ドイツ軍人になった一夏くん   作:強い一夏すこすこ侍

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再会の朝

翌朝。

 窓から差し込む光で、一夏はゆっくりと目を覚ました。

 薄いカーテン越しの朝日が、まだ眠気の残る瞳にじんわりと染み込んでくる。

 静かな光は、まるで昨夜の余韻をそっと撫でるようだった。

 昨夜の静寂がまだ部屋に残っているようで、空気はひんやりとしている。

 天井を見上げると、昨日の出来事が次々と脳裏に浮かび上がる。

 千冬の表情、セシリアとの会話、そして──自分がここにいるという現実。

 

「……行くか」

 

 短く呟き、制服に袖を通す。

 布の擦れる音が、妙に大きく聞こえる。

 軍服とは違う柔らかさが、まるで自分の輪郭を曖昧にしてしまうようで落ち着かない。

 鏡に映る自分の姿は、やはりどこかぎこちない。

 登校時間の廊下は、すでに多くの生徒で賑わっていた。

 女子たちの談笑や足音が混じり合い、朝の空気を軽やかに揺らしている。その中に立つ自分だけが、異物のように浮いて見えた。 

 

「ねえ、あれ……」

「本当に男の人が……」

 

 視線が刺さる。

 好奇心、警戒、驚き──さまざまな感情が混ざった視線が肌に触れるたび、背筋に微かな緊張が走る。

 その視線の密度は、まるで霧のようにまとわりつき、呼吸のリズムすら乱される。

 軍とは違う、柔らかいはずの空気が、今は妙に重く感じられた。

 

(……やっぱり、こうなるか)

 

 ため息をつきかけたその時──

 

「──一夏!」

 

 聞き慣れた声が廊下に響いた。

 その声は、ざわつく空気を一瞬で切り裂くように鮮やかだった。

 一夏の胸の奥の緊張がわずかにほどけ、足元に重く沈んでいた感覚がふっと軽くなる。

 振り返ると、箒がこちらへ歩いてくる。黒髪を揺らし、真っ直ぐな視線で。

 

「おはよう、箒」

「おはよう、じゃない! 昨日、全然話せなかっただろう! どこに行っていたんだ!」

 

 怒っているようで、しかしその奥には心配が滲んでいた。

 箒の眉間の皺は怒りよりも、不安の名残を物語っている。

  

「悪い悪い。ちょっと色々あってな」

「色々って……お前は──」

 

 箒が何かを言いかけたその時──

 

「──いっちかぁぁぁぁぁ!!」

 

 甲高い声が廊下に響き渡った。

 その声は、まるで遠くから飛んできた弾丸のように勢いがあった。

 次の瞬間、鈴が勢いよく飛びついてくる。

 

「うおっ!? 鈴!?」

「なんで昨日、声かけてくれなかったのよ! 久しぶりだったのに! バカ! アホ! 鈍感!」

 

 鈴は一夏の腕を掴んで揺さぶる。

 その力強さに、懐かしさと少しの安心が胸に広がる。

 

「いや、昨日は色々あって……」

「色々って何よ!」

「ちょっとは落ち着けよ……」

 

 騒がしい二人を見て、周囲の女子たちがざわつく。

 

「え、あれ……知り合い?」

「あの子って中国の代表候補生でしょ?」

「それに、あの篠ノ之博士の妹とも仲良さそうだし……」

 

 視線の熱がさらに強くなる。

 だが、箒と鈴の存在が、その圧をほんの少しだけ遮ってくれる。二人の声が、自分を現実に繋ぎ止めてくれるようだった。

 

「鈴、いい加減にしろ。朝から騒がしいぞ」

「箒、アンタには言われたくないわよ!」

 

 二人が言い合いを始める。

 一夏は苦笑しながら二人を見た。

 この喧騒が、どれほど懐かしく、どれほど温かいものか──胸の奥がじんわりと熱を帯びる。

 

「……昨日はあまり話せなかったけど、二人とも元気そうで安心したよ」

 

 一夏の言葉に、箒と鈴の動きが一瞬だけ止まった。

 その一瞬、空気が静まり返り、三人だけが時間から切り離されたような感覚があった。

 

「……っ、まあ、お前も元気そうで何よりだ」

「そ、そりゃ元気よ! アンタがいきなりいなくなるまではね!」

 

 箒はそっぽを向き、鈴は頬を膨らませる。

 二人の反応が、どれほど自分を気にかけていたかを物語っていた。

 

「箒は小学校以来だし、鈴は中学以来か……」

 

 懐かしそうに眼を細める一夏。

 記憶の中の二人と、今目の前にいる二人が重なり、胸の奥に温かい痛みが走る。

 

「箒はまだ剣道やってるのか?」

「当たり前だ。……箒はって事はお前は止めてしまったのか?」

「ドイツじゃ、剣道はやれねえからなあ」

 

 箒は、姉がISの開発者と言う都合もあって、保護プログラムによる転校で別れて以来だ。

 一夏と箒を特に強く繋いでいたのが剣道だ。

 

「で、鈴は中国の代表候補生って、操縦者になってたのも驚いたけど、いつの間にか中国に帰ってたんだよ」

「中二の終わりくらいに戻ったのよ。で、適性が高いってわかってからはトントン拍子にね」

「んで、一年で代表候補生まで駆け上ったのか」

 

 一夏自身も、この三年間はほぼ毎日ISを動かし続けている。 

 それがゆえに、たった一年で代表候補生まで上り詰めた鈴には素直に尊敬の念を抱く。

 もっとも、代表候補生と一口に言ってもピンからキリまでいるが、専用機を受領している以上、鈴の力量が著しく低いという事はないだろう。

 

「つーかそもそも一夏はなんでまたドイツ軍になんているのよ」

「そうだぞ。それに、昨日セシリアと自己紹介をした時にドイツ国籍とか言っていたが」

 

 二人そろって腕を組んで一夏に説明しろと言わんばかりに見てくる。

 どこから説明したものか、と一夏も同じ様に腕を組み考え込む。

 

「長くなるし、移動しながらでも良いか?」

 

 朝飯もまだだし、と一夏が付け加えると二人も納得したように頷く。

 三人でぞろぞろと移動すると、周りの生徒達も同じ様に移動を始める。

 昨日から無遠慮にぶつけられる後期の視線に嘆息しつつ、一夏は口を開いた。

 

「千冬姉がドイツで教官をしてたのは知ってるだろ?」

「ええ。それで一夏は転校しちゃったからね」

 

 なぜ日本人である千冬がドイツで教官をしていたか。

 それは第二回モンド・グロッソでのとある事件が関係していた。

 謎の組織──いまだに首謀者はわかっていない──によって誘拐された一夏。

 千冬は彼を助けるために、ドイツから情報を得て、救出した事による恩義を返すためにドイツで一年間教官をする事になった。

 千冬としては、誘拐された愛する弟を日本に置いて行くという選択肢はなく、一夏も千冬と同じ様にドイツに引っ越した、と言う経緯があった。

 誘拐された事は話せないよな、と一夏はその辺りの事情を伏せつつ説明をする。

 

「千冬姉が教官をするにあたって、宿舎が与えられたんだけど、そこに俺も一緒に住んでてな」

 

 街中に住むのは、セキュリティの面で千冬が許さなかったのだろう、と一夏は今にして思う。

 

「で、教練の最中に俺が一人になるのを嫌がったみたいでな」

「千冬さんらしいな」

 

 普段は厳しい織斑千冬も、弟が絡むと甘くなるのは箒も、そして鈴も知っているところだ。

 軍の宿舎に一人置いておくのを嫌うのは当然の判断だろう。

 

「千冬姉が教えてる時も俺は引っ付いて回ってたんだが、そこで整備中のISに触れちまってな」

 

 うかつだった、と一夏は今でも当時の自分を恨む。

 

「動かせるはずのないISがそこで動いちまって、周りは大騒ぎ」

「そりゃそうでしょ。──じゃあ、アンタは結構早い段階に動かせることが分かった感じ?」

「ああ、千冬姉が教官をやり始めた最初の月だったかな。──幸い、軍の施設で起きた事件だったから秘匿できたんだが……当然、俺の処遇についてどうするんだって話になってな」

 

 と、話をしている間に食堂に到着。

 何を食べるかな、と一夏は視線をさまよわせる。

 少しだけ悩んだものの、まあ適当でいいか、と洋食セットを注文する事にした。

 箒と鈴は和食のセットにしたようで、机に座るとしばらくは食事に集中する。

 そういえば、白米もしばらく食べてないなと、一夏はぼんやりと思った。

 

「ええと、さっきはどこまで話したっけな……」

「アンタがISを動かせるのが発覚して、どうするんだってところからね」

 

 鈴の言葉に、そこからか、と一夏が一つ頷く。

 

「まあ、当然ドイツからしたら、せっかく見つかった男性の操縦者を手放したくなくて、あらゆる手段を使って国籍と軍籍を用意したらしい」

「それを、よく千冬さんが許したな」

 

 箒が眉間にしわを寄せて指摘する。

 彼女を知る人からすれば、当然の疑問だろう。

 

「最初は抵抗したみたいだけど、どっちかと言うと俺をどうやって鍛えるかって方向に割とすぐに切り替えてた気がするな」

 

 ちょうど、教官をしていた先がISの運用をメインとする部隊だったのも大きかったのだろうと一夏は推察する。

 僅か十二歳の子供を軍に置く、と言う抵抗感は一夏と同い年の少女が同じ部隊にいた事もあってか、少なかったのかもしれない。

 

「……で、俺の処遇をどうするかって話になったんだが」

 

 一夏はスプーンを置き、少しだけ息を吐いた。

 箒と鈴は、箸を止めてじっと耳を傾けている。

 周囲のざわめきは相変わらずだが、三人の卓だけは小さな円のように静けさがあった。

 

「結局──軍の管理下で育てるって結論になってな。まあ、俺に他に選択肢なんてなかったから素直に従う事になったんだが」

「……軍の管理下、ね」

 

 箒の眉がわずかに寄る。

 一夏の年齢で軍属と言うのに何も思わない筈がなかった。

 

「でも、軍って言っても、戦場に出されたわけじゃないぞ? 殆どがISを使った訓練ばかりだったし、企業勤めのテストパイロットと扱いは変わらないんじゃないか?」

「それでも普通じゃないわよ」

 

 鈴が呆れたように言う。

 けれどその声には、驚きと、そして少しの安堵が混じっていた。

 鈴が箒よりも受け止められているのは、鈴自身の同じ様な立場に置かれているのも大きいだろう。

 鈴の機体も、企業と言うより軍に属しているのもその理由だ。

 

「まあな。……でも、千冬姉がいたから、なんとかやれたんだと思う」

 

 一夏は苦笑しながら、遠い記憶をたぐるように視線を落とした。

 

「それで、訓練を続けていくうちに……まあ、色々あって、気付いたら中尉なんて大層な階級も与えられて、今に至る訳だな」

「気づいたらって……アンタねえ」

 

 鈴が呆れたように言うが、怒ってはいない。

 むしろ、あまりに一夏らしい雑さに、肩の力が抜けたようだった。

 

「でも、軍にいたってことは……戦ったのだろう?」

 

 箒の問いは鋭い。

 彼女は一夏の目をまっすぐに見ていた。

 おそらく、公開された映像の事を言っているのだろう。当初は機能試験の予定だったが、思わぬ形で実践となってしまったあの事件。

 一夏は一瞬だけ言葉を止めた。

 その沈黙に、箒と鈴の表情がわずかに強張る。

 

「……まあ、な。でも、そこはあんまり気にすんな。俺がやりたくてやったわけじゃないし、必要が必要だったがゆえに、だな」

 

 軽く言ったつもりだった。

 だが、二人はその軽さの裏にある重さを敏感に感じ取ったようだった。

 

「……一夏」

「アンタ……」

 

 二人の声が重なる。

 その声音には、怒りでも呆れでもなく──ただただ、一夏を心配する想いが込められていた。

 一夏は、そんな二人の視線を受け止めて、少しだけ笑った。

 

「大丈夫だよ。それに、ここじゃただの転校生だ」

 

 その言葉に、箒と鈴はようやく少しだけ表情を緩めた。

 

「……まあ、一夏がそう言うなら」

「でも、無理してるなら言いなさいよね」

「おう。ありがとな」

 

 一夏は素直に礼を言った。

 その瞬間──

 

「──あら、楽しそうですわね?」

 

 背後から、どこか優雅で、しかし芯のある声が響く。

 その声は、朝の喧騒を一瞬で整えるような、澄んだ響きを持っている。

 三人が振り返ると、そこにはセシリアが立っていた。

 朝の光を受けて揺れる金髪、凛とした青い瞳。

 光を受けた髪は淡い金の粒子を散らすように輝き、彼女の存在を際立たせていた。

 

「オルコットか」

 

 一夏が名を呼ぶと、彼女はふわりと微笑んだ。

 だが、その笑みの奥には──ほんの少しだけ、複雑な色があった。

 

「ごきげんよう、箒さん、鈴さん。朝から話題の方を独占して……羨ましいですわ」

「なっ……!?」

「ちょ、ちょっとセシリア!?」

 

 セシリアの言葉に、箒と鈴が同時に赤面して固まる。

 その横で、一夏だけが状況を理解できず、ぽかんと首を傾げていた。

 

「……独占って、何の話だ?」

 

 その無自覚さが、逆に三人の温度差を際立たせる。

 

「な、なんでもない!」

「そ、そうよ! 別に独占なんてしてないし!」

 

 箒と鈴が慌てて否定するが、声が裏返っているせいで説得力がない。

 セシリアはそんな二人を見て、くすりと上品に微笑んだ。

 

「でしたら、わたくしもご一緒してよろしいでしょうか?」

 

 その問いに、一夏は自然に頷いた。

 

「もちろん。席も空いてるしな」

 

 その瞬間──

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

「そ、そうだぞ! 勝手に入ってくるな!」

 

 箒と鈴が同時に立ち上がる。

 だが、セシリアは一歩も引かない。

 むしろ、優雅な笑みを浮かべたまま、さらりと言い返した。

 

「まあ、意地悪ですわね。それに、鈴さんは先ほど、独占していないとおっしゃったではありませんか」

「ぐっ……」

「うっ……」

 

 二人は言い返せず、悔しそうに唇を噛む。

 セシリアはその様子を見て、満足げに席へと腰を下ろした。

 一夏はというと──

 

(……なんでこんな空気になってんだ?)

 

 まったく理解していない。

 だが、その鈍さが逆に三人の視線を集中させてしまう。

 と、高く、どこか頼りなさげな声が食堂に響いた。

 

「織斑くん。少しいいですか?」

 

 一夏振り返ると、そこには教員用のタブレットを片手にした真耶が立っていた。

 普段は頼りなさげな彼女が、今もどこか緊張した面持ちで一夏を見ている。

 

「はい。どうかしましたか?」

 

 居住まいを正す一夏。

 他の三人もじっと真耶を見ていた。

 

「織斑くんは転校生という形になりますので、朝のSHRの時に案内をしたいと思ってまして」

「でしたら、最初は教室の外で待機していればよろしいでしょうか?」

「はい。最初に軽く紹介をしますので、そうしたら入ってきてください」

「わかりました」

 

 他に連絡事項は無いようで、真耶が去っていく。

 

「自己紹介か、何を言おうかね」

 

 一夏のつぶやきは、朝の喧騒と共に宙に消えていった。

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