転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話   作:微糖コーヒー

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第二十一話:明日へ続く夜

 

 一晩ぶんの明日。

 

 口にすると、ひどく安っぽい言葉に聞こえる。

 だが、実際に“明日”を持てない獣は多い。

 夜を越える前提がない。

 眠った先に朝があると思えない。

 起きた時、同じ名前で呼ばれる保証がない。

 次の食事が“餌”ではなく“食事”として出てくる確信がない。

 

 そういう獣にとって、明日は未来じゃない。

 偶然の延長だ。

 

 だから、ステイ区画で最初にやるべきことは、社会復帰の訓練でも更生でもない。

 ただ――

 

 「朝が来る」

 

 それを、身体に思い出させることだった。

 

 

 ◇

 

 

 開所から一週間。

 ステイ区画は、ようやく“場所”としての輪郭を持ち始めていた。

 

 共有スペースの灯りは、夜になると少しだけ落とす。

 完全な消灯はしない。

 足音を吸う床材を追加し、扉の蝶番には軋み止めを入れた。

 匂いの強い消毒剤は奥の処置室だけに限定し、共用部はできるだけ中立な匂いにした。

 巡回の声かけは、時間帯ごとに文言を固定する。

 同じ時間に、同じ声で、同じ意味を伝える。

 “変わらない”こと自体を、環境として与えるためだ。

 

 地味だ。

 地味すぎる。

 だが――

 

(こういうのが効く)

 

 壊れかけた個体に必要なのは、大きな希望じゃない。

 予測可能性だ。

 次に何が起きるか、全部じゃなくていい。

 少なくとも、“今すぐ殴られない”“今すぐ売られない”“今すぐ場所を移されない”という予測が積み重なれば、それだけで身体の硬さは少しずつ抜ける。

 

 

 ◇

 

 

 朝の巡回中、俺は共有スペースでミナを見つけた。

 

 窓際の椅子に座り、薄い茶を両手で包むように持っている。

 目の下の隈はまだ消えていない。

 だが、初日みたいな切れた目ではなかった。

 

「眠れたか」

 

 声をかけると、ミナは少しだけ肩を揺らし、それから小さく頷いた。

 

「……少しだけ」

 

「何時間だ」

 

「二時間、くらい」

 

「上等だ」

 

 俺がそう言うと、ミナは少し驚いたような顔をした。

 

「それって、上等なんですか」

 

「初日なら十分だ」

 

「普通の基準で見ない」

 

 

 ミナは黙って湯気を見つめた。

 やがて、小さく言う。

 

「“普通”って、どこからなんでしょうね」

 

 

 ……悪くない問いだ。

 

「人による」

 

 俺は答える。

 

「でも少なくとも、ここでは“昨日より少しマシか”の方が大事だ」

 

 

 ミナは、少しだけ笑った。

 笑うというより、口元が緩んだだけに近い。

 それでも十分な変化だ。

 

「昨日よりは、マシです」

 

「ならそれでいい」

 

 

 その時、廊下の奥から軽い足音がした。

 

「おはよ」

 

 ハルだ。

 今日は珍しく、ステイ区画の生活動線確認を手伝う日らしい。

 相変わらず、こいつは施設職員みたいな顔をしてるわけじゃない。

 だからこそ、ここの空気にちょうどいい。

 

「おはよう、じゃなくて、おそようじゃない?」

 

「何だそれ」

 

「今、十時半だよ」

 

「知ってる」

 

「なら朝じゃないじゃん」

 

「起きてから最初なら朝だ」

 

 

 ハルは呆れた顔をしつつ、ミナの向かいに座った。

 

「どう?」

 

「……少し、眠れました」

 

「それはえらい」

 

「えらい……?」

 

「えらいよ。眠れないやつにとって二時間って、結構でかいし」

 

 

 ミナは戸惑っていたが、否定もしなかった。

 

 “褒められること”に慣れていない。

 そういう個体は多い。

 成果を出した時だけじゃない。生き延びただけでも、“そこで止まれた”だけでも、評価される経験が薄い。

 だから、ハルみたいな雑談の中の肯定が、意外と深く刺さる。

 

 

 ◇

 

 

 一方、ステイ区画の外では、例によって面倒が増えていた。

 

 午後、第三棟に戻ると、ルイがすでに待っていた。

 書類束を持っている時点でろくな話じゃない。

 

「嫌な顔だな」

 

「嫌な話しか持ってこないからだろ」

 

「正しい」

 

 ルイは淡々と机に資料を置く。

 

「住民監視委員会の第一回見学日程が決まった」

 

「早いな」

 

「向こうも様子見だけで終わらせたくないらしい」

 

「構わない」

 

「それと、議会側から追加の要望」

 

「何だ」

 

「“保護個体の中から、外部と安全に接触できるモデルケースを提示せよ”」

 

 

 ……なるほど。

 

 言い換えれば、“見せられる個体を出せ”だ。

 

「簡単に言うなあ、連中も」

 ハルが横から言う。

 

「簡単じゃないのは知ってる」

 

 俺は資料をめくる。

 

「だが、必要なのも事実だ」

 

「黒狼じゃ駄目なの?」

 レゴシ。

 

「黒狼はもう次の段階だ」

 

「ステイ区画の必要性を示すには、もっと手前の個体がいい」

 

 

 ルイが短く頷く。

 

「そうだな。“壊れかけ”から“止まれる”へ移った個体の方が象徴として強い」

 

「候補は?」

 

「ミナ」

 

 俺は即答した。

 

 レゴシが目を見開く。

 

「早すぎないか?」

 

「外に出すわけじゃない」

 

 俺は言う。

 

「住民監視委員会との接触を、こっちの管理下で短時間だけ作る」

 

「会話じゃなく、同じ空間にいることからだ」

 

「それ、本人が嫌がったら?」

 ハル。

 

「やらない」

 

「じゃあ、聞くんだ」

 

「当然だ」

 

 

 レゴシはまだ少し不安そうだった。

 

「……俺、そういうの怖い」

 

「どっちの意味だ」

 

「本人のためになるのかって意味で」

 

 

 ……いい感覚だ。

 それを気にしなくなったら、こいつも危うい。

 

「だから、段階を刻む」

 

 俺は答える。

 

「無理に“できたこと”にしない」

 

「途中で止めても、それも成功として扱う」

 

 

 ハルが少しだけ笑った。

 

「前より、そういう発想になったね」

 

「効率的だからな」

 

「またそれ」

 

 

 ◇

 

 

 その日の夕方、俺はミナに話をした。

 

 場所は共有スペース。

 窓の外が少し赤くなり始めた時間。

 こういう話は、夜の直前や食事の直後を避ける。警戒が強くなるからだ。

 

「住民が来る」

 

 俺が単刀直入に言うと、ミナの指先がわずかに強張った。

 

「でも、お前に無理はさせない」

 

「会わせたいんですか」

 

「“会わせる”というより、“見せたい”」

 

「何を」

 

「ここにいる個体が、“危険な塊”じゃなく、状態の違う獣だってことを」

 

 

 ミナはすぐには返事をしなかった。

 茶の入ったカップを見つめ、やがて小さく言う。

 

「……私じゃなくても、いいんですよね」

 

「いい」

 

「じゃあ、何で私なんですか」

 

 

 正直に答える。

 

「お前は、“壊れてるように見えない”側だからだ」

 

「でも実際には眠れなくて、視線に固まって、夜に起きてる」

 

「それを見せられるなら、意味がある」

 

 

 ミナは、かすかに息を呑んだ。

 

 多分、それが図星だったんだろう。

 見た目に傷が少ない分、“平気そう”に扱われる個体の苦しさは、見落とされやすい。

 

「……できるか、分かりません」

 

「分からなくていい」

 

「今ここで決めなくていい」

 

「明日もう一回聞く」

 

 

 ミナはしばらく沈黙し、やがて小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 

 ハルが少し離れた場所でそのやり取りを見ていて、後でぽつりと言った。

 

「今の、ちょっと上手かった」

 

「そうか」

 

「うん。“お前がやれ”じゃなくて、“明日また聞く”ってやつ」

 

「追い詰めると壊れる」

 

「そういうの、ちゃんと分かってやってるんだ」

 

「まあな」

 

 

 ハルは少しだけ目を細めた。

 

「変な猫」

 

「知ってる」

 

 

 ◇

 

 

 だが、その夜は別の意味で荒れた。

 

 午前零時過ぎ。

 ステイ区画の正面玄関センサーが反応したのだ。

 

 外からの接近。

 しかも一体ではない。

 

 俺が詰所のモニターを見ると、門前に三体の影があった。

 大型の肉食が二体、小柄な草食が一体。

 どれも外套を着ている。

 

「……何だ?」

 

 レゴシがモニターを覗き込む。

 

 外の一体が、門越しに言った。

 

「保護依頼だ」

 

 

 ……面倒だな。

 

 

 俺は外へ出た。

 ハルは詰所待機。レゴシは一歩後ろ。警備担当の犬二体も配置につく。

 

 門の向こうにいたのは、ヒョウの男と、熊系の女、それに小柄なウサギだった。

 ウサギは明らかに衰弱している。立っているのがやっとだ。

 

「夜中に来るな」

 

 俺が言うと、ヒョウが低く笑った。

 

「昼間に堂々と来れるような連中じゃないんでな」

 

「何者だ」

 

「ただの運び屋崩れだ」

 

「その割に、ステイ区画の場所をよく知ってる」

 

「有名になったからな」

 

 

 ……それもそうか。

 

 

「で?」

 

「こいつを置いていきたい」

 

 ヒョウが顎でウサギを示す。

 

「引き取れ」

 

「理由は」

 

「こっちじゃ抱えきれねえ」

 

「何を抱えてる」

 

「眠らない」

 

 熊系の女が、初めて口を開いた。

 

「三日寝てない。起きたまま震えて、食っても吐く。車の音で噛みつく」

 

「売れないし、運べないし、隠しとくにも面倒だ」

 

 

 正直すぎて、逆に笑えた。

 

 だが――

 

(本当に切羽詰まってるな)

 

 表の制度に乗れない側が、今度は“止まる場所”を必要としてこっちへ流してくる。

 当然起きると思っていたが、思ったより早い。

 

「引き取らない可能性もあるぞ」

 

 俺は言う。

 

「分かってる」

 

 ヒョウが頷く。

 

「でも、お前のとこしかねえだろ」

 

 

 その言葉に、少しだけ空気が重くなった。

 

 ……事実だ。

 

 今この街で、“壊れる前の獣”を止める場所はここしかない。

 だから、ここは必ず溢れる。

 制度が機能し始めた瞬間から、周囲の歪みを吸い寄せるようになる。

 

 

 レゴシが小さく言った。

 

「……受けるのか」

 

「枠は?」

 

 俺が詰所へ聞くと、ハルの声が返ってくる。

 

『今なら一床だけ』

 

 

 一床。

 ギリギリだな。

 

 しかも、夜中に突っ込んでくる個体は荒れる可能性が高い。

 

 だが。

 

「条件がある」

 

 俺は門の向こうへ言う。

 

「身元、流れてきた経路、最近接触した相手、全部話せ」

 

「こっちで聞く」

 

「嘘を混ぜたら次は受けない」

 

 

 ヒョウは少し考え、やがて頷いた。

 

「いい」

 

「あと」

 

 俺は続ける。

 

「二度目からは、こういう“置いていく”形じゃなく連携を作る」

 

「お前ら外側にも、一次停止の手順を覚えさせる」

 

「できるか?」

 

 

 熊系の女が鼻で笑う。

 

「教える気あんのかよ」

 

「ある」

 

「面倒だな」

 

「知ってる」

 

 

 ……成立だな。

 

 

 ◇

 

 

 ウサギは、リナと名乗った。

 名前を聞いた時の反応が少し遅かったから、最近は別の呼ばれ方もしていたんだろう。

 

 状態は悪い。

 脱水、栄養不足、過覚醒、接触過敏、睡眠拒否。

 そして、耳の付け根に小さな傷痕。複数回、無理に押さえつけられた痕跡がある。

 

 ヤギ看護師が処置をしながら、低く言った。

 

「今夜は寝かせようとしない方がいいねえ」

 

「分かってる」

 

「これ、下手に静かにすると逆に上がるよ」

 

「BGMでも流す?」

 ハル。

 

「単調な環境音ならありだ」

 俺。

 

「川の音とか?」

 

「却下」

 

「何で」

 

「流された個体に水音は駄目な場合がある」

 

「じゃあ何」

 

「換気音に近い低音。機械じゃないが、一定のやつ」

 

 

 ハルが少しだけ感心したような顔をした。

 

「その辺、細かいね」

 

「必要だからな」

 

 

 リナは処置台ではなく、床に近いマットの上にいた。

 ベッドへ上げると逆に警戒するタイプだ。

 

「触らない」

 

「近づきすぎない」

 

「質問しすぎない」

 

 俺が短く言うと、ハルとレゴシが頷く。

 

「見守り、俺とハルで前半」

 

「レゴシは後半な」

 

「分かった」

 

 

 レゴシは少しだけ視線を落とした。

 

「……俺、近くにいるだけで怖がらせないかな」

 

「怖がるかもしれない」

 

 俺は正直に言う。

 

「でも、お前が存在してること自体を消せるわけじゃない」

 

「だったら、“怖がられた時にどう引くか”を覚えろ」

 

 

 レゴシは静かに頷いた。

 

 それでいい。

 肉食であることは、消せない。

 だったら、どう存在するかを選ぶしかない。

 

 

 ◇

 

 

 そして、その夜の見守りの中で。

 俺は一つ、はっきりしたことがあった。

 

 一次保護区画に必要なのは、医療でも警備でもない。

 いや、もちろん必要だ。

 だが中核はそこじゃない。

 

 「壊れていく速度を遅くすること」

 

 それだ。

 

 眠れないなら、今夜は眠らなくていい。

 起きたままでも、朝まで壊れなければそれでいい。

 食えないなら、一口でいい。

 部屋に入れないなら、廊下でもいい。

 狼が怖いなら、扉の向こうに立たせる。

 静かすぎるなら、少し音を足す。

 

 要するに、“普通”へ戻すんじゃない。

 “壊れる速度”を落とす。

 

 そこまでできて、ようやく次がある。

 

 

 ◇

 

 

 朝方、ようやくリナがうとうとし始めた頃。

 レゴシが詰所の窓際で、小さく言った。

 

「……今まで俺、ずっと“止める”ことばかり考えてた」

 

「何をだ」

 

「本能とか、衝動とか、暴走とか」

 

「うん」

 

「でも、ここに来るとさ」

 

 レゴシは、眠りかけたリナの方を見た。

 

「“止める”だけじゃ足りないんだな」

 

「そうだな」

 

「壊れないように、“遅くする”んだ」

 

 

 ……こいつも、少しずつ見えてきたか。

 

「悪くない理解だ」

 

「それ、褒めてる?」

 

「褒めてる」

 

「分かりにくい」

 

「慣れろ」

 

「またそれだ」

 

 

 ハルが小さく笑う。

 夜明け前の、少しだけ緩んだ空気。

 

 

 俺は窓の外を見る。

 

 空が白み始めている。

 また朝が来る。

 完全な救いじゃない。

 問題は山積みだ。

 枠は足りない。敵も残っている。利権も消えていない。壊れかけた獣は、今日もどこかで増えている。

 

 それでも。

 

 少なくとも、ここでは。

 

 一晩ぶんの明日が、また一つ増えた。

 

 

 ――メインクーンの俺が、壊れる速度ごと、この世界の手綱にかけてやる。

 

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