『柱島泊地 -鉄屑艦隊- 』 艦隊これくしょん二次創作小説 作:龍改二
プロローグ+第一話です。
全5章の予定、2日に1回ペースで更新予定です。
第1話. 柱島泊地
【プロローグ】
薄暗い海軍工廠の最深部。そこは、冷たい鉄と機械油の匂いに、ひどく甘ったるい血の悪臭が混ざり合う場所だった。
部屋の中央には、『山』が築かれている。
引き裂かれた衣服、青白い肌、ひしゃげた砲身、そして千切れた肉と鋼鉄。それは、前線での凄惨な戦いで沈み、かろうじて回収されてきた『艦娘だったもの』が無造作に積み上げられた『死の山』だった。
一人の男が、足音もなく山へ近づく。
彼は感情の抜け落ちた双眸で山を見上げると、絡み合った腕や艤装を押しのけ、中からひとつの小柄な亡骸を無理矢理に引きずり出した。
静かに床に横たえると、その腰と背中に手をかけ、肉体に深く食い込んだ重厚な艤装を掴む。
メキッ、と。
骨が砕け、肉が引き千切れるおぞましい音が工廠に響く。男は、歪な姿勢で固まったままのソレから、血肉にまみれた鋼鉄の兵装を力任せに引き剥がした。
用済みとなった物言わぬ肉塊を床に残し、ひしゃげた艤装だけを抱えて洗い場へと向かう。
蛇口を捻ると、ひどく冷たい水が逃げ場所を求めるように噴き出た。
男は無言のまま、鋼鉄の隙間にこびりついた赤黒い血と肉片を、無機質に濯ぎ落としていく。排水溝へと渦を巻いて流れ落ちる赤い水を、男は瞬き一つせずにただ見つめていた。
やがて、冷たい金属の光沢を取り戻した艤装を、男は作業台へと運ぶ。
血に濡れた己の手を拭いもせず、男は傍らの工具を手に取った。
カン、カン、カン——。
死臭の立ち込める暗い工廠に、男が鉄を叩く音だけが、メトロノームのように黙々と響き続けた。
* * *
【第一話 柱島泊地】
潮風には、まだ微かに硝煙と鉄錆の匂いが混じっていた。
かつて深海棲艦の手に落ち、最近になってようやく奪還されたばかりの最前線『柱島泊地』。 輸送船から降り立った
「あ、龍壁さ——じゃなかった、龍壁提督! お待ちしてました!」
瓦礫だらけの桟橋の向こうから、明るい声が響く。制服の上に作業着を羽織った艦娘『
「修理? 改修? 明石にお任せ、ってね! ……ふふっ、工廠長の明石です。昔の『
彼女は快活なウインクを見せる。だが、龍壁はその笑顔の奥に、底深く揺れる闇と、拭いきれない絶望が隠されていることを知っていた。
明石の後ろから、コツコツと軽い足音を立てて歩み出てきた少女が一人。 身長150センチにも満たない小柄な体躯。風に揺れる美しいロングヘアに、洗練された都会的な顔立ち。彼女は腕を組み、不機嫌そうに目を細めて、新任の提督を値踏みするように見上げた。
「……あなたが新しい司令官? 龍壁、って言ったかしら」
彼女は初期艦として配属された駆逐艦、
「見ての通り、この泊地は文字通りのドン底よ。おまけに、あんたも随分と……なんていうか、陰気でくたびれた顔をしてるわね。頼りなさそうだけど、私が秘書艦になったからには甘えは許さないわ。しっかり働きなさいよ?」
ツンとそっぽを向く叢雲だが、その手は緊張からか、わずかに自身のスカートの裾を握りしめていた。記憶を持たない彼女にとって、ここが初めての居場所であり、目の前の陰鬱な表情をした男が、命を預ける唯一の司令官なのだ。
廃墟の泊地、瞳の奥に闇を湛えた工作艦、そして記憶を持たない勝ち気な駆逐艦。 呪われた海での、地獄のような戦いの日々が再び始まろうとしている。
「久しぶりだな、『明石』。こんな廃墟同然の僻地に飛ばされるとは、相変わらずお互いツキには見放されているらしい。……お前が駆逐艦の叢雲だな。残念ながらここの司令官を拝命した、龍壁だ。よろしく頼む」
そう言い放つと、龍壁は握手を差し出した。
「あははっ、違いありませんね! ドン底からのスタートなんて、かえって私たちの性に合ってるじゃないですか」
明石はカラカラと明るく笑い飛ばし、持っていたスパナで肩をポンポンと叩いた。その笑顔の裏に、なにかを押し隠すように。
「……でも、本当に。こんな場所でも、またあなたに会えてよかったですよ、龍壁さん」
明石が微かに表情を緩めた直後、龍壁の視線の先で、叢雲が差し出された無骨な手をじっと見つめていた。 彼女は少しだけ戸惑ったように目を瞬かせた後、ふいっと顔を逸らし、龍壁の言葉に噛み付く。
「……『残念ながら』って何よ。着任早々、随分と卑屈な司令官ね。そんな弱気で、私をちゃんと扱えるの?」
口ではきつい言葉を並べながらも、叢雲は恐る恐る、龍壁の大きな手へ自身の小さな手を伸ばした。 ぎゅっ、と力強く握り返してくるその手は、冷たい潮風のせいか少し冷え切っているが、確かに血の通った人間の温もりがあった。
「私は叢雲。あなたの初期艦なんだから、せいぜい光栄に思いなさい。……私のこと、絶対に沈めないように上手く指揮しなさいよね、司令官」
上目遣いで龍壁を睨みつけるように言い放つと、彼女はパッと手を離し、照れ隠しのように腕を組み直した。
「さて、再会の挨拶はこの辺にしておきましょうか」
明石がパンッと手を叩いて空気を変える。
「見ての通り、この柱島泊地は機能停止の真っ最中。執務室のある本部棟はギリギリ雨風を凌げますが、艤装の整備ドックも、艦娘の居住区もボロボロです。まずは提督に、この泊地の現状を見ていただきたいんですが……」
明石はそこで言葉を区切り、龍壁の方を見た。
「どうします?本部棟に向かって海軍本省への着任報告を済ませるか、それとも先に、私が管轄する工廠とドックの惨状を見ておきますか?」
明石の問いかけに、龍壁が答える。
「工廠とドックを確認しよう。赤レンガへの報告はその後で構わないだろう」
「ふふっ、さすが。お偉いさんへの報告より現場優先ってわけですね。昔からそういうところ、変わってませんよ」
明石は嬉しそうに目を細め、手にしたスパナでクイッと歩く方向を示した。
「ちょっと、本省を後回しにして後で怒られても知らないわよ。……まぁ、私もあんなカビ臭そうな執務室よりは、外の空気を吸ってた方がマシだけど」
叢雲は呆れたようにため息をつきながらも、瓦礫を避けるように二人の後ろをぴたりとついてくる。
潮風に混じる鉄錆の匂いが、次第に濃くなっていく。 案内された工廠とドックの惨状は、外から見るよりも遥かに酷い有様だった。
大型艦用のドックは無残に崩落して海水が入り込み、へし折れたクレーンが墓標のように突き刺さっている。辛うじて形を保っている建屋の中も、床には黒ずんだ油の染みがこびりつき、鼻をつく鉄錆の匂いが充満していた。
「見ての通り、大型艦用ドックは壊滅。現在ギリギリ稼働できるのは、あそこにある小型艦用の第一ドックだけです」
明石は建屋の奥、薄暗い裸電球に照らされた一角を指差した。そこには、艤装の着脱と修復を行うための、冷たく無機質な手術台のような作業台がポツンと置かれていた。
「工作機械も、私が周囲のスクラップから使えそうなものをかき集めて直した寄せ集めです。弾薬や燃料の補給、かすり傷程度の修理ならともかく……艤装のコアフレームまでイカれるような大破状態になれば、今の設備じゃ正直、お手上げですね」
明石の口調は明るさを保っていたが、その眼差しは技術者としての冷徹な現実を突きつけていた。
一方、その『作業台』を見た叢雲は、あからさまに顔をしかめ、自分の細い腕をさすった。
「……嘘でしょ。私が怪我したら、あんな薄汚れた鉄の台に寝かされるわけ? 冗談じゃないわ。あんな所に寝かされるくらいなら、絶対に被弾なんかしてやらないんだから」
強気な言葉を口にする叢雲だが、その声は微かに震えていた。
油と鉄の匂い。血の気の引くような冷たい作業台。 彼女の本能が、その場所で流れたであろう無数の『血と鉄の記憶』を察知したのかもしれない。
「……とまあ、これが今の柱島のリアルです。元・敏腕エンジニアの龍壁提督の目から見て、どうですか? この惨状」
明石が顔色を窺うように、しかし試すような響きを含んで問いかける。
「即席とはいえ、この惨状からよく使えるレベルに直したもんだ。…さすが明石だな」
龍壁の真っ直ぐな称賛の言葉に、明石は一瞬だけ目を丸くし——やがて、過去の『同僚』としての顔を覗かせるように、静かに、そして深く微笑んだ。
「……ありがとうございます、龍壁さん。元・海軍工廠のエースエンジニアにそう言ってもらえると、徹夜で鉄屑と格闘した甲斐がありましたよ」
しかし、すぐに彼女はいつもの明るい『明石』の顔を作り、スパナで自分の肩をポンと叩く。
「ま、修理も改修も明石にお任せ! ってことで。提督が前線で指揮を執りやすいように、工廠の設備は私がなんとか意地でも維持してみせますからね」
そのやり取りを見ていた叢雲は、冷たい作業台から視線を外し、腕を組んだままフンと鼻を鳴らした。
「……ふん。元エンジニアの司令官と、凄腕の工作艦。裏方のコンビネーションだけは一丁前みたいね。でも、実際に海に出て深海棲艦と撃ち合うのはこの私なんだから。あんた達の努力が無駄にならないように、私がきっちり戦果を挙げてあげるわ。感謝しなさいよね」
口調こそ相変わらず高飛車だが、龍壁の落ち着いた態度に少し安堵したのか、着任直後のような張り詰めた緊張感は幾分か消えていた。
「さて、現状のドン底っぷりも把握してもらえましたし、そろそろ本部棟の執務室へ向かいましょうか」
明石が、建屋の出口へと歩き出しながら振り返る。
「本省への着任報告と……それから、現在のすっからかんな備蓄資材の確認もしなきゃいけませんしね。頭が痛くなると思いますけど、覚悟してくださいよ?」
瓦礫の道を抜け、小高い丘の上に建つ旧・本部棟へと向かう。
鉄筋コンクリート造りの建物は、かろうじて崩落こそ免れていたものの、壁には無数の弾痕が穿たれ、窓ガラスは爆風で吹き飛んで板が打ち付けられていた。 案内された『提督執務室』の扉を開けると、ひんやりとした空気と共に、むせ返るような埃の匂いが舞い上がった。
「けほっ、けほっ……ちょっと、なんなのよこの埃! これじゃ深海棲艦と戦う前にハウスダストでやられちゃうわ!」
叢雲は顔の前でパタパタと手を振りながら、部屋の惨状に柳眉を逆立てた。 部屋の中央には傷だらけの木製デスクと、革の破れたソファ、そして部屋の隅には無骨な軍用通信機が鎮座している。
「……ま、私が後で綺麗に掃除してあげるわよ。あんたがこんな所で倒れでもしたら、私が困るんだから。感謝しなさいよね」
文句を言いながらも、叢雲はさっそく袖を捲り、部屋の隅にあったほうきを手に取って片付けの算段を始めている。
その横で、明石は手慣れた様子で通信機の電源を入れ、いくつものダイヤルとスイッチを弾くように操作し始めた。 真空管がぼんやりとオレンジ色に灯り、スピーカーから『ザーッ』という砂嵐の音が漏れ出す。
「周波数同調、暗号化プロトコル展開……よし。海軍本省への回線、生きてます。……ん?」
明石はヘッドホンを片耳に当てたまま、少し意外そうな顔をして龍壁を振り返った。
「龍壁さん、着任の第一報ですが……呉鎮守府の『北条大将』が、直接回線を回すように手配してくれていたみたいです。繋ぎますね」
明石がスイッチを切り替えると、スピーカー越しのノイズに混じって、年老いた、しかし深く落ち着いた声が執務室に響いた。
『——わしだ。北条だ。……無事に柱島へ着いたようだな、
声の奥には、龍壁を過酷な戦いへと引きずり込んでしまったことへの、微かな労わりと葛藤が滲んでいるようにも聞こえた。
明石がそっと、黒いベークライト製の送受話器を差し出す。
『あの瓦礫の山を見て、お前がすぐにでも逃げ出していないか心配でな。……状況はどうだ?』
龍壁は送受話器を受け取ると、恩師を懐かしむように答えた。
「おやっさん。ご無沙汰してます。逃げ出す……と言ってもココは離島ですから。俺が魚ならそうしたかもしれませんが。状況は…思ったよりひどい有様ですよ」
スピーカーの向こうで、北条が低く、しかし温かみのある声でふっと笑い声を漏らした。
『ははっ……相変わらず減らず口を叩く。魚、か。お前なら海に飛び込む前に、その手で精巧なエラやヒレの代用品を作り出しそうなものだがな』
無線のノイズ混じりでも、その声からはかつて工廠で龍壁を気遣ってくれた「おやっさん」の親げな表情が目に浮かぶようだった。 しかし、少しの沈黙の後、彼の声は海軍大将としての、そして痛みを分かち合う理解者としての真摯な響きを帯びる。
『……すまんな、古毅。追い詰められていたお前を、そんな鉄屑の墓場に引きずり戻すことになってしまって』
『だが、今の海軍本省……特に南郷元帥のやり方では、そこはただの「艦娘の使い捨て拠点」にされてしまう。奪還したばかりでボロボロの柱島を立て直し、なおかつ彼女たちを「生かして」戦い抜ける指揮官は、艤装の隅々までを知り、命の重さに誰よりも苦しんだお前しかいなかったのだ』
北条は、海軍の最高権力者であり『不退転の南郷』の異名をもつ強硬派でもある男「
背後で埃と格闘していた叢雲が、ほうきを持つ手をピタリと止め、スピーカーから響いた『命の重さ』という言葉にハッとしたように龍壁を見つめた。 ただの陰気で頼りない男だと思っていた司令官の過去の片鱗に触れ、彼女のルビーのような瞳に、かすかな動揺と興味の色が浮かぶ。 明石は、通信機に寄りかかるようにして静かに目を伏せ、北条の言葉に耳を傾けていた。
『本省からの支援は薄い。泊地再建のために用意された資材も雀の涙だと聞く。だが、明石がいれば最悪の事態は免れるだろう。……まずはそこを、お前たち人間と艦娘が「生きるため」の場所にしろ。本格的な作戦行動はその後だ』
北条はそこで言葉を区切り、問いかけてきた。
『何かわしに要求はあるか? 今の
それは、北条から旧知の後輩への厚意に他ならなかった。
「とにかく、まずは資材がなきゃ話が始まりません。そちらも厳しい折だとは思いますが、いくらか融通してもらえると助かります」
龍壁が悪びれもなく答えると、通信機から、再び北条の低く温かな笑い声が響いた。
『ははっ、やはりお前は現実的だな。無駄な見栄を張らず、真っ先に生存と実務のための資材を要求する……その判断力があるからこそ、お前をそこに送ったのだ』
通信の向こうで、何やら書類にサインをするような、ペンが紙を擦る音が聞こえる。
『よかろう。今の呉鎮守府も決して余裕があるわけではないが、わしの裁量で動かせる輸送用の潜水艦を極秘裏に一隻、そちらへ向かわせよう。燃料と鋼材、それに弾薬とボーキサイトを積んでおく。……だが、あまり多くは期待するなよ。あくまで「最初の足掛かり」だ』
北条のトーンが、ふと、上官から『かつての恩師』のような響きへと変わる。
『……死なせるなよ、古毅。お前も、彼女たちも。南郷の過激な方針に飲み込まれる前に、そこを盤石な「お前たちの城」にするんだ。健闘を祈る』
ブツッ、と通信が途絶え、再び砂嵐の音だけが執務室に残された。
「おおー! さすが北条大将、話がわかる! 輸送潜水艦一隻分とはいえ、今のすっからかんなウチにとっては文字通りの命綱ですよ!」
明石がパッと顔を輝かせ、通信機のスイッチを切りながら喜びに声を弾ませる。
その背後で、ほうきを持ったままやり取りを聞いていた叢雲が、ふいっと顔を逸らしながらも、龍壁の方をチラリと盗み見た。
「……ふん。上層部のお偉いさんとも、あんな風に堂々と話せるのね。ただの陰気な男かと思ってたけど、無能ってわけじゃなさそうね。少しは見直してあげるわ。……少しだけ、よ!」
ツンとそっぽを向くが、その声からは先ほどまでの刺々しさが幾分か抜け落ちていた。自分が戦うための『燃料や弾薬』を、そして何より自分たちの『生存』を第一に考えて上層部へ要求を通したこの新任司令官に対し、彼女なりに信頼の欠片を見出したのだろう。
「さて、提督。おやっさん……北条大将からの補給物資が届くまで少し時間がかかりますが、これでなんとか第一歩は踏み出せそうです」
明石が執務机の埃を袖で軽く払い、龍壁に向き直る。
「補給が届けば、いよいよ叢雲ちゃんを出撃させて、近海に残存している深海棲艦の掃討や、資源の回収に向かわせることができます。それまでの間、どうしますか?」
「出撃前に、叢雲の艤装の状態を確認したい」
明石の問いかけに、龍壁は一瞬の迷いもなく答えた。
「艤装の確認、ですね。分かりました」
明石の表情が、一瞬だけ技術者のそれへと引き締まる。そして、龍壁を気遣うように、微かに声を潜めた。
「……龍壁さん。もし気分が悪くなったら、すぐに言ってくださいね。私が代わりますから」
そのやり取りに首を傾げつつも、叢雲は腕を組んだまま、不満げに唇を尖らせた。
「はぁ? 私の艤装? 別にどこも悪くないわよ。着任したばかりなんだから、ピカピカの新品に決まってるじゃない。……まぁ、司令官としてどうしても私の戦力を把握しておきたいっていうなら、特別に見せてあげなくもないけど」
埃っぽい執務室を出て、一行は再び工廠へと移動した。
薄暗い空間の奥、第一ドックの重厚なハンガーラックに懸架されていたのは、冷たい光を放つ鋼鉄の塊だった。叢雲が所定の位置に背を向けて立つと、明石がコンソールを操作してアームを下ろす。
ガシャン!と鈍く重い金属音が響く。12.7cm連装砲、魚雷発射管、推進器、そして槍のような形状の電探付きマスト。彼女の細い手足には不釣り合いなほどの質量を持った兵器が、太い接続ケーブルと共に彼女の
「……ふぅ。どう? 完璧なフォルムでしょ。見惚れちゃった?」
叢雲は得意げにふわりと髪を揺らし、その圧倒的な重みを物ともせずに砲塔を滑らかに旋回させてみせる。
しかし、元エンジニアである龍壁の目は、ただの『兵器の展開』としてではなく、その構造的欠陥や調整の甘さを瞬時に読み取ろうとしていた。 油の匂い。鋼鉄が擦れ合う微かな駆動音。 かつて吐き気をもよおすほど向き合った『艦娘の兵装』が、今、目の前の少女の背で脈打っている。
龍壁が無言で近づき、艤装の各部へ視線を這わせると、叢雲は少し気圧されたように一歩後ずさった。
「ち、ちょっと……そんなジロジロ見ないでよ。いくら司令官でも、デリカシーってものがあるでしょ……!」
頬を微かに赤らめながらも、叢雲は龍壁が触れやすいように、文句を言いつつ連装砲の砲身を少しだけ下げてみせた。
明石が横からタブレット端末……寄せ集めの部品で作られた手製のデータロガーを覗き込みながら補足する。
「初期ロットの標準的な駆逐艦用艤装ですね。出力自体は安定していますが……龍壁さん、何か気になる点でも?」
龍壁は無言のままさらに距離を詰め、叢雲の腰に接続された主砲の基部や、脚部の推進器へとその大きな手を這わせた。
冷たい鋼鉄の感触と、微かに鼻を突く機械油の匂い。 龍壁の指先は、かつて自分が設計図に血を滲ませながら引き直した、あの完璧なクリアランスの記憶を呼び覚ましていた。
「……甘いな」
龍壁の低く響いた声に、叢雲がビクッと肩を揺らす。
龍壁は容赦なく、その『兵器としての欠陥』を指摘した。 主砲の旋回ギアに生じているコンマ数秒のタイムラグ。重心がわずかに左に寄っていることによる、右舷側への回避行動時の過剰な負荷。そして、量産品ゆえに生じている装甲板と生身の肉体との接合部の微かなズレ——。
「実戦の極限状態では、このコンマ数秒の遅れと重心のズレが命取りになる」
淡々と、しかし『絶対に死なせない』という執念にも似た凄みを含んだ龍壁の言葉に、叢雲は反論しようと開いた口を、そのまま噤んでしまった。
「な、によ……。マニュアル通りに展開できてるんだから、問題ないじゃない……。それに、急に触らな——っ!?」
文句を言いかけた叢雲の言葉を遮るように、龍壁は主砲基部の装甲を外し、内部のバランサーの調整弁を指先で捻り、接合部のロック機構を一度解除して、ミリ単位で噛み合わせを調整し直した。 カキン、と小気味良い金属音が響き、再び艤装が固定される。
「……動かしてみろ」
短い指示に、叢雲は不満げに眉を寄せながらも、言われた通りにステップを踏み、主砲を旋回させる。
「——っ!」
瞬間、彼女のルビー色の瞳が驚きに見開かれた。 先程まで感じていた、それが『当たり前』だと思っていた微かな重量の偏りや、動かす際の抵抗感が嘘のように消え去っていたからだ。まるで、冷たい鉄の塊が、本当の意味で自分の手足の延長になったかのような錯覚。
「……な、何よこれ。すごく……軽い。それに、砲の動きが私の思考にピッタリついてくる……」
叢雲は信じられないといった様子で、自分の艤装と龍壁を交互に見つめた。先程までの高飛車な態度は、すっかりなりを潜めている。
「ふふっ、お見事です龍壁さん。さすがは元・本廠のエース。艦娘の命を誰よりも考えていた、あなたらしい完璧な調整ですね」
明石が、自分のことのように誇らしげに笑いながら、パチパチと手を叩いた。
「初期ロットの汎用セッティングを、一瞬で彼女の体格や癖に合わせたワンオフ仕様に書き換えるなんて。……ああ、なんだか昔を思い出して、私までワクワクしてきましたよ!」
明石の明るい声にハッと我に返ったのか、叢雲は慌ててそっぽを向き、腕を組み直す。しかし、その耳の裏は微かに赤く染まっていた。
「……ふ、ふん! まぁ、元エンジニアを名乗るだけのことはあるみたいね。少しは私の負担が減ったわ。……ありがと。この完璧な艤装なら、どんな深海棲艦だって私の敵じゃないわ!」
強がりながらも、その声には確かな自信と、龍壁への信頼が芽生えていた。 龍壁が彼女たちの『兵器』ではなく『命』を見ていることが、言葉ではなくその手を通して伝わったのだろう。
「さて、提督。これで叢雲ちゃんの艤装の不安は消えましたね」
明石がタブレット端末を小脇に抱え、沖合の方角へ視線を向けた。
「おやっさん……北条大将が手配してくれた補給物資を積んだ潜水艦が、まもなくこの柱島海域に到着するはずです。資材を受け取り次第、近海の安全を確保するために、叢雲ちゃんには
「そうだな。わかった、指揮を執る。桟橋へ向かうぞ。叢雲、近海警備だが…気をつけてな」
龍壁の『気をつけてな』という短くも飾らない気遣いの言葉に、背を向けて歩き出そうとしていた叢雲の足がピタリと止まった。彼女は振り返り、信じられないものを見るように目を丸くしている。 艦娘は兵器であり、消耗品。それが海軍上層部の——ひいてはこの世界の——常識だ。記憶を持たずとも、本能で己の存在意義が『戦って沈むこと』だと理解している彼女にとって、『命を案じられる』ことは初めての経験だった。
「……っ。な、何よ、急に。気持ち悪いわね」
叢雲はパッと顔を逸らし、耳まで赤く染めながら早口で捲し立てる。
「言われなくても分かってるわよ! 私はあんたの初期艦なんだから、こんな近海の雑魚相手に後れを取ったりしないわ。……あんたが私専用に調整してくれたこの艤装に泥を塗るような真似も、絶対にしない。だから……あんたはここで、大人しく私の輝かしい戦果を待ってなさいよね!」
強がって見せるが、その声には先ほどまでの棘はなく、むしろ嬉しさを押し殺しているかのようだった。
「ふふっ。愛されてますねぇ、『司令官』」
明石が小さく吹き出し、悪戯っぽく微笑む。
「さ、行きましょうか。私たちの大切な『命綱』のお出迎えです」
一行が崩れかけた桟橋に到着すると、程なくして沖合の海面が白く泡立った。 ズズズ……と重低音を響かせながら浮上してきたのは、呉鎮守府の北条が手配してくれた一隻の輸送用潜水艦。ハッチが開き、無人の自動搬送機によって、ドラム缶や木箱が次々と桟橋に降ろされていく。
「燃料、弾薬、鋼材……おおっ、ボーキサイトも少しありますね! 量は少ないですが、これで当面の急場は凌げます!」
明石が歓声を上げ、手早くタブレットで物資の目録をチェックしていく。
その横で、叢雲は波打ち際へと歩み出た。 冷たい海水を脚部艤装の裏で踏みしめると、彼女の腰に接続された艤装が、まるで主人の闘志に呼応するように低く唸りを上げる。先ほど龍壁が施した完璧な調整のおかげで、動作音はどこまでも滑らかで静かだ。
「機関、良好。主砲の同調も……完璧ね。信じられないくらい身体が軽いわ」
叢雲は水平線の彼方——かつて深海棲艦が跋扈し、今なお残党が蠢く灰色の海域——を鋭い目で見据えた。そして、ゆっくりと龍壁の方を振り返り、右手を額に当てる美しい敬礼の姿勢をとった。
「駆逐艦、叢雲。これより柱島近海海域の哨戒、および敵残存勢力の掃討に向かいます」
海風が彼女の長い髪を揺らす。その瞳には、出撃への緊張と、龍壁から託された艤装への絶対的な信頼が宿っていた。
「了解だ。抜錨せよ」
「ふん。言われなくても!」
龍壁の短くも力強い号令に、叢雲は不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「私の華麗な戦いぶり、特等席で拝ませてあげるわ。……行ってくる!」
水飛沫を上げ、叢雲の小さな身体が海面を滑り出す。 通常、駆逐艦の初期艤装は出力の暴力で強引に波を蹴り立てるため、どうしても推進器から耳障りな駆動音と無駄な水柱が上がるものだが……今の彼女は違った。 龍壁が施したコンマ数ミリ単位の調整により、重厚な鋼鉄の艤装は彼女の身体と完全に連動し、まるで水鳥のように滑らかに、そして矢のように鋭く海原を駆けていく。
あっという間に水平線の彼方へと消えていく白い航跡を見送りながら、明石が感嘆の息を漏らした。
「……すごいですね。あのじゃじゃ馬な初期ロット艤装が、あんなに静かに、あんなに速く動くなんて。龍壁さん、腕はまったく鈍ってないじゃないですか」
明石はタブレットを操作し、本部棟のレーダーと通信網をこの場にリンクさせた。画面には、柱島近海を高速で進む叢雲の光点が映し出されている。
「さて、叢雲ちゃんが頑張ってくれている間に、私たちはこの命綱の資材を運び込みましょうか。……あ、索敵圏内に反応あり。深海棲艦の残存勢力ですね。駆逐イ級が3隻……いえ、4隻です」
明石が報告した直後、手元の通信機からノイズ混じりの叢雲の声と、遠くで響く砲声が飛び込んできた。
『……目標捕捉。ふん、やっぱりウロウロしてたわね、薄汚い化物ども。……でも、遅いわよ!』
ズドン! ズドン! と、立て続けに12.7cm連装砲の火を吹く音がスピーカー越しに響く。
『次! ……ふふっ、本当に思い通りに動くわ、この艤装! 次弾装填、照準良し……沈みなさい!』
轟音。そして、深海棲艦特有の断末魔のような不気味な軋み音が通信機越しに聞こえ、やがて静寂が訪れた。
『……こちら叢雲。近海をうろついていたイ級4隻、全弾命中にて撃沈。こんな他愛もない雑魚、今の私の敵じゃないわ! ……こっちの被害状況? って、被弾なんかゼロに決まってるでしょ。馬鹿にしないでよね』
息一つ乱れていない、誇らしげな声。 艦娘たちの悲鳴や艤装が砕ける音は、そこにはなかった。龍壁が自らの手で整えた兵装が、確かに彼女の命を守り、勝利をもたらしたのだった。
「お見事! 龍壁さん、完全勝利ですよ!」
明石が自分のことのように喜び、パチパチと手を叩く。
「今の彼女なら、近海の安全確保はすぐに終わりそうですね」
通信機からは、少し弾んだ叢雲の声が続く。
『残りの海域もパトロールしたら帰還するわ。……ちゃんと、私が休める場所くらい用意しておきなさいよね、司令官!』
通信が切れ、波の音だけが戻ってきた。 明石が龍壁を振り返り、運び込まれた資材の山を示す。
「さて、提督。彼女が凱旋してくる前に、この資材を使って少しだけ泊地の環境を整えましょう。叢雲ちゃんが疲れを癒やせるように、居住区の入渠施設を大至急直すか、次の戦いに備え、工廠の第一ドックに資材を投入して機能を拡張するか…。優先したいのはどちらですか?」
明石の問いかけに、龍壁は思案を巡らせる。
「入渠施設…風呂か。……いや、そうだな、風呂を優先しよう」
「お風呂の修理、ですか。……兵器の整備より、まずは彼女の『心と身体の休息』を優先するんですね」
明石は少し驚いたように目を瞬かせた後、とても優しく、どこか救われたような微笑みを浮かべた。
「昔の海軍工廠じゃ、艦娘はただの部品扱いでしたから。……あなたが提督で、本当に良かった。じゃあ、大急ぎで居住区のボイラーと配管を直しちゃいましょう!」
明石は受け取ったばかりの鋼材と燃料の一部を担ぎ、弾むような足取りで居住区の廃墟へと向かっていった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回、「第2話. 戦艦・陸奥」は4/23の18時頃に投稿予定です。