転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話   作:微糖コーヒー

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第十八話:戻る者、戻れない者

 

 制度が“成果”を出した瞬間から、次の敵は決まっている。

 期待だ。

 

 再参加準備区画――通称リレー区画の中間報告は、想定以上に強い反応を生んだ。

 議会は試験運用の継続を決めた。

 住民側の反対も消えてはいないが、少なくとも「即時閉鎖しろ」という勢いは後退した。安全管理局も、表向きには全面協力を打ち出し始めた。学園内では、本能教育とリレー区画を接続する試験プログラムが正式に拡張される。

 

 要するに――

 

(みんな、結果を欲しがり始めた)

 

 それ自体は悪くない。

 だが、期待はいつも、現実の複雑さを削る方向に働く。

 

 “戻れた一例”が出たなら、次も出せ。

 もっと増やせ。

 この仕組みは成功したんだろう?

 なら、もっと早く、もっと安く、もっと多く。

 

 ……馬鹿か。

 

 いや、馬鹿ではないのかもしれない。

 社会はだいたいそういうものだ。

 成功例を見た瞬間、その裏にある時間と手間と失敗を忘れる。

 

 だからこそ――

 

(ここからが面倒なんだよ)

 

 

 ◇

 

 

 中間報告から二日後。

 リレー区画・第三棟会議室。

 

 机の上には資料が山積みになっていた。

 入所希望リスト。新規保護個体の評価。行政からの予算案。議会質問書。住民説明会の追加要求。安全管理局の視察計画。学園側の連携申請。

 紙の束を見るだけで頭が痛くなる。

 

「……増えすぎだろ」

 

 レゴシが率直に言った。

 

「増えすぎだな」

 

 俺は即答する。

 

「中間報告が通ったから、“次はうちの案件も”って流れだ」

 

「良いことじゃないの?」

 

 ハルがソファの背に顎を乗せながら言う。

 

「半分はな」

 

 俺は一番上の紙を持ち上げる。

 

『保護対象候補:十七件』

 

「問題は、今の区画で回せる人数を超えてる」

 

「受け皿が足りないってこと?」

 

「そうだ」

 

 ルイが別の資料をめくる。

 

「しかも質が違う」

 

「今までのような“巻き込まれ型”だけじゃない。暴力性が高い個体、依存度が深い個体、反社会組織との結びつきが強い個体が混ざっている」

 

「全部を同じ施設に入れれば、内部で食い合う」

 

 

 レゴシが顔をしかめる。

 

「じゃあ、どうするんだ」

 

「分ける」

 

 俺はホワイトボードに三本線を引いた。

 

「これまでのリレー区画は“再接続前提”の場所だった」

 

「だが、今後は段階を増やす必要がある」

 

 上から順に書く。

 

『一次保護区画』

『再参加準備区画』

『監視付き就労移行』

 

「一次保護区画は、直後の避難先だ」

 

「拉致・違法労働・流通網から引き剥がした個体を、最初に落ち着かせる場所」

 

「リレー区画にそのまま入れると、精神的にも行動的にも荒すぎる」

 

 次を指す。

 

「今のここは二段階目。訓練と評価をやる」

 

「最後に、監視付き就労移行。これは完全復帰前のテストだ」

 

 

 ハルが目を丸くした。

 

「増やすねえ」

 

「増やさないと壊れる」

 

「壊れるって、どこが?」

 

「全部」

 

 俺は短く言い切る。

 

「一次保護の個体をいきなり二段階目に混ぜれば、今うまく回ってるやつらが崩れる」

 

「逆に、もう出せる個体をいつまでも二段階目に留めれば、不満が溜まる」

 

「流れを作らないと詰まるんだよ」

 

 

 ルイが静かに頷く。

 

「制度のパイプライン化、か」

 

「そういうことだ」

 

 俺はペンを置く。

 

「問題は、一次保護区画をどこに置くかだな」

 

「学園外」

 ルイが即答した。

 

「近すぎると、また住民反発が来る」

 

「同感だ」

 

「じゃあ、どこ?」

 ハル。

 

 俺は一枚の地図を広げる。

 

「旧市立診療所跡地」

 

 

 レゴシが身を乗り出す。

 

「……病院?」

 

「元はな」

 

「今は閉鎖済みで、周囲も半分再開発待ちだ」

 

「隔離じゃなく保護を前面に出しやすいし、医療設備の残骸も使える」

 

 

 ハルが少しだけ真面目な顔になる。

 

「精神的に荒れてる個体、多いもんね」

 

「肉食だけじゃなく草食もな」

 

 俺は地図を指で叩く。

 

「最初の数日が、一番壊れやすい」

 

「そこで一回“眠れる場所”を作る」

 

 

 レゴシが小さく呟いた。

 

「帰る前に、まず止まる場所か……」

 

「そうだ」

 

「悪くないだろ」

 

 

 レゴシは静かに頷いた。

 

 こいつは最近、制度の“硬さ”だけじゃなく、その手前にある柔らかい部分も見られるようになってきた。

 いい変化だ。

 

 

 ◇

 

 

 だが当然、話はそう簡単には進まない。

 

 旧市立診療所跡地の現地確認を終えた翌日、安全管理局から一件の通達が届いた。

 

『一次保護区画の新設について、慎重な再検討を求める』

 

 ……言い換えは上手いが、要するに“待て”だ。

 

 俺はその文書を机に放り投げた。

 

「理由は何だ」

 

 狐から直接呼び出して聞くと、返ってきたのは実に官僚的な答えだった。

 

「急拡大による制度不安定化の懸念です」

 

「あと、“過度な保護施策”への反発」

 

「さらに、局内には“そこまでやる必要があるのか”という意見も強い」

 

「正直に言え」

 

 俺は応接室のソファにもたれた。

 

「中で誰が嫌がってる」

 

 

 狐は少しだけ目を細める。

 

「……鋭いですね」

 

「お前が鈍いと困る」

 

「褒め言葉として受け取っておきます」

 

 

 この狐も最近、余計な返しを覚えてきたな。

 

「局内保安統制課の一部です」

 

「更生施設の件で影響力を削がれた連中が、今度は“保護の拡大は危険だ”という論で巻き返しを図っています」

 

「つまり、面子だな」

 

「かなりの部分は」

 

 

 ……分かりやすい。

 

 腐った構造を削られた連中が、今度は“慎重論”に化けて抵抗しているわけだ。

 

「どこまで噛んでる」

 

「断定はできませんが」

 

 狐は手元の資料を開いた。

 

「旧市立診療所跡地の管理権限が、最近一部移管されています」

 

「移管先は?」

 

 俺が聞くと、狐は一枚の紙を差し出した。

 

『都市再整備機構・南部開発推進室』

 

 

 ……また南部か。

 

 

「再開発区と繋がってるな」

 

「ええ」

 

「露骨すぎない?」

 

「露骨だからこそ、堂々と通ることもあります」

 

 

 なるほど。

 行政の中にある“正規の顔”を使い、違法労働や未登録流通の後始末で生じた空白を、今度は別の名目で回収しようとしている。

 敵は一つの組織じゃない。

 利害のつながりが、顔を変えながら生きている。

 

「じゃあ潰すか」

 

 俺があっさり言うと、狐は珍しく露骨に眉を動かした。

 

「その言い方、どうにかなりませんか」

 

「内容は変わらないだろ」

 

「変わりませんが、過程は大事です」

 

「で?」

 

「情報を集めます」

 

 狐は静かに続けた。

 

「開発推進室が、診療所跡地を何に使おうとしているのか」

 

「表の計画と裏の意図を切り分ける必要がある」

 

「時間は?」

 

「三日」

 

「短いな」

 

「あなたが急ぐからでしょう」

 

「正しいな」

 

 

 ◇

 

 

 三日後。

 情報は、想像より悪かった。

 

 開発推進室の内部資料によれば、旧市立診療所跡地は“再開発区周辺の短期雇用者向け宿泊施設”として再利用される計画になっていた。

 表向きは合法だ。

 だがその短期雇用者の実態が、未登録労働や身元不確定個体の一時滞在先になる可能性が高い。

 要するに――

 

「“保護”じゃなく、“再利用”だな」

 

 俺は吐き捨てるように言った。

 

 ルイが資料を机に置く。

 

「言い換えれば、“使い潰し前提の集積所”だ」

 

「綺麗な言葉にしただけで、やってることは前と変わらない」

 

「むしろ悪い」

 

 ハルが腕を組んだ。

 

「前はまだ隠してたのに、今度は制度に紛れ込ませるんでしょ」

 

「そういうことだ」

 

 俺は椅子から立ち上がる。

 

「じゃあ、先に押さえる」

 

「どうやって?」

 レゴシ。

 

「住民と議会を使う」

 

「また正面から?」

 

「今回は“奪い合い”だ」

 

 俺はホワイトボードに二つの案を書いた。

 

『A:短期雇用者宿泊施設(開発推進室)』

『B:一次保護区画(共同運営)』

 

「この二つを、同じ土俵に上げる」

 

「住民にとって、どっちが危険か」

 

「議会にとって、どっちが責任を取れるか」

 

「それを比較させる」

 

 

 ルイが小さく笑う。

 

「陰に潜る前に、表で殴るわけか」

 

「その方が早い」

 

「勝てるの?」

 ハル。

 

「勝つ」

 

「根拠は?」

 

「向こうは“使う”ことを隠したい」

 

「こっちは“守る”ことを見せられる」

 

「見栄えの差だ」

 

 

 レゴシが呆れ半分、納得半分みたいな顔をする。

 

「お前、ほんとにそういうの得意だな」

 

「前世で嫌というほど見たからな」

 

「前世?」

 

 レゴシが首を傾げた。

 

 ……危ない、口が滑ったな。

 

「比喩だ」

 

「そうか?」

 

「そういうことにしろ」

 

 ハルがじっとこちらを見る。

 勘がいいやつは困る。

 

 

 ◇

 

 

 住民説明会は、予定より大規模なものになった。

 理由は単純。

 開発推進室の側も、自分たちの案を通したいからだ。

 

 会場は地域交流ホール。

 前列に住民代表、後列に報道、端に行政関係者。こちら側は俺、ルイ、狐。ハルとレゴシは会場後方で様子を見る役に回っていた。

 

 壇上には、開発推進室の室長である中年のヒョウが立っている。

 整ったスーツ、よく通る声、いかにも“有能な行政官”という顔だ。

 

「我々の案は、再開発区の労働需給を安定させ、地域経済を活性化し、遊休施設の有効利用にも資するものです」

 

 ……はいはい。

 立派な言葉だ。

 

「一方で、一部から提案されている“保護施設案”については、地域の不安や治安上の懸念、継続コストなど、多くの課題が残されています」

 

 会場の一部から頷き。

 分かりやすいな。

 

 

「では次に、共同運営案側から説明を」

 

 司会役の言葉で、俺が立ち上がる。

 ざわ、と空気が揺れる。

 

 もう慣れた。

 

「結論から言う」

 

 俺はマイクを持った。

 

「向こうの案は、“帰る場所のない獣たち”を、見えない労働力として再利用する仕組みだ」

 

 

 一発目から、会場が凍る。

 

「……乱暴な言い方ですね」

 

 ヒョウが眉をひそめる。

 

「事実だろ」

 

「短期雇用者向け、と言いながら、登録確認と行動評価の設計が甘い」

 

「つまり、未登録労働や身元不確定個体が流れ込んでも、表面上は回せる構造になってる」

 

「違いますか?」

 

 

 ヒョウは一瞬だけ黙った。

 その沈黙だけで十分だ。

 

「我々は合法的な雇用促進を目指しているのであって――」

 

「目指すのは勝手だ」

 

 俺は遮る。

 

「でも、その設計で“何が起きるか”を無視するな」

 

「再開発区で既に起きただろ。違法労働の集積、地下搬送路、未登録個体の囲い込み」

 

「同じ条件を残したまま、“今度は大丈夫です”は通らない」

 

 

 住民席がざわつく。

 報道が一斉にメモを取る。

 

 

「こちらの案は違う」

 

 俺は資料を掲げた。

 

「一次保護区画は、行き先のない個体を“雇う”場所じゃない」

 

「まず寝かせ、診て、評価し、分ける場所だ」

 

「労働に接続する前に、一回止める」

 

「しかも、共同運営と外部監査で、責任の所在を曖昧にしない」

 

 

 ヒョウが口を開こうとした瞬間。

 

「補足します」

 

 ルイが立った。

 

 場の空気が少し変わる。

 赤鹿はやはり映えるな。

 

「開発推進室案の収支予測は、“雇用者の継続率”をかなり楽観的に置いています」

 

「一方、共同運営案は初期費用こそ高いものの、未登録流入と再流出を抑えることで、中長期の治安コストを下げる」

 

「つまり」

 

 ルイが静かに言う。

 

「見た目の安さを取るか、実際の損失を減らすか。その違いです」

 

 

 ……さすがだ。

 俺が構造を殴り、ルイが体裁を整える。

 この役割分担はやはり強い。

 

 

 そして最後に、狐が立った。

 

「安全管理局として申し上げます」

 

 会場がまた静まる。

 

「南部再開発区および旧違法流通拠点の事例を踏まえると、身元不確定個体を“雇用前提”で集積することには高いリスクがあります」

 

「一次保護区画案は、そのリスクを低減する上で、現時点では最も管理可能性の高い案です」

 

 

 行政の公式見解としては、十分すぎる一撃だった。

 

 ヒョウの顔がわずかに引きつる。

 これで“対立する二案”ではなく、“リスクの高い案と管理可能な案”の構図ができた。

 

 

 住民側の質疑応答では当然、厳しい質問も出た。

 

「本当に危険じゃないのか」

「逃走したら?」

「子どもの通学路に近い」

「草食獣の保護は十分なのか」

 

 全部、想定内だ。

 

 俺は一つずつ答えた。

 

「危険はある。ゼロじゃない」

「だから段階的受け入れと監視が必要だ」

「逃走した場合の追跡手順も設計済みだ」

「通学路の時間帯と導線は分ける」

「草食獣の保護は“個体ごとの状態”で判断し、肉食獣と同列には扱わない」

 

 嘘はつかない。

 綺麗事も言わない。

 その代わり、全部を“設計の話”に落とす。

 

 それが一番効く。

 

 

 説明会終了後、空気は完全にひっくり返ったわけではなかった。

 だが、勝敗はついた。

 

(十分だ)

 

 向こうの“便利な再利用”に対して、こちらの“管理された保護”の方がマシだと認識させられた。

 それでいい。

 

 

 ◇

 

 

 その夜。

 リレー区画へ戻ると、空気が少しおかしかった。

 

「どうした」

 

 俺が第三棟に入るなり、レゴシが駆け寄ってくる。

 

「黒狼がいない」

 

 ……何だと。

 

「いつからだ」

 

「夕食後の点呼まではいた」

 

「その後、第二棟の裏口カメラに一回映って、それから消えた」

 

「逃走か?」

 

「まだ分からない」

 

 

 嫌なタイミングだ。

 

 中間報告の象徴になりかけていた個体が、この局面で消える。

 偶然にしては出来すぎている。

 

「ハルは?」

 

「外周確認中」

 

「ルイは?」

 

「まだ戻ってない」

 

 

 俺は即座に第三棟の端末を開く。

 ログを遡る。

 

 裏口カメラ。

 映っている。

 黒狼が一人で外へ出る。

 その直後――

 

「……車か」

 

 

 画面の端、一瞬だけライトが映る。

 死角ギリギリ。

 

(連れ出されたか、自分から乗ったか)

 

 どちらにせよ、面倒だ。

 

 

「レゴシ、南西側を探れ」

 

「うん」

 

「足跡と匂いを追え。無理なら戻れ」

 

「分かった」

 

「ハルには?」

 

「俺から入れる」

 

 

 レゴシが走り去る。

 俺は狐へ連絡を入れ、同時にヒグマにも一本入れた。

 

『黒狼が抜かれた可能性がある』

『南西、車両移動。裏ルートの張り込み強化しろ』

 

 返答は短い。

 

『了解』

 

 ヒグマの方はもっと簡潔だった。

 

『探す』

 

 

 ◇

 

 

 四十分後。

 情報は揃った。

 

 黒狼は自分から出た。

 だが、出た先で待っていた車に乗っている。

 レゴシが拾った匂いからも、強制連行の痕跡は薄い。

 つまり――

 

「呼び出されたな」

 

 俺は低く呟く。

 

「誰に?」

 ハル。

 

「外側だ」

 

「フェンス越しに来た連中?」

 

「その可能性が高い」

 

 だが、それだけじゃない気もした。

 

 黒狼はもう、“ただ引き戻されるだけ”の段階を越えていた。

 それでも出たなら、理由がある。

 

「罠かもしれない」

 

 ハルが真顔で言う。

 

「そうだな」

 

「でも、行くんでしょ」

 

「行く」

 

 

 そこへルイが戻ってきた。

 会場から直行したらしい。まだスーツ姿のままだ。

 

「状況は」

 

「黒狼が外に出た。南西へ車移動」

 

「追えるか」

 

「ある程度は」

 

 

 ルイは一瞬だけ目を閉じ、そして言った。

 

「開発推進室側も、説明会後すぐに動きがあった」

 

「人員配置の変更と、未登録の車両使用記録が一本」

 

「……やっぱりか」

 

 

 単独の“仲間呼び戻し”じゃない。

 表で負けた連中が、今度は個体を引っこ抜いて制度の失敗例を作りに来た。

 もしくは、黒狼が何かを知っていて、それを回収しに来た。

 どちらでも、やることは同じだ。

 

「場所は?」

 

 ルイが紙を差し出す。

 

「旧資材搬送ヤード」

 

「南西の端だ」

 

 

 俺は笑った。

 

「好きだな、あいつら。廃施設」

 

「人気のない場所でしか動けないんだろう」

 

「違いない」

 

 

 ◇

 

 

 旧資材搬送ヤードは、再開発から外れたまま放置されていた鉄骨だらけの空間だった。

 巨大なクレーンの骨組み。錆びたコンテナ。割れたコンクリート床。

 夜の風が吹き抜けるたびに、金属がきしむ。

 

 俺、レゴシ、ハルの三人が先行し、ルイは外で狐たちと連携。ヒグマは反対側の退路を抑える。

 最近はこの布陣が多い。

 いや、多すぎるな。

 

「……いた」

 

 レゴシが低く言う。

 

 中央の広場に、黒狼がいた。

 両手は自由。傷もない。

 その前には数体の影。

 

 ジャガー。犬。シカ。

 そして――スーツ姿のヒョウ。

 

「開発推進室室長か」

 

 ハルが舌打ちする。

 

「分かりやすいなあ、ほんと」

 

 

 俺は物陰から様子を見る。

 黒狼は緊張しているが、怯えてはいない。

 話し合いの形を取っている。

 

「お前は戻る必要がある」

 

 ヒョウの声が、夜気を通して聞こえた。

 

「向こうは、お前を“成功例”として使う気だ」

 

「そんなの、道具と変わらない」

 

「こっちに戻れば、少なくとも“本当の側”にいられる」

 

 

 ……なるほど。

 

 黒狼を“選ばれなかった側の象徴”として再回収したいわけだ。

 制度に戻った個体が逃げ出し、結局こちらへ戻りました――そういう絵を作れれば、一次保護区画案にも傷がつく。

 やり口としては、実に小賢しい。

 

「……確かに」

 

 黒狼が言った。

 

「向こうは息苦しいし、監視されるし、全部見られる」

 

「だろう?」

 

「でも」

 

 黒狼が少しだけ顔を上げる。

 

「こっちも同じだ」

 

 

 ヒョウの目が細まる。

 

「何?」

 

「お前らだって、使うために拾う」

 

「違いは、“正直かどうか”だけだって思ってた」

 

「でも違った」

 

 

 黒狼の声は、震えていなかった。

 

「向こうは、少なくとも“出る”前提で見てる」

 

「こっちは違う」

 

「ずっとここに縛るために、仲間面してるだけだ」

 

 

 シカが一歩前へ出た。

 

「お前、そっちに染まったな」

 

「違う」

 

 黒狼は首を振る。

 

「やっと分かっただけだ」

 

「外側にいることと、外側に縛られることは違う」

 

 

 ……いい。

 

 その言葉が出るなら、もう十分だ。

 

 

「そこまでだ」

 

 

 俺は物陰から出た。

 

 レゴシが右、ハルが左に展開する。

 

 ヒョウが露骨に舌打ちした。

 

「やはり来たか」

 

「迎えに来た」

 

「“保護”の一環ですか?」

 

「回収だ」

 

 俺は黒狼へ目を向ける。

 

「来るか」

 

 

 黒狼は一瞬だけ迷い――そして頷いた。

 

「行く」

 

 

 それで十分だ。

 

 

 だが、ヒョウは笑った。

 

「そう簡単にはいきませんよ」

 

 合図。

 

 背後のコンテナ上から、別の影が飛び降りる。

 大型の虎。

 作業服姿だが、目つきが完全に現場監督のそれではない。

 

(護衛か)

 

 しかも、かなり強い。

 

「レゴシ、右」

 

「うん!」

 

「ハル、下がれ。黒狼を取れ」

 

「分かった!」

 

 

 虎が一直線に俺へ来る。

 速い。重い。正面衝突型。

 だが、技術もある。

 

「猫ィ!」

 

 吠え声とともに振り下ろされる拳を、俺は紙一重で外す。

 地面が砕ける音。

 馬鹿力だな。

 

「お前ら、そういうの好きだな」

 

「黙れ!」

 

 

 真正面から付き合うのは悪手だ。

 だから横へ流す。下へ潜る。重心をずらす。

 

 一撃、二撃、三撃。

 

 だが浅い。

 筋肉で押し切られてる。

 

(なら、壊す場所を変える)

 

 俺は次の踏み込みに合わせ、虎の前足ではなく支点側――膝裏と足首に連続で入れる。

 揺らぎ。

 そこへ鳩尾。

 

「ぐっ……!」

 

 体勢が浮いた瞬間、顎を打ち抜く。

 まだ倒れない。

 しぶとい。

 

 

 その横で、レゴシもジャガーと組み合っていた。

 以前よりずっといい。

 力任せにせず、相手の軸をずらしている。

 だがジャガーは経験で上回る。

 

「遅いぞ、狼!」

 

「……っ」

 

 レゴシの肩口を掠める爪。

 血が飛ぶ。

 だが、そこで下がらない。

 

 次の瞬間、レゴシは敢えて半歩踏み込み、至近距離で相手の肘を押し上げた。

 視界が塞がる角度。

 そこから肩でぶつけ、脚を払う。

 

「なっ――」

 

 ジャガーの体勢が崩れた。

 そこへ喉元寸前で止める掌。

 

「……終わりだ」

 

 

 いい。

 

 成長してる。

 

 

 一方、ハルは黒狼を引いてコンテナ影へ下げようとしていたが、シカが回り込んだ。

 

「逃がすかよ」

 

「うるさい」

 

 ハルが吐き捨てる。

 

 だが武力じゃ分が悪い。

 

「黒狼!」

 

「分かってる!」

 

 黒狼が自分から前に出る。

 

「お前、まだやるのか」

 

 シカが苛立った声を出す。

 

「やる」

 

 

 黒狼は、シカの振り上げた腕を見て――避けなかった。

 逆に踏み込み、胸ぐらを掴んで押し込む。

 

「俺は、もう“こっち側”に戻らない」

 

 

 その一言に、シカの動きが止まる。

 その隙をハルが逃さない。足元の鉄パイプを蹴り、シカの膝裏に当てる。

 バランスを崩したところを、黒狼が抑え込んだ。

 

「……終わりだ」

 

 今度こそ、シカが沈黙した。

 

 

 俺の方も、ようやく虎を落とした。

 最後は頭突きだった。派手ではないが、効く。

 

 残るヒョウは、すでに退路を探していた。

 

「ヒグマ」

 

 俺が短く言うと、背後の暗がりから大きな影が出る。

 

「逃がすかよ」

 

 低い声とともに、ヒョウの首根っこが掴まれた。

 

「っ……!」

 

 終わりだ。

 

 

 ◇

 

 

 旧資材搬送ヤードの一件は、表にはほとんど出なかった。

 出せなかった、という方が正しい。

 開発推進室の室長が未登録流通と不正保護ネットワークに関与していたなど、再開発計画全体に飛び火しかねない。

 だから、狐たちは静かに処理した。

 それでいい。

 時には、騒がず消した方がいい膿もある。

 

 重要なのは、こっちの手に“使える証拠”が残ったことだ。

 そして――

 

 黒狼が、自分で戻る選択をしたこと。

 

 

 ◇

 

 

 翌朝。

 リレー区画・屋上。

 

 黒狼は、前と同じ場所に立っていた。

 ただし目は違う。

 もう“外側の目”ではない。

 まだ濁りはある。迷いもある。

 だが、戻る方向を見ている。

 

「……面倒な夜だったな」

 

 俺が言うと、黒狼は少しだけ笑った。

 

「お前が言うな」

 

「正論だ」

 

 

 しばらく沈黙。

 朝の風が吹く。

 

「なあ」

 

 黒狼がぽつりと言う。

 

「昨日ので、俺……もう決まったのか」

 

「何が」

 

「“成功例”ってやつ」

 

 

 ……そこを気にするか。

 

「まだだ」

 

 俺ははっきり言った。

 

「お前は一歩進んだだけだ」

 

「戻るって選んだことと、戻りきることは違う」

 

 

 黒狼は苦く笑う。

 

「厳しいな」

 

「甘く言ってほしいか」

 

「……いや」

 

 

 その答えは悪くなかった。

 

「でもな」

 

 俺は少しだけ声を落とす。

 

「昨日のあれは、確かに“証明”だ」

 

「少なくとも、“戻る意思がある”ってことはな」

 

 

 黒狼は黙って前を向いた。

 

「じゃあ、次は?」

 

「働け」

 

「……は?」

 

「働けって言ってる」

 

「第三段階に上げる」

 

「監視付き就労移行だ」

 

 

 黒狼が目を瞬かせる。

 

「そんなに早く?」

 

「遅いくらいだ」

 

「やれるやつを止めすぎると、今度はそこが腐る」

 

 

 黒狼は数秒黙り込み、やがて小さく息を吐いた。

 

「……分かった」

 

 

 その返事に迷いがない。

 悪くない。

 

 

 ◇

 

 

 第三段階――監視付き就労移行先として選んだのは、裏市と学園の中間に位置する資材加工所だった。

 表向きには市の委託事業。実態としては、リレー区画からの移行個体を試験的に受け入れるための緩衝職場だ。

 

 大工仕事、梱包、簡易修繕、部材仕分け。

 単純だが、責任と協調性が必要な仕事が揃っている。

 

 初日、黒狼は無口だった。

 緊張しているのが分かる。

 

「怖いか」

 

 俺が聞くと、少しだけ間を置いてから答えた。

 

「……当たり前だろ」

 

「正常だ」

 

「そうかよ」

 

 

 レゴシが横から小さく言う。

 

「俺も最初、ここに来る時は怖かった」

 

「お前、何でも最初あるな」

 

「あるよ」

 

「ない方がおかしいだろ」

 

 

 ……こいつら、こういう会話ができるようになったか。

 悪くない。

 

 

 加工所の責任者は、ヒグマの古い知り合いだという大型犬だった。

 実直そうな顔をしている。

 

「話は聞いてる」

 

 犬は黒狼を見て言った。

 

「ここじゃ“元は何だったか”は二番目だ」

 

「一番目は?」

 

「仕事を投げないかどうかだ」

 

 

 黒狼は一瞬だけ目を丸くし、やがて小さく頷いた。

 

「……分かった」

 

 

 初仕事は、木箱の組立だった。

 単純だが、寸法を合わせ、釘を打ち、角を揃える。

 雑にやればすぐ歪む。

 

 黒狼は最初、力加減を間違えた。

 釘が曲がる。

 板がずれる。

 

 だが投げない。

 やり直す。

 聞く。

 修正する。

 

 ……その姿を見て、俺は少しだけ肩の力が抜けた。

 

(これならいける)

 

 

 ◇

 

 

 だが、当然ながら全部がうまくいくわけではない。

 

 同じ頃、リレー区画では別の問題が起きていた。

 G-12――あのガゼルが、再び離脱を試みたのだ。

 

 今度は、明確に外へ出るつもりだった。

 

「何でだ」

 

 俺が問い詰めると、ガゼルは震えながら言った。

 

「無理……」

 

「何が」

 

「“戻る”とか、“普通”とか……」

 

 目に涙が浮かぶ。

 

「周りがどんどん先に行くの、見てると、余計苦しくなる」

 

「私、そこまで頑張れない」

 

 

 ……あるだろうな。

 

 成功例が出れば、それが新しい圧になる。

 “戻れない自分”を意識させる圧力だ。

 

「じゃあ外に出るのか」

 

「分かんない」

 

「ただ……ここにいるのもしんどい」

 

 

 レゴシが横で難しい顔をしている。

 ハルはガゼルの視線の揺れをじっと見ていた。

 

 ここで無理やり留めれば壊れる。

 かといって簡単に出せば、また流される可能性が高い。

 

(だから境界線なんだよ)

 

 簡単な正解なんかない。

 

「区画を変える」

 

 俺は言った。

 

「え?」

 

「お前は今の第二段階が合ってない」

 

「一次保護に一回戻す」

 

「もう一度、止まる方からやり直せ」

 

 

 ガゼルが呆然とした顔をする。

 

「……そんなこと、できるの」

 

「できるようにするための制度だ」

 

 

 ハルが小さく笑った。

 

「いいじゃん、それ」

 

「まあね」

 

「“前に進めないなら終わり”じゃないの、ちょっとマシ」

 

 

 ガゼルはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 

「……戻る」

 

「そうしろ」

 

 

 レゴシがほっと息を吐く。

 だが俺は分かっている。

 これも一つの“戻れない”形だと。

 一直線には進めない個体もいる。

 だから段階を戻せる設計にしておく必要がある。

 

 

 ◇

 

 

 それから一週間。

 黒狼の就労移行は、想像以上に順調だった。

 ミスはある。対人関係もぎこちない。

 だが、仕事を投げない。逃げない。戻ってくる。

 それだけで十分すぎるほど大きい。

 

 そして、第二回の議会報告日が来た。

 

 今回の報告は、中間よりさらに重い意味を持つ。

 “一時的な成功例”ではなく、“継続可能な流れ”を見せられるかどうか。

 

 

 議会室。

 前回よりも空気は厳しい。

 期待が乗っている分、失望も大きくなりうる。

 

 俺は壇上に立ち、資料を開いた。

 

「報告する」

 

「前回提示した再参加準備区画は、段階的運用へ移行した」

 

「一次保護、再参加準備、監視付き就労移行」

 

「これにより、前進だけでなく後退も制度内で吸収可能になった」

 

 

 データを出す。

 

 離脱率の減少。

 衝突件数の推移。

 就労移行の継続率。

 一次保護への再振り分け成功例。

 

 そして最後に――

 

「対象W-03」

 

 黒狼が前に出る。

 前回よりも姿勢がいい。

 目も、もう逃げていない。

 

「現在、監視付き就労移行段階にある」

 

「作業継続率、対人衝突抑制、再離脱意志低下、いずれも基準を満たす」

 

 

 議員たちの視線が集中する。

 

 そこで、俺はあえて一つ付け加えた。

 

「なお、全てが順調ではない」

 

 ざわ、と空気が揺れる。

 

「第二段階から一次保護へ戻した個体もいる」

 

「成功だけでなく、後退も起きる」

 

「だが、それを“失敗”として外へ捨てない仕組みこそが重要だ」

 

 

 沈黙。

 

 

「この制度は、一直線に更生させるためのものじゃない」

 

「止まり、戻り、選び直し、それでも再び接続を試みるためのものだ」

 

「時間はかかる」

 

「コストもかかる」

 

「だが、放置の方が高くつく」

 

 

 会場は静かだった。

 反論を探している静けさじゃない。

 飲み込もうとしている静けさだ。

 

 

 最後に、黒狼が自分の言葉で話した。

 

「俺は、前まで“戻る”って言葉が嫌いだった」

 

 低い声だが、はっきりしている。

 

「そんな場所、最初からなかったからだ」

 

「でも、ここでは違った」

 

「戻るっていうより……初めて入る感じだった」

 

 

 少しだけ間を置く。

 

「だから、今ここに立ってる」

 

「それだけだ」

 

 

 飾り気のない言葉。

 だが、十分だ。

 

 

 議会の空気が、今度こそはっきり変わったのが分かった。

 

(勝ったな)

 

 全面ではない。

 まだ反対は残る。

 だが、流れは取った。

 

 

 ◇

 

 

 報告後の帰り道。

 ルイが並んで歩きながら言う。

 

「一次保護区画案、通る」

 

「だろうな」

 

「今回のは大きい」

 

「黒狼個人だけじゃない。“後退を含めて維持できる”って見せたのが効いた」

 

 

 ハルが後ろで伸びをする。

 

「疲れたー……」

 

「お前、話してないだろ」

 

「空気読んで疲れるの!」

 

 レゴシが苦笑する。

 

「それは分かるかも」

 

「分かるんだ」

 

 

 ……騒がしい。

 だが悪くない。

 

 

 黒狼は少し後ろを歩いていた。

 まだ自分の位置に慣れていない顔だ。

 それでも、前より明らかに歩幅が安定している。

 

「おい」

 

 俺が声をかけると、黒狼が顔を上げる。

 

「何だ」

 

「今の、お前の言葉」

 

「……ああ」

 

「悪くなかった」

 

 

 黒狼が一瞬だけ呆けて、やがて小さく笑った。

 

「分かりにくいな」

 

「慣れろ」

 

「それ、ハルにも言ってたろ」

 

「聞いてたのか」

 

「聞こえる距離だった」

 

 

 ……まあ、そうか。

 

 

 ◇

 

 

 夜。

 屋上。

 

 街の灯りが静かに瞬いている。

 その中に、これから作る一次保護区画の候補地がある。

 まだ手を入れていないルートも、まだ見つかっていない利権も、まだ戻れていない獣たちも、いくらでもいる。

 

 でも――

 

 一歩は、証明できた。

 

 戻る者がいる。

 戻れない者もいる。

 戻ろうとして止まる者もいる。

 その全部を、“制度の外へ捨てる”以外の形で扱える。

 

 それは、この世界にとっては十分すぎる変化だ。

 

 レゴシが隣で小さく言う。

 

「……少しずつだけど、変わってるな」

 

「当たり前だ」

 

「どうしてそんなに自信あるんだ」

 

「見えてるからだ」

 

「何が」

 

「構造が」

 

 

 レゴシはよく分からない、という顔で笑う。

 

 ハルはフェンスにもたれたまま、街の方を見ていた。

 

「でもさ」

 

「何だ」

 

「変わるってことは、また面倒も増えるんでしょ」

 

「増える」

 

「やだなあ」

 

「知ってる」

 

 

 ルイは少しだけ口元を上げる。

 

「それでも止まるつもりはないんだろう」

 

「ない」

 

 俺は即答した。

 

 

 止まった瞬間、この世界は元に戻る。

 表は綺麗なまま、裏で獣が使い潰され、見えないところで食われ、壊れたやつから消えていく。

 そんなのはごめんだ。

 

 だから次は――

 

「一次保護区画を立ち上げる」

 

「次の段階だ」

 

 

 誰も反対しなかった。

 

 もう、このメンバーは分かっている。

 俺が次を口にした時点で、それは止まらない。

 

 だったらやるだけだ。

 

 

 ――メインクーンの俺が、“戻る前に壊れない場所”まで、この世界にねじ込んでやる。

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