転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話   作:微糖コーヒー

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第四十五話:戻る道の値段

 

 道を作れば、誰かが値段をつける。

 

 通行料。

 管理費。

 安全保障。

 監視人員。

 記録端末。

 緊急連絡網。

 

 “戻る道”を守るにも、当然コストがかかる。

 

 そして社会は、いつもそこで顔をしかめる。

 

 守りたいとは言う。

 助けたいとも言う。

 だが、金を払う段になると、急に声が小さくなる。

 

 だから制度は、いつも綺麗事と費用対効果の間で首を絞められる。

 

 ◇

 

 朝。

 

 ステイ区画の詰所には、いつも以上に嫌な空気が漂っていた。

 

 理由は、議会から届いた一枚の資料。

 

 “帰還安全性項目追加に伴う運用コスト試算”

 

 ハルがそれを見て、露骨に顔をしかめる。

 

「うわ、数字がいっぱい」

 

「数字の戦いだからな」

 

「嫌な戦い」

 

 ルイが資料をめくる。

 

「警備費、通信費、協力店への補助、夜間対応人員、緊急搬送費……まあ、当然増える」

 

 レゴシが聞く。

 

「どれくらい?」

 

 イオリが淡々と答えた。

 

「現行予算の一・六倍です」

 

「……そんなに」

 

「帰還導線を真面目に守るなら、最低でもその程度です」

 

 ハルが椅子に背を預ける。

 

「絶対文句出るじゃん」

 

「出てる」

 

 ルイが別の紙を見せた。

 

 そこには反対意見が並んでいる。

 

 “支援対象に過剰なコストをかけすぎている”

 “戻ってくる前提では自立を阻害する”

 “民間施設の参入障壁が高くなる”

 “認証制度が重すぎる”

 

 予想通り。

 

「グレイの言った通りだな」

 

 黒狼が壁際で言う。

 

「基準が重すぎるってやつか」

 

「そうだ」

 

 俺は答える。

 

「次は“軽い基準”を売りにしてくる」

 

 カナンが小さく聞いた。

 

「軽い方が……駄目なんですか」

 

「軽いこと自体は悪くない」

 

 俺は言った。

 

「だが、戻る道を省いて軽くするなら駄目だ」

 

 ライカが、少しだけ俯く。

 

「戻れなかったら、笑うしかない」

 

 その言葉に、ハルがすぐ反応した。

 

「今、笑ってないね」

 

 ライカは驚いたように顔を上げる。

 

「あ……」

 

「いいじゃん」

 

 ライカは少し戸惑い、それでも作り笑いはしなかった。

 

 いい変化だ。

 

 今はそこを見る。

 

 ◇

 

 午前。

 

 議会側から、公開討論の要請が来た。

 

 テーマは、“帰還安全性の必要性と費用負担”。

 

 要するに、戻る道に金を払う価値があるかを、市民の前で説明しろという話だ。

 

 ルイは即座に言った。

 

「受けるべきだ」

 

「当然受ける」

 

「相手は?」

 

 イオリが端末を操作する。

 

「民間支援施設連合の代表です」

 

「そんなもの、もうできたのか」

 

「昨日できました」

 

 ハルが乾いた笑いを漏らす。

 

「早すぎ」

 

「利害が一致すると早い」

 

 代表は、タヌキ。

 名前はオルガ。

 複数の小規模支援施設をまとめる立場で、表向きは穏健派。

 

 資料上の主張はこうだ。

 

 “支援は広く、軽く、早く。”

 

 分かりやすい。

 そして危険だ。

 

 軽くするために何を削るかを言わない。

 

 レゴシが資料を見ながら言う。

 

「広く助けるって言われると、悪く聞こえないな」

 

「だから厄介だ」

 

 ハルが小さく頷く。

 

「“戻る道を守るために数を減らします”って、聞こえは悪いもんね」

 

「そうだ」

 

 ルイが言う。

 

「だから、こちらは数ではなく“消えないこと”を押す」

 

「消えないこと?」

 

 カナンが聞く。

 

 俺は答えた。

 

「軽い支援は、一時的に数を増やす」

 

「だが戻る道がなければ、失敗した個体が消える」

 

「俺たちは、その消えた数を出させる」

 

 イオリが頷いた。

 

「民間側の最大の弱点です。離脱後追跡が甘い」

 

 ライカが、静かに言った。

 

「俺も、映像の後に壊れたら……成功のままだったんですよね」

 

「そうだ」

 

「じゃあ、消えたことにもならない」

 

「そうだ」

 

 ライカは黙った。

 

 だが、顔は笑っていなかった。

 

 それでいい。

 

 ◇

 

 午後。

 

 公開討論会場。

 

 会場は満員だった。

 

 住民、報道、行政関係者、民間施設関係者、学生、保護者。

 

 共生社会の未来、なんて綺麗なタイトルが掲げられているが、実際の中身はもっと生々しい。

 

 誰に金を払うか。

 誰を戻すか。

 誰を外へ流すか。

 誰を数えないか。

 

 壇上には、俺、ルイ、イオリ。

 

 向かいに、民間支援施設連合代表のタヌキ、オルガ。

 

 オルガは柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「本日は、対立ではなく建設的な対話を望んでいます」

 

 まずそう言った。

 

 うまい。

 

 いきなりこちらを“強硬派”に見せる入り方だ。

 

「我々民間施設は、限られた予算の中で、一体でも多くの獣に機会を届けたいと考えています」

 

 会場の一部が頷く。

 

「もちろん、安全は大切です。しかし、あまりに重い基準は、支援を必要とする獣たちを門前で弾くことになります」

 

 分かりやすい。

 

 救える数を減らすのか、という攻め方。

 

 司会がこちらへ視線を向ける。

 

「ご意見は?」

 

 俺はマイクを取った。

 

「軽い支援は、外へ出す数を増やす」

 

 会場が静まる。

 

「だが、戻る道がなければ、壊れた個体は消える」

 

 オルガが穏やかに言う。

 

「消える、という表現はやや強すぎるのでは?」

 

「では聞く」

 

 俺は資料を出した。

 

「民間支援施設連合に参加している十七施設で、支援後三十日以内に連絡不能となった個体数は?」

 

 オルガの笑みが、わずかに止まった。

 

「個人情報の関係で──」

 

「数だけでいい」

 

「現在集計中です」

 

「なら、把握していないということだな」

 

 会場がざわつく。

 

 オルガはすぐに立て直す。

 

「支援対象者の自立を尊重するため、過度な追跡を避ける場合もあります」

 

 ルイが静かに口を開いた。

 

「追跡しないことと、戻れないことは違います」

 

 鋭い。

 

「自立を尊重するなら、戻る選択肢も尊重すべきです」

 

 イオリが資料を示す。

 

「ステイ区画では、外部接続後の帰還を失敗ではなく記録対象としています。帰還理由を分類することで、接続先の改善にも繋げています」

 

 オルガが言う。

 

「しかし、それでは対象者が施設に依存する恐れがあるのでは?」

 

 予想通りの問い。

 

 俺は答えた。

 

「依存と帰還を混同するな」

 

 少し空気が硬くなる。

 

「依存とは、自分で外へ出る力を奪うことだ」

 

「帰還とは、自分で戻る道を持つことだ」

 

「逆だ」

 

 会場が静まった。

 

「戻る道があるから、外へ出られる個体がいる」

 

「戻る道がない支援は、ただ背中を押して崖へ落としているだけの場合がある」

 

 オルガの目が少し細くなる。

 

「では、すべての民間施設に高コストな帰還導線を求めるのですか?」

 

「違う」

 

 俺は言った。

 

「できない施設は、最初から重い個体を扱うな」

 

 会場にざわめき。

 

 ハルがいたら、言い方、と言っただろう。

 

 だがこれは言い方を柔らかくしすぎると意味が薄れる。

 

「扱える範囲を明示しろ」

 

「軽い支援しかできないなら、軽い個体だけを扱え」

 

「戻る道を守れないなら、戻る必要のある個体を外へ出すな」

 

 沈黙。

 

 これは、民間施設にとって痛い。

 

 “広く助ける”という言葉の裏には、自分たちが扱えない個体まで引き受けている現実がある。

 

 それを切る。

 

 オルガはしばらく黙り、それから穏やかに言った。

 

「理想としては理解します。しかし、現場では線引きが難しい」

 

「だから認証制度がいる」

 

 俺は返す。

 

「首輪ですね」

 

 オルガが微笑む。

 

 会場が少しざわつく。

 

 こちらの言い方を逆手に取ってきたか。

 

「そうだ」

 

 俺は即答した。

 

 ルイが一瞬だけ横目でこちらを見る。

 

 ハルがいなくてよかったな。

 

「認証は首輪だ」

 

「ただし、支援対象につける首輪じゃない」

 

「施設につける首輪だ」

 

 会場が静まる。

 

「弱った個体を好きに扱わせないための首輪だ」

 

「戻る道を消させないための首輪だ」

 

「数字から消える個体を減らすための首輪だ」

 

「その首輪を嫌がる施設に、壊れかけた獣を預ける気はない」

 

 オルガは、笑みを保っていた。

 

 だが、もう余裕は少ない。

 

 ◇

 

 討論は一時間続いた。

 

 結論は出ない。

 

 だが、空気は変わった。

 

 “重い基準か、軽い支援か”ではなく。

 

 **“どの重さの個体を、どの施設が扱えるのか”**へ論点が移った。

 

 これは大きい。

 

 民間施設は今後、“広く助ける”だけでは済まなくなる。

 

 自分たちの扱える限界を示す必要がある。

 

 それを示せなければ、認証は下りない。

 

 会場を出ると、ルイが小さく言った。

 

「強引だったが、悪くない」

 

「褒めてるのか」

 

「半分は」

 

 イオリが淡々と言う。

 

「“施設につける首輪”という表現は荒いですが、効果的でした」

 

「だろ」

 

「ただし、報道では切り取られます」

 

「想定内だ」

 

 ◇

 

 ステイ区画に戻ると、案の定、ハルに怒られた。

 

「首輪って言ったの!?」

 

「言った」

 

「何で!」

 

「効くから」

 

「効くけど!」

 

 レゴシが苦笑している。

 

「でも、分かりやすかったと思う」

 

 ハルがレゴシを見る。

 

「レゴシまで?」

 

「施設につける首輪っていうのは……必要だと思う」

 

 ハルは少し黙った。

 

「……まあ、それは分かるけど」

 

「ならいいだろ」

 

「言い方!」

 

 いつものやり取り。

 

 だが、その場にいたライカが小さく笑いかけて、途中で止めた。

 

 ハルがすぐに気づく。

 

「今のは笑ってもいいやつ」

 

 ライカは戸惑う。

 

「いいんですか」

 

「いい」

 

 ライカは、今度は少しだけ自然に笑った。

 

 その場の空気が少し緩む。

 

 こういう小さな場面が、施設を保つ。

 

 ◇

 

 夜。

 

 ザクの帰還妨害事件を受けて、戻る道の警戒が強化された。

 

 だが、ただ警備を増やすだけではない。

 

 戻る道に“声”を置いた。

 

 地域協力店。

 街灯下の連絡板。

 協力住民の窓灯り。

 見守り役の巡回。

 

 戻る個体が、自分の位置を確認できる目印。

 

 ハルがそれを見て言った。

 

「これ、道しるべみたい」

 

「そうだ」

 

「いいね」

 

「珍しく素直だな」

 

「いいものはいいって言うよ」

 

 戻る道は、物理的なルートだけじゃない。

 

 “ここを通っていい”と思える感覚。

 “ここで助けを呼べる”という確信。

 “見られている”ではなく、“見守られている”という状態。

 

 それが必要だ。

 

 イオリはそれを“帰還導線環境化”と呼んだ。

 

 長い。

 

 ハルは“帰り道の灯り”と呼んだ。

 

 こっちの方がいい。

 

 公式名には使えないが、住民向けにはそちらを使うことにした。

 

 ◇

 

 その夜、最初に“帰り道の灯り”を使ったのは、コルだった。

 

 東側喫茶店からステイ区画へ戻る途中、コルは一度立ち止まった。

 

 理由は、灰色の帽子を見た気がしたから。

 

 本物ではなかった。

 ただの通行人だった。

 

 だが、コルは動けなくなった。

 

 そこで、協力店の窓に灯る青い小さなランプを見た。

 

 それは“戻っていい道”の印だった。

 

 コルは喫茶店へ戻り、そこから連絡が入った。

 

 戻る道を、一度戻った。

 

 これも成功だ。

 

 詰所で報告を聞いたハルが言った。

 

「やっぱり、灯りって名前でよかったじゃん」

 

「そうだな」

 

 俺は認めた。

 

 ハルは少し得意そうだった。

 

 レゴシがそれを見て、柔らかく笑う。

 

 この二体の空気も、少しずつ変わっている。

 

 大きく動かす必要はない。

 自然に置けばいい。

 

 ◇

 

 深夜。

 

 屋上。

 

 街のあちこちに、青い灯りが小さく増えていた。

 

 地域協力店。

 前圏観測所。

 帰還導線。

 

 ただの光だ。

 

 だが、意味がある。

 

 意味があれば、道になる。

 

 イオリが隣に立つ。

 

「予算はさらに増えます」

 

「だろうな」

 

「反発も増えます」

 

「知ってる」

 

「それでも続けますか」

 

「続ける」

 

 イオリは少しだけ間を置いた。

 

「あなたは、コストの話を嫌がらない」

 

「嫌がっても消えないからな」

 

「珍しいです」

 

「何が」

 

「理想を語る者ほど、コストを隠します」

 

 俺は街を見下ろす。

 

「隠すと後で壊れる」

 

「ええ」

 

 イオリは静かに頷いた。

 

「だから、私が計算します」

 

「頼む」

 

 ◇

 

 戻る道には値段がある。

 

 その値段を払うかどうか。

 

 社会はこれから何度も迷うだろう。

 

 そのたびに、誰かが言う。

 

 高すぎる。

 重すぎる。

 甘やかしだ。

 自立を阻害する。

 

 なら、そのたびに数字を出す。

 

 消えなかった数。

 戻れた数。

 再び出られた数。

 壊れずに済んだ数。

 

 そして、青い灯りを増やす。

 

 帰ってこられる道を、街の中に刻む。

 

 ──メインクーンの俺が、“戻る道の値段”ごと、この社会に払わせてやる。

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