ドイツ軍人になった一夏くん   作:強い一夏すこすこ侍

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最強の訪問者

 食事を終えた一夏は、鈴とセシリアと別れ、寮に戻ってきていた。

 寮の角に設けられた自身の部屋にたどり着くと、銀色の鍵を差し込み、回す。

 が、違和感。

 昨日はカチャリ、と軽い手ごたえがあったが今日はない。

 廊下の静けさが、逆に耳に痛い。遠くで誰かの笑い声がした気がしたが、すぐに消えた。

 一夏は鍵穴の感触を指先で確かめる。金属の冷たさが、妙に生々しい。

 

(朝、閉め忘れた?)

 

 思うが、それは無いと一夏は首を振った。

 確実に閉めた記憶が確かにある。

 となると、考えられる可能性は──

 

(誰かが忍び込んだ、か)

 

 胃の奥がひやりと冷える。軍にいた頃に何度も感じていた嫌な予感が、久しぶりに背骨を撫でた。

 そして、その首謀者はまだ部屋の中にいる可能性が高い。

 昼間や、放課後の内に忍び込んでいたのであれば、部屋から出た際に鍵を閉めるだろう。

 わざわざ部屋に入った痕跡を残す様な事をしない限り、部屋の中にまだいるのだ。

 

(緊急事態なら、許してくれるよな)

 

 首元にかけているネックレス──ヴァイスリッターの待機状態──をそれとなく触り、右手を腰のあたりまわすと、一夏は扉を開けて部屋に踏み込む。

 相変わらず、無駄に広い部屋。見渡す範囲に人影はいない。

 ベッドの横の窓は開かれておらず、窓から逃げた形跡はなさそうだ。

 となると、脱衣所と風呂場か、と一夏が顔を左に向けようとした瞬間──

 

「──後ろも見ないとね」

 

 むに、と何かで頬を突かれる。

 なぜと思うよりも早く、一夏は跳び退り、腰に隠し持っていたナイフを引き抜く。

 跳び退った瞬間、床板がわずかに軋む。

 視界の端でカーテンが揺れ、風もないのに影が揺らめいたように見えた。

 

「ドイツの黒ウサギ隊上がりって聞いたけど、こんな子供だましみたいな罠に引っかかっちゃ駄目じゃない?」

「……そうだな。自分の迂闊さに腹が立つ」

 

 吐き捨てる様に一夏が言う。

 散々、軍とここの日常の差を考えておいてこの様か、と己の内側に黒いモノが広がる。

 侵入者──彼女は一夏が扉を開いた瞬間、扉の内側に隠れたのだろう。

 廊下側から押して開けるタイプの扉であるがゆえに、そうした隠れ方は出来る。

 扉を開けて、部屋を見ると同時に、扉の影にも気を回していれば気付けたが、一夏は見落とした。

 ここでは何も起きないと無意識にそう油断していたと言われても否定できない。

 

(……軍を離れたからと、鈴たちと会話したからと、気が緩んだか)

 

 自嘲が胸の奥で鈍く響く。

 

「で、お前は誰だ? 何の用があってここに来た?」

 

 侵入者に視線を向ける。

 彼女の水色の髪が肩で揺れ、光を受けて淡く透ける。

 口元は微笑んでいるのに、どこか底が見えない。立っているだけで周囲の空気が柔らかくなるような、そんな余裕をまとっていた。

 赤い瞳は、ただただ笑っているのか、こちらを見透かしているのか分からない。 

 視線を合わせた瞬間、胸の奥を軽く撫でられたような錯覚が走り、思考が一瞬だけ止まる。

 

(……なんだ、この感覚)

 

 敵意はない。だが、隙を作らせる何か(・・)がある。

 軍で出会ったどのタイプとも違う。

 

「人に名前を聞くときは、自分から名乗ったらどうかな? 織斑一夏くん──今は、イチカ・オリムラの並びの方が良いかしら?」

「……知ってるじゃねえか」

 

 とはいえ、ここにいる男性は一夏だけなのだから当然と言えば当然ではあるが。

 じっと一夏は少女を見る。

 胸元に結われているリボンの色が、彼女が二年生であることを示している。

 ふと、事前に読み込んでいた資料に彼女の顔が載っていた事を思い出す。

 

「──生徒会長、更識楯無」

「ご名答。正解者へのご褒美は何が良いかな?」

 

 楯無は軽く首を傾げる。その仕草は愛らしいはずなのに、どこか演技(・・)めいて見えた。

 日本人でありながら、自由国籍を得てロシア国家代表を務める少女。

 そして、ここIS学園では生徒会長を冠する。

 普通の学校であれば、生徒会長は生徒間の投票で決まるが、ここはそうではない。

 IS学園の生徒会長に求められる資質はただ一つ。──それは、学園内最強である事。

 

(……最悪のタイミングで最悪の相手に遭遇した訳か)

 

 その事実にたどり着いた一夏が、無意識にすっと右足を引く。

 

「ちょっと、正体が分かったのになんで戦う準備をするのよ」

「生徒会長であっても、侵入者には変わらないので」

「その割り切りの良さは評価するけどさ……」

 

 呆れた様に笑うと、楯無は扇子をバッと広げる。

 そこには『御免』の文字。

 

「忍び込んだのは悪かったと思うけど、一応織斑先生の許可は貰ってるし」

「鍵を開けてまで入っていいか、ってトコまで貰えてますか?」

「……それはまあ、ご愛敬ね」

 

「ご愛敬」で済む問題じゃねえだろ、と喉まで出かかったが飲み込む。

 相手が相手だ。言っても無駄だ、と一夏は短いやり取りで彼女の性格を理解し始めていた。

 毒気が抜かれた、といった風に一夏がナイフをしまう。

 

「まあでも、ISを展開されなくて良かったわ。さすがに、寮部屋で展開されたとなったら問題になるし」

「自分の立場を考えると、正当防衛って事で許してもらえると思いますがね──部屋に入る前から、録画してますし」

 

 うげ、と楯無が声を漏らす。

 万が一──それこそ、侵入者に手をかけてしまった場合も含め、一夏はISによる録画をしていた。

 子供だましの罠に引っかかった時は少なからず失望した楯無だったが、案外落ち着いているものだ、と一夏への評価を改める。

 楯無は肩をすくめ、扇子をぱたぱたと仰ぎながら、しかしその赤い瞳だけは一夏を逃さない。

 

「いやあ、録画は盲点だったわ。さすが軍上がり(・・・・)ね。……あ、褒めてるのよ?」

「どうも」

 

 短い返答の裏で、一夏は楯無の呼吸のリズムを測っていた。

 一定。乱れがない。緊張も興奮もない。

 楯無はその反応を面白がるように目を細める。

 

「そんなに身構えなくてもいいのに。私はただ──」

 

 扇子の先端が、ふわりと一夏の胸元を指す。

 

「あなたの顔を見に来ただけよ?」

「……それが一番信用ならないんですが」

「ひどいなあ。生徒会長が新入生の様子を見に来るのは普通でしょ?」

「普通は鍵を開けてまで来ませんよ」

「まあ、それはそうね」

 

 楯無は悪びれもせず笑う。その笑顔が、逆に不気味だ。

 その軽さの裏に、どれほどの計算が潜んでいるのか──一夏は読めない。

 楯無は扇子を閉じ、くるりと指先で回しながら部屋を見渡す。

 

「しかし、噂通りだったわね。ここまで動けるとは」

「……嫌味ですか?」

「純粋な褒め言葉よ。ここは平和な学園なんだもの。あなたみたいに、侵入者を想定して、反撃の手順にその後の事まで頭に入れてる子なんて滅多にいないわ」

 

 楯無の声は柔らかいのに、言葉は鋭い。

 一夏は無意識に呼吸を整えた。

 

「で、用件は?」

「急かすわねえ。女の子と話すの、そんなに嫌?」

「侵入者と雑談する趣味はないので」

「ふふっ、ほんと可愛げがない」

 

 楯無は一歩近づく。

 その距離の詰め方が自然すぎて、一夏は反射的に重心を落とした。

 

「そんな身構えないでよ。……そんなに警戒されたらお姉さん傷付くわ」

「貴女がその気なら、自分は死んでいたので」

 

 言葉に嘘はない。

 背後を取られた瞬間、殺されてもおかしくなかったのだ。

 そんな相手に警戒するな、と言う方が無茶だった。

 

「──じゃあ、本題に入るわね」

 

 楯無が扇子を軽く打ち鳴らす。

 その音は、部屋の空気を切り替える合図のように響いた。

 警戒は解かない。だが、無駄に身構えもしない。

 必要な緊張だけを残す様に、いつでも動けるような姿勢。

 楯無はそんな一夏を見て、満足げに目を細めた。

 

「実技試験をしたいのよ。あなたの、ね」

「……実技試験、ですか?」

「そう。転校生の実力を測るための、簡単なテスト」

 

 簡単(・・)という言葉ほど信用できないものはない。

 特に、彼女の口から出る場合は。

 一夏は眉をひそめる。

 

「転校生全員にやってるんですか?」

「さあ、どうかしら」

 

 楯無は笑ってごまかす。

 その笑みは、答える気がないというより──答える必要がないという余裕そのもの。

 

「……つまり、自分だけって事ですね」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるわね」

 

 扇子を口元に当て、くすりと笑う。

 その仕草は柔らかいのに、どこか挑発的だ。

 

(──目的の曖昧さ。接触の仕方。情報の出し方。全部が実技(・・)試験とやらの一部か。この女、俺の反応を楽しんで(・・・・)やがる)

 

 軍で叩き込まれた癖だ。

 相手の言葉よりも、行動、間合い、視線、呼吸の変化を優先して読む。

 楯無は笑っている。

 だが、笑っているだけ(・・)の人間は、あんな風に背後を取らない。

 

(背後を取ったが、殺意はゼロ。あれは能力の誇示)

 

 殺す気なら、扇子ではなく刃物を使う。

 あるいは、ISを展開して一瞬で制圧する。

 それをしなかったのは──

 

(初手で俺が気付けばそこまで、気付かなった場合はそこからの俺の判断力、警戒心……全部を観察(・・)していた訳か)

 

 つまり、楯無は最初から試験(・・)を始めていたのだ。

 部屋に忍び込んだ時点で。

 そして、もう一つ。

 

(この人、軍で会ってきた人たちと同じ匂い(・・)がする……)

 

 学園最強という肩書きだけでは説明できない()がある。

 軍人特有の、命のやり取りを経験した者だけが持つ、あの独特の静けさ。

 楯無の動きは軽い。

 だが、その軽さの裏に重さ(・・)がある。

 

(素人の軽さじゃない。重さを隠すための軽さ、か)

 

 だからこそ、一夏は警戒を解かない。

 楯無が近づくたびに、わずかに空気が変わる。

 その変化は、軍で、自身の姉と向かいあった時に何度も感じた強者の圧に近い。

 

(……この距離なら、三手先まで対応できる。扇子を武器にするなら、初動は右手。踏み込みの癖は──まだ読めないが……)

 

 癖を読むには、最低でも一度は本気の動きを見る必要がある。

 だからこそ、一夏は問う。

 

「……実技試験の内容は?」

 

 楯無は笑う。

 その笑みは、こちら読もうとしているのをわかって(・・・・)、それを楽しんでいるようにすら見えた。

 

(戦闘を遊びにできるタイプ、か)

 

 軍人としては最も厄介な相手。

 戦闘を恐れず、むしろ楽しむ者。

 そういう相手は、予測不能な行動を取る。

 

(……面倒だな)

 

 けれど、逃げる理由はないし、逃げられないだろう。

 むしろ──

 

(今の自分が、どこまで通用するか。確かめるには丁度いい)

 

 胸の奥に、静かな熱が灯る。

 

「一夏くん。あなたは特別なのよ。色んな意味で」

「褒め言葉には聞こえませんが」

「褒めてるわよ? だって──」

 

 楯無は一歩、また一歩と近づく。

 距離が縮まるたびに、空気がわずかに揺れる。

 圧ではない。

 彼女の存在感そのものが、空間を支配していく。

 

「あなたがどれほどの()を持っているのか。学園としても、生徒会としても、そして──さっきのやり取りで、私個人としても、興味が出てきたわね」

 

 一夏は息を吸い、吐く。

 その言葉の裏にある意図を読み取ろうとするが、楯無の表情は相変わらず柔らかい。

 

「……断ったら?」

 

 問いかけた一夏の声は低く、わずかに空気が震えた。

 その震えは恐怖ではなく、覚悟の前触れだ。

 楯無は、そんな一夏の変化を楽しむように、ゆっくりと微笑んだ。

 

「断られても困るのよねえ。織斑先生からも頼まれてるし」

「千冬姉が?」

「そう。あなたの今の力を見たいんですって。織斑先生がドイツから離れて二年の間があるからって」

 

 楯無は軽く肩をすくめたが、その瞳だけは笑っていなかった。

 

「だからまあ、これは半分はお仕事(・・・)。残り半分は──私の趣味」

「趣味で人の部屋に忍び込むのはやめてください」

「ふふっ、気をつけるわ」

 

 気をつける気がない声音だ。

 その軽さが、逆に一夏の警戒心を刺激する。

 一夏は小さく息を吐き、問い直す。

 

「……実技試験の内容は?」

「簡単よ。あなたがどれだけ動けるか、どれだけ戦えるか」

 

 楯無の赤い瞳が、一瞬だけ鋭く光る。

 

「昨日と今日、ISを動かしている様だけど、まだ本気で動かしてないでしょう?」

 

 一夏の背筋がわずかに強張る。

 図星だった。

 楯無はその反応を見逃さず、楽しげに扇子を閉じた。

 

「週末、日曜日で良いかしら?」

 

 疑問形の割に、一夏の返答を待つ気配はない。

 決定事項と言わんばかりに、楯無はくるりと背を向け、扉へ向かう。

 その背中は、一夏よりも小さく、敵意も殺気もないのに、妙に大きく見えた。

 

(……強い。間違いなく、今の俺よりも)

 

 だが、ドアノブに手をかける直前で振り返った。

 

「あなたがどれほどの力を持つのか──楽しみにしてるわね」

 

 そう言い残し、楯無は軽い足取りで部屋を後にした。

 扉が閉まる。

 一夏はしばらく動けなかった。

 部屋の空気が、さっきまでと違う。

 胸の奥に、冷たいものと熱いものが同時に流れ込む。

 

(……面倒な相手に目をつけられたな)

 

 だが、逃げる気はない。

 軍で生きてきた自分が、学園最強に通用するのか。

 それを確かめる機会でもある。

 一夏はゆっくりと息を吐き、待機状態のヴァイスリッターに触れた。

 

(……やるしかないか)

 

 冷たい金属が、指先に確かな重みを返す。

 その感触が、一夏の覚悟を静かに固めていった。

 

 日曜日の予定がつぶれて、鈴に怒られたのはまた別のお話である。

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