『柱島泊地 -鉄屑艦隊- 』 艦隊これくしょん二次創作小説 作:龍改二
呉鎮守府、執務室。
「――以上が、大湊海域における柱島からの報告デース! テイトク!」
『鋼』の異名を持つ戦艦・金剛が、分厚い報告書をデスクにドサッと置いた。
その書類には、牟田島の失脚と、第一水雷戦隊の壊滅、そして大湊に巣食っていた狂気の全貌が記されている。
窓の外の軍港を見下ろしていた北条英久は、ゆっくりと振り返り、深く、深く安堵の息を吐き出した。
「そうか……。あの大湊、やはり底まで腐敗しておったか。……またしても、
「イエス! 柱島の龍壁艦隊、まさに破竹の勢いデース!」
北条はデスクに戻ると、その厄介極まる事後報告書に、いっそ清々しいほどの筆圧で『承認』のサインを書き殴った。あの大馬鹿者がこれからも存分に暴れ回れるよう、本省の風除けになるのが自分の役目だ。
ふと、北条の視線が壁に飾られた一枚の古い写真で止まる。
そこには、まだ少し皺の浅い北条と、半人前の——不器用だが真っ直ぐによく笑う青年技術者、龍壁の姿があった。
北条は目尻の皺を深くし、窓の外の青い空を見上げた。
彼が最前線へ送り込んだ不器用な技術者は、今や海軍の腐敗すらも切り裂く、極めて強固な刃となっていた。
* * *
横須賀、鎮守府の裏山。
鉛色の雲から落ちる冷たい雨が、整然と並ぶ墓標を打ち据えていた。
傘も差さず、ただ一人そこに立つのは、海軍最高司令官・南郷塔十郎。
彼の視線の先にあるのは、真新しい墓石。そこには『重巡洋艦・足柄』と刻まれている。
南郷は無言のまま、羊羹をひとつ、その墓前にそっと供えた。
「……木曾だけは、生きて帰ったぞ。足柄」
誰に聞かせるわけでもない低い呟き。そして南郷は、ゆっくりと隣へ視線を移した。
一際立派な墓標——長きに渡って共に横須賀を支え、そして未だ帰らない初期艦『大井』の名が刻まれた石碑へ。
「……大井。待たせたな」
南郷は懐から葉巻とマッチを取り出すが、冷雨に濡れたそれは、いくら擦っても火が点かない。
(――"またこんなに吸って! だめですよ、提督! タバコは一日二本までにしてください!")
「………」
雨に打たれる男の脳裏に、かつての執務室での何気ないやり取りが蘇る。
それは彼が『冷血漢の最高司令官』という仮面を被る前の、小うるさくも温かかった日常の欠片。
「ああ、分かっている。……善処するさ」
彼は当時と変わらない、呆れたような、けれどどこか優しい口調でこぼす。
『人類の味方になる』。かつて大井と誓った、あの遠い約束。深海棲艦を討ち滅ぼし、もう一度あの穏やかな日常を、静かな海を取り戻す。その志だけは、一度として忘れたことはなかった。
――だが、いつしか自分は『勝利』という二文字に固執するあまり、踏み越えてはいけない一線まで、冷徹な計算式の中に組み込んでしまっていたのではないか。
手元のマッチ箱を弄び、彼は自嘲気味に目を伏せる。
戦争は終わらない。しかし時代は流れる。いや、自分が止まっていたのか。自分の冷たい計算よりも、あの男が抱くような、泥臭くとも不遜な『熱』の方が……今の海軍には、必要とされているのかもしれない。
すり減ったマッチを湿った土へと捨て、彼は再び墓標を見つめた。
幾万の将兵たちを震え上がらせる冷酷無比な最高司令官、『不退転の南郷』。
だが大井の墓前で見せたその眼差しには、己の老いへの納得と、わずかに変わり始めた海軍の行く末を託すような、静かな光が宿っていた。
「ずいぶんと遠回りをしているが……そちらへ往く時には、せめてもう少し、お前が誇れるような海にしておこう。……ではな、大井」
南郷は湿気た葉巻とマッチ箱を懐に仕舞うと、静かに踵を返した。
そして、遥か灰色の水平線へと目をやる。
「……これからは、少し窓を開けておくのも……悪くはないかもしれんな」
* * *
大湊鎮守府、執務室。
「……あーあ。マジでだっるいなぁ、ここ」
かつて牟田島が座っていた豪奢な司令官デスク。そこに軍靴を履いたまま両足を乗せ、盛大な欠伸をしていたのは、『雷神』北上だった。
「なんでアタシがあのクズの尻拭いなのさー、南郷さーん」
南郷の密命を受け、腐敗しきった大湊の事後処理と再建の監督を丸投げされた彼女は、面倒くさそうに首の後ろを掻いた。
背後の壁に空いた大穴から吹き込んだ潮風が、北上の髪を揺らす。
「おいコラそこ! 土嚢の積み方が甘いクマ!」
「急いで瓦礫を片付けるにゃ! 柱島の連中に笑われるにゃ!」
大穴から覗く眼下から、球磨と多摩の活気ある声が響いてくる。
少し前までの、すり減ったレコードのような機械的な響きはもうない。彼女たちの瞳には、確かに血の通った『艦娘』としての光が戻っていた。
「これ……全員に配れっての?」
北上は執務室に山と積まれた羊羹を見て、もう一度、深く欠伸をした。
* * *
舞鶴鎮守府。
小雨の降る桟橋。
「遅かったじゃない、忠次提督!」
タラップを降りきった東雲忠次の前に、空母・瑞鶴が小走りで駆け寄る。その無事な姿を間近で確認した安堵からか、彼女の手からふっと傘が滑り落ちた。
焦土作戦において民間人を巻き込もうとした責任を問われ、本省の厳しい査問を受けていた東雲。しかし、結果的に犠牲者が皆無の『未遂』であったこと、そして何より南郷からの不可解なほど静かな黙認もあり、彼はこうして再び舞鶴の地を踏むことができた。
東雲を見上げる瑞鶴の瞳が、ふと見開かれる。
かつて、父の仇である戦艦レ級を殺すためだけに身を焦がしていた、あのどす黒い復讐の業火。彼女が土壇場で反旗を翻してまで止めたかった『狂気』が、今の彼からはすっかり消え失せていた。
憑き物が落ちたように穏やかな、本来の彼の顔がそこにあった。
「……ああ、遅くなった、瑞鶴。心配をかけたな」
東雲は不器用に微笑むと、二人の足元に落ちた傘を拾い上げ、小雨に濡れ始めた彼女の肩を覆うように差し掛けた。
「その……すまなかった。お前が止めてくれなければ、私はきっと……」
「……バカ。謝って済むと思ってるの?」
瑞鶴は真っ直ぐに彼を見据えると、傘の柄を握る彼の手を、両手でギュッと包み込む。
「失った時間は長かったかもしれないけど……私と忠次提督なら、これからいくらでもやり直せる」
そして、かつての先輩から託された誇りを胸に刻むように、胸を張って力強く微笑んだ。
「……大丈夫! 私は『一航戦』、空母・瑞鶴。どんな逆境だって……鎧袖一触よ! 心配いらないわ、『提督さん』!」
彼女の頼もしく、晴れやかな笑顔。見上げる灰色の空の向こうには、かつての強硬な海軍の体制が少しずつ瓦解していく、確かな希望の光が射し込み始めていた。
* * *
佐世保鎮守府、出撃桟橋。
潮風が、青く澄んだ海面を穏やかに揺らしている。
抜錨の準備を整えた駆逐艦・時雨が、静かな波音の中に立っていた。
「……気をつけてな、時雨。柱島への航路は安全域だが、油断はするなよ」
見送りに立つ西村祥子が、祈るような、それでいてどこか過保護な親のような声で呼びかける。
「うん。ただの定期健診だから、心配しないで」
時雨はゆっくりと振り返り、小さく首を傾げた。
彼女が向かうのは、龍壁たちの待つ柱島泊地。朝比奈こと工作艦・明石による『青血』のバイタルチェックと、艤装の精密検査を受けるためだ。
かつて狂気と殺戮に呑まれかけていた彼女の瞳は、今はただ青く、美しく透き通っている。
「それと、ね……」
ふと、時雨の口元が、年相応の少女のように綻んだ。
「また、叢雲に会えるから」
(――"友達が、できたよ")
いつかの夜、彼女がひっそりとこぼした言葉が西村の脳裏をよぎる。
時雨は西村に向かって、柔らかく、本当に嬉しそうな笑みを浮かべると、美しく誇り高い敬礼を見せた。
「いってきます、提督」
人間としての温かな光を取り戻した少女は、大切な友の待つ海へと、静かに滑り出していった。
* * *
そして、柱島泊地。
海風に乗って、槍と刀が激しく衝突する音が響き渡る。
桟橋前の演習海域で、猛烈な水飛沫を上げながら、二つの影が超高速で交錯していた。
「遅いわよ、木曾!ゆっくり休みすぎて、身体が鈍ってんじゃないの!?」
叢雲がガン・ハルバードのプラズマブレードを煌めかせ、容赦のない刺突を放つ。
「はっ、抜かせ叢雲! 一水戦の雷巡をナメるなよ!」
木曾が艤装の推進力をフル稼働させ、右手に握る軍刀で叢雲の攻撃を弾き返す。
龍壁と明石の夜通しの手術によって『生体炉』は停止されたが、一度刻まれた魔改造の痕跡は、彼女の身体に消えない傷跡として残っていた。
かつて白骨に侵された右半身は至る所に痣が残り、赤光の果てに視力を失った右目には、今や黒い眼帯が深く当てられている。
それでも、憎悪に堕ちていたあの頃とは違う。
阿武隈を護りきれなかった、その消えない悔恨。そして旗艦から託された命の重みを噛み締めるように――。
彼女の右腕は、自身の意志のままに、かつてないほど鋭い剣撃を繰り広げていた。
「アハハハ! 木曾、足元がお留守だぜ! やっちまえ初期艦サマ!」
「叢雲さん、早く決着できないんですか。私ならもう木曾の首を撃ち抜いているのに」
「……でち。ゴーヤ、もう飽きてきたでち。麻雀の続きやるでち」
「鷲掴みにした方が早くないですか?……あ、雪風、部屋からライター取ってきてください」
桟橋のコンテナに腰掛け、紫煙を燻らせながら野次を飛ばす海賊艦隊の四人。
相変わらず口は悪く、歪な距離感だが、その表情にはかつてのような陰惨な殺気はない。
「相変わらず元気な連中だぜ。……あれ陸奥、アタシのツマミ食べた?」
「あらあら、失礼しちゃうわ隼鷹。いまさっきあなたが全部食べたじゃない」
破れたソファを外に持ち出し、昼間からスキットルを傾ける隼鷹と、それを艶やかにたしなめる陸奥。
陸奥は背中に隠していた煎餅を一枚口に挟み、『あっ、アタシのラスイチ!』と飛びかかる隼鷹を片手で制する。
柱島の海には、かつての荒れ果てた静寂はもうどこにもなかった。
そして、少し離れた本部棟の執務室。
龍壁古毅は、眼下で繰り広げられる騒がしい日常を、静かに見下ろしていた。
開け放たれた窓から吹き込む潮風には、相変わらず硝煙と鉄錆、そして機械油の匂いが混じっている。
だが、そこに『死臭』はなかった。
「……賑やかになりましたね、龍壁さん」
背後から歩み寄ってきた明石が、二つのマグカップを手に、龍壁の隣に並んだ。
その顔には、かつて『朝比奈』として抱えていた底知れぬ罪悪感の翳りはない。ただ、一人の工作艦としての、晴れやかな笑顔があった。
「ああ。……うるさくて敵わん」
龍壁は渡されたコーヒーを受け取りながら、わざとらしくため息をついた。
だが、その口角は僅かに上がっている。
「でも、これこそが……私たちの、柱島ですね」
明石が、風に髪を揺らしながら眼下の艦隊を見つめる。
死体の山から掬い上げた命。技術と執念で繋ぎ止めた魂。
彼女たちは今、兵器としてではなく、一人の人間として、誇り高くこの海を生きている。
「……そうだな」
龍壁はポケットから使い込まれたスパナを取り出し、その冷たい鋼鉄の感触を指先で強く握りしめた。
極限の戦いは、これからも続くだろう。深海棲艦との戦争は、終わったわけではない。
だが、迷いはなかった。
「俺は技術屋だ。壊れたら直す。……絶対に、誰も死なせない」
龍壁の静かで、鋼のような誓いの言葉に。
明石は心底嬉しそうに、太陽のような笑顔を咲かせた。
「はいっ! どこまでもついていきますよ、提督!」
青い空と、鉛色の海。
機械油と鉄錆の匂いが漂う柱島泊地で。
鉄屑艦隊の叛逆は、まだ始まったばかりだった。
-あとがき-
これにて、柱島泊地-鉄屑艦隊- は完結となります。
初投稿の拙稿ながら、読んでくださる皆様のおかげで、無事に最後まで書き切ることができました。本当にありがとうございます。
物語の結末までお付き合いいただけたこと、筆者としてこれ以上の喜びはありません。
全編を通して、高速修復材や応急修理女神、レ級の能力、オリョクル、幸運艦といったゲームシステムを、「なぜそうなのか」といった理由を考えて物語に落とし込んでみました。
他にも、本土の提督たちの名前であったり、横須賀の古参提督の初期艦が大井であったり、史実や原作ゲームをオマージュした要素をいくつか入れています。
そういう解釈で来たか、と楽しんでいただけていれば幸いです。
実をいうと第一章〜第三章までは、私が提督をやっていた頃(10〜5年ほど前)に、誰に見せるでもなく趣味で細々と書き貯めていたものです。
艦これ13周年という記事を見て懐かしい気持ちになり、発掘して投稿してみようかな、と。
投稿にあたっての編集・改稿作業を進める傍ら、第四章と第五章を書いていた感じです。
第四章、第五章はそれまでとは少し毛色が変わり、重く苦しい展開が続きました。特に第五章はゴリゴリに陰鬱な史実オマージュとなり(元ネタは陸軍ですが)、夕張や阿武隈を愛する提督諸兄には辛い思いをさせたかもしれません。重い話が好きなので、書いていてとても軽やかに筆がノリました。ゴメンナサイ。
重ねまして、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次回作の予定などは特に決めていませんが、少しでも楽しんでいただけましたら、評価やご感想等をいただけますと、とても励みになります!
艦これ13周年、おめでとうございます。
では、またどこかで。