転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
制度には、必ず“漏れ”が出る。
どれだけ綿密に設計しようと、どれだけ現実に寄せようと、最後に零れ落ちる奴はいる。
むしろ――現実に寄せれば寄せるほど、その輪郭は残酷なほど鮮明になる。
ビースター室の窓から差し込む朝日を眺めながら、俺は書類をめくっていた。
更生施設改革案。
裏市の第二次登録拡張案。
本能教育正式課程化のための素案。
表向きには、どれも前進だ。
学園内の未遂件数は明確に減少し、裏市の暴発も抑え込めている。安全管理局の内部粛正も始まり、以前のように“管理する側が腐っている”状況は、少なくとも露骨ではなくなった。
だが。
(それでも、ゼロにはならない)
これは構造上の問題だ。
制度に適応できる者。
適応しようとする者。
適応できない者。
適応する気のない者。
この四つは、どうやっても分かれる。
そして最後の二つが、“選ばれなかった獣たち”になる。
「難しい顔」
ノックもなく扉を開け、ハルが顔を出した。
最近こいつは、ここを半ば私物化している節がある。
「いつものことだ」
「それ便利な返しだよね」
呆れたように言いながらも、ハルは勝手にソファへ座る。
「で、何考えてるの」
「“切り捨てる側”の設計だ」
「うわ、朝から最悪」
「事実だろ」
俺は書類を机に置いた。
「今の改革は、要するに“適応できるやつを増やす”ためのものだ」
「でも、増やすことと全員を救うことは違う」
「……それで?」
ハルの目が、少しだけ真面目になる。
「切り捨てる相手が、増えてるの?」
「増えてるというより、“見えるようになった”」
俺は窓の外へ視線を向ける。
「昔は全体が曖昧だった」
「だから、誰が危険で、誰が救えるのかも曖昧で済んだ」
「今は違う。基準を作った以上、その基準から外れるやつがはっきりする」
ハルは少し黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「残酷だね」
「現実的だ」
「それ、便利な言葉だね」
「便利じゃない。重いだけだ」
ハルはそこで、ふっと笑った。
「前よりちょっと、人間っぽいこと言うようになった」
「俺は前から人間っぽいだろ」
「猫のくせに?」
「猫だが」
そこで扉が再び開いた。
今度はノックありだ。
レゴシだった。
「……二人ともいたのか」
「見りゃ分かるだろ」
「いや……何か、空気が」
「気のせいだ」
即答すると、ハルが肩を震わせる。
「絶対気のせいじゃないと思うけど」
レゴシは少し困った顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。
「話がある」
「何だ」
「校外で……草食獣の失踪が続いてる」
その瞬間、俺の意識が切り替わった。
「どこだ」
「南西区。三件」
「警察は?」
「家出扱いになってる」
(来たな)
これが“選ばれなかった側”の動きだとしたら、話は早い。
つまり、制度の外側で別の“回収”が始まっている。
「ソースは」
「裏市で聞いた」
「誰から」
「前にお前と話してた……ヒグマの知り合い」
「信用度は?」
「高いと思う」
レゴシの言葉に迷いはなかった。
なら十分だ。
俺は立ち上がった。
「行くぞ」
「今から?」
「今からだ」
「学校は?」
「知るか」
ハルが吹き出した。
「ビースターがそれ言う?」
「ビースターだから言うんだよ」
◇
南西区は、都市の中でも“中途半端”な場所だ。
表通りは整備されているが、一本裏へ入れば古い雑居ビルと空き家が並ぶ。草食獣向けの安価な住宅が多く、学生や単身者も多い。
要するに――
(消えても、“騒ぎが大きくなりにくい”)
嫌な条件が揃っていた。
俺、レゴシ、ハルの三人は、夕方のうちに現地へ入り、最後に目撃された地点を順に回った。
「ここが一件目」
ハルがメモを見ながら言う。
古びたバス停。
防犯カメラはあるが、古い。しかも角度が死んでいる。
「計画的だな」
「偶然じゃない?」
ハルが言う。
「三件続いてる時点で偶然じゃない」
俺は地面にしゃがみ込み、匂いと痕跡を拾う。
人通りはある。匂いは流れている。だが――
(薬品)
微量だが、覚えのある刺激臭が残っていた。
更生施設の倉庫で嗅いだものに近い。
「レゴシ」
「……うん、俺も感じる」
狼の鼻が同じ結論を出したなら、ほぼ確定だ。
「同じルートだな」
「まだ残ってたんだ……」
レゴシの声が沈む。
「残ってるどころか、本流がまだ生きてるんだろ」
俺は立ち上がる。
「更生施設を潰した程度で全部終わるなら、最初から腐ってない」
ハルが周囲を見回しながら、ぽつりと言う。
「これってさ……“捕食”じゃないよね」
俺は一瞬だけ、ハルを見る。
いい質問だ。
「違うな」
「これは“供給”だ」
「誰かが、草食獣を“商品”として回収してる」
レゴシの顔色が変わる。
「そんな……」
「あるだろ、この世界なら」
ハルが低く言う。
「表では共生だの平等だの言ってても、裏じゃ草食獣の価値って、“食われないこと”だけじゃない」
「労働力、娼館、見せ物、人体由来の何か……いくらでも使い道はある」
レゴシは口を閉ざした。
だが、逃げてはいない。
(慣れてきたな)
現実の醜さに、少しずつだが目を逸らさなくなっている。
◇
二件目、三件目も、似たような痕跡だった。
薬品、死角、短時間で運べる導線。
そして共通していたのは――
「車だな」
俺が呟く。
「足跡が途切れてる」
「トラックかバン」
「じゃあ、追えるの?」
ハルが聞く。
「今のままじゃ無理だ」
「でも、待てば来る」
「待つ?」
「同じパターンなら、次もある」
レゴシが顔をしかめる。
「それって……囮を使うのか?」
「必要ならな」
「駄目だ!」
珍しく強い声だった。
「草食獣を危険に晒すなんて……!」
「じゃあ代案を出せ」
俺は即座に返す。
「感情論だけじゃ防げない」
「それは……」
「分かってる」
言い淀むレゴシに、俺は少しだけ声を緩めた。
「だから、最初から“本物”を使う気はない」
「囮は俺たちでやる」
「……え?」
ハルとレゴシが同時にこちらを見る。
「草食獣の単独行動に見せかければいい」
「ハルが前、俺とレゴシが影に入る」
「ちょっと待って」
ハルが眉を吊り上げる。
「何で私が前提なの?」
「草食で、警戒心が薄く見えて、なおかつ咄嗟の判断ができる」
「つまり?」
「適任だ」
「褒めてるようで最悪!」
だが、ハルは本気で拒絶しなかった。
リスクを理解しつつ、必要性も分かっている顔だった。
「……ちゃんと守るんでしょうね」
「当然だ」
「レゴシ?」
「絶対守る」
即答したレゴシを見て、ハルは少しだけ目を丸くし、やがてふっと笑った。
「じゃあ、いいよ」
◇
囮作戦は、その日の夜に決行した。
場所は三件目の失踪地点から少し離れた、似た条件の路地。
人通りが少なく、逃走導線があり、監視カメラが死んでいる。
完璧な“狩り場”だ。
ハルは一人で歩く。
肩には小さなバッグ。足取りは自然に、だが完全には油断していない。大したものだ。
俺とレゴシは屋上と物陰に分かれて配置。
風向き、死角、足音。全部把握済み。
十分。
二十分。
三十分。
動きはない。
(焦れるな)
待ち伏せは、相手より先にこちらが苛立った瞬間に負ける。
その時だった。
レゴシの低い声が、通信機越しに届く。
『……来た』
俺も見えた。
路地の奥。
作業着姿のシカと、郵便配達員風の犬。
一見、ただの通行人。
だが、動きが不自然すぎる。
(挟む気だな)
前方で声をかけ、後方から車をつける。古典的だが有効だ。
犬がハルへ近づく。
「すみません、この辺で――」
その瞬間、俺は屋上から飛び降りた。
着地と同時に、犬の手首を蹴り上げる。
袖口から落ちたのは、注射器。
「当たりだ」
「なっ――!?」
犬が反応するより早く、顎へ拳を叩き込む。
シカは即座に後退し、路地奥へ合図を送った。
直後、バンが突っ込んでくる。
「レゴシ!」
「うん!」
灰色の影が横から飛び込み、運転席側のドアをへこませた。強引すぎるが、効果はある。
車がバランスを崩し、壁へ接触して止まる。
中から肉食獣が三体飛び出してきた。
犬、ジャッカル、そして――豹。
「回収班か」
俺は吐き捨てる。
「ハル、下がれ!」
「言われなくても!」
ハルは即座に後退し、死角へ消えた。判断が速い。
豹が俺へ一直線に来る。
速い。今までの雑魚とは違う。訓練されてる。
だが。
(遅い)
俺は半歩だけ踏み込み、肘を外から内へ差し込む。豹の呼吸が乱れた瞬間、喉元に掌底。
意識が飛ぶ。
ジャッカルはレゴシが抑えている。
犬は――
「逃がすか」
物陰から飛び出したハルが、足元へゴミ箱を蹴り倒した。犬がつまずいた隙に、俺が後頭部を打ち抜く。
静寂。
残ったシカだけが、数メートル先で凍りついていた。
「……お前」
そいつは草食獣だった。
角は短く、服装も地味だ。どこにでもいる、平凡な若いシカ。
「どうして……」
レゴシが、押さえ込んだジャッカルの上から呟く。
「草食が、何でこんなこと……」
シカは数秒黙っていたが、やがて乾いた笑いを漏らした。
「何で、だって?」
「簡単だよ」
その目は、妙に冷えていた。
「“選ばれなかった”からだ」
俺は眉一つ動かさず、そいつを見る。
「続けろ」
「裏市にも入れない。保護対象にもならない。優等生でもない。強者でもない」
「草食獣だからって、勝手に“被害者側”に置かれるだけ」
「でも、こっちは生きなきゃいけない」
ハルの目が細まる。
「だから、他の草食を売るの?」
「売る?」
シカは笑った。
「違うな。“交換”だよ」
「俺たちは、見捨てられた側同士で組んだだけだ」
「肉食のはみ出し者と、草食の余り物」
「表の制度に入れない者同士でな」
レゴシが息を呑む。
ハルは、逆に冷静だった。
「最低」
「そうかもな」
シカは肩をすくめる。
「でも、君たちの“改革”って、結局そういうことだろ?」
「適応できるやつだけ救う」
「綺麗に見えるやつだけ、未来に連れていく」
「俺たちは最初から、その外側だ」
……図星だった。
だからこそ、反論には意味がない。
「で?」
俺は静かに言った。
「だから、お前は他人を売っていい理由になるのか」
「理由にはならない」
シカは即答した。
「でも、手段にはなる」
その瞬間、レゴシの拳に力が入ったのが見えた。
だが殴らなかった。成長したな。
「拠点はどこだ」
俺は問う。
「言うと思う?」
「言わせる」
「怖いな」
「事実だ」
シカは数秒、こちらを見ていた。
やがて、諦めたように笑う。
「西の旧食肉処理場」
「今は使われてないはずだが……地下がある」
「そこに“選ばれなかった連中”が集まってる」
俺はそれ以上質問しなかった。
必要な答えは出た。
◇
その夜のうちに、ヒグマ、狐、ルイへ連絡を回した。
旧食肉処理場。
名前からして最悪だが、未登録流通と失踪事件の中継点としては、これ以上ない場所でもある。
作戦は翌朝前に決定。
今度は大規模突入ではなく、限定制圧と証拠確保を優先する。
理由は単純だ。
“選ばれなかった連中”の中には、ただ巻き込まれただけの奴もいるからだ。
無差別に潰せば、こっちが“制度の暴力”そのものになる。
(見極める)
適応可能か。
保留か。
排除か。
俺が自分で決めた基準だ。
なら、自分で背負う。
◇
旧食肉処理場は、都市の外縁部にあった。
既に廃業し、周囲は再開発からも取り残されている。
建物そのものが、“この社会の捨てたもの”みたいだった。
まだ夜が明けきらない時間。
俺たちは外周を囲んだ。
狐の正規部隊は表を押さえる。ヒグマと裏市側の連中が退路を潰す。ルイは後方で、学園と警察への情報調整。
前に出るのは――俺、レゴシ、ハル。
「またこの三人?」
ハルが半ば呆れた顔で言う。
「一番動きやすい」
「便利に使われてる気がする」
「有能だからだ」
ハルは一瞬だけ言葉に詰まり、そっぽを向いた。
「……そういうの、ずるい」
レゴシが苦笑している。
「行くぞ」
俺の一言で、空気が切り替わった。
中は、思っていた以上に“生活感”があった。
段ボールの寝床。即席の炊事場。粗末な毛布。
そして、地下へ続く搬入口。
(ただの犯罪拠点じゃない)
避難所であり、隠れ家であり、流通基地でもある。
地下へ降りると、空気が変わった。
血と薬品と、湿った毛皮の匂い。
そして――視線。
物陰から、何体もの獣がこちらを見ていた。
痩せた犬。片耳のウサギ。目つきの荒いイノシシ。若い狼。老いた鹿。
種族も年齢もバラバラだ。
だが共通しているのは、“どこにも居場所がない顔”だった。
「……来たか」
低い声。
奥から現れたのは、大柄なハイエナだった。
左目に傷。動きに隙がない。
「お前がビースター猫か」
「そうだ」
「思ったより、ガキだな」
「よく言われる」
ハイエナは笑わない。
「ここはな、“制度に救われなかった連中”の墓場だ」
「墓場の割に、生きてるやつが多いな」
「必死にしがみついてるだけだ」
レゴシが一歩前へ出る。
「だからって、草食獣を攫っていい理由にはならない」
「理由? 違うな」
ハイエナが鼻で笑う。
「必要だ」
「食うためか」
「それもある」
「売るためでもある」
「働かせるためでもな」
ハルの顔が険しくなる。
「最低」
「そうだろうな」
ハイエナは平然としていた。
「でもよ、白ウサギ。お前らの“正しい社会”は、俺たちに何をくれた?」
「登録から弾かれた肉食獣には、監視と偏見だけ」
「家を失った草食獣には、“可哀想ですね”って顔だけ」
「更生施設帰りには就職口も住処もない」
「そんな連中が、綺麗に生きられると思うか?」
ハルは言葉を返せなかった。
レゴシも同じだ。
だから俺が答える。
「思わない」
一瞬、場が静まる。
「……ほう?」
「だから、俺は制度を組み替えてる」
「でも、まだ足りてない」
「それは認める」
ハイエナの片目が、わずかに細まる。
「じゃあ、どうする」
「選ぶ」
俺ははっきりと言った。
「ここにいる全員を、同じ扱いはしない」
「適応できるやつは引き上げる」
「巻き込まれただけのやつは保留して保護する」
「でも――」
少しだけ声を低くする。
「攫いと売買に手を染めた中核は、ここで潰す」
地下の空気が、一気に張り詰めた。
ハイエナは、数秒黙ったあと、ようやく笑った。
「なるほどな」
「優しいふりをしないのは、嫌いじゃない」
「褒め言葉として受け取っておく」
「だが」
ハイエナが一歩踏み出す。
「選ぶのは、お前じゃねえ」
「俺たち自身だ」
直後。
周囲の獣たちが一斉に動いた。
◇
乱戦だった。
だが、無秩序ではない。
この場にいるのは“戦える獣”ばかりじゃない。だからこそ、前に出てくるのは限られていた。
ハイエナの側近らしき肉食数体。
武器持ちの草食二体。
残りは、距離を取って見ている。
(見極めろ)
全部を敵と見るな。
最初に来たのはイノシシ。突進型。
力はあるが単調だ。俺は横へ流し、壁にぶつけて行動不能。
次に犬系のナイフ持ち。レゴシが腕を抑え、床へ叩きつける。いい制圧だ。
ハルは前に出ず、後方の獣たちを見ている。
戦う気があるのか、逃げたいのか、巻き込まれてるだけなのか。
その判断役として、こいつは本当に優秀だ。
「右奥、戦意なし!」
ハルの声。
「左の鹿、武器だけ!」
指示が的確だ。
俺とレゴシは、それに従って動きを変える。
完全制圧ではなく、戦意のある相手だけを落とす。
そして――
ハイエナ。
そいつは真っ直ぐ俺へ来た。
速い。重い。無駄が少ない。
路地のチンピラでも、更生施設の管理者でもない。本物の場数を踏んでいる。
「いい動きだな、猫」
「お前もな」
拳と爪が交差する。
掠めた風圧だけで頬が切れる。悪くない。
だが。
(勝てる)
こいつは強い。でも“終わってる”。
前へ進むための強さじゃない。生き延びるために擦り切れた強さだ。
俺は二手、三手と打ち合いながら、その重心の癖を読む。
左足に少し遅れ。古傷だ。
「そこだ」
踏み込みに合わせ、左膝外側を蹴る。
ハイエナの軸が崩れた瞬間、顎へ掌底、首へ前腕、最後に鳩尾へ膝。
「が……っ!」
巨体が沈む。
だが倒れ切らない。しぶとい。
「まだだ!」
吠えたハイエナが最後の一撃を振るう。
大振り。怒りで雑になった。
俺は真正面から踏み込み――
額を打ち抜いた。
鈍い音。
ハイエナの目から光が消え、そのまま崩れ落ちる。
静寂。
地下にいた獣たちが、一斉に息を呑んだ。
◇
その後の処理は、冷静に行った。
武器を持ち、誘拐や売買に関わっていた中核メンバーは拘束。
戦意のない者、明らかに巻き込まれていただけの者は分離。
逃げようとした連中もいたが、ヒグマたちが上で押さえた。
ハルは一人一人を見て、必要な情報を拾っていた。
「このウサギ、失踪者じゃない。家出の方」
「この犬は更生施設帰り。仕事がなくて流れたやつ」
「こっちの鹿は……あー、駄目だ。完全に売買側」
レゴシは、拘束した連中の見張りをしながら、何度も複雑な顔をしていた。
当然だ。
敵にも事情がある。
だが事情があることと、許されることは違う。
その区別を呑み込むのは、簡単じゃない。
作戦終了後、外へ出た頃には、空が白み始めていた。
「……終わったのか」
レゴシが呟く。
「一旦な」
「一旦……」
「こういうのは、終わらない」
俺は正直に言う。
「制度がある限り漏れは出るし、漏れたやつは群れる」
「だから、そのたびに見つけて、分けて、組み替える」
「面倒だろ」
「すごく」
レゴシが苦笑した。
ハルは少し離れた場所で、朝焼けを眺めていた。
「でもさ」
そのままこちらを見ずに、ぽつりと言う。
「今日のは、ちょっとだけ救われた側もいたよね」
「いたな」
「それなら、まあ……悪くないのかも」
俺は返事をしなかった。
代わりに、廃工場の方を振り返る。
あそこには確かに、救われなかった獣たちがいた。
だが同時に、“救えたかもしれない獣”もいた。
その差を見抜くのが、これからの仕事だ。
◇
数日後。
旧食肉処理場の一件は、表向きには“未登録流通拠点の摘発”として処理された。
失踪していた草食獣も複数保護され、一部は無事に帰還できた。
安全管理局の評価は上がり、狐は一気に昇進候補に食い込んだらしい。
どうでもいいが、利用できるなら利用する。
一方で、学園内には別の変化があった。
“選ばれなかった獣たち”の存在が、噂ではなく現実として共有され始めたのだ。
草食だから安全なわけじゃない。
肉食だから危険なわけでもない。
制度の外に出れば、誰だって加害者にも被害者にもなりうる。
その理解は、少しだけ学園の空気を変えた。
単純な二項対立ではなく、“構造そのもの”を見る視線が増えた。
いい傾向だ。
ビースター室。
俺は新しい書類を机に広げていた。
「また難しい顔してる」
ハルだ。
もう完全にここを自分の居場所だと思ってるな。
「次の設計だ」
「今度は何」
「“選ばれなかった側”の受け皿を作る」
扉のところで、レゴシが足を止めた。
「受け皿?」
「そうだ」
俺は二人を見た。
「保護だけじゃ足りない」
「更生だけでも足りない」
「必要なのは、“再参加”の導線だ」
レゴシがゆっくり頷く。
「……戻れる場所、か」
「正確には、“初めて入れる場所”だな」
俺は肩をすくめた。
「最初から社会に入れてなかったやつも多い」
ハルがソファに座りながら言う。
「それ、すごく面倒そう」
「面倒だ」
「でも、やるんだ」
「やる」
するとハルは、少しだけ笑った。
「ほんと、救いがたいね」
「褒めてるなら受け取る」
「半分だけ」
そこへルイも入ってきた。
新聞を片手に、相変わらず隙のない顔。
「旧処理場の件、各所の反応が出始めた」
「どうだ」
「賛否両論だ」
「“危険分子の一掃”として評価する声もあれば、“ビースターによる恣意的な選別”として批判する声もある」
俺は小さく笑う。
「上等だ」
「上等なのか?」
レゴシが聞く。
「全員に好かれる改革は、大抵どこにも刺さらない」
「敵が増えるのは、動いてる証拠だ」
ルイが口元をわずかに上げた。
「やはり、狂っている」
「今さらだろ」
「違いない」
静かな空気が流れる。
以前なら、このメンバーが同じ部屋で同じ方向を見ているなんて、想像もできなかっただろう。
灰色の狼。
白いウサギ。
赤鹿。
そして、転生してきたメインクーンの俺。
噛み合わないはずの連中が、今は同じ問題を見ている。
(悪くない)
まだ道半ばだ。
むしろ、ようやく始まったばかりと言っていい。
でも確かに、世界は少しずつズレ始めている。
元の位置には、もう戻らない。
なら次は――
「都市南部の再開発区、見てくる」
俺が言うと、三人が同時にこちらを見た。
「何でまた急に?」
ハル。
「未登録労働の流れがある」
俺。
「また厄介そうだな」
ルイ。
「俺も行く」
レゴシ。
思わず笑う。
「聞く前に決めるな」
「でも、行くだろ」
「まあな」
「じゃあ同じだ」
レゴシは前よりずっと自然にそう言うようになった。
誰かの後ろをおずおずついてくるんじゃない。
自分の意志で、横に並ぶ。
いい成長だ。
「私も行くから」
ハルが当然のように言う。
「勝手に決めるな」
「そっちこそ」
ルイは一つ息を吐いて、新聞を机に置いた。
「では、私は表を整える」
「また勝手に……」
「今さらだろ」
……確かに、今さらだった。
俺は窓の外を見る。
校庭の向こう、街のさらに向こうへ。
まだ手の届かない場所が、いくらでもある。
制度の外にいる獣も、まだいくらでもいる。
救えるかどうかは分からない。
全員は無理だ。
それでも。
選ぶなら、最後まで選び切る。
切るなら、理由ごと背負う。
その上で、少しずつでも“戻ってこられる場所”を増やす。
それがたぶん――
この世界で俺がやるべきことだ。
――メインクーンの俺が、選ばれなかった獣たちの居場所ごと、作り変えてやる。