転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話   作:微糖コーヒー

22 / 61
第二十二話:境界線の内側

 

 “止める場所”は、いずれ“選ばせる場所”になる。

 

 ステイ区画が機能し始めて、一つ変わったことがある。

 壊れかけた獣が、「ここにいるか」「先へ進むか」を、自分で選ぶ場面が増えた。

 

 それは良いことだ。

 

 だが同時に――

 

 選べない個体も、はっきり見えるようになった。

 

 

 ◇

 

 

 リナは、三日目で限界に近かった。

 

 眠れない状態は少し緩んだが、代わりに“選択”を迫られることに過剰反応を起こすようになった。

 

「食べる?」

 

「……分かりません」

 

「部屋戻る?」

 

「……分かりません」

 

「横になる?」

 

「……分かりません」

 

 

 どの問いにも、“分かりません”しか返さない。

 

 これは怠慢じゃない。

 選択の経験が破壊されている個体にとって、“決める”という行為自体がストレスになる。

 

 そして、そのストレスが一定を超えると――

 

 完全停止に入る。

 

 

 午後、共有スペース。

 

 リナは椅子に座ったまま、まったく動かなくなっていた。

 呼吸は浅い。目は開いているが焦点が合っていない。

 

「……固まってる」

 

 ハルが小さく言う。

 

「完全フリーズだな」

 

 俺は近づかずに答える。

 

「刺激、全部切ってる」

 

「どうする?」

 

「何もしない」

 

「え?」

 

 

 レゴシが戸惑った顔をする。

 

「声かけないのか?」

 

「今は逆効果だ」

 

 俺は壁にもたれながら言う。

 

「“戻れ”って言われてるように感じる」

 

「じゃあ放置?」

 

「放置じゃない」

 

「“安全なまま止まれる状態”を維持する」

 

 

 ハルが少し考えてから、静かに頷いた。

 

「……なるほどね」

 

「時間で戻る?」

 レゴシ。

 

「戻るやつもいる」

 

「戻らないやつは?」

 

「無理に戻すと壊れる」

 

 

 レゴシは黙った。

 

 目の前で何もできない状態に耐えるのは、こいつにとって一番きつい。

 

 だが、それも必要な経験だ。

 

 

 ◇

 

 

 一時間後。

 

 リナの指先が、わずかに動いた。

 

 次に、耳。

 呼吸が少し深くなる。

 

「……水」

 

 

 小さな声。

 

 ハルがすぐに動いた。

 

「あるよ」

 

 だが、近づきすぎない。

 コップをテーブルに置き、一歩下がる。

 

 

 リナはゆっくりと手を伸ばし、水を口にした。

 こぼす。

 でも飲む。

 

 

「……戻ったな」

 

 俺が言うと、レゴシがほっと息を吐いた。

 

「これでいいのか」

 

「今はな」

 

「何もしてないけど」

 

「“何もしない”のが仕事の時もある」

 

 

 レゴシは少しだけ考え込んだ。

 

「難しいな」

 

「簡単な方が危ない」

 

 

 ◇

 

 

 同じ頃、別の問題も動いていた。

 

 黒狼の“見守り参加”が、初めて実運用に入ったのだ。

 

 場所はステイ区画の裏口近く。

 新規受け入れ個体が、最初に通る動線だ。

 

「ここに立ってろ」

 

 俺は黒狼に言う。

 

「で?」

 

「何もしなくていい」

 

「またそれか」

 

「できるか?」

 

「……やるけど」

 

 

 黒狼は壁際に立つ。

 腕を組みかけて、やめる。

 視線の位置を少しだけ下げる。

 

 ……ちゃんと考えてるな。

 

 

 その時、入口のドアが開いた。

 

 新しい受け入れ個体。

 小柄な草食、フェネック。

 目が泳いでいる。

 入ってきた瞬間、黒狼を見た。

 

 固まる。

 

(当然だ)

 

 だが――

 

 黒狼は動かなかった。

 

 視線も合わせない。

 威圧もしない。

 ただそこにいる。

 

 

 数秒。

 

 フェネックの呼吸が少し乱れる。

 

 そこで、黒狼が初めて口を開いた。

 

「……怖いよな」

 

 

 短い。

 

 説明もない。

 慰めでもない。

 

 

 フェネックの耳が、ぴくりと動いた。

 

「俺も最初、そうだった」

 

 

 それだけ言って、黙る。

 

 

 フェネックはしばらくその場に立っていたが――

 

 一歩、進んだ。

 

 

 ハルが後ろで小さく息を吐く。

 

「……やるじゃん」

 

「まあな」

 

 俺は短く返す。

 

 

 黒狼は、何もしていないようで、一番重要なことをやっている。

 

 “最初の壁”を、壊さずに越えさせた。

 

 

 ◇

 

 

 夜。

 

 その日の報告をまとめながら、ルイが言った。

 

「黒狼の配置、成功だな」

 

「適材適所だ」

 

「予想以上だ」

 

 

 レゴシが少し誇らしげに言う。

 

「だろ」

 

「お前が育てたわけじゃないだろ」

 

「いや、ちょっとはある」

 

「ない」

 

 

 ハルが笑う。

 

「まあでも、あれは黒狼だからできるよね」

 

「そうだな」

 

「職員が同じこと言っても、ああはならない」

 

 

 ルイが腕を組む。

 

「“戻りかけた側”という立場の価値か」

 

「利用できるなら、制度に組み込むべきだ」

 

「その言い方、ちょっと怖い」

 ハル。

 

「事実だ」

 

 

 だが、それでいい。

 

 個人の経験を、構造に変える。

 それができなければ、全部その場限りで終わる。

 

 

 ◇

 

 

 だが、その夜。

 

 俺は一つ、嫌な違和感を覚えた。

 

 詰所のログを見ていた時だ。

 

「……これ」

 

 

 入退室記録。

 

 問題はない。

 表面上は。

 

 

 だが――

 

 時間のズレがある。

 

 扉の開閉ログと、廊下カメラの記録が、微妙に噛み合っていない。

 

 数秒単位。

 だが、何度も。

 

 

「レゴシ」

 

「何?」

 

「この時間帯、誰が動いてた」

 

 

 レゴシがログを覗き込む。

 

「……誰もいないはず」

 

「はず、じゃなくて?」

 

「記録上は、いない」

 

 

 ハルが眉をひそめる。

 

「それ、気のせいじゃなくて?」

 

「気のせいじゃない」

 

 

 俺はモニターを巻き戻す。

 

 廊下。

 無人。

 

 だが――

 

 一瞬だけ。

 

 影が揺れた。

 

 

「……何だ、今の」

 

 レゴシが低く言う。

 

「分からない」

 

 

 だが、直感が告げている。

 

 これは、機械の誤作動じゃない。

 

 誰かがいる。

 

 記録に残らない形で。

 

 

 ルイが静かに言った。

 

「……内部か?」

 

「可能性はある」

 

「でも、誰が」

 

 

 答えはまだない。

 

 だが――

 

 ここが機能し始めた瞬間から、こういう歪みは必ず寄ってくる。

 

 制度の隙。

 監視の死角。

 “止まる場所”を、別の用途に変えようとする何か。

 

 

 俺はモニターを閉じた。

 

「見張りを増やす」

 

「どうやって」

 ハル。

 

「人を増やさない」

 

「え?」

 

「視点を増やす」

 

 

 レゴシが首を傾げる。

 

「どういう意味だ」

 

「利用者も含める」

 

 

 沈黙。

 

 

 ルイが、ゆっくりと口元を上げた。

 

「……なるほど」

 

「気づいたか」

 

「“見られる側”を、“見る側”にもするわけか」

 

「そうだ」

 

 

 ハルが苦笑する。

 

「それ、うまくいくの?」

 

「分からない」

 

「でもやる」

 

 

 この場所は、“安全なだけの箱”じゃ意味がない。

 

 壊れかけた獣たちが、ただ守られるだけなら、外に戻った瞬間にまた崩れる。

 

 だから――

 

 ここにいる間に、“関わる側”にも引き込む。

 

 小さくていい。

 誰かの異変に気づく。

 声をかける。

 見張る。

 

 それができれば、外に出た時に、少しだけ違う。

 

 

 ◇

 

 

 夜明け前。

 

 俺はもう一度、廊下に立った。

 

 静かだ。

 

 だが、完全な静寂じゃない。

 

 どこかで、誰かが息をしている。

 誰かが起きている。

 誰かが眠ろうとしている。

 

 

 そして、その中に――

 

 まだ見えていない“何か”がいる。

 

 

 壊れる前の場所は、必ず歪みを引き寄せる。

 

 それでも。

 

 それでも、この場所は必要だ。

 

 

 ――メインクーンの俺が、“境界線の内側”に、次の目を増やしてやる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。