『柱島泊地 -鉄屑艦隊- 』 艦隊これくしょん二次創作小説 作:龍改二
第23話です。2日に1話ペースで更新予定です。
第23話. 狼の断末魔
横須賀よりやや北へ離れた沖合、鉛色の海域。
叩きつけるような雨の中、鉄錆と重油、そして強烈な胃液と血の悪臭が立ち込めていた。
「ガ、アァァァァッ……!!」
咆哮。それは、もはや艦娘のそれではなかった。
重巡洋艦・
彼女の右半身は異様に肥大化し、装甲と肉を内側から食い破るように、白濁した深海の『骨』が異常増殖して全身を覆っていた。
理性を失った赤い瞳から血の涙を流し、大口を開けた艤装が、ただ「肉」を求めて空を噛む。
「……あーあ。ほんと、冗談キツイわ」
『雷神』北上は、降りしきる雨の中で面倒くさそうに首の後ろを掻いた。
しかし、その細められた瞳には一切の油断がない。周囲の海面には、破壊された魚雷発射管の破片と、足柄に『喰い散らかされた』深海棲艦の残骸が散乱していた。
深海の病に侵された足柄の身体能力は、常軌を逸していた。
北上の神速の砲雷撃を、関節の構造を無視した四つん這いの獣の機動で躱し、猛烈な速度で距離を詰めてくる。
「喰ウ……、タベ、ル……ッ!」
「うーん。アタシ、あんま美味しくないと思うよ」
殺意と空腹の塊となって飛びかかってくる足柄に対し、北上は一歩も引かなかった。
鋭い白骨の爪が北上の喉笛を裂こうとした瞬間――北上は最小限の動きで上体を逸らし、その掌底で足柄の顎を強引に跳ね上げた。
ガラ空きになった腹部。北上は冷徹に、単装砲の砲口をねじ込む。
手加減などできる相手ではない。ここで止めなければ、彼女は横須賀の防衛線を食い破るただの厄災になる。
ゼロ距離の砲撃。『く』の字に折れ曲がり吹き飛ぶ足柄。
飛沫を上げて波間に転がる『飢えた狼』を、無数の赤いロックオンレーザーが見据えた。
「――おつかれ、足柄」
閃光と爆音。血肉と白骨が雨ごと吹き飛ばされ、激しい水柱が鎮まった後には、ただ黒い波だけが残った。
北上は大きく息を吐き、通信機に手を伸ばす。
『――状況はどうなっている、北上』
「終わったよ、南郷さん。……あー、大湊の
北上の問いに、通信越しの最高司令官は、ただ重苦しい沈黙で返した。
* * *
柱島泊地、執務室。
『――というわけだ。横須賀から北部の沖合にて、大湊所属の重巡・足柄を処分した』
「処分、ですか。南郷元帥ともあろうお方が、随分と歯切れの悪いご報告ですね」
龍壁は、モニターに映る老将の険しい顔を静かに見据えた。
海賊艦隊の一件を経て、この最高司令官との間には、奇妙な――決して馴れ合いとは呼べないが、戦友にも似た理解が生まれていた。
『大湊の牟田島は、足柄の深海化について「作戦中の不測の事態による感染」としか報告を上げてこん。だが、北上の報告書によれば、足柄は――深海棲艦を喰らっていた、というのだ。まるで、飢えた獣のようにな』
ピキッ、と。
龍壁の背後で、控えていた明石の持っていたタブレットの画面にヒビが入った。
無意識に、信じられないほどの力で握りしめていたのだ。
死体を繋ぎ合わせたかつての生医研の悪夢。罪過の象徴が頭をよぎる。
送られてきた北上の戦闘詳報を見た龍壁と明石の目が、剣呑に細められた。
『大湊は現在、前線の維持を理由に、本省からの監査を一切拒絶しておる。本省の部隊を強引に動かせば、内戦の火種になりかねん』
南郷はそこで言葉を区切り、画面越しに龍壁の眼光を真っ直ぐに捉えた。
『大湊は何かを隠しておる。……龍壁少将、貴様のようなイカレた魔改造を施す男にしか、足柄の異様な艤装の正体と、大湊の腐敗は暴けまい。……貴様ら柱島艦隊に、極秘の調査任務を命じる』
「承知しました。……本件、我々柱島で請け負いましょう」
龍壁が静かに応じ、軍務の完了として通信を切るべくコンソールへ手を伸ばしかけた、その時だった。
『……待て。まだ通信は切るな』
南郷が、不自然なほど食い気味に制止の声を上げた。
厳格な最高司令官の仮面が、微かに揺らぐ。モニターの向こうの老将は、手元の葉巻を灰皿に置くと、一度深く、ひどく重い咳払いをした。
いつもなら相手を射抜くような鋭い視線が、龍壁の顔から僅かに外れ、気まずそうに宙を泳ぐ。
『それでだな龍壁。……その、なんだ』
先程までの厳格な表情が微かに崩れ、南郷はひどくバツの悪そうな、不器用な老人の顔を見せた。
「どうされました? 輪をかけて歯切れが悪いですが」
『……』
南郷は忌々しげに葉巻を咥え直そうとして、やめた。
『アイツラは……雪風たちは、どうしておる。大人しくしておるか』
龍壁は小さく息を吐き、口角を少しだけ上げた。
「聞かれると思って、部屋の前で待機させてますよ。……雪風、入れ」
「チッ、聞こえてンだよ!」
乱暴に執務室のドアが開き、小柄な駆逐艦がズカズカとモニターの前へと歩み出た。彼女は画面越しの元上官を睨みつけると、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
「よォ、司令! まだクタバッてねェだろうな? ちゃんとメシ食って健康診断行ってンのかよ! アタシらが直々に引導渡してやるまで、勝手に死ぬんじゃねェぞ!」
『貴様……ッ! 相変わらず口の減らんクソガキめ! 最高司令官に向かってなんという口の利き方だ!』
怒鳴り声を上げる南郷だが、その声にかつての非情な威圧感はない。目尻の皺を深く寄せたその顔には、隠しきれない安堵と甘さが滲んでいた。
「雪風、あまり司令長官を困らせないでください。……司令長官、怒鳴ると血管が切れますよ。血圧のお薬はちゃんと飲みましたか? 榛名は心配です」
雪風の背後からひょっこりと顔を出した戦艦・榛名が、心配そうな、しかし微妙に刺さる言葉を投げかける。
「もうお歳でち。ゴーヤたちのために無理して過労死しないでほしいでち」
「提督、少しは禁煙できないんですか?……貴方がそんなだから、榛名もやめてくれないんですよ」
伊58と妙高が榛名の後に続く。
それは心配しているのか貶しているのか、あるいはその両方を含んだ声にも聞こえた。
『……貴様ら、私をなんだと思っておるのだ。少しはまともな言葉遣いを覚えんか』
南郷が頭を抱え、モニターの向こうで深くため息をついた。
「見ての通りですよ、南郷元帥。口の悪さは相変わらずですが……彼女たちの魂は、しっかりこの海に繋ぎ止められています」
龍壁がそう総括すると、南郷は一つ咳払いをして、再び厳格な軍人の顔へと戻った。
『……フン。お前たちが出向扱いでそこにいる以上、柱島艦隊の武勲は我が横須賀の武勲でもある。せいぜい役に立て。……龍壁、本件、頼んだぞ』
通信が一方的に切れ、モニターが暗転する。
龍壁は振り返り、悪態をつきながら鼻を鳴らす雪風たちを見据えた。
「雪風、榛名、伊58、そして妙高。……聞いての通り、俺たちは南郷元帥の依頼で、これから大湊の極秘調査へ向かう」
「あ? 大湊だァ?」
「俺たちが留守の間、この柱島をお前たちに任せたい。……俺たちの帰る場所を、護ってくれるか」
龍壁の真っ直ぐな言葉に、雪風は少しだけ目を丸くした後、ポンッと自分の拳を手のひらに打ち付けた。
「……ふんッ。ジジイの勅命とあっちゃァ、仕方ねェな。……安心しな、このシマに近づくバカ共は、アタシらがまとめて海の底へ沈めてやるよ。せいぜい気ィつけて行ってきな、司令」
「ええ。留守番はお任せください。……もし監査だなんだと嗅ぎ回る連中が来たら、灰皿代わりに使ってあげますから」
「……でち。麻雀の続きやるでち」
頼もしくも物騒な留守番の承諾を得て、龍壁は傍らに立つ明石と、静かに頷き合った。
* * *
海賊艦隊の面々が喧騒と共に執務室を後にすると、廊下から騒がしい会話が聞こえてきた。
『おら、どけどけ初期艦サマ! アタシらはこれからこのシマの警護って大役があんだよ!』
『失礼しますね叢雲さん。あ、本部棟に喫煙所ってあります?』
『ちょっと、アンタたち廊下で騒がないでよ! ……警護って、留守番? ああもう、すれ違いざまに煙草の匂い撒き散らさないで!』
『ひゃはは! 仲いいじゃねえか。ウチの留守は頼んだぜ、海賊サンたちよ!』
『あらあら、元気があっていいわね。でも廊下は走っちゃダメよ?』
やがてガチャリと扉が開き、ひどく呆れた顔でパタパタと手で空気を払う叢雲と、スキットルを片手に楽しそうに笑う隼鷹、そして艶やかな微笑みを浮かべた陸奥の三人が執務室へと入ってくる。
「まったく……あいつら、本当に嵐みたいね。……お待たせ、司令官。出撃組、揃ったわよ」
叢雲が扉を閉めると、それまでの騒々しさが嘘のように遮断され、部屋には重く冷たい静寂が降りた。
龍壁は手元のスパナをデスクに置き、集まった三人の顔を一度見渡してから、部屋の中央にあるホログラムテーブルを見据えた。
「……明石。大湊鎮守府について、海軍のデータベースにある情報をすべて出してくれ。それと——南郷元帥から送られてきた、『横須賀沖の戦闘記録』もだ」
「了解です、提督」
明石がコンソールを叩くと、テーブルの上に北方の冷たい海域図と共に、一枚の不気味な立体映像が青白く投影された。
「っ……! 何よこれ……深海棲艦……!?」
真っ先に声を上げたのは叢雲だった。嫌悪感に顔を顰める彼女の隣で、映像を細部まで見据えた陸奥が、サッと血の気を引かせる。
「違うわ叢雲ちゃん。……艤装の基礎フレームに面影が残ってる。これ……重巡、足柄……?」
ホログラムに映し出された足柄は、かつての誇り高き姿とは程遠かった。
その全身は禍々しい白骨のような装甲に浸食され、虚ろな瞳には理性の光など微塵もない。それは完全に『深海化』し、海軍の艦娘から恐るべき怪物へと堕ちた姿だった。
隼鷹からふっと酒の気配が消え、彼女はかつてないほど険しい目で舌打ちをした。
「おいおい……マジかよ。冗談キツいぜ」
「冗談なら良かったんだがな。……つい先日、横須賀の沖合にこの異形と化した足柄が突如として出現した。哨戒にあたっていた艦娘たちでは相手にならず、最終的に北上が出撃してこれを撃沈したそうだ」
「あの北上が……」
「問題は、この足柄が『どこから来たか』だ」
龍壁は机上の海域図を指差した。その指先は、本州の最北端——大湊を指し示している。
明石がコンソールを叩くと、表示された海域図が切替わり、大湊の部隊編成データが青白く投影される。
「大湊鎮守府……多数の駆逐艦や巡洋艦を擁する、水雷戦隊を中心とした『水雷屋』の巣窟です。特に第一水雷戦隊、通称『一水戦』は、海軍屈指の機動力と突破力を持つと言われています」
「司令官は、
明石の報告を引き取るように、腕を組んだ陸奥が艶やかな、しかしひどく冷ややかな声で口を挟んだ。
「知っているわ。南郷元帥に負けず劣らずの強硬派だけど、彼は少し毛色が違う。補給や兵站を軽視し、精神論と成果に異常なほど執着する……血も涙もない男よ」
「……ええ。そして、その牟田島中将の秘書艦が一水戦の旗艦・
明石が画面を切り替えると、一人の軽巡洋艦の姿が映し出された。
「個人の武力こそ『雷神』北上には及びませんが、一水戦の駆逐隊を完璧に指揮する統率力まで含めれば、海軍最高の巡洋艦だという声もあるほどの武勲艦です」
「ふん。統率力バツグンの優秀な旗艦様ってわけね」
壁際で話を聞いていた叢雲が、小さく鼻を鳴らした。
「……ならなんでその大湊の重巡が、深海のバケモノなんかに成り果てて、横須賀まで迷い込んでたわけ?」
叢雲の至極真っ当な疑問に、明石はタブレットを握る手を微かに震わせ、顔を強張らせた。
「……それが。今から3年ほど前、牟田島中将が立案したある大規模作戦以降、一水戦の面々はおろか、大湊の主力艦隊を見た者は……本省にも居ないんです」
「はぁ? 3年だァ?」
破れたソファに深く腰掛けていた隼鷹が、スキットルを傾けようとしていた手を止めた。
「おいおい、海賊やってた雪風たちじゃあるまいし、いくらなんでも長すぎるぜ。なんの作戦に出たってんだ?」
「……かなりの長距離遠征任務です。カレー洋沿岸にある深海棲艦拠点を陸海から完全包囲し、これを撃滅する。……記録上は、現在も作戦は継続中。彼女たちは今この瞬間も、現地で戦い続けているとされています」
明石が淡々と読み上げた海軍の公式記録。
その「地名」を聞いた瞬間。龍壁の瞳の奥で、技術者としての思考が、ある『最悪の矛盾』に行き当たった。
「……まて。カレー洋だと?」
龍壁の低く、地を這うような声に、執務室の空気がピリッと張り詰める。
「あの海域までのシーレーンは未確保のままだ。輸送艦はおろか、潜水艦によるモグラ輸送すら通れない、完全な無補給地帯だぞ」
艦娘は兵器であり、人間だ。燃料と弾薬、そして食料がなければ、一歩も動けず鉄屑と化す。補給線を無視した遠征など、誰の目にも狂気の沙汰だった。
「……そこで3年間も。どうやって戦い続けている?」
その龍壁の問いかけに、誰も答えることはできなかった。
無補給の地獄で、3年。
生き延びるために、彼女たちは何をエネルギーにしたのか。
(『喰ウ……、タベ、ル……ッ!』)
不意に、北上の持ち帰った通信データに残されていた、足柄のうわ言のような悲鳴が、全員の脳裏に蘇る。
「……まさか」
叢雲が、自身の細い腕をさすりながら、青ざめた顔で息を呑んだ。
「
陸奥が、忌まわしいものを見るように目を伏せる。
「明石」
龍壁が、静かに、しかし鋼のような決意を込めて相棒の名を呼んだ。
「大湊へ向かうぞ。……牟田島中将に直接話を聞く」
あの『悪魔の研究』の残り香が漂う、大湊へ。
鉄屑艦隊の新たな、そして最も陰惨な戦いの幕が上がろうとしていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回、「第24話. 海を喰らえば」は6/6の18時頃に投稿予定です。