転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話   作:微糖コーヒー

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第十六話:境界線の内側

 

 開けるより、維持する方が難しい。

 

 再参加準備区画――仮称“リレー区画”は、設立から三週間でその事実を証明していた。

 

 市管理宿舎を改修した三棟は、それぞれ役割を分けて運用されている。

 第一棟は生活棟。食事、睡眠、基本的な生活リズムの再構築。

 第二棟は訓練棟。就労準備、身体管理、本能制御の実習。

 第三棟は面談・管理棟。記録、監視、カウンセリング、評価。

 

 表向きは“段階的再参加支援施設”。

 だが実態は――

 

(境界線だ)

 

 社会の内側へ戻れるか、それとも外へ押し出されるか。

 その分岐点。

 

 

 ◇

 

 

 朝六時。

 

 生活棟の廊下を歩きながら、俺は各部屋の様子を確認していた。

 

 起床時間は六時。

 遅れれば減点。

 だが初日から完璧を求めない。最初の一週間は“ズレ”を記録する期間だ。

 

 ドアの隙間から覗く。

 

 狼が一体、布団の上でぼんやり座っている。

 目は覚めているが、体が動いていない。

 

 隣の部屋では、イノシシがすでに身支度を終えていた。粗い動きだが、早い。

 

 さらに隣、ガゼルの部屋は――空。

 

「逃げたか」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 すぐに第三棟の端末を確認する。

 

『対象番号:G-12 起床後離脱 監視カメラ確認済み 外周センサー反応なし』

 

 ……内側にいるな。

 

 

「レゴシ」

 

 通信機に声を入れる。

 

『うん』

 

「G-12、第二棟側にいる可能性高い。確認しろ」

 

『分かった』

 

 

 返答は短いが、動きは速い。

 

(いいな)

 

 以前のレゴシなら、こういう“逃げた個体”への対応に迷っていたはずだ。

 今は違う。

 捕まえるためじゃない。

 “戻すか、外すか”を判断するために動ける。

 

 

 ◇

 

 

 第二棟の裏手。

 

 ガゼルは、フェンス際で立ち尽くしていた。

 

「……出たいのか」

 

 レゴシが少し距離を取って声をかける。

 

 ガゼルはびくりと肩を震わせた。

 

「違う……」

 

「違わないだろ」

 

 レゴシは一歩近づく。

 

「出たらどうなるか、分かってるか」

 

「……」

 

「外に戻るか、別の連中に拾われるか」

 

「それとも――」

 

 少しだけ言葉を切る。

 

「また“使われる側”に戻るか」

 

 

 ガゼルの目が揺れる。

 

「……ここ、息が詰まるの」

 

「分かる」

 

 レゴシは即答した。

 

「俺も、そういう場所知ってる」

 

 

 ガゼルが少しだけ顔を上げる。

 

「でもな」

 

 レゴシは続けた。

 

「ここは、出るための場所なんだ」

 

「閉じ込める場所じゃない」

 

 

 沈黙。

 

 数秒後、ガゼルはゆっくりとフェンスから離れた。

 

「……戻る」

 

「そうしろ」

 

 

 レゴシはそれ以上何も言わなかった。

 手を引くこともしない。

 ただ、横を歩く。

 

(いい距離感だ)

 

 強制でも、放置でもない。

 “選ばせる余地”を残した誘導。

 

 

 ◇

 

 

 午前九時。

 訓練棟。

 

 今日は本能制御の実習日だった。

 

 肉食獣たちが一定の距離を取り、中央に配置された“刺激源”へと向き合っている。

 人工的に調整された匂い。

 音。

 視覚刺激。

 

 段階的に強度を上げ、反応と制御を測る。

 

「……やっぱり嫌だな」

 

 ハルが俺の横で呟く。

 

「見てる側はな」

 

「やってる側もでしょ」

 

「当然だ」

 

 

 中央にいるのは、黒狼。

 南部で捕まえたあいつだ。

 

 現在は第二段階。

 軽度の刺激に対して、呼吸と視線を維持できるか。

 

「始める」

 

 俺の合図で、装置が作動する。

 

 空気が変わる。

 

 黒狼の肩がぴくりと動いた。

 

 だが、すぐに呼吸を整える。

 

「……はぁ……」

 

 吐く。

 吸わない。

 吐く。

 

(覚えてるな)

 

 教えた通りにやっている。

 

 だが――

 

 刺激が一段階上がった瞬間。

 

「っ……!」

 

 黒狼の目が揺れた。

 

 爪がわずかに伸びる。

 

「止めるか?」

 

 ハルが小声で言う。

 

「まだだ」

 

 

 俺は黒狼を見続ける。

 

「戻れ」

 

 短く言う。

 

「今なら戻れる」

 

 

 数秒。

 

 長い数秒。

 

 

 やがて、黒狼は歯を食いしばり、視線を地面へ落とした。

 

「……くそ……」

 

 吐く。

 吐く。

 

 そして――

 

 爪が引っ込んだ。

 

 

「合格だ」

 

 俺は即座に言った。

 

 

 装置を止める。

 

 黒狼はその場に膝をつき、荒い呼吸を繰り返していた。

 

「……何でだ」

 

 かすれた声。

 

「何が」

 

「俺、あっち側だろ」

 

「選ばれなかった側」

 

 

 ……またその言葉か。

 

「だから何だ」

 

「だからって、全部同じ扱いにはしない」

 

 

 黒狼は顔を上げた。

 

「さっきのは、“戻れる側”の動きだ」

 

「完全じゃないがな」

 

 

 少しだけ間を置いてから、続ける。

 

「自分で止めたやつは、戻れる」

 

「止められないやつは、別枠だ」

 

 

 黒狼はしばらく俺を見ていたが、やがて苦く笑った。

 

「……厳しいな」

 

「甘くしたら壊れる」

 

「知ってる」

 

 

 そのやり取りを、ハルが横で見ていた。

 

「ねえ」

 

「何だ」

 

「今の、“褒めた”ってことでいいの?」

 

「そうだな」

 

「分かりにくい」

 

「慣れろ」

 

「嫌だ」

 

 

 ……騒がしいが、悪くない。

 

 

 ◇

 

 

 午後。

 面談棟。

 

 ここが一番面倒だ。

 

 記録。

 評価。

 分類。

 

 数字とデータで個体を“位置づける”。

 

 目の前には、若い犬が座っていた。

 未登録労働から引き上げた個体。

 

「名前」

 

「……シロ」

 

「本名は」

 

「ない」

 

 

 ……こういうケースも多い。

 

「前歴」

 

「運び屋」

 

「何を」

 

「……肉」

 

 

 記録する。

 

「関与度」

 

「指示された通りに運んだだけ」

 

「嘘をつくな」

 

「……」

 

 

 視線が泳ぐ。

 

「選べ」

 

 俺はペンを止めた。

 

「ここで嘘を重ねるか、ここで切るか」

 

「どっちでも結果は変わる」

 

「ただし、後者の方が早い」

 

 

 沈黙。

 

 

「……二回」

 

 犬が小さく言った。

 

「自分から運んだ」

 

「報酬がよかったから」

 

 

「理由は十分だ」

 

 俺は記録を続ける。

 

「再参加意志」

 

「……ある」

 

「逃げるか?」

 

「……多分、最初は考える」

 

 

 正直だな。

 

「なら、監視強化枠だ」

 

「分かってる」

 

 

 面談は終わり。

 

 だが、この一件だけでも分かる。

 

(全部がグレーだ)

 

 完全な黒も白も少ない。

 

 だからこそ、“境界線”を引く側は、毎回判断を迫られる。

 

 

 ◇

 

 

 夜。

 

 宿舎の屋上。

 

 今日は珍しく、四人ともそこにいた。

 

「……思ったより、回ってるな」

 

 レゴシが言う。

 

「崩れてないだけマシだ」

 

 俺はフェンスにもたれる。

 

「いつ崩れるか分からないけどね」

 ハル。

 

「崩れる前に調整する」

 

「それ、簡単に言うよね」

 

「簡単じゃない」

 

 

 ルイが静かに口を開く。

 

「議会の追加条件が来た」

 

「何だ」

 

「試験期間三ヶ月」

 

「その間に明確な成果が出なければ、縮小または閉鎖」

 

 

 ……妥当だな。

 

「受ける」

 

「即答か」

 

「逃げ道がある方が楽だ」

 

 

 ハルが呆れたように笑う。

 

「普通は逆じゃない?」

 

「俺は普通じゃない」

 

「知ってる」

 

 

 レゴシが少しだけ真面目な顔になる。

 

「三ヶ月で、何を見せるんだ」

 

 

 俺は空を見上げた。

 

 夜空。

 街の光。

 その境界。

 

「一つでいい」

 

「何を」

 

「“戻れた個体”を出す」

 

 

 沈黙。

 

「一人でもいい」

 

「明確に、“ここから社会に戻った”って言えるやつを作る」

 

「それがあれば、この仕組みは続く」

 

 

 ルイが小さく頷く。

 

「象徴か」

 

「そうだ」

 

 

 ハルは少しだけ目を細めた。

 

「重いね」

 

「重い」

 

「でも、やるんでしょ」

 

「やる」

 

 

 レゴシは静かに言った。

 

「……誰を選ぶんだ」

 

 

 俺は少しだけ考え――

 

「選ばない」

 

「え?」

 

「自然に上がってくるやつを見る」

 

「無理に作ると歪む」

 

「だから、上がってくるやつを見逃さない」

 

 

 風が吹く。

 

 

 境界線の内側。

 

 ここはまだ、完全な社会じゃない。

 だが、完全な外でもない。

 

 その間に立つ場所。

 

 ここで踏みとどまれるかどうかで、未来は分かれる。

 

 

 ――メインクーンの俺が、その境界線を踏み外させない。

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