『柱島泊地 -鉄屑艦隊- 』 艦隊これくしょん二次創作小説   作:龍改二

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第16話です。2日に1話ペースで更新予定です。


第16話. 叢雲

硝煙と水蒸気が晴れた海面。 大蛇の姿は跡形もなく消え去っていた。

そこには、上半身だけになり黒いボロ切れのように波間を漂う「レ級の本体」だけが残されていた。 その淀んだ瞳にはもう何も映っていない。ただ虚空を見つめ、口をパクパクと動かしている。

 

『……得意の挨拶は、ナシなの?』

波の上を滑るように近づいた叢雲が、その傍らに立った。見下ろすルビーの瞳には、怒りや憎しみはない。ただ、哀れな亡霊を眠りにつかせるための、静かな決意だけがあった。

『『……オハヨウ……』』

レ級の残された片腕が、空を掴むように力なく伸ばされる。

 

叢雲は空気を焼く咆哮のようなプラズマを鎮め、揺らめく静かな光刃だけを形成すると、その胸の中心へと深々と突き立てた。

『……おやすみでしょ。…バカね』

 

ピシリ、と。死んだ体に亀裂が走る。

それは呪いが解けたかのように、黒く脆い灰となって崩れ落ちた。鉄底海峡を照らし始めた『暁の光』。光を反射し煌めく波が、優しく包み込むように、少女を迎え入れた。

 

「……敵生体反応、ゼロ……。戦艦レ級の、完全消滅を確認……!」

指揮艦のモニターを見つめていた明石が、震える声で報告を読み上げた。

 

その瞬間、張り詰めていた彼女の全身から糸がプツリと切れたように、明石はヘナヘナとその場に崩れ落ちた。

両手で顔を覆い、絞り出すような、ひどく掠れた悲鳴を上げる。

「あぁ……っ、ああああっ……! 終わった……! ……やっと、終わった……っ!! 提督……っ、龍壁、さん……っ!!」

 

それは、いつもの明るい工作艦の涙ではなかった。

永遠に続く血と泥の海。狂気の人体実験『女神計画』の主任・朝比奈として、その中を一人、歩き続けてきたその足が、今、渚に触れたのだ。

龍壁は何も言わず、子供のように床で泣きじゃくる彼女の小さな背中に、かつて同じように工廠で血に塗れた己の大きな手を、静かに置いた。

 

しばらくの間、静まり返った指揮艦には、明石の嗚咽だけが痛切に響き続けていた。

 

——やがて、その重苦しくも温かい静寂を破るように。

通信機のノイズが弾け、荒い息遣いと共に、激戦を生き抜いた艦娘たちの弾んだ声が次々と飛び込んできた。

 

『イエス……ッ!レ級の脅威は去りマシタね、龍壁サンッ!…… 北条提督、私、最後まで誰一人欠かすことなく、護り抜きましたよ…ッ! 』

ボロボロになった大盾の艤装をさすりながら、金剛が誇り高く、しかしひどく安堵したような息を吐く。

 

『あー、疲れたぁ……。……龍壁さーん、南郷さんへの言い訳と始末書、ぜーんぶそっちに丸投げするからねー?』

北上が波間に大の字で浮かびながら、いつもの気だるげな声で笑う。その目元には、憑き物が落ちたような穏やかな光が宿っていた。

 

『ふふっ……本当に、私たちに無茶をさせてくれる提督ね。でも……そうね。この美しい朝焼けが見られたなら、許してあげるわ』

主砲の冷却音を響かせながら、陸奥が優しく、色気のある声で微笑む。

 

『……空が、綺麗……。翔鶴(ねえ)、加賀さん……提督さん……私たち、まだやり直せるかな』

瑞鶴はポロポロと泣いていたが、その声は海軍最強の「鎧」ではなく、一人の誇り高き空母としての、晴れやかな涙声だった。

 

『……戦争(あめ)が、止んだよ。……西村提督』

時雨が、光の反射する海面を静かに見つめながら呟く。その声は、深い祈りのように響いた。

 

そして、最後に。

通信機の向こうで、ガン・ハルバードの機関を落とした叢雲の、ふっと息をつく音が聞こえた。

『……フンッ。どいつもこいつも、ボロボロじゃない。……でも、悪くない作戦だったわ』

照れ隠しのような、いつものツンとした口調。しかし、その声には確かな温もりと、司令官への絶対の信頼が込められていた。

『……帰るわよ、明石、司令官。……私たちの家へ』

 

——波間に揺れる翼龍の亡骸が、隼鷹の足に触れた。

隼鷹が両の手で掬い上げると、それはボロボロと崩れ落ち、鉄底海峡の水底へと沈んでいった。

 

『ちょっと、隼鷹ーっ!いつまで余韻に浸ってんのよ、置いていくわよ!』

帰投を始めた叢雲の声が、背後から響く。

 

此時(このとき) 一盞(いっさん) 無くんば、何を(もっ)てか平生(へいぜい)(じょ)せん。……か』

隼鷹は懐から龍壁たちに黙って持ってきたスキットルを取り出すと、海へ投げ渡した。

『アタシも、いずれ逝くよ。……また、一杯やろう』

隼鷹の静かな呟きは、鉄底海峡の海風に溶け込むように消えていった。

 

* * *

 

宴の喧騒が嘘のように引いた、夜の柱島泊地。

北上、金剛、瑞鶴、時雨。海軍最強の四方の面々は、それぞれの帰るべき場所へと帰投していった。

龍壁は一人、夜の海を眺めていた。柱島に着任し、最初に叢雲と明石に出会った桟橋。 鉄屑の吹き溜まりだったこの場所が、今や人類の希望を繋ぐ最前線の城となっている。心地よい海風が、龍壁の頬を撫でていく。

 

「……提督」

背後から、足音が近づいてきた。 振り返ると、油と煤で汚れたツナギ姿の明石が立っていた。彼女の腕の中には、激戦を終えた叢雲から預かった艤装の深部パーツ——普段は絶対に開けることのない「ブラックボックス」のコアが抱えられていた。

いつもなら「修理完了ですよ!」と明るく笑う彼女の顔は、今は涙で濡れ、しかし……過去のどんな時よりも、深く、澄み切った安堵に満ちていた。

 

「……隠して、いたんですね。ずっと」

明石は震える声で呟き、龍壁の隣に並んで、夜の海を見つめた。

「今日、レ級との激戦を終えた叢雲ちゃんの艤装を、隅々まで解体してメンテナンスしたんです。……普通は開けない、あのブラックボックスまで」

彼女は抱えていたコアパーツを、まるで宝物のようにギュッと胸に抱きしめた。

 

「私、ずっと怖かったんです。……あの『不退転作戦』で一度沈み、死体の山に捨てられていた彼女を、あなたが『どうしても死なせたくない』と私に懇願した時。……私は、『女神細胞』を彼女に移植した。……また、罪を重ねたんです」

明石——いや、元軍医・朝比奈の目に、再び大粒の涙が浮かぶ。

「記憶喪失という代償を払って、彼女は蘇った。四方の艦娘にも引けを取らない身体能力を得て。……でも、私は自分が恐ろしかった。時雨のように自我が崩壊するか、レ級のように理性を失った怪物になるか。私が彼女を、いつ暴走するかわからない『時限爆弾』にしてしまったと、ずっと罪悪感に苛まれていました」

 

明石は、龍壁の横顔を真っ直ぐに見上げた。

「でも……違った。叢雲ちゃんの艤装の深部には、私の知らない『完璧なバイパス回路』が組み込まれていました。女神細胞の異常な負荷と拒絶反応を、すべて艤装側のコアへ逃がし、押し留め、彼女の肉体と精神を完全に守り抜く、奇跡のような命の回路……」

明石の目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。

「あなたが、私の『悪魔の研究』を……ただ一人の女の子の命を繋ぐための、本当の『医療(エンジニアリング)』に昇華させてくれていた。私が背負わせた呪いを、あなたが裏で、ずっと一人で解いてくれていたんですね……っ。龍壁さん……ありがとう、本当に、ありがとうございます……っ」

 

ガチャンッ!!

 

彼女が龍壁の胸で泣き崩れようとした、その時だった。

背後で、硬い金属のトレイが地面に落ちる音が響いた。 振り返ると、桟橋の影に、見慣れたロングヘアの少女が立っていた。

 

「……むら、くも……ちゃん……?」

明石が息を呑む。

叢雲の足元には、龍壁と明石のために淹れたであろう、とびきり甘い香りのするお茶と、お茶請けのクッキーが散乱していた。

 

「……嘘、でしょ」

叢雲は、自身の細い両腕を震わせながら抱きしめ、信じられないものを見る目で、二人を見据えていた。

「私……一度、死んでたの……?」

彼女の声は、いつもの誇り高くツンとした響きなど微塵もなく、ただの迷子のように弱々しく震えていた。

 

「記憶がないのは、そのせい? 私の中に、あの時雨や、私たちが倒した『レ級』と同じ化け物の細胞が……入ってるから、私はあんなに速く動けたの……?」

明石と龍壁に出会った頃から、心の奥底でずっと燻っていた微かな違和感。

思えば二人は、互いが旧知の間柄であることを隠さないのに、なぜか叢雲の過去にだけは一切触れてこようとしなかった。

そして何より——いかに自分専用にチューニングされた艤装とはいえ、海軍最強と謳われる『四方』の面々と肩を並べて戦い抜けてしまう、自身の異常なまでの身体能力。

これまで無意識に目を逸らしてきた不自然なパズルのピースが、今、ひとつの残酷な真実として組み合わさってしまった。

 

後ずさりする叢雲。ルビーのような瞳から、ポロポロと涙がこぼれた。

「……答えてよ、司令官! 私は……私はただの『初期艦』じゃないの!? あんたと明石が造り上げた、人型の化け物なの……!?」

彼女の根幹を成していた『誇り』と『アイデンティティ』が、音を立てて崩れ落ちようとしていた。

 

「………叢雲、俺の過去をお前に詳しく話したことは、今まで、なかったな」

龍壁は、重い城門を無理に持ち上げるように、ゆっくりとその口を開いた。

 

「俺はここへ来る前、海軍工廠のエンジニアで、当時の戦局は最悪だった。……俺が作った艤装を背負った少女が、笑うんだ。『ありがとう、行ってきます』ってな。それで、ひと月もせずに戻ってくる。物言わぬ肉と鉄の塊になって。……俺はソレから艤装を引き剥がし、血と肉を濯ぎ落して、修理し、「次」に渡す。そんな地獄が、来る日も来る日も続いた」

龍壁は苦しげに顔を歪め、自身の震える両手を強く握りしめた。

 

「そんなとき、死体の山から小さな物音がしたんだ。……まだ生きていた。本当に微かな息を見て俺は、凍結された女神計画を……朝比奈を、頼った。朝比奈には『何を言っているか分かっているのか、あれは悪魔の研究だ』と怒られたよ。でも俺は、どうしてもその少女に……お前に、生きていてほしかったんだ」

足元にクッキーが散乱する中、叢雲はただ呆然と、涙が溢れるのも忘れてその声を聞いていた。

 

「すまない、本当はもっと早くに打ち明けるべきだった。……俺は、怖かったんだ。お前にすべてを打ち明けたとき、拒絶されるんじゃないかと。……海軍工廠をやめたときと同じ。俺はいつも、逃げている」

 

ぽつり、ぽつりと夜の海に溶けていく、龍壁の凄惨な過去の告白。 兵器として消費されていく少女たちの血と肉を洗い流し、ただ「次」へと艤装を渡し続けるだけの、工廠という名の地獄。その中で、どうしても手放せなかった、たった一つの微かな命。

その、血を吐くような後悔と、底知れぬ恐怖の吐露を聞いて。

「……ええ。本当に、あの時のあなたは狂鬼のようでした」

隣で泣き崩れていた明石が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、静かに微笑んだ。

「『女神でも悪魔でもいい。俺はこいつを死なせたくないんだ』って……。あなたが、私の共犯者になると、そう言って私に頭を下げたから。だから私は……朝比奈は、もう一度だけメスを握れたんです」

 

叢雲のルビーの瞳に、大粒の涙と……彼女本来の、負けん気の強い、真っ直ぐな感情が浮かび上がった。

「……っ」

叢雲は、足元に散らばったクッキーにも構わずに、一歩、また一歩と龍壁に近づき。 ドンッ! と、その華奢な両手で、龍壁の胸を力いっぱい叩き、そしてそのまま、服の胸ぐらをギュッと強く握りしめた。

 

「……この、大馬鹿野郎……ッ!」

叢雲は龍壁の胸に顔を埋め、しゃくりあげながら、怒鳴るように叫んだ。

「海軍最強の連中を手玉に取って、深海の化け物まで跡形もなく吹っ飛ばした司令官が……たかが初期艦一隻に嫌われるのが怖くて、逃げてただなんて……馬鹿じゃないの!?」

叢雲の細い肩が、ヒック、ヒックと大きく震える。

「私が……私がそんなことで、あんたを拒絶するわけないじゃない……っ!!」

 

それは、記憶を失い、自分の正体が分からないまま戦ってきた彼女が、初めて見せた『心底からの本音』だった。

「私が一度死んでようが、化け物と同じ細胞で動いてようが、関係ないわ! 私は今、ここで生きてる! あんたがその手で泥の中から掬い上げて、明石が繋いでくれて……あんたが毎日毎日、私が壊れないように、あんな重たい艤装を完璧に整備してくれてたんでしょうが!!」

 

叢雲は涙で濡れた顔を上げ、龍壁の目を真っ直ぐに見つめ返した。

「私はただの『初期艦』よ! あんたが世界で一番大切に育て上げた、最高で最強の駆逐艦・叢雲なんだから! ……勝手に罪悪感抱えて、私から逃げてんじゃないわよ、この……っ、私の大好きな、バカ司令官……っ!!」

 

叢雲のその言葉に。 明石はもう声を堪えることもできず、顔を覆って泣き崩れた。 彼女の生み出した『悪魔の細胞』は、龍壁という技術者の執念と優しさによって完全に制御され、今こうして、最高に誇り高く美しい『一人の少女の命』として、ここで力強く脈打っている。

柱島の夜の海風が、三人を優しく包み込む。 龍壁が心の内に抱え続けてきた『死体の山から拾い上げた罪悪感』と『真実を隠していた恐怖』。そのすべてを、叢雲の不器用で真っ直ぐな愛情が、柔らかく迎え入れた。

 

「……ふふっ。せっかく司令官に淹れてあげたお茶、全部こぼれちゃったじゃない」

しばらく龍壁の胸で泣きじゃくった後、叢雲は少しだけスッキリした顔で鼻をすすり、ツンと顔を逸らした。

「……明石。工廠に戻るわよ。あんたたち二人とも、私がもう一回、とびっきり美味しいお茶を淹れ直してあげるから、正座して待ってなさいよね」

 

「……はいっ。喜んでいただきます、叢雲ちゃん」

明石も涙を拭い、龍壁に向かって、今までで一番晴れやかな笑顔を向けた。

龍壁は、何も言葉を発することができなかった。

ただその頬を、温かい潮水が濡らした。

 

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。
これにて第三章「叛逆の海と罪の亡霊」はENDです。
次回から第四章「海賊艦隊と空っぽの墓標」が始まります。

次回、「第17話. 濃霧の死線」は5/23の18時頃に投稿予定です。

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