ドイツ軍人になった一夏くん   作:強い一夏すこすこ侍

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影を抱いて学園へ

「箒はまあ、束さんの妹だからなんとなく居るだろうなとは思ってたけど、鈴がここに居るのはびっくりしたなあ」

「そうだな。私も入学してくると聞いて驚いたものだ」

 

 遠巻きに囲まれつつも、別段気にした様子もなく織斑姉弟は食事をしていた。

 話題は、先程再会した二人の事だ。

 食堂のざわめきは遠く、二人の席だけがぽっかりと空気の密度を変えていた。

 視線は刺さるが、慣れた者の余裕が二人の肩に自然と宿っている。

 

「しかも鈴は一年足らずで代表候補生だ。キャリアはお前のほうが上なのに、抜かれたな」

「まあ、俺の立場で代表候補生なんてやってたら一発でバレるしな。……つーか鈴は一年で代表候補生かよ」

「それだけ努力したという事だろうな。……ただまあ、これより上を目指すならもう少し落ち着きが欲しいところではあるが」

「違いない」

 

 先程の鈴の様子を思い出しながら一夏がと笑みを浮かべる。

 その笑みはどこか懐かしさを含んでいた。

 幼い頃の記憶がふと胸をかすめ、彼の表情に柔らかい影を落とす。

 

「箒はどうなんだ? ISの乗り手としては」

「適正はC。まあ、適正が全てという訳ではないが厳しいな……ところで一夏」

 

 そこで千冬は声をひそめた。

 遠巻きに見られているとはいえ、声が聞こえないこともないからだ。

 千冬の雰囲気が変わった、その瞬間には一夏は一瞬だけ視線を周囲を走らせ、警戒するように細められる。

 そこには、軍人としての癖が自然と滲み出ていた。

 

「お前、適正どれくらいになった?」

「Sだ。千冬姉と同じ」

「……そうか。もうそこまで伸びたか」

「ああ」

 

 一夏の当初の適正ランクはB。

 ある程度乗っていくとランクが上がるとは言え、最高峰のSランクになるのは前例がないことだった。

 ただ、千冬の口ぶりからすると伸びたスピードに驚きこそすれ、適性がSになったこと自体は驚いていないようだが。

 冬の瞳に一瞬だけ複雑な色が宿る。誇らしさ、安堵、そして──言葉にできない焦燥。彼女自身も気づかぬほど微細な揺らぎだった。

 

「そういや、俺も聞いときたい事があったんだけどさ」

「なんだ? 言ってみろ」

「俺ら以外にさ。家族っているのか?」

 

 瞬間、千冬が息を呑み緊張感を纏ったのを感じた。

 空気が一気に冷えた。

 食堂の喧騒が遠のき、二人の間だけが静寂に閉ざされる。千冬の指先がわずかに震え、握る箸が小さく音を立てた。

 

「どうした。急に」

「いや、俺らは捨てられたってのは知ってるけどさ。他に姉弟とかはいなかったのかなって」

「興味ないな」

「……なるほど。いなかったじゃなくて興味がない、ね」

 

 ニヤリと一夏が口角をあげた。

 反対に千冬はどこか居心地が悪そうにしている。

 千冬の視線はわずかに泳ぎ、普段の鋼のような冷静さが崩れていた。

 隠し事を抱える者特有の、胸の奥を刺すような痛みが彼女の表情に滲む。

 その姿に、何か隠し事があるのだろうと一夏は見当を付けた。

 家族の事など、思い出したくない。そうやって怒りを再燃させるならもっと苛立ちや怒りを醸し出すだろう。

 だが、今の千冬の様子はソレではない。

 

「俺と千冬姉は一緒に捨てられたが、他にも姉弟はいたんだな」

「一夏、お前は何を言っている? 何度も言わせるな。私にはお前以外家族は──」

「──織斑マドカ。千冬姉と同じ顔で、織斑性だ。赤の他人だとは思えないんだが?」

 

 遮るようにして放たれた一夏の言葉に千冬が息を呑む。

 もはや二人の間に、姉弟の親密な空気感は無くなっていた。

 さながら戦場で対峙する兵士同士のような緊張感が漂う。 

 

「………………」

「………………」

 

 二人は言葉を発することなく、視線のみで語り合う。

 永遠とも思える数秒の後、先に視線を外したのは一夏の方だ。

 

「まあ千冬姉が知らないんならそれはそれでいいさ。実際、他に家族がいたなんて千冬姉も本当に知らなかったのかもしれんし」

「一夏……」

「俺だって、俺の家族は千冬姉だけだと思ってるよ。俺らを捨てた親なんか家族とも思ってねえし、他に姉弟がいたとしても……まあ、俺には関係のない事だったんだ」

 

 でもな、と一夏は続ける。

 

「アイツ──織斑マドカはそうじゃないみたいでな。なんでかは知らんが、あの女は俺に因縁を持ってるらしい。決着をつけるとかって言ってたから、近いうちに顔を合わせる事になるだろうな」

「………………」

「千冬姉が知らないってんなら、それはそれでいいさ。だったら俺は俺で勝手に動くだけだ。だから、後から邪魔だけはしてくれるなよ。……俺だってあの女のせいで、こんな目に遭ってるんだ。少しはお礼をしたい気持ちもある」

 

 話は終わりだと言わんばかりに一夏が席を立つ。

 残された千冬は、一夏を呼び止める事もなく、ただただ拳を握りしめ彼を見送ることしか出来なかった。

 千冬の拳は白くなるほど握り締められ、爪が掌に食い込む。胸の奥で渦巻く後悔と恐怖が、彼女の呼吸を乱していた。

 

「……すまない。一夏」

 

 ようやく絞り出した一言。

 唇を噛み締めた悲痛な表情が、彼女の辛さを物語っていた。

 その声は誰にも届かず、食堂の喧騒に飲まれて消えた。千冬の肩がわずかに震え、彼女の影が長く伸びていた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 食堂を出た一夏は、寮の自室に戻るわけでなく、あてもなく校舎を歩いて回っていた。

 部屋に行きたくても、まだ鍵を貰っていないから入れないという理由もあるが、一番は頭を冷やしたかったのだ。

 

(言い過ぎたよな……)

 

 食堂での千冬への対応を思い出す。

 胸の奥に重い石が沈んだような感覚が広がる。

 歩くたび、その石が揺れて鈍い痛みを生む。廊下の蛍光灯の白い光がやけに冷たく、影だけが長く伸びてついてくる。

 自分が求めていた答えが返ってこなくて苛ついていたのか。

 だとしても、それで千冬を責めるのは、あまりにも酷だった。

 千冬としても、突然の質問で困惑していたのが正直なところだろう。

 そもそも、それ以前に久しぶりに再開した姉弟の会話の話題としては不正解もいいところだ。

 千冬のあの表情──普段絶対に見せない弱さが滲んだ横顔──が脳裏に焼き付いて離れない。思い出すたび、胸が締め付けられた。

 

 

 

 どれくらい彷徨っていただろうか。

 いつの間にか一夏はアリーナ内のピットにたどり着いていた。

 アリーナの空気はひんやりとしていて、広大な空間に響くのは、機械の低い駆動音と、遠くで誰かが飛行している風切り音だけ。

 先程の千冬の説明では、アリーナ内では自由に専用機を展開できる。そして、普段は申請が必要となるアリーナも休日は開放されていて自由に使えるそうだ。

 視線を上げると、先程食堂で出会ったセシリアが専用機を展開しアリーナを飛行していた。

 青い機体が軌跡を描き、アリーナの天井に反射して淡く揺れる。彼女の機体はまるで水面を滑るように滑らかで、無駄のない動きが美しかった。

 付近には鈴や箒はいないから自主練習だろうか。

 最初の印象は真面目そうなお嬢様だったが、あながち間違ってはない気がしてきた。

 

「食後の運動にしちゃハードじゃないか?」

「……織斑さん? どうしたんですの?」

「いや、飛んでるお前を見て声をかけただけだ。邪魔なら大人しく退散するが」

 

 距離が離れていても、IS同士であれば通信を繋ぐことはできる。

 それを利用して一夏はセシリアに声をかけたのだ。

 通信越しの声はクリアで、どこか澄んだ響きを持っていた。アリーナの広さのせいか、彼女の声が少しだけ遠く感じる。

 

「折角、専用機を持ってらっしゃるならご一緒に如何ですか? どうやら学園の訓練機はメンテナンスだとかで一般の生徒はいらっしゃいませんし、今なら広く使えますわ」

「そういう事なら、お言葉に甘えようかな」

 

 言葉と同時にヴァイスリッターを展開。

 白い光が一夏の周囲に広がり、装甲が組み上がる音がアリーナに反響する。

 展開の瞬間、空気がわずかに震え、機体の存在感が空間を支配した。

 本来はISスーツに着替えた方が運用効率が良いのだが、なにも今は戦闘をしたりするつもりはないから横着をした訳だ。

 程なくしてアリーナに飛び立った一夏を、セシリアは直ぐに見つけた。

 二機のISが空中で向かい合うと、まるで静かな儀式のように空気が張り詰める。

 青と白の機体が交差し、アリーナの床に淡い影を落とす。

 地上に降り立った一夏の隣に並ぶように、セシリアも自身の機体を降下させる。

 やはり目につくのは全身装甲だ。もっとも、これまでの事情を考えれば当然かも知れないが。

 

「ヴァイスリッター……ドイツ語で白騎士、ですか」

「ああ。世代としちゃ第二世代機かな。武装的には試験的なものもあるが」

 

 にしても、と一夏はセシリアの機体、『ブルー・ティアーズ』を見据える。

 青い装甲は光を受けて宝石のように輝き、細部のラインは繊細で、どこか英国らしい気品を感じさせた。

 部隊の調べによると、この前襲ってきた織斑マドカが乗っていたのは、ブルー・ティアーズ二号機だそうだが、フォルムとしては似てないなというのが正直な感想だった。

 それに、なにより──

 

「──色、お揃いじゃねえか。そっちは青を基調に白のワンポイント。こっちは白を基調に青のワンポイント」

「だからなんだと言うのですか。わたくしとしてはどうでもいいことですわ」

「なかなか辛辣じゃねえの……」

 

 セシリアのにべもない反応にやれやれ、と一夏は肩をすくめる。

 理由はわからないが、どうやら少し嫌われているかもしれない。

 

「チラッと見せてもらったけどオルコットはどんな練習してたんだ? 飛行訓練か?」

「ええ、まあ。たまには基本に立ち返るのも良いかと思いまして」

「違いないな。良ければ、俺も付き合わせて貰ってもいいか? イギリスの代表候補生がどんな練習してるかも気になるし」

「そんな特別な事をしてる訳ではないので、退屈かもしれませんけど……それでもよろしければ」

「んじゃま、よろしく頼むわ」

 

 一夏がそう言うやいなや、セシリアが間髪入れずに動く。

 青い機体がまっすぐに上昇し、空気が裂けるような鋭い音が響く。彼女の加速はまるで矢のようで、迷いが一切なかった。

 単純な急上昇だったが、そのスピードはかなりの物だった。

 最高速もそうだが、なによりも加速が素晴らしかった。初速の時点でほぼほぼトップスピードに達している。

 一夏の視界に、青い光が尾を引いて消えていく。胸の奥がわずかに熱を帯びた。戦士としての血が騒ぐ。

 とはいえ、一夏も負けてはいない。

 セシリアの後を追う一夏も、彼女に離されることなくついていく。

 白い光が青を追い、二つの軌跡がアリーナの空に美しい螺旋を描いた。まるで舞踏のような、静かで激しい競演だった。

 その後はセシリアが宣言していた通り、あくまでも基本的な動き。ともすればマニュアルに書いてある動きを繰り返す。

 とはいえ、だ。

 

(いくらなんでもマニュアル通りに動きすぎだろ。普通は自分の色が混ざったりするんだが……機械かよこいつ)

 

 動きの一つ一つ。そして次の行動に移る予備動作に至るまで全てがマニュアル通り。

 まさにお手本となる洗練された動きだ。

 基本に立ち返るとは言っていたがまさかここまで忠実にやるのは一夏としても、正直想像していなかった。

 一夏は彼女の動きを追いながら、まるで精密機械のような正確さに舌を巻く。

 その裏にある努力の量を思うと、胸の奥に静かな敬意が芽生える。

 

(基本的な機動とはいえ、わたくしの動きにほぼノータイムでついてきますわね……。これは見てから動いているのではなく、わたくしの意図を察して、動きを合わせている訳ですか……)

 

 セシリアの胸にも驚きが走る。背筋にひやりとした感覚が走り、同時に妙な高揚感が湧き上がった。

 この人は──ただ者ではない

 動き自体は単純だ。だが、セシリアが驚いたのは自身の動きを読み切ったスピードだ。

 自分の行っている機動がマニュアルに書いてある機動の一例とはいえ、それをしていることを僅かの間に読み切ったその観察眼。

 やはり、彼はISを動かしたキャリアは相当なものと見て間違い無いだろう。

 

「いや、凄いな。ただ単にマニュアル通りの動きをするだけなら意味はないが、お前は明確に意図を持って動かしやがる。全ての動きに意味を持ってるタイプも中々珍しいな」

「普通、そうではなくて?」

「いーや。お前の場合は極端だな。……それに普通はやるって言うが鈴は絶対やらないと思うぞ。マニュアルとかも『なんでこんなの読まなないといけないの?』って読まないに決まってる」

「それは、確かに」

 

 互いに笑みを浮かべる合う。

 アリーナの照明が二人の顔を柔らかく照らし、汗の粒が光を反射してきらめく。緊張の余韻がまだ空気に残っているのに、笑みだけは自然で、どこか心地よい温度を帯びていた。

 セシリアは自分の胸に生まれた小さなざわめきを、そっと押し殺すように瞬きをした。

 戦闘者としての評価と、少女としての感情が一瞬だけ交差し、心の奥に微かな熱を残す。

 

「さて、わたくしは少しだけISを動かしたかっただけですので、もう上がりますが」

「俺もまあ、こっち来たてだし上がるかな」

 

 ピットに並んでもどると、そのままISを解除。

 装甲が光の粒となってほどけ、空気に溶けていく。機体が消えると同時に、アリーナの広さが急に静まり返ったように感じられた。

 一夏はISスーツに着替えていなかったからそのまま私服に戻るのだが、セシリアも同じように制服姿になっていた。

 

「おいおい。随分と不真面目な事してやがるな。お嬢様らしくないんじゃないか?」

「そういう織斑さんこそ。ドイツ人は融通の利かなさがお国柄ではなくて?」

 

 二人の声がアリーナに軽く反響し、先ほどまでの緊張感が嘘のように柔らかい空気が流れる。

 セシリアの口元には、ほんの少しだけ意地悪な笑みが浮かんでいた。

 どうやら、真面目一辺倒な訳ではなさそうだ、と一夏はセシリアへの評価を改めた。

 

「この後は暇か?」

「ええ、まあ」

「だったらお茶とかどうだ? 今日のお礼も兼ねて奢ってやるよ」

「誘い文句としてはまあ、及第ですわね」

「そいつはどうも」

 

 セシリアの返しは軽いが、その声の奥にわずかな嬉しさが混じっていた。

 肩をすくめると一夏はピットの出口に向かって歩きだ出す。

 

「あら、ご一緒していただけるのではなくて?」

「ん? いや、シャワーとか浴びるのかなって。ドイツにいた頃はみんな訓練終わりにシャワー浴びてたし」

「自分で言うのはアレですが、まあ大丈夫でしょう。そこまで動いてないですし」

 

 セシリアは軽く髪を払う仕草をしながら言った。金色の髪が照明を受けて揺れ、ふわりと甘い香りが漂う。

 一夏はその香りに一瞬だけ意識を持っていかれ、慌てて視線を逸らした。

 アリーナの扉が開くと、外の空気が流れ込み、二人の間に新しい空気が生まれる。

 先ほどまでの戦士同士の緊張は薄れ、代わりにどこかぎこちない、しかし心地よい距離感が残っていた。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 二人はアリーナを後にし、学園内のカフェテリアへと向かった。

 休日の午後ということもあり、学生の姿はまばらだ。

 廊下には柔らかな陽光が差し込み、ガラス窓に反射した光が床に揺れる。アリーナの冷たい空気とは違い、ここには穏やかな温度があった。

 一夏は歩きながら、先ほどまでの緊張が少しずつ解けていくのを感じていた。

 

「ここは、紅茶が特に美味しいのですわ」

「へえ、そうなのか。じゃあ今日はそっちに合わせるか」

 

 カフェテリアに入ると、落ち着いた木目調の内装が目に入る。

 窓際の席には柔らかな陽光が差し込み、テーブルの上に淡い影を落としていた。

 コーヒーと紅茶の香りが混ざり合い、どこか懐かしいような、心を落ち着かせる匂いが漂う。

 

「席、取っておきますわ。織斑さんは注文をお願いできます?」

「了解。何がいい?」

「アールグレイを。ミルクは不要ですわ」

「はいよ」

 

 一夏はカウンターへ向かい、二人分の飲み物を注文する。

 並んでいる間、彼の胸には微かな緊張が残っていた。戦闘ではなく、誰かと過ごす時間に対する緊張。

 飲み物を受け取り、席へ戻ると、セシリアは窓の外を眺めていた。

 陽光に照らされた横顔はどこか儚く、普段の気品ある態度とは違う柔らかさがあった。

 一夏はその姿に一瞬だけ見惚れ、慌てて視線を逸らす。

 

「お待たせ」

「ありがとうございますわ」

 

 セシリアは丁寧にカップを受け取り、香りを確かめるように目を細めた。

 紅茶の蒸気がふわりと立ち上り、彼女の金髪を柔らかく揺らす。

 その仕草はどこか優雅で、まるで絵画の一場面のようだった。

 

「織斑さんはコーヒー派ですの?」

「まあ、どっちかと言えばって程度だけどな」

「なんだか想像できますわね。軍人はコーヒーって感じですもの」

「軍人……まあ、そんなイメージはあるだろうけど偏見だぞ、それ」

 

 実際、部隊内ではコーヒーを飲む人は少なかった、と一夏は記憶を探る。

 千冬に憧れたラウラがブラックコーヒーに何度か挑戦し、敗れていたのを思い出す。

 思えば、ブラックコーヒーを良く飲んでいたのは、ラウラが挑んだコーヒーの後始末もあったからだったな、と一夏はぼんやりと思った。

 

「そういえば、先ほどレーゲン型はウチの隊長が、と言われてましたが……」

「ん? ああ。食堂でそんな事も言ったっけ」

「ええ。──その部隊、というのは……」

「お前の考えている通りだよ。──シュヴァルツェ・ハーゼ、通称黒ウサギ隊」

 

 やはり、とセシリアが頷く。

 ドイツに与えられているコアの数は十個。その内、三個を保有する名実ともに最強の部隊。

 そこに所属している一夏が、凡庸な操縦者ではないのが何よりの証拠だろう。

 

「黒ウサギ隊……。わたくしでも噂は聞いたことがありますわ。精鋭中の精鋭、というより……怪物の巣窟、という方が近いとか」

「まあ、否定はしないな。あそこは強い(・・)ってだけじゃなくて……生まれながらにして、強くあれと求められた人間の集まりだからな」

 

 一夏は淡々と語るが、その声音にはどこか乾いた響きがあった。

 セシリアはその微妙な変化を聞き逃さなかった。

 

「……織斑さんも、その中にいたのですね」

「まあな。俺が一番弱かったけど」

「謙遜ですわね」

「いや、本当に弱かったんだよ。最初はな」

 

 一夏は苦笑する。

 その笑みは軽いものではなく、どこか自嘲めいていた。

 セシリアはその表情に、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚える。

 彼の言う弱かったという言葉、それは単なる実力の話ではない──そんな気がした。

 

「でも、強くなったのでしょう?」

「……どうだかな。強くなったっていうより、慣れただけだよ。戦うことに」

 

 その言葉は、紅茶の香りに溶けて消えるには重すぎた。

 セシリアはそっとカップを置き、真っ直ぐに一夏を見つめる。

 

「織斑さん。ひとつ聞いてもよろしいかしら?」

「なんだ?」

「あなた……本当に、学園に来てよかったと思っていますの?」

 

 一夏は少しだけ目を伏せた。

 千冬の悲痛な表情が脳裏をよぎる。

 マドカの影が胸の奥に沈む。

 そして──自分が普通の生活からどれほど遠ざかっていたかを思い知らされる。

 

「……まだ、わからないな」

「そうですの?」

「でも──」

 

 一夏は顔を上げ、セシリアを見る。

 

「こうして誰かと、普通に話して、普通に茶を飲むのは……悪くない」

「……それは、光栄ですわ」

 

 窓の外で風が木々を揺らし、光がきらきらと反射する。

 その静けさは、戦場の緊張とはまるで違う、柔らかくて優しい時間だった。

 だが──その穏やかな時間の底に、確かに影があった。

 一夏の胸の奥で、マドカの言葉が再びよみがえる。

 

 ──決着をつける。

 

 その声は、紅茶の香りに紛れても消えはしなかった。

 そして、セシリアもまた気づいていた。

 一夏の瞳の奥に、消えない影があることを。

 

「……織斑さん」

「ん?」

「もし、何かあったら……わたくしにも言ってくださいね」

 

 一夏は驚いたように目を見開き、そして小さく笑った。

 

「えらく、親切じゃねえか」

「もちろんですわ。わたくし、イギリス代表候補生ですもの。他国に恩を売る機会は逃しませんわ」

 

 誇らしげに胸を張るセシリアに、一夏は思わず吹き出した。

 

「ははっ……そうだな」

 

 その笑い声は、アリーナでの緊張を完全に溶かし、ほんの少しだけ──一夏の心を救っていた。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 カフェテリアでセシリアと別れた後、一夏は事務棟へ向かった。

 夕方の光が廊下に差し込み、ガラス越しに橙色の影を落としていた。

 昼間の喧騒が嘘のように静かで、足音だけが規則正しく響く。

 胸の奥に残っていた重さは少し薄れたが、完全に消えたわけではない。

 

「織斑一夏くんね。はい、これが寮の鍵と案内書類よ」

「ありがとうございます」

 

 職員から手渡された鍵は、銀色に光るシンプルなものだった。

 手のひらに乗せた瞬間、ひんやりとした金属の感触が伝わる。

 その冷たさが、妙に現実味を帯びて胸に沈んだ。

 ここで生活するという事実が、ようやく形になったように思えた。

 寮へ向かう道は静かだった。

 休日の夕方ということもあり、行き交う生徒も少ない。

 校舎の影が長く伸び、風が木々を揺らす音だけが耳に残る。

 セシリアと過ごした穏やかな時間が、遠い出来事のように感じられた。

 代わりに、千冬の悲痛な表情が胸の奥で再び疼く。

 

(……どこかで、謝るか)

 

 そう思っても、胸の奥のざらつきは消えない。

 言葉にできない感情が、喉の奥に引っかかったままだった。

 寮の部屋は角部屋だった。

 鍵を差し込み、ゆっくりと回す。

 カチャリ、と軽い音がして扉が開く。

 部屋の中はまだ誰も使っていない新しい匂いがした。

 白い壁、木目調の床、簡素なベッドと机。

 生活感のない空間は、どこか病室のようにも見えた。

 

「……広くね?」

 

 思わず呟く。

 だが、その広さが逆に胸に冷たい風を吹き込む。

 誰もいない空間は静かすぎて、心の奥の影を浮かび上がらせる。

 ドイツの部隊宿舎は狭かったが、常に誰かの気配があった。

 ここには──何もない。

 一夏は荷物をベッドの上に置き、部屋の中央に立ったまま天井を見上げた。

 

(……静かだな)

 

 耳鳴りがするほどの静寂。

 自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえる。

 訓練の喧騒にも、部隊のざわめきにも慣れていた一夏にとって、この静けさはむしろ落ち着かず、胸の奥をざわつかせた。

ベッドに腰を下ろすと、スプリングがわずかに軋む。

 

(千冬姉……)

 

 思い出すのは、あの悲痛な表情。

 普段は絶対に見せない弱さ。

 自分が追い詰めたのだという事実が、胸に重くのしかかる。

 

(……悪かったよな)

 

 呟いても、返事はない。

 部屋の静けさが、まるで責めるように一夏の心に染み込んでいく。

 謝りたい気持ちはある。

 だが、どう言えばいいのか分からない。

 千冬が隠している何かに触れてしまった以上、ただの謝罪では済まない気がしていた。

 ふと、机の上に置かれた案内書類が目に入る。

 その中に、寮の規則や学園の地図が挟まっていた。

 

「……普通の学校、ねえ」

 

 その言葉を口にした瞬間、胸の奥に小さな痛みが走る。

 自分は普通から遠すぎる、とどこか他人事の様に思う。

 ベッドに仰向けに倒れ込む。

 天井の白さが、やけに眩しい。

 

(……ここで、やっていけるのかね)

 

 不安が胸の奥で静かに膨らむ。

 だが同時に、箒や鈴と過ごした時間の温かさが、その不安をほんの少しだけ和らげていた。

 

(……まあ、なんとかなるか)

 

 そう呟き、目を閉じる。

 静かな部屋の中で、一夏の呼吸だけがゆっくりと満ちていく。

 ドイツでは決して得られなかった静けさが、今は少しだけ──心地よかった。

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