転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話   作:微糖コーヒー

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第十九話:壊れる前の場所

 

 壊れたものを拾うのと、壊れる前に受け止めるのでは、必要な構造がまるで違う。

 前者は“後始末”だ。

 だが後者は、社会そのものの流れに手を突っ込むことになる。

 

 一次保護区画。

 

 俺がそう呼んでいる新しい受け皿は、リレー区画よりもさらに手前に置くべき場所だった。

 違法流通から引き剥がされた個体。

 未登録労働から回収された個体。

 拉致や囲い込みから戻された個体。

 あるいは、まだ罪にも違法にも染まり切っていないが、明らかにこのままでは外側へ滑り落ちると分かる個体。

 

 そういう連中を、一度止める。

 眠らせる。

 食わせる。

 怯えを少し抜く。

 その上でようやく、“次にどこへ送るか”を考える。

 

 言葉にすれば、保護だ。

 だが、実態はもっと不格好で、もっと生々しい。

 野良化する直前の獣たちを、社会の側が自ら拾いに行くということだ。

 

 そんなものが、綺麗に進むわけがない。

 

 

 ◇

 

 

 旧市立診療所跡地の視察は、朝から最悪だった。

 

 建物そのものは悪くない。

 古いが、躯体はしっかりしている。病室だった部屋は個室として転用しやすいし、処置室も設備の一部がまだ使える。厨房も最低限の改修で済む。中庭まである。囲い込むという意味ではなく、外気に触れながらも視線を区切れる空間があるのは大きい。

 

 問題は――

 

「近すぎるな」

 

 レゴシが窓の外を見ながら呟く。

 

 診療所の正面道路を挟んだ先に、小学校が見える。

 少し離れた場所には、古い商店街。住宅も多い。

 

「住民が嫌がるの、分かる気がする」

 ハルが腕を組む。

 

「分かる」

 

 俺も即答した。

 

「しかも、嫌がる理由が感情論だけじゃない。導線も近いし、監視の設計をミスれば普通に事故る」

 

 

 ルイが持っていた図面を広げる。

 

「だから、開発推進室はこの場所を“短期雇用宿舎”にしたがっていたんだろう」

 

「保護施設よりも、“出入りが見えにくい労働者宿舎”の方が、責任を曖昧にしやすい」

 

「その上、住民側には“ただの宿泊施設です”と言いやすいからな」

 

 

 ……その通りだ。

 

 一次保護区画は、存在そのものが“問題を可視化する装置”になる。

 だから嫌がられる。

 嫌がられるが、だからこそ必要だ。

 

 

 室内を一通り見終えたあと、俺は中庭の端に立って周囲を見回した。

 風が抜ける。悪くない。

 

「やれるな」

 

「本気で言ってる?」

 ハル。

 

「本気だ」

 

「小学校の近くだよ?」

 

「だからこそ監視を強くする」

 

「出入りを一方通行化して、通学路とは時間帯もルートも切る。フェンスは高くするんじゃなく、死角を減らす方向で作る。警備は威圧型じゃなく、接触型の訓練を受けたやつを置く」

 

 

 レゴシが少し考え込んだ顔になる。

 

「……威圧型じゃない方がいいのか?」

 

「一次保護に来る連中は、最初から過剰に警戒してる」

 

 俺は壁のひび割れを指でなぞった。

 

「そこで“押さえつける側”に見えるやつを置くと、すぐ壊れるか逃げる」

 

「最初に必要なのは制圧じゃない。“ここで急に食われない”“いきなり売られない”“すぐ殴られない”って感覚だ」

 

 

 ハルが少しだけ真面目な顔でこちらを見る。

 

「……前より、そういう言い方するようになったよね」

 

「何だ」

 

「壊すとか潰すとかだけじゃなくて、“壊れないようにする”って話」

 

 

 俺は少しだけ考えてから答えた。

 

「壊れた後に拾うの、効率悪いからな」

 

「そこ、もうちょっといい言い方できない?」

 

「できるが、意味は変わらない」

 

 

 ハルは呆れたように肩をすくめる。

 だが、前ほど棘はなかった。

 

 

 その時。

 建物の外が急に騒がしくなった。

 住民の声。怒鳴り声。車のドアが閉まる音。

 

「……来たか」

 

 ルイが低く言う。

 

 

 ◇

 

 

 正面道路には、すでに二十体近い住民が集まっていた。

 前に見た反対派より、明らかに雰囲気が荒い。

 横断幕は同じだが、視線の熱量が違う。

 

『保護施設反対』

『危険獣を住宅地に入れるな』

『子どもを守れ』

 

 そして、その奥に――見覚えのある顔が混ざっていた。

 

「……あいつ」

 

 レゴシが小さく言う。

 

 南部再開発区の時、住民説明会で開発推進室側に立っていた連中の一人だ。

 表向きは地域商店会の世話役。だが実際は、再開発区の労働者斡旋と裏で繋がっていた。

 

「煽ってるな」

 

 俺は短く言う。

 

「正面からじゃ勝てないと見て、今度は住民感情を燃料にしてきた」

 

「面倒すぎる」

 ハル。

 

「いつものことだ」

 

 

 住民の前に立っていた中年のカバが、俺たちに気づいて大きな声を上げた。

 

「来たぞ! 例のビースターだ!」

 

 

 一斉に視線が集まる。

 騒ぎが一段大きくなる。

 

「見れば分かるだろ」

 俺が言うと、ハルが横で小さく吹き出した。

 

「今それ言う?」

 

「嘘はついてない」

 

 

 俺はそのまま正面へ歩いていく。

 ルイとレゴシが左右に、ハルが少し後ろにつく。

 

「話を聞いてもらう」

 

 カバが言った。

 

「構わない」

 

「ここに危険な獣を集めるつもりか!」

 

「その“危険”の中身次第だな」

 

「誤魔化すな!」

 

「誤魔化してない」

 

 俺は真正面から言う。

 

「ここに集めるのは、“今のままだと見えない場所で壊れる獣”だ」

 

「そして壊れたまま外に出る方が、よほど危険だ」

 

 

 ざわめき。

 

 だが今回は、前より敵意が強い。

 理由は簡単だ。住民側にも“味方”の顔をした煽り役が入り込んでいる。

 

「だったら、もっと遠くに作れ!」

 

「うちの近所でやるな!」

 

「子どもがいるんだぞ!」

 

「また隠れて肉が流れるんじゃないのか!」

 

 

 その最後の一言で、俺は声の方向を見た。

 あの商店会の男だ。

 やはり混ぜてきたか。

 

「それを防ぐために作るんだよ」

 

 俺はあえてそいつを見て言った。

 

「見えない場所で流れたから、前にああなった」

 

「今度は最初から、監視下に置く」

 

「監視、監視って簡単に言うけどな!」

 

 カバが前へ出る。

 

「もし何かあったら誰が責任を取るんだ!」

 

「俺だ」

 

 俺は即答した。

 

「ビースターとして、共同運営責任者として、全部前に出る」

 

「そんな口約束――」

 

「口約束じゃない」

 

 ルイがそこで前に出た。

 

「住民監視委員会の設置案と、事故発生時の責任分掌書案、もう行政側に出してある」

 

「開示も可能だ」

 

 

 住民の空気が少しだけ揺れる。

 

 そこに、ハルがぽつりと加えた。

 

「あと、そこまで心配なら見に来ればいいじゃん」

 

「は?」

 カバが眉をひそめる。

 

「どうせ、“中で何してるか分からない”のが一番怖いんでしょ?」

 

「だったら、見る仕組みを作ればいい」

 

「全部は無理でも、少なくとも“何も見えない”よりはマシじゃない?」

 

 

 ……悪くない。

 住民の感情に一番近い位置から、感情の出口を出している。

 

 実際、後ろの方で何体かが顔を見合わせていた。

 

「そんなの……」

 

「見たって、危ないもんは危ないだろ!」

 

 別の声。

 

 そこへ、レゴシが静かに言った。

 

「危ないやつは、最初からそのまま入れない」

 

 

 一瞬で、空気が変わる。

 灰色の狼の一言は、それだけで重い。

 

「俺は肉食獣だ」

 

「だから分かる。止まれてないやつを、いきなり中に入れるのは危ない」

 

「でも、止まる場所がないまま外に出しておく方が、もっと危ない」

 

 

 レゴシは少しだけ拳を握り、そして言った。

 

「俺たちは、その“止まる前の場所”を作ろうとしてる」

 

「それを失敗させたら、また見えないところで同じことが起きる」

 

 

 住民の目が、少しずつ変わる。

 完全な納得ではない。

 でも、“怖いから全部やめろ”以外の言葉が頭に入る顔になってきた。

 

 

 その流れを、商店会の男が断ち切ろうとした。

 

「騙されるな!」

 

「結局は、危険な連中のために俺たちが我慢しろって話だろ!」

 

「そんなもの――」

 

 

 そこまで言った時だった。

 道路の奥から、金属が擦れるような嫌な音が響いた。

 

 視線が一斉にそちらを向く。

 

「……何だ?」

 

 カバが振り返る。

 

 路地の奥から、ふらつく影が出てきた。

 一体、二体――三体。

 

 肉食獣。

 目の焦点が合っていない。

 動きが不自然にぎこちなく、口元からは涎が垂れている。

 

(薬か)

 

 しかも、かなり雑なタイプだ。

 

「下がれ!」

 

 俺が叫ぶと同時に、住民側に混乱が走った。

 悲鳴。後退。転倒。

 

「レゴシ!」

 

「うん!」

 

 灰色の影が飛び出す。

 俺も正面から走る。

 

 先頭の犬系が、完全に住民側へ向かっていた。

 迷いがない。狙いは明確だ。

 

(住民を襲わせる気か)

 

 ここで事故を起こせば、一次保護区画案は終わる。

 分かりやすすぎるほど分かりやすい妨害だ。

 

 

 犬系がカバへ飛びかかる寸前、俺は横から肩をぶつけて軌道を逸らした。

 地面に転がし、そのまま首筋へ掌底。

 落ちろ。

 

 次の一体は豹。こっちはレゴシが止めた。

 正面から受けず、踏み込みの軸をずらし、前足を抑えて壁へ押し付ける。いい制圧だ。

 

 最後の狼系が、路地から出てきた住民側の若いウサギへ向かう。

 

「危ない!」

 

 ハルが叫ぶ。

 

 だが、距離がある。

 

 その瞬間、住民の群れから一体のヤギが飛び出した。

 南部の炊き出し場にいたあの年配のヤギだ。

 

 前に出るな、と思った時にはもう遅い。

 

 狼系がヤギへ爪を振るう――

 

 寸前で、黒い影が割って入った。

 

「っ!」

 

 

 黒狼だ。

 

 いつの間にか現場へ来ていたらしい。

 爪を腕で受け、体をぶつけて狼系を弾き飛ばす。

 

「下がれ、ババア!」

 

「誰がババアだい!」

 

 

 ……この状況でその返しをするか。

 

 

 黒狼はすぐさま相手へ向き直る。

 だが、薬で増幅された個体は簡単には止まらない。

 再び飛び込んでくる。

 

 そこへ俺が横から入り、膝を折る。

 崩れたところを黒狼が押さえ込み、レゴシが首元寸前で止める。

 

 静寂。

 

 

 住民たちは、息を呑んでいた。

 目の前で起きたことを、まだ処理しきれていない顔だ。

 

 

 俺はゆっくりと振り返り、さっきの商店会の男を見た。

 

 そいつは、一歩二歩と後退している。

 

「……お前」

 

 俺が一歩前に出ると、男の顔色が変わった。

 

「違う、俺は――」

 

「知ってる」

 

 俺は低く言う。

 

「お前は直接手を出してない」

 

「でも、呼んだな」

 

 

 男の目が泳ぐ。

 それだけで十分だ。

 

「狐」

 

 短く呼ぶ。

 

 いつの間にか到着していた安全管理局の狐が、部下とともに前へ出た。

 

「事情を伺いましょう」

 

 いつもの穏やかな声だが、目は冷えている。

 

 男は何か言おうとしたが、もう遅い。

 

 

 ◇

 

 

 騒動が収まった後、正面道路には奇妙な静けさが残った。

 ほんの数分前まで怒鳴り合っていたのが嘘みたいだ。

 

 カバの住民代表が、まだ少し震える声で言った。

 

「……今の、あれが」

 

「今まで見えないところで起きてたことだ」

 

 俺は答える。

 

「薬で煽られた個体、管理されない衝動、流されたままの暴力」

 

「一次保護区画が必要なのは、こういうやつを“最初の段階”で止めるためだ」

 

「今、ここで見えたから止められた」

 

「でも見えない場所なら、もっと遅れる」

 

 

 住民たちは誰も反論しなかった。

 

 怖さは消えていないだろう。

 だが、今この瞬間、“何を怖がるべきか”は明確になったはずだ。

 

 

 あの年配のヤギが、腕をさすりながら近づいてくる。

 

「助かったよ」

 

「黒狼に言え」

 

「両方にだよ」

 

 

 すると、少し離れた場所で黒狼がばつの悪そうな顔をした。

 腕に浅い裂傷がある。

 

「見せろ」

 

 俺が言うと、黒狼は渋々前足を出した。

 

「……平気だ」

 

「聞いてない」

 

 

 ハルが手当て用の布を持ってきて、黙って傷口を巻く。

 

「お前さ」

 

「何だ」

 

「最近、“前に出る”の早すぎ」

 

「そうか?」

 

「そうだよ」

 

「でも、助かったでしょ」

 

 

 ハルは一瞬だけ口を閉じ、やがて小さく息を吐いた。

 

「……まあね」

 

 

 レゴシがそのやり取りを見て、少しだけ笑った。

 

「お前、前なら絶対“俺はこっち側だから”とか言ってたよな」

 

「うるせえ」

 

「でも、今は違う」

 

 

 黒狼は視線を逸らし、しばらく黙っていたが――

 

「……違うな」

 

 ぽつりと言った。

 

「こっち側とか、あっち側とか、まだよく分かんねえけど」

 

「少なくとも、“目の前で壊れるのを見てるだけ”は嫌になった」

 

 

 ……十分だ。

 今はそれでいい。

 

 

 ◇

 

 

 その日の夜。

 俺たちは再び、屋上にいた。

 最近、何かあるたびにここへ来てる気がする。

 

 ハルがフェンスにもたれながら言う。

 

「今日の、最悪だったね」

 

「いつものことだ」

 

「その返し、ほんと便利だよね」

 

「事実だからな」

 

 

 ルイは資料を片手に、夜景を見たまま口を開く。

 

「住民側の空気は、かなり変わった」

 

「一次保護区画案はほぼ通る」

 

「だろうな」

 

「だが」

 

 ルイがこちらを見る。

 

「敵も、露骨になってきた」

 

「そうだな」

 

「次はもっと分かりにくく来るぞ」

 

「知ってる」

 

 

 レゴシが小さく呟く。

 

「……でも」

 

「何だ」

 

「今日みたいに、目の前で何か起きた時」

 

「前なら、俺、多分迷ってた」

 

「でも今は……ちゃんと止められた気がする」

 

 

 俺は少しだけそいつを見る。

 

「成長したな」

 

「お前、そういう時だけあっさり言うよな」

 

「褒めてるんだが」

 

「分かりにくい」

 

「慣れろ」

 

「またそれか」

 

 

 ハルが吹き出した。

 ルイも、ほんの少しだけ笑っている。

 

 

 俺は空を見上げた。

 

 一次保護区画が通れば、また次の問題が出る。

 収容枠の限界。一次保護からリレー区画への接続。医療人員の確保。薬物依存個体への対応。草食獣と肉食獣の同時保護時のルール。住民側の監視委員会との摩擦。

 面倒なことはいくらでも増える。

 

 でも、それでいい。

 

 見えないところで壊れていく獣を、ただ“危険だった”と後から処理するよりはずっといい。

 壊れる前に止める。

 止まれる場所を作る。

 そこまでやって初めて、“戻る”って言葉が現実になる。

 

 

 ――メインクーンの俺が、壊れる前の獣たちまで、この世界の内側に引き戻してやる。

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