているという都合上、ここの食堂は年中無休だ。
昼時ともなれば、平日と変わらない賑わいをみせることになる。
事実、今もかなりの人数の生徒が食事をしていた。
「箒さん、少しは落ち着いたら如何ですか?」
「わ、私は落ち着いているぞ!」
「主食を食べる前にデザートに手を付けてる人は落ち着いているとは言いませんわ」
「ホントホント。私みたいに慌てずデーンと待ってればいいのよ」
「鈴さん、食堂の入り口にいらっしゃるの織斑さんではなくて?」
「嘘!? マジで!?」
「嘘です。……慌てずデーンと待つのでは?」
「セシリア、アンタ言って良いことと悪いことがあるんだからね……!」
六人程度がまとめて座れる窓際のテーブルでの会話だ。
ポニーテールが特徴的で鋭い雰囲気を持った日本人の篠ノ之箒。
ツインテールに快活そうな雰囲気を持つ中国人の凰鈴音。
そして金髪が映える貴族然としたイギリス人のセシリア・オルコット。
あるものはISの生みの親の妹だったり、数少ない代表候補性と専用機持ちだったりと中々の濃いメンバーである。
ちなみに、箒と鈴音は食堂の入り口に背を向ける格好で座っている為、セシリアの悪戯に騙されたのだ。
窓から差し込む光が三人の髪色をそれぞれ違う色に照らし、まるで舞台のスポットライトのように彼女たちの個性を浮かび上がらせていた。
「そんなに気を張っていてもしょうがなでしょうに。どうせ明日には編入してくるのですから」
「そうは言ってもだな……」
「箒さんは六年? 七年? 振りの再会でしょう? ハッキリ言って、覚えていてくれるのかどうかも怪しいですわね。あんまり期待していると裏切られた時に酷ですわ」
フォークをクルクルと回しパスタを絡めながらセシリアがにべもなく言い捨てた。
その声音は冷静だが、瞳の奥にはわずかな興味が揺れている。
彼女自身もまた、噂の男性操縦者に対して無関心ではいられなかった。
「鈴さんもですわ。あなたがIS学園に居ることをあの方は知らないのでしょう?」
「そうだけどさあ! でも髪型変えてないしわかるでしょ!」
「そうだ! 私だって昔から同じ髪型のままだ!」
「ポニーテールとツインテールというありきたりな髪型で胸を張られても……」
と、セシリアが食堂が妙にざわつき始めたのを感じた。
それは入り口の付近の生徒から感じられる。
誰か、珍しい人でも来るのかとそちらに視線をやる。
箒と鈴は髪型論争をしていて気付かないようだが、セシリアの目にはハッキリと写った。
「あれは……」
千冬の隣を歩く黒髪の
報道されている通りの顔立ち。
セシリアの心臓が一瞬強く跳ねた。
驚きでも恐れでもない、もっと複雑で形容しがたい感情が胸の奥をかすめる。
視線が自然と彼へと吸い寄せられ、周囲の喧騒が遠のいていくように感じられた。
千冬の隣を歩く黒髪の男性──織斑一夏。
その姿が食堂に現れた瞬間、ざわつきは波紋のように広がり、やがて食堂全体を包み込んだ。
彼の歩みは決して早くないのに、視線を奪う力があった。
おそらく、軍で鍛えられたであろう身体の線、無駄のない動きにどこか影を落としたような瞳。
それらが「噂の男性操縦者」という肩書き以上の存在感を放っていた。
「──織斑、一夏……」
「アンタねえ……また私らをおちょくってるの?」
「その手にはもう引っかからんぞ」
まだ気付かない二人に、セシリアは言葉を返す気にもなれなかった。
その間にも、一夏は千冬に何か耳打ちされ、ニヤリと笑うと三人のテーブルへと向かってくる。
その笑みはどこか少年らしさを残しつつも、軍で培った自信と余裕が滲んでいた。
セシリアはそのギャップに、胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。
「あ……」
セシリアが何かを言おうとするよりも早く、一夏が口に人差し指を持ってくる。
黙っていろというジェスチャーを受け取ったセシリアが口を噤む。
満足気に頷いた一夏はゆっくりと二人の背後に立つ。
「まあ、セシリアの言う通り焦っててもしょうがないわね」
「そうだな。どうせ、明日には会えるんだ。なにせ、私と一夏は同じ一組だからな!」
同じ、というところを強調した箒に鈴が面白くないというような表情を浮かべる。
その瞬間──
「──へえ。箒は俺と同じクラスなのか。となると、鈴は違うクラスか?」
二人の肩がビクリと跳ね、振り返った顔には驚愕と喜びと混乱が入り混じっていた。
箒の瞳は大きく見開かれ、鈴は口をぱくぱくと開閉させている。まるで時間が一瞬止まったかのようだった。
情けない悲鳴を上げなかったのは乙女としてのせめてもの矜持か。
「い、一夏!?」
「なんでここに!?」
「そりゃあ明日からここに通うんだから、俺がいたっておかしくないだろ?」
不敵な笑みを浮かべながら、一夏は肩をすくめる。
その笑みは、かつての幼馴染としての距離感を一瞬で取り戻す力があった。
箒の頬がわずかに赤く染まり、鈴は嬉しさを隠しきれずに身を乗り出す。
「にしても、なんか安心したぜ。鈴の心配はしてなかったけど、箒は友達が出来るのか不安だったからな。どうやら飯を一緒に食べる程度には仲が良いみたいだな」
「よ、余計なお世話だ」
箒の声は強がっているが、耳まで赤い。鈴も鈴で「あたしの心配もしなさいよ!」と抗議しつつも、どこか嬉しそうに笑っていた。
一夏は改めてセシリアの方を見る。
「お前とははじめましてだな。イチカ・オリムラだ。まあ、報道で知ってるとは思うが、ドイツ国籍だから名前の並びは逆だけど、生まれは日本だ」
「ご丁寧にどうも。わたくしはセシリア・オルコットですわ。イギリスの代表候補生をしておりますわ」
「……イギリス、か」
「……それがなにか?」
「いや、ちょっと気になっただけだ。これからよろしく頼む」
「こちらこそ」
握手を交わす瞬間、セシリアは彼の瞳が一瞬だけ鋭く光ったのを見逃さなかった。
まるで過去の何かを思い出したような、あるいは警戒のような……。その微細な変化が、彼の内側にある「何か」を強く印象づけた。
「代表候補生って事は専用機持ちか。やっぱBT兵器搭載型か?」
「ええ、その通りですわ。……にしても、お詳しいですわね、他国の事情なのに」
「まあ最近色々あってな」
「となると、織斑さんはレーゲン型のISを?」
「そいつは来月編入してくるウチの隊長が使ってる。俺は別のだよ」
セシリアはその言葉に、胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。
彼の言う「色々」が何を指すのか、気になって仕方がない。
「一夏、挨拶は程々にして食事にしないか? どうせ明日から嫌でも顔を合わすんだ。その時にでも遅くはないだろう?」
「あ、うん。ごめん千冬姉。──じゃあ、またな」
千冬に呼び戻された一夏の背中をセシリアは黙って見送る。
その背中には、やはり軍人としての規律と、少年としての柔らかさが同居していた。
視線を外せないのは、そのアンバランスさが妙に心を惹きつけるからだろうか。
と、視線を箒と鈴に戻すと、彼女たちははまだ興奮冷めやらぬ様子で、そわそわと落ち着かない。
「そんな慌てなくてもいいではないですか。織斑先生のおっしゃる通り、これから嫌でもお会いになるのでしょうから」
「そ、そうよね。丁度いいわ。ISの事も私が教えてあげようかしら。なにせ私も代表候補生なわけだし!」
張り切り勇んで無い胸を張る鈴だったが、その言葉はセシリアによって打ち消された。
「どうでしょうか。織斑さんに教えられることは案外少ないかもしれませんわね」
「はあ? だってあいつは男だし……」
「さっきの言葉を聞くに、あの方も専用機を持ってるとみて間違い無いですわ」
食堂のざわめきが一瞬だけ遠のいたように感じられた。
セシリアの声音は穏やかだが、その奥にある冷静な分析が空気を引き締める。
鈴は思わず背筋を伸ばし、箒は箸を持つ手を止めた。
それに、公開された映像は一夏がISを纏って飛行している姿。
フルフェイスでどうして性別がわかったのかは気になるが、それでも飛行が出来るという事はそれなりに操縦できるスキルがあるという事だ。
「確か、織斑さんは三年前に転校されたのでしょう?」
「そうよ。確か千冬さんがドイツでISの教官をするからってついていくって」
「そう考えると、彼の適正が発覚したのは案外早かったのかもしれませんわね」
セシリアは紅茶のカップにそっと触れながら、過去の断片をつなぎ合わせるように思考を巡らせる。
姉がISに関する仕事をしているとなれば、触れる機会はそれなりにある筈だ、と。
千冬がIS学園に赴任してきたのは二年前。
となれば千冬が赴任してくるまでの間に適正が発覚したと考えていいだろう。
「むしろ、動かしたキャリアだけで言えば鈴さん以上かもしれませんわよ? 逆に教わることの方が多いかもあるかもしれませんわね」
「教わるって……そんな二人きりで」
「誰も二人きりとは言ってませんが……」
鈴の頬がみるみる赤く染まり、箒は目を泳がせながら妄想の世界へ旅立っていく。
セシリアはその様子に小さくため息をついた。
恋に落ちた少女たちの反応は、時に戦闘の推移を読むより難しい。
「……でも、気にはなりますわね」
「ど、どういう意味だセシリア」
「まさかアンタまで」
セシリアとしては思わずついて出た言葉だったが、予想以上に食いつかれてしまった。
別段、深い意味は無いのだが。
「純粋に、あの方の実力が気になるだけですわ。そもそもわたくしは──」
「「わたくしは?」」
「……いえ、なんでもありませんわ。とにかく、お二人が心配されるような事はありませんからご安心を」
不思議そうな二人を放置して、セシリアは食事を再開した。
(まさか、男性が嫌いだなんて言えるはずもありませんわね)
食事をしながら考えるのは先程言いかけた言葉だ。
一介の生徒なら許されるだろうが、セシリアは責任のある立場だ。
安易に言葉にしては不都合が発生しないとも限らない。
食堂の喧騒が再び耳に戻ってくる。
笑い声、食器の触れ合う音、窓から差し込む柔らかな光。
その中で、セシリアだけがひとり静かに思考の海へ沈んでいく。
それでも、あの男からは普通の男性とは違う何かを感じたのも確かだった。
胸の奥に生まれた小さな違和感と興味。
それは警戒か、期待か、あるいは──まだ名もない感情の芽生えか。
セシリア自身にも、まだ判断がつかなかった。