転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
社会は、数字が好きだ。
救った数。
働かせた数。
戻した数。
減らした数。
増やした数。
数字は分かりやすい。
分かりやすいものは、議会で強い。
報道で強い。
住民説明で強い。
だが、数字には必ず嘘が混じる。
どこまでを“救った”と呼ぶのか。
どこからを“成功”と呼ぶのか。
何を数えずに済ませるのか。
そこを決める者が、数字の意味を支配する。
だから俺たちは、まず数字の定義から奪いにいった。
朝。
ステイ区画、詰所。
イオリが机に資料を並べる。
無駄のない動作。
紙の束が、種類ごとに分かれていく。
一時停止数。
一次保護移行数。
後退受容数。
外部接触成功数。
再帰還数。
再崩壊防止数。
ハルが資料を覗き込み、眉を寄せた。
「……最後のやつ、何?」
「再崩壊防止数」
「字面が怖い」
「壊れかけて戻ってきた個体を、再び外へ流さず止めた数だ」
「つまり、“戻ってきちゃったけど失敗扱いにしなかった数”?」
「そうだ」
ハルは少しだけ頷いた。
「それは大事」
イオリが静かに言う。
「民間モデルは、基本的に“戻ってきた個体”を失敗として処理します」
ルイが続ける。
「だから表の数字では消える」
「ステイ区画では、それを消さない」
俺は資料を一枚持ち上げる。
「これを前面に出す」
レゴシが首を傾げた。
「戻ってきた数を出したら、失敗が多いって見られないか?」
「見られる」
「いいのか」
「いい」
俺は即答した。
「戻ってこない方が危険だ」
レゴシは少し考え込んだ。
ハルが横から言う。
「外で壊れて消えるより、戻ってきてくれた方がいいってこと?」
「そうだ」
ノエルがボードの近くで、ぽつりと言った。
「戻るのは、動きが見える」
「その通りだ」
俺は頷いた。
「戻ってきた個体は、測れる。止められる。もう一度流せる」
「戻ってこない個体は、外で消える」
カナンが小さく言った。
「……消えたら、成功扱いになる」
その言葉に、ライカの肩がわずかに震えた。
カナンは続ける。
「俺のいた場所では、戻ってこないやつは“辞めた”って書かれてた」
ライカも小さく言った。
「俺のところでは、“自立済み”って」
ハルが、深く息を吐く。
「最悪」
「だから数字を変える」
俺は言った。
「外に消えた個体を成功扱いにする数字じゃない」
「戻ってきても失敗扱いにしない数字だ」
イオリが資料をまとめる。
「この定義で、議会用資料を作ります」
「住民向けは?」
ハルが手を挙げた。
「私、やる」
「頼む」
レゴシが少し驚いたように見る。
「ハルが?」
「何、その顔」
「いや……」
「こういうの、硬い言葉のままだと伝わらないでしょ」
ハルは紙に鉛筆で書き始めた。
しばらくして、一文を見せる。
“帰ってこられた数も、成功です。”
詰所が静かになった。
ミナが、小さく頷く。
「……それ、分かりやすい」
ライカも、少し遅れて頷いた。
「帰ってきても、怒られない感じがします」
「じゃあ、それでいこう」
ハルは少し得意そうに笑った。
レゴシが静かに言う。
「いい言葉だと思う」
ハルは一瞬だけ目を丸くし、それから視線を逸らした。
「……ありがと」
俺はそれを見なかったことにした。
昼。
議会広報室。
数字の提示は、想像以上に面倒だった。
数字そのものではなく、“数え方”で揉めた。
「帰還数を成功指標に入れるのは、一般的ではありません」
議会側の担当官、鳥類のフクロウが言った。
眠そうな目をしているが、発言は鋭い。
「通常、社会復帰支援では定着率を重視します」
「定着率は出す」
俺は答える。
「だが、それだけでは壊れた個体が見えない」
「戻ってきた個体を成功に含めるのは、支援側に有利な解釈では?」
「戻らず消えた個体を成功に含める方が、よほど有利だろ」
フクロウは沈黙した。
ルイが横から静かに補足する。
「本制度が対象とするのは、通常の就労支援ではありません。壊れる前後の個体を扱う以上、“再帰還可能性”は安全指標として必要です」
イオリも続ける。
「帰還数を記録することで、外部接続先の過負荷や不適合も検出できます」
「つまり?」
フクロウが聞く。
イオリは淡々と言った。
「戻ってきた個体が多い接続先は、悪い接続先とは限りません」
「ですが、理由を見れば、その接続先の質が分かります」
フクロウは少し考えた。
「戻ってきた理由まで分類する、と?」
「はい」
イオリが資料を開く。
環境不適合。
過負荷。
本人希望。
危険接触。
再搾取兆候。
衝動再燃。
「帰還を単に失敗とせず、原因分類します」
フクロウの目が少しだけ開いた。
「それは……監査にも使える」
「そのためです」
俺が言う。
「戻ってきた数を隠す施設は、監査対象にする」
ルイが小さく笑う。
「つまり、数字そのものを首輪にするわけだ」
ハルがいれば、また嫌がっただろう。
だが、その通りだ。
フクロウは資料を閉じた。
「分かりました。指標案として上げましょう」
半分勝った。
最近そればかりだが、半分で十分だ。
同じ頃。
ステイ区画。
ハルは住民向け説明会の準備をしていた。
相手は住民監視委員会と地域協力店の代表たち。
レゴシは会場の後方で警備兼サポート。
黒狼は利用者側の補助。
ミナとノエルは、今回は発言しないが同席する。
ライカとカナンは、見学だけ。
ハルはボードに大きく書いた。
“帰ってこられた数も、成功です。”
年配のヤギ住民が、眉を寄せる。
「しかし、戻ってきたということは、外でうまくいかなかったということでは?」
ハルは頷いた。
「そうです」
住民たちが少しざわつく。
「でも、そこで終わりにしないってことです」
ハルは続ける。
「外に出て、やっぱり無理だった」
「怖かった」
「合わなかった」
「危なかった」
「そういう時に帰ってこられるなら、その個体は消えずに済みます」
少し間を置く。
「消えなかったなら、次があります」
レゴシが後ろで静かに聞いていた。
カナンがうつむきながら、小さく拳を握る。
ライカは笑わずにいる。
それも成果だ。
商店街のロバ店主が言った。
「じゃあ、うちの店に戻ってきた子も、失敗じゃないってことかい」
「はい」
ハルは即答した。
「戻ってきた理由を見ます」
「本人が弱かったから、じゃなくて」
「仕事が合わなかったのか」
「時間が長すぎたのか」
「誰かが怖かったのか」
「匂いや音がきつかったのか」
「そういうのを見ます」
ロバ店主は、ゆっくり頷いた。
「それなら、店側も変えられる」
「そうです」
ハルは少し笑った。
「全部を個体のせいにしないための数字です」
その言葉は効いた。
レゴシが思わず小さく呟く。
「すごいな……」
ハルが聞こえたのか、少しだけ耳を赤くした。
「聞こえてる」
「あ、ごめん」
「謝るところじゃない」
場が少し柔らかくなる。
その柔らかさもまた、ハルの仕事だ。
夕方。
数字の試験発表が行われた。
公開されたのは、ステイ区画と前圏観測所の三十日間データ。
一時停止個体:四十六体
一次保護移行:十九体
再参加準備移行:十一体
外部接触試行:八体
外部接続後帰還:五体
再崩壊防止:五体
連絡不能:ゼロ
最後の数字が一番大きい。
連絡不能、ゼロ。
外に出して、戻らず、消えた個体がいない。
民間モデルは、ここを出せない。
なぜなら消えた個体を数えていないからだ。
報道はこの数字に食いついた。
特に、“帰還五体を成功指標に含める”点が議論になった。
賛否は割れた。
だが、議論になるだけでいい。
議論になれば、民間側は戻り導線を無視できなくなる。
◇
もちろん、グレイも動いた。
夜、外部ネットワークに匿名の記事が流れた。
“帰ってくることを成功と呼ぶなら、いつまで経っても自立できないのでは? ”
うまい攻め方だ。
弱者を甘やかしている。
保護依存を作っている。
社会に戻る気を奪っている。
そういう論調。
ハルは記事を読んで、舌打ちした。
「言い方が嫌らしい」
「効くだろうな」
俺は答える。
レゴシが心配そうに聞く。
「どう返す?」
「返さない」
「え?」
「こっちからはな」
ルイが理解した。
「戻ってきた個体に語らせるのか」
「そうだ」
ハルが顔を上げる。
「誰に?」
俺は少し考える。
「ミナ」
レゴシが少し驚いた。
「ミナを?」
「ああ」
「大丈夫か」
「本人に聞く」
ミナは話を聞いて、しばらく黙った。
共有スペース。
夜の薄い灯り。
ハルが横にいる。
レゴシは少し離れている。
「無理ならやらなくていい」
俺は先に言った。
「……外に出るんですか」
「いや。文章でいい」
「名前は?」
「匿名でもいい」
ミナは指先を見つめる。
「帰ってくることは、甘えだって言われてるんですよね」
「そういう言い方だ」
「……少し、分かります」
ハルが眉を下げる。
「ミナ」
「でも」
ミナは顔を上げた。
「帰れない方が、もっと怖いです」
沈黙。
「私、外に出た時、怖かったです」
「でも、戻れるって分かってたから、一歩出られました」
「戻れないなら、最初から外に出られません」
ミナの声は震えている。
だが、言葉ははっきりしていた。
「書きます」
ハルが静かに頷いた。
「一緒に整えよう」
翌日、住民向けの短い文章が公開された。
匿名。
ステイ区画利用者の声。
“戻れる場所があるから、外へ出られました。”
文章は短かった。
外は怖い。
戻ることも怖い。
でも、戻っていいと言われたから外へ出られた。
戻った後に怒られなかったから、もう一度出ようと思えた。
それだけ。
だが、強かった。
匿名記事への反論としては、理屈よりずっと強い。
ハルが文章を読んで、小さく言った。
「ミナ、すごいね」
ミナは照れたように俯く。
「ハルさんが直してくれたから」
「言葉はミナのだよ」
レゴシが静かに言う。
「俺も、いいと思った」
ミナは少し笑った。
その笑顔は、ライカの映像の笑顔とは違う。
作らされていない。
出てしまったものだ。
それでいい。
だが、反撃はそこでは終わらなかった。
数字を出した翌々日。
南部の外圏で、意図的な“帰還妨害”が発生した。
外部接続中だったザクが、戻る途中で三体の肉食に囲まれた。
目的は明確。
戻らせない。
帰還数を潰す。
戻ってくる個体が成功指標なら、戻る途中を狙えばいい。
単純だが効果的。
ザクは無線で一言だけ発した。
『戻りたい』
それで十分だった。
レゴシが即座に動く。
俺も続く。
黒狼も飛び出す。
ハルが詰所から叫ぶ。
「ザクの位置、南部三番通路!」
イオリが端末で追跡を入れる。
「中圏外、前圏境界です」
ルイが外部連絡を回す。
「狐へ通報済み。だが到着まで六分」
「三分で着く」
俺は答えた。
◇
南部三番通路。
ザクは壁際に追い込まれていた。
中型肉食三体。
犬、ジャコウネコ、ハイエナ。
「戻るなよ」
犬が笑う。
「戻ったら、また数字にされるぞ」
ザクは震えている。
だが、目は死んでいない。
「……戻る」
「は?」
「戻るって言った」
その瞬間、犬が手を伸ばす。
だが、その腕は届かなかった。
レゴシが横から入る。
「そこまでだ」
低い声。
犬が舌打ちする。
「番犬かよ」
「違う」
レゴシは静かに言った。
「戻る道だ」
その言葉に、俺は少しだけ感心した。
いい表現だ。
黒狼が反対側を塞ぐ。
「回りくどいこと言ってねえで、殴っていいか?」
「必要な分だけだ」
「了解」
戦闘は短かった。
戻り道を狙う程度の連中だ。
強くはない。
だが、ザクにとっては十分な脅威だった。
レゴシが相手を抑え、黒狼が退路を塞ぎ、俺が主犯格のハイエナを落とす。
ザクはその間、動かなかった。
逃げなかった。
震えながら、その場に留まった。
終わった後、俺は聞いた。
「戻るか」
ザクは即答した。
「戻る」
「歩けるか」
「……歩く」
レゴシが隣に立つ。
「一緒に戻ろう」
ザクは小さく頷いた。
◇
この事件は、こちらにとって大きな材料になった。
帰還妨害。
新しい分類だ。
戻る導線があることを嫌う勢力が存在する。
そして、戻る道を守る必要がある。
これにより、認証制度の中に新しい項目が追加された。
帰還安全性。
外へ出すだけでは不十分。
戻る道を守れるか。
民間施設側は嫌がるだろう。
当然だ。
だが、ザクの事件は映像記録付きで残っている。
レゴシの言葉も残っていた。
“戻る道だ。”
ハルがそれを聞いて、少しだけ笑った。
「いいこと言うじゃん」
レゴシは耳を伏せる。
「咄嗟に出ただけ」
「咄嗟に出るのがいいんだよ」
レゴシは困ったように笑った。
◇
夜。
ステイ区画。
ザクは戻ってきた。
戻ってきた瞬間、共有スペースにいた利用者たちが少しざわついた。
ザクは俯いて言った。
「……戻った」
ハルが答える。
「おかえり」
ミナも言う。
「おかえり」
カナンも少し遅れて。
「おかえり」
ライカは迷った後、小さく。
「……おかえり」
ザクは泣きそうな顔になった。
だが泣かなかった。
泣いてもよかったが、泣かないことを選んだのならそれでいい。
その夜の記録に、俺はこう書いた。
帰還成功。
外部妨害あり。
自制あり。
戻る意思明確。
再崩壊なし。
成功だ。
外に定着しなかったのに成功。
戻ってきたのに成功。
これを、数字にする。
◇
屋上。
夜風の中、イオリが資料を見ていた。
「帰還安全性の項目追加は通ります」
「だろうな」
「ただし、民間側の反発は強くなります」
「知ってる」
「次は、“基準が重すぎる”という攻撃になります」
「もう来てる」
「さらに強くなります」
俺は街を見る。
戻れる道を作れば、その道を塞ぐ者が出る。
塞ぐ者が出れば、道を守る必要がある。
道を守れば、制度は重くなる。
制度が重くなれば、軽い偽物がまた出る。
循環だ。
なら、その循環ごと設計するしかない。
「重くても回る仕組みにする」
俺は言った。
「難しいですね」
「やる」
イオリは少しだけ口元を緩めた。
「知っています」
◇
こうして、新しい数字が生まれた。
帰還成功数。
帰還妨害件数。
帰還安全性。
それは、社会にとってまだ聞き慣れない言葉だった。
だが、言葉は一度生まれれば残る。
残れば、制度になる。
制度になれば、世界を縛る。
──メインクーンの俺が、“戻る道”まで数字にして、この社会の首輪に変えてやる。