転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
敵が“見えている”うちは、まだ対処しやすい。
問題は――
敵が、どこにいるのか分からない時だ。
正門襲撃から三日。
チェリートン学園は平静を装っていたが、その実、内部は明らかに張り詰めていた。
教師たちは巡回を増やし、生徒たちは二人以上での移動を推奨されるようになった。
草食獣は怯え、肉食獣は疑われる。
たった一度の外部襲撃で、ようやく整い始めた秩序は、いとも簡単に“逆戻り”を始めていた。
(だから嫌なんだよ。“象徴的な暴力”ってやつは)
一度見せつけられれば、人は理屈より先に感情で動く。
獣ならなおさらだ。
俺はビースター室――と呼ばれるようになった小部屋の机に広げた資料を眺めていた。
襲撃者の身体検査結果。
血液成分。
爪先に残っていた泥。
繊維片。
目撃証言。
表面だけ見れば、ただの暴走した肉食獣の集団だ。
だが、中身は違う。
(薬物の組成が雑じゃない)
あれは、その辺のチンピラが作れる代物ではなかった。
刺激性、依存性、そして瞬間的な興奮増幅。
要するに――本能を“兵器化”するための調整が入っている。
つまり、誰かがいる。
暴走を偶発事故ではなく、“手段”として扱う連中が。
「……入るぞ」
ノックの後、ルイが部屋に入ってきた。
相変わらず姿勢がいい。疲労の色は見えるが、崩さないあたりはさすがだ。
「状況は」
「最悪ではないが、良くもない」
俺は資料を一枚、ルイに滑らせた。
「市内東部、未登録の肉流通が増えてる」
「裏市とは別口か」
「別口だな」
ルイは資料を見下ろし、眉をひそめた。
「……意図的に“こちらの制度”を外している」
「そういうことだ」
俺は椅子にもたれた。
「登録制と監査を嫌う連中が、別の流通網を作ってる」
「しかも、ただの密売じゃない」
「薬物まで絡めてる」
ルイは小さく息を吐く。
「厄介だな」
「だから言っただろ。制度は、腐る前に広げる必要があるって」
「今は説教を聞きに来たわけじゃない」
「知ってる」
俺は少しだけ口元を上げた。
「で?」
「で、だ」
ルイは机に手をつく。
「狐から連絡があった」
「ほう」
「安全管理局としては、今回の件を“模倣犯的テロ行為”として見ている」
「甘いな」
「同感だ」
ルイは即答した。
「だが、面白い情報もある」
「何だ」
「襲撃者のうち二体が、以前“肉食獣更生施設”に収容されていた記録がある」
俺は目を細めた。
(更生施設、ね)
言葉だけなら聞こえはいい。
だが実態は、“制御不能と判断された肉食獣”を隔離し、矯正と称して押し込めておくための装置だ。
原作の社会構造から考えても、こういう施設が存在していて不思議はない。
むしろ、ない方がおかしい。
「脱走か?」
「そこが不自然だ。記録上は“社会復帰”になっている」
「復帰した連中が、そろって薬漬けの襲撃者になったと?」
「偶然とは思えない」
俺は笑った。
「ようやく“国家の外側”じゃなく、“国家の内側”も疑えるようになったか」
「最初から疑っている」
「なら話が早い」
俺は立ち上がる。
「掘るぞ」
「どこを?」
「更生施設だ」
◇
その日の放課後。
トレーニング場には、レゴシが先に来ていた。
最近のこいつは、以前のような“自分の力を恐れるだけの狼”ではない。
未熟さは残る。だが、少なくとも“向き合うこと”を覚えた。
「顔が怖い」
開口一番、それだった。
「いつものことだ」
「いや……今日は、もっと怖い」
俺は軽く肩をすくめる。
「いい勘してるな」
「何かあったのか」
隠す理由もない。
「敵の輪郭が見えた」
「……この前の連中?」
「その背後だ」
俺は壁際に立てかけていた木刀を一本、レゴシに投げる。
反射的に受け取るあたり、動きが洗練されてきた。
「今日は、戦い方を変える」
「どう変えるんだ」
「“相手が理屈で動かない時”の対処だ」
レゴシの表情が引き締まる。
「薬物で本能を増幅された相手は、痛みや恐怖で簡単には止まらない」
「じゃあ、どうする」
「壊す」
「……」
「言い方が悪かったな。正確には、“機能を止める”」
俺は構える。
「関節、呼吸、視界、重心。そこを潰す」
「でも……」
「躊躇するな」
俺は短く言い切った。
「お前が躊躇した瞬間、相手は誰かの喉笛に届く」
レゴシは黙った。
その沈黙は、拒絶ではない。
理解しようとする沈黙だ。
「来い」
俺が合図すると、レゴシは木刀を構えて踏み込んできた。
速い。以前よりずっといい。
だが、まだ甘い。
俺は木刀の軌道から半歩外れ、レゴシの手首を打つ。
「っ……!」
「武器を落とすな」
さらに膝裏を蹴る。体勢が崩れたところで、喉元寸前で止める。
「今のは死んでた」
レゴシが悔しそうに歯を食いしばる。
「もう一回」
「いい目だ」
十本、二十本と打ち合いを重ねるごとに、レゴシの動きから“遠慮”が削れていく。
相手を傷つけることへの抵抗は、簡単には消えない。
だがそれでも、“守るために必要な破壊”を理解し始めている。
(そこだ)
優しさだけでは、この世界では遅すぎる。
だが、冷酷さだけでも持たない。
その中間を掴ませる。
最後の一撃をいなした後、俺は木刀を下ろした。
「今日はここまでだ」
レゴシは肩で息をしながら、木刀を握ったまま問う。
「敵って……誰なんだ」
少し考えてから答える。
「まだ断定はできない」
「でも、“狂った個体”じゃないのは確かだ」
「仕組みとして動いてる」
「仕組み……」
「そうだ」
俺はレゴシの目を見る。
「だから個人の善悪じゃ止まらない」
「必要なのは、もっと大きな視点だ」
レゴシはゆっくり頷いた。
「……俺も、行く」
「どこに」
「敵を探す方だ」
即答だった。
(いい)
迷いはある。だが、それでも自分から足を踏み出した。
「危険だぞ」
「分かってる」
「たぶん、お前が見たくないものもある」
「……それでも」
その目は逸れなかった。
「見たい」
俺は小さく笑った。
「なら、連れていく」
◇
翌夜。
学園の外れ、人気のない路地。
そこに立っていたのは俺とレゴシ、そして――ハルだった。
「……何で私まで」
白いウサギは、露骨に不満そうな顔をしていた。
「お前だからだ」
「説明になってない」
「なる」
俺は淡々と答える。
「草食獣側の視点が必要だ」
「それに、お前は表の“綺麗事”にも裏の“醜さ”にも慣れてる」
「褒めてる?」
「能力を評価してる」
ハルは呆れたようにため息をついた。
「ほんと、可愛げないよね。猫のくせに」
「俺に可愛げを期待するな」
「してない」
即答だった。
レゴシがそのやり取りを見て、わずかに困ったような顔をしている。
「で、今日はどこに行くの」
ハルが本題に戻した。
「市東部、第七埠頭跡地」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「正解だ」
今回の目的は単純。
未登録流通の拠点候補を潰す。
もしくは、運営主体の尻尾を掴む。
安全管理局は表の線から調べている。ならこちらは裏から行く。
国家の正式手続きに付き合っていたら、敵はとっくに証拠を消す。
◇
港湾部は、夜になると別の顔を見せる。
鉄と油の匂い。潮風。古い倉庫群。
そして――生き物の気配が薄い。
要するに、やるには都合がいい場所だ。
俺たちは高架下を抜け、目標の倉庫を視界に収めた。
灯りは最小限。だが、見張りはいる。
犬系が二体、猫科が一体。武装は警棒と短刃。
(素人じゃない)
単なるチンピラなら、こんな配置はしない。
見張りの間隔、死角の潰し方、巡回ルート。誰かが教えている。
「どうするの」
ハルが小声で聞く。
「俺とレゴシで入る」
「私は?」
「外で見る」
「囮じゃなくて?」
「お前をそんな雑に使わない」
ハルが一瞬だけ目を瞬かせた。
その反応は無視する。
「見張りの動き、逃走経路、外からの増援。全部チェックしろ」
「……了解」
声色が少し真面目になった。
「レゴシ」
「うん」
「右の犬系はお前がやれ。声を出させるな」
「分かった」
合図と同時に、俺たちは動いた。
地面を蹴る音すら最小限に抑え、見張りの死角へ滑り込む。
最初の犬系が振り向くより早く、レゴシが背後から口を塞ぎ、膝裏を崩して落とした。
いい。力が抜けすぎていない。
俺はもう一体の見張りの首筋を打ち、意識を刈り取る。
猫科は気配に気づきかけたが、遅い。
足首を払って体勢を崩し、顎を正確に弾く。
無音制圧、成功。
「……すご」
いつの間にか近くまで寄っていたハルが呟いた。
「お前、待機って言ったろ」
「状況が変わったの。猫ならそのくらい読んで」
「お前はウサギだろ」
「会話してる場合か」
レゴシの一言が正しい。
俺たちは倉庫の扉へ向かった。
◇
中は、予想以上に整っていた。
冷蔵ケース。搬入記録。薬品棚。簡易診療台。
そして――檻。
「……何これ」
ハルの声が、初めて本気で震えた。
檻の中には、数体の肉食獣がいた。
やせ細り、目の焦点が合っていない。薬物投与の痕が、前足の内側に残っている。
「実験場か」
俺は吐き捨てるように言った。
「更生施設上がりを使ってるな……」
「どういうこと?」
ハルが問う。
「社会から“危険”認定された個体は、見捨てられやすい」
「行方が少し不自然でも、追う側が少ない」
レゴシの顔が険しくなる。
「じゃあ、あの襲ってきたやつらも……」
「たぶんな」
その時、奥の部屋から声がした。
「――だから言っただろ。投与量を増やしすぎるなと」
俺たちは即座に身を伏せる。
足音は二つ。
一つは大型。もう一つは細身。
「現場で暴れさせるには、あれくらい必要です」
細い声。狐ではない。もっと若い。
「死んだら意味がねえ」
低い声。熊系か。
扉の隙間から覗く。
白衣を着たジャッカルのような男と、黒いスーツのツキノワグマ。
机の上には、薬瓶と書類。
「次の配送は?」
「四日後です。“試供品”は西区に回します」
「学園の方は」
「ビースターが邪魔ですが、逆にデータが取れる」
その瞬間、レゴシの肩がぴくりと震えた。
俺は無言で手を上げて制した。
(まだだ)
会話をもっと聞く。
「安全管理局は?」
「一部はこちらと繋がっています。問題ありません」
――そこで、俺の中で何かが綺麗につながった。
(やっぱりか)
狐個人がどうこうではない。
だが局内の一部が、確実に食い込まれている。
つまりこれは、単なる裏組織ではない。
半官半民の利権構造。
更生施設、薬物供給、未登録流通、そして治安対策を名目にした権限拡大。
全部が一つの輪でつながっている。
(腐ってるな。想像以上に)
「もう十分だ」
俺は小声で言った。
「証拠を押さえて、潰す」
「どうやって?」
ハルが囁く。
「派手にな」
俺は立ち上がり、扉を蹴り開けた。
轟音。
「な――!?」
ジャッカルが振り向くより早く、俺は机を蹴り飛ばす。
薬瓶が宙を舞い、床で砕ける。
「何者だ!」
熊が怒鳴り、懐に手を伸ばす。
拳銃。だが遅い。
俺は一直線に踏み込み、手首を打ち上げる。銃口が天井を向き、乾いた発砲音が響く。
同時にレゴシがジャッカルへ飛び込み、腕を押さえつけた。
白衣の男が小型注射器を抜こうとする。
「レゴシ、右手だ!」
「っ!」
指示通り、レゴシが腕をねじり上げる。注射器が床に落ちる。
熊はなおも抵抗した。
でかい。重い。経験もある。
だが、足運びが鈍い。実戦慣れしていない。
「このガキ……!」
大振りのフック。
俺は内側に入り込み、脇腹へ肘をめり込ませる。
息が詰まった隙に顎を打ち抜き、最後に膝を落とす。
巨体が床に崩れた。
静寂。
荒い呼吸の中、ハルが目を見開いていた。
「……派手すぎるでしょ」
「印象に残るだろ」
「そこ?」
レゴシはジャッカルを押さえ込んだまま、苦い顔をしている。
「こいつ、どうする」
「生かして喋らせる」
俺は床に散らばった書類を拾い上げた。
被験体番号。
投与ログ。
配送先コード。
そして――施設名。
『北部更生矯正センター』
当たりだ。
◇
倉庫からの撤収は迅速だった。
証拠一式を確保し、檻の肉食獣たちについては安全管理局の“まともな方”へ匿名通報を流す。
全部をこちらで抱える余裕はない。だが、見捨てるつもりもない。
問題はジャッカルと熊だった。
「どこに連れてくの」
ハルが尋ねる。
「一時的に、裏市の管理区画だ」
「安全なの?」
「少なくとも、あいつらの仲間よりは安全だ」
ヒグマに事情を説明すると、珍しく即答で引き受けた。
「胸糞悪ぃ話だな」
そう言って、熊の顔面を見下ろす目が冷えていた。
「更生施設を“材料”にしてたってか」
「そういうことだ」
「なら、この二匹は大事に扱うか」
「珍しいな」
「死なれたら話が繋がらねえだろ」
その通りだった。
◇
翌朝。
俺は証拠書類の一部を持って、あの狐を呼び出した。
場所は学園の応接室。
相手のホームでもなく、こちらのホームでもない中間地点だ。
約束の時間ぴったりに現れた狐は、椅子に座る俺を見ていつもの薄い笑みを浮かべた。
「今日はずいぶん急ですね」
「楽しい話だぞ」
「それは興味深い」
俺は何も言わず、書類を机に置いた。
狐の目が、一枚ずつ流れる。
最初は平静だった。
だが三枚目で、わずかに止まる。
五枚目で、笑みが消えた。
「……これは」
「お前の局の“管理下”にあるはずの更生施設の書類だ」
「入手経路を聞いても?」
「それ、今重要か?」
狐は沈黙した。
そして、書類を閉じる。
「どこまで把握しています」
「安全管理局の一部、更生施設、未登録流通、薬物投与、暴走個体の兵器運用」
「あと、お前が“全部知らなかった”わけじゃないこともな」
狐の視線が鋭くなった。
「……買いかぶりです」
「いいや」
俺は椅子にもたれた。
「お前は“内側に腐敗がある”ことを知ってた」
「ただ、規模までは掴めてなかった」
「違うか?」
数秒の沈黙の後、狐は小さく息を吐いた。
「否定はしません」
レゴシが同席していたら、たぶん驚いただろう。
だが俺にとっては確認に過ぎない。
「で?」
「どうする」
狐は、しばらく考えてから答えた。
「……こちらでも動いていました」
「しかし、内部監査には限界がある」
「証拠が表に出る前に、処理される」
「だから?」
「協力を提案します」
俺は笑った。
「遅い」
「でしょうね」
狐も苦笑した。
「ですが、今なら間に合う」
「北部更生矯正センター。あそこが中核です」
「施設長と外部製薬ルート、そして局内の一部監査官が繋がっている」
「あなたが持ってきた書類で、ようやく踏み込める」
俺は黙って狐を見た。
(ここでこいつを切るのは簡単だ)
証拠を公表し、安全管理局ごと炎上させる。
だが、それでは残党が散って終わる。
根を焼き切るには、内部の手がいる。
「条件がある」
「聞きましょう」
「学園と裏市には手を出すな」
「今回の一件が片付くまで、局内の別ルートからの妨害も止めろ」
「それと――」
俺は少しだけ前に身を乗り出す。
「更生施設の被収容者を“物”みたいに扱う制度自体、見直せ」
狐は初めて、本当に難しい顔をした。
「……最後の条件は、私一人では」
「だから“見直せ”だ。今すぐ変えろとは言ってない」
「方向を決めろ」
狐は静かに頷いた。
「分かりました」
「なら、こちらも条件を」
「言ってみろ」
「今回の作戦、あなたにも表に立っていただきます」
「断る理由は?」
「ありません」
そうして、奇妙な同盟が成立した。
◇
作戦は二日後、深夜零時。
対象は北部更生矯正センター。
表向きは肉食獣の更生と社会復帰支援を目的とした公的施設。
実態は、使い潰しと隠蔽の温床。
参加メンバーは最小限に絞った。
俺、レゴシ、ルイは後方支援と学園側の抑え。狐は局内の正規突入班を率いる。
ハルは情報整理と外部監視。ヒグマは裏市の防衛。
全戦力を一箇所に集めるのは悪手だ。
敵は一つとは限らない。
◇
更生センターは、郊外の森の中にあった。
高い塀、監視塔、電気柵。
見た目だけは立派だ。
「……刑務所みたいだな」
レゴシが低く言う。
「実際、似たようなものだ」
俺は双眼鏡を下ろした。
「違うのは、“受刑者”がちゃんと罪を裁かれてるとは限らないことだ」
狐の声が通信機から入る。
『配置完了。正門側は我々が押さえます』
「了解」
俺はレゴシに目を向けた。
「裏手から入る。目的は三つ」
「証拠保全、被験体の確保、施設長の拘束」
「殺すなよ」
「……努力する」
「そこは即答しろ」
レゴシが珍しく小さく笑った。
少しは肩の力が抜けたらしい。
塀越えは簡単だった。
警備の質は高いが、“外部からの正規査察”を想定した配置に寄りすぎている。
裏からの少数潜入には脆い。
中庭を進み、地下棟への搬入口に到達。
電子錠は想定済みだ。
ハルが事前に拾ってきた搬入業者のIDコードと、狐から流れた内部仕様で開ける。
「ハル、怖いくらい有能だな」
「だろ」
イヤホン越しに聞こえた本人の声に、俺は少し笑った。
地下は、冷たかった。
空気まで消毒薬臭い。
白い壁、白い灯り、白衣の職員。
そして――檻より悪質な、“個室管理室”。
「……」
レゴシが足を止めた。
ガラス越しに見えるのは、拘束された肉食獣たちだ。
眼帯、口輪、点滴、薬剤ポンプ。
眠っているようで、実際は“眠らされている”。
(胸糞悪い)
だが感情に飲まれるな。
今は仕事だ。
「動け、レゴシ」
「……ああ」
俺たちは施設中央の管理室へ向かう。
途中で職員二名と遭遇したが、制圧は瞬時だった。
管理室の前に着くと、中から声が聞こえた。
「局の動きが早すぎる」
「だから言っただろう、学園を刺激しすぎだと」
「ビースター一匹ごとき――」
俺は扉を開けた。
「その“一匹”が来たぞ」
一瞬で空気が凍る。
中には三体。
施設長と思しき大型のライオン、白衣の山猫、そして――局の監査官バッジをつけた犬。
「貴様……!」
「話し合いに来た」
「ふざけるな!」
ライオンが机を蹴飛ばして立ち上がる。
隣の犬は、すでに通信機へ手を伸ばしていた。
「レゴシ、犬」
「うん!」
レゴシが飛び込み、犬の腕を押さえる。通信機が床に落ちる。
山猫は薬剤ケースを掴み、中身を投げつけてきた。
アンプルが割れ、刺激臭が広がる。
「吸うな!」
俺は即座に窓側へ動き、換気口を叩き割る。
同時にライオンが突っ込んでくる。
速い。重い。そして、実戦経験がある。
「ガキが……!」
拳が唸る。俺は紙一重でかわし、肘を腹へ差し込む。
だが効きが浅い。鍛えている。
(なら、積む)
一撃で落ちないなら、三手で落とす。
膝、脇腹、顎。
ライオンの呼吸が乱れた瞬間、足首を払う。
巨体が傾く。
そこに肩から体重をぶつけ、机の角へ叩きつけた。
「が……っ」
山猫は逃走を図った。
だが扉を開けた瞬間、外から狐の部下が取り押さえる。
犬もレゴシに制圧済み。
残るライオンが、血走った目で俺を睨んだ。
「お前に……何が分かる」
「結構いろいろ」
俺は床に散らばったファイルを拾う。
「被験体売買、投与記録、局内の受取人名簿」
「言い逃れは無理だな」
ライオンは笑った。
乾いた、壊れた笑いだった。
「言い逃れ? 違うな」
「これは必要だったんだよ」
「肉食獣社会は、管理しなければ壊れる」
「なら、最初から“使える獣”と“使えない獣”に分けてしまえばいい」
「暴走する連中は薬で制御し、使い道があるなら使えばいい」
「それが効率だ」
レゴシの表情が凍りついた。
怒りと嫌悪と、それでも否定したい何かが混ざっている。
俺はそれを横目で見ながら、ライオンに近づいた。
「効率、ね」
「そうだ。理想論よりマシだろう?」
そこで、俺は初めて本気で腹の底から冷えた声を出した。
「効率を語るなら、前提を間違えるな」
「“壊れた社会”に合わせて個体を使い潰すのは、効率じゃない」
「ただの怠慢だ」
ライオンの目が見開かれる。
「社会の方を作り替える発想がない時点で、お前は管理者失格だ」
沈黙。
そして、ライオンは何も言い返せなかった。
◇
突入作戦は成功した。
施設内の証拠は保全され、主要関係者は拘束。
被収容個体の保護も始まった。
だが、“終わった”とは到底言えない。
表向きには、安全管理局による内部不正摘発。
世間にはそう発表されるだろう。
狐も、その線で動くはずだ。
だが本質は、もっと深い。
この世界は、肉食獣を恐れ、草食獣を守ると唱えながら、その両方を都合よく消費する構造でできている。
更生施設は、その縮図に過ぎない。
◇
夜明け前、学園へ戻る車の中。
レゴシはずっと黙っていた。
「何考えてる」
俺が聞くと、しばらくしてからぽつりと答えた。
「……怖かった」
「何が」
「中にいたやつらも、施設長も、全部」
「俺も、ああなるかもしれないって思った」
正直な言葉だった。
だから俺も、正直に返す。
「なるかもしれない」
レゴシがこちらを見る。
「でも、ならない可能性もある」
「それを作るのが、俺たちの仕事だ」
レゴシは少しだけ目を伏せた後、ゆっくり頷いた。
「……うん」
「あと、お前」
「?」
「今日の動き、悪くなかった」
「……それだけ?」
「褒めてるんだが」
「もっと分かりやすく褒めろよ……」
思わず笑いそうになった。
こいつ、意外とそういうところあるな。
◇
数日後。
学園の空気は、再び変わっていた。
今度は恐怖だけではない。
“知ってしまった”空気だ。
世界は綺麗事だけでできていない。
制度は善意だけで動かない。
そして、自分たちのすぐ近くに、醜い現実は存在していた。
だがそれでも。
いや、だからこそ。
前に進むしかない。
ビースター室に、ルイとハル、レゴシが集まっていた。
「局内の処分は広がりそうだ」
ルイが新聞を机に置く。
「更生施設関連法も見直しに入る」
「遅いが、ゼロよりはマシだな」
俺は椅子を回して三人を見る。
「で、次だ」
「……まだ次があるんだ」
ハルが半分呆れたように言う。
「ある」
「というか、ここで止まったら意味がない」
レゴシが苦笑する。
「お前、本当に休まないな」
「止まると腐る」
「制度の話?」
「俺の話でもある」
少しの沈黙のあと、ハルがふっと笑った。
「変な猫」
「今さらだろ」
「でもまあ……」
ハルは窓の外を見た。
「前よりは、少しだけマシになった気がする」
「それなら十分だ」
ルイが腕を組んだまま、低く言う。
「次は何を壊す」
「壊すんじゃない」
俺は立ち上がった。
「組み替える」
「市全体の更生制度、裏市の拡張、学園の本能教育の正式課程化」
「それと――」
三人に視線を向ける。
「“肉食獣と草食獣の共生”って言葉そのものを、もう少し現実に寄せる」
レゴシが静かに頷く。
ルイは薄く笑う。
ハルは、どこか呆れたように肩をすくめた。
「やっぱり、面倒な猫だよ」
「知ってる」
窓の外では、朝日が校舎を照らし始めていた。
薄暗い夜を押しのけるように、じわじわと。
この世界は、まだ歪んでいる。
壊れている。
醜い。
だが。
それでも――変えられる。
少なくとも、俺はそう信じている。
信じるに足るだけの力も、知識も、そして仲間も、もう手元にある。
だから次は。
学園の中だけじゃない。
裏社会だけでもない。
都市全体の構造へ。
国家の制度へ。
もっと深く、もっと広く、牙を届かせる。
誰かを食うためじゃない。
もう誰も、食われなくて済む形に近づけるために。
――メインクーンの俺が、この獣社会を、現実ごとねじ伏せる。