転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
壊れたものを拾うのと、壊れる前に受け止めるのでは、必要な構造がまるで違う。
前者は“後始末”だ。
だが後者は、社会そのものの流れに手を突っ込むことになる。
一次保護区画。
俺がそう呼んでいる新しい受け皿は、リレー区画よりもさらに手前に置くべき場所だった。
違法流通から引き剥がされた個体。
未登録労働から回収された個体。
拉致や囲い込みから戻された個体。
あるいは、まだ罪にも違法にも染まり切っていないが、明らかにこのままでは外側へ滑り落ちると分かる個体。
そういう連中を、一度止める。
眠らせる。
食わせる。
怯えを少し抜く。
その上でようやく、“次にどこへ送るか”を考える。
言葉にすれば、保護だ。
だが、実態はもっと不格好で、もっと生々しい。
野良化する直前の獣たちを、社会の側が自ら拾いに行くということだ。
そんなものが、綺麗に進むわけがない。
◇
旧市立診療所跡地の視察は、朝から最悪だった。
建物そのものは悪くない。
古いが、躯体はしっかりしている。病室だった部屋は個室として転用しやすいし、処置室も設備の一部がまだ使える。厨房も最低限の改修で済む。中庭まである。囲い込むという意味ではなく、外気に触れながらも視線を区切れる空間があるのは大きい。
問題は――
「近すぎるな」
レゴシが窓の外を見ながら呟く。
診療所の正面道路を挟んだ先に、小学校が見える。
少し離れた場所には、古い商店街。住宅も多い。
「住民が嫌がるの、分かる気がする」
ハルが腕を組む。
「分かる」
俺も即答した。
「しかも、嫌がる理由が感情論だけじゃない。導線も近いし、監視の設計をミスれば普通に事故る」
ルイが持っていた図面を広げる。
「だから、開発推進室はこの場所を“短期雇用宿舎”にしたがっていたんだろう」
「保護施設よりも、“出入りが見えにくい労働者宿舎”の方が、責任を曖昧にしやすい」
「その上、住民側には“ただの宿泊施設です”と言いやすいからな」
……その通りだ。
一次保護区画は、存在そのものが“問題を可視化する装置”になる。
だから嫌がられる。
嫌がられるが、だからこそ必要だ。
室内を一通り見終えたあと、俺は中庭の端に立って周囲を見回した。
風が抜ける。悪くない。
「やれるな」
「本気で言ってる?」
ハル。
「本気だ」
「小学校の近くだよ?」
「だからこそ監視を強くする」
「出入りを一方通行化して、通学路とは時間帯もルートも切る。フェンスは高くするんじゃなく、死角を減らす方向で作る。警備は威圧型じゃなく、接触型の訓練を受けたやつを置く」
レゴシが少し考え込んだ顔になる。
「……威圧型じゃない方がいいのか?」
「一次保護に来る連中は、最初から過剰に警戒してる」
俺は壁のひび割れを指でなぞった。
「そこで“押さえつける側”に見えるやつを置くと、すぐ壊れるか逃げる」
「最初に必要なのは制圧じゃない。“ここで急に食われない”“いきなり売られない”“すぐ殴られない”って感覚だ」
ハルが少しだけ真面目な顔でこちらを見る。
「……前より、そういう言い方するようになったよね」
「何だ」
「壊すとか潰すとかだけじゃなくて、“壊れないようにする”って話」
俺は少しだけ考えてから答えた。
「壊れた後に拾うの、効率悪いからな」
「そこ、もうちょっといい言い方できない?」
「できるが、意味は変わらない」
ハルは呆れたように肩をすくめる。
だが、前ほど棘はなかった。
その時。
建物の外が急に騒がしくなった。
住民の声。怒鳴り声。車のドアが閉まる音。
「……来たか」
ルイが低く言う。
◇
正面道路には、すでに二十体近い住民が集まっていた。
前に見た反対派より、明らかに雰囲気が荒い。
横断幕は同じだが、視線の熱量が違う。
『保護施設反対』
『危険獣を住宅地に入れるな』
『子どもを守れ』
そして、その奥に――見覚えのある顔が混ざっていた。
「……あいつ」
レゴシが小さく言う。
南部再開発区の時、住民説明会で開発推進室側に立っていた連中の一人だ。
表向きは地域商店会の世話役。だが実際は、再開発区の労働者斡旋と裏で繋がっていた。
「煽ってるな」
俺は短く言う。
「正面からじゃ勝てないと見て、今度は住民感情を燃料にしてきた」
「面倒すぎる」
ハル。
「いつものことだ」
住民の前に立っていた中年のカバが、俺たちに気づいて大きな声を上げた。
「来たぞ! 例のビースターだ!」
一斉に視線が集まる。
騒ぎが一段大きくなる。
「見れば分かるだろ」
俺が言うと、ハルが横で小さく吹き出した。
「今それ言う?」
「嘘はついてない」
俺はそのまま正面へ歩いていく。
ルイとレゴシが左右に、ハルが少し後ろにつく。
「話を聞いてもらう」
カバが言った。
「構わない」
「ここに危険な獣を集めるつもりか!」
「その“危険”の中身次第だな」
「誤魔化すな!」
「誤魔化してない」
俺は真正面から言う。
「ここに集めるのは、“今のままだと見えない場所で壊れる獣”だ」
「そして壊れたまま外に出る方が、よほど危険だ」
ざわめき。
だが今回は、前より敵意が強い。
理由は簡単だ。住民側にも“味方”の顔をした煽り役が入り込んでいる。
「だったら、もっと遠くに作れ!」
「うちの近所でやるな!」
「子どもがいるんだぞ!」
「また隠れて肉が流れるんじゃないのか!」
その最後の一言で、俺は声の方向を見た。
あの商店会の男だ。
やはり混ぜてきたか。
「それを防ぐために作るんだよ」
俺はあえてそいつを見て言った。
「見えない場所で流れたから、前にああなった」
「今度は最初から、監視下に置く」
「監視、監視って簡単に言うけどな!」
カバが前へ出る。
「もし何かあったら誰が責任を取るんだ!」
「俺だ」
俺は即答した。
「ビースターとして、共同運営責任者として、全部前に出る」
「そんな口約束――」
「口約束じゃない」
ルイがそこで前に出た。
「住民監視委員会の設置案と、事故発生時の責任分掌書案、もう行政側に出してある」
「開示も可能だ」
住民の空気が少しだけ揺れる。
そこに、ハルがぽつりと加えた。
「あと、そこまで心配なら見に来ればいいじゃん」
「は?」
カバが眉をひそめる。
「どうせ、“中で何してるか分からない”のが一番怖いんでしょ?」
「だったら、見る仕組みを作ればいい」
「全部は無理でも、少なくとも“何も見えない”よりはマシじゃない?」
……悪くない。
住民の感情に一番近い位置から、感情の出口を出している。
実際、後ろの方で何体かが顔を見合わせていた。
「そんなの……」
「見たって、危ないもんは危ないだろ!」
別の声。
そこへ、レゴシが静かに言った。
「危ないやつは、最初からそのまま入れない」
一瞬で、空気が変わる。
灰色の狼の一言は、それだけで重い。
「俺は肉食獣だ」
「だから分かる。止まれてないやつを、いきなり中に入れるのは危ない」
「でも、止まる場所がないまま外に出しておく方が、もっと危ない」
レゴシは少しだけ拳を握り、そして言った。
「俺たちは、その“止まる前の場所”を作ろうとしてる」
「それを失敗させたら、また見えないところで同じことが起きる」
住民の目が、少しずつ変わる。
完全な納得ではない。
でも、“怖いから全部やめろ”以外の言葉が頭に入る顔になってきた。
その流れを、商店会の男が断ち切ろうとした。
「騙されるな!」
「結局は、危険な連中のために俺たちが我慢しろって話だろ!」
「そんなもの――」
そこまで言った時だった。
道路の奥から、金属が擦れるような嫌な音が響いた。
視線が一斉にそちらを向く。
「……何だ?」
カバが振り返る。
路地の奥から、ふらつく影が出てきた。
一体、二体――三体。
肉食獣。
目の焦点が合っていない。
動きが不自然にぎこちなく、口元からは涎が垂れている。
(薬か)
しかも、かなり雑なタイプだ。
「下がれ!」
俺が叫ぶと同時に、住民側に混乱が走った。
悲鳴。後退。転倒。
「レゴシ!」
「うん!」
灰色の影が飛び出す。
俺も正面から走る。
先頭の犬系が、完全に住民側へ向かっていた。
迷いがない。狙いは明確だ。
(住民を襲わせる気か)
ここで事故を起こせば、一次保護区画案は終わる。
分かりやすすぎるほど分かりやすい妨害だ。
犬系がカバへ飛びかかる寸前、俺は横から肩をぶつけて軌道を逸らした。
地面に転がし、そのまま首筋へ掌底。
落ちろ。
次の一体は豹。こっちはレゴシが止めた。
正面から受けず、踏み込みの軸をずらし、前足を抑えて壁へ押し付ける。いい制圧だ。
最後の狼系が、路地から出てきた住民側の若いウサギへ向かう。
「危ない!」
ハルが叫ぶ。
だが、距離がある。
その瞬間、住民の群れから一体のヤギが飛び出した。
南部の炊き出し場にいたあの年配のヤギだ。
前に出るな、と思った時にはもう遅い。
狼系がヤギへ爪を振るう――
寸前で、黒い影が割って入った。
「っ!」
黒狼だ。
いつの間にか現場へ来ていたらしい。
爪を腕で受け、体をぶつけて狼系を弾き飛ばす。
「下がれ、ババア!」
「誰がババアだい!」
……この状況でその返しをするか。
黒狼はすぐさま相手へ向き直る。
だが、薬で増幅された個体は簡単には止まらない。
再び飛び込んでくる。
そこへ俺が横から入り、膝を折る。
崩れたところを黒狼が押さえ込み、レゴシが首元寸前で止める。
静寂。
住民たちは、息を呑んでいた。
目の前で起きたことを、まだ処理しきれていない顔だ。
俺はゆっくりと振り返り、さっきの商店会の男を見た。
そいつは、一歩二歩と後退している。
「……お前」
俺が一歩前に出ると、男の顔色が変わった。
「違う、俺は――」
「知ってる」
俺は低く言う。
「お前は直接手を出してない」
「でも、呼んだな」
男の目が泳ぐ。
それだけで十分だ。
「狐」
短く呼ぶ。
いつの間にか到着していた安全管理局の狐が、部下とともに前へ出た。
「事情を伺いましょう」
いつもの穏やかな声だが、目は冷えている。
男は何か言おうとしたが、もう遅い。
◇
騒動が収まった後、正面道路には奇妙な静けさが残った。
ほんの数分前まで怒鳴り合っていたのが嘘みたいだ。
カバの住民代表が、まだ少し震える声で言った。
「……今の、あれが」
「今まで見えないところで起きてたことだ」
俺は答える。
「薬で煽られた個体、管理されない衝動、流されたままの暴力」
「一次保護区画が必要なのは、こういうやつを“最初の段階”で止めるためだ」
「今、ここで見えたから止められた」
「でも見えない場所なら、もっと遅れる」
住民たちは誰も反論しなかった。
怖さは消えていないだろう。
だが、今この瞬間、“何を怖がるべきか”は明確になったはずだ。
あの年配のヤギが、腕をさすりながら近づいてくる。
「助かったよ」
「黒狼に言え」
「両方にだよ」
すると、少し離れた場所で黒狼がばつの悪そうな顔をした。
腕に浅い裂傷がある。
「見せろ」
俺が言うと、黒狼は渋々前足を出した。
「……平気だ」
「聞いてない」
ハルが手当て用の布を持ってきて、黙って傷口を巻く。
「お前さ」
「何だ」
「最近、“前に出る”の早すぎ」
「そうか?」
「そうだよ」
「でも、助かったでしょ」
ハルは一瞬だけ口を閉じ、やがて小さく息を吐いた。
「……まあね」
レゴシがそのやり取りを見て、少しだけ笑った。
「お前、前なら絶対“俺はこっち側だから”とか言ってたよな」
「うるせえ」
「でも、今は違う」
黒狼は視線を逸らし、しばらく黙っていたが――
「……違うな」
ぽつりと言った。
「こっち側とか、あっち側とか、まだよく分かんねえけど」
「少なくとも、“目の前で壊れるのを見てるだけ”は嫌になった」
……十分だ。
今はそれでいい。
◇
その日の夜。
俺たちは再び、屋上にいた。
最近、何かあるたびにここへ来てる気がする。
ハルがフェンスにもたれながら言う。
「今日の、最悪だったね」
「いつものことだ」
「その返し、ほんと便利だよね」
「事実だからな」
ルイは資料を片手に、夜景を見たまま口を開く。
「住民側の空気は、かなり変わった」
「一次保護区画案はほぼ通る」
「だろうな」
「だが」
ルイがこちらを見る。
「敵も、露骨になってきた」
「そうだな」
「次はもっと分かりにくく来るぞ」
「知ってる」
レゴシが小さく呟く。
「……でも」
「何だ」
「今日みたいに、目の前で何か起きた時」
「前なら、俺、多分迷ってた」
「でも今は……ちゃんと止められた気がする」
俺は少しだけそいつを見る。
「成長したな」
「お前、そういう時だけあっさり言うよな」
「褒めてるんだが」
「分かりにくい」
「慣れろ」
「またそれか」
ハルが吹き出した。
ルイも、ほんの少しだけ笑っている。
俺は空を見上げた。
一次保護区画が通れば、また次の問題が出る。
収容枠の限界。一次保護からリレー区画への接続。医療人員の確保。薬物依存個体への対応。草食獣と肉食獣の同時保護時のルール。住民側の監視委員会との摩擦。
面倒なことはいくらでも増える。
でも、それでいい。
見えないところで壊れていく獣を、ただ“危険だった”と後から処理するよりはずっといい。
壊れる前に止める。
止まれる場所を作る。
そこまでやって初めて、“戻る”って言葉が現実になる。
――メインクーンの俺が、壊れる前の獣たちまで、この世界の内側に引き戻してやる。