転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
制度は線を引く。
ここまでが内側。
ここからが外側。
戻れる。
戻れない。
扱える。
扱えない。
救える。
救えない。
──そして、必ず残る。
線の外にいるものが。
朝。
ステイ区画の詰所に、珍しい来訪者があった。
狐でもない。
議会でもない。
民間施設でもない。
単独の依頼者。
ドアの前に立っていたのは、小柄な草食獣──テンレック。
全身の針毛がわずかに逆立っている。
極度の緊張状態。
ハルが最初に気づいた。
「どうしたの?」
テンレックは言葉を詰まらせながら言った。
「……助けて、ほしいです」
その一言で、空気が変わった。
レゴシが静かに距離を取る。
威圧にならないように。
黒狼は入口の外へ移動する。
逃げ道を塞がない位置に。
イオリは端末を開き、最低限の記録を開始。
俺は一歩だけ前に出た。
「名前」
「……ミロ」
「何があった」
ミロは何度か口を開きかけて、やっと言った。
「妹が……戻れなくて」
◇
話は単純だった。
妹──名前はリィ。
小型の草食獣。
南部の民間支援施設を経由して外へ出た。
数日後、一度だけ連絡があった。
“仕事はある。でも、戻れない”
それが最後。
その後、連絡は途絶えた。
ミロは民間施設へ問い合わせた。
答えは──
“自立済みとして処理されています”
つまり、消えた。
数字の上では成功。
現実では不明。
ハルが、静かに言った。
「……どこに行ったかは?」
「分かりません」
ミロの声は震えている。
「でも、戻れないって言ってて……」
レゴシが低く聞く。
「帰り道、知ってたのか?」
「……多分、知らなかったと思います」
それで十分だ。
戻る道を知らない個体は、戻れない。
当たり前の話だが、それを前提にしていない支援が多すぎる。
「対象施設は」
イオリがすぐに答える。
「セカンド・ラン系列の別拠点です」
あそこか。
完全な偽物ではない。
だが、戻り導線が弱い。
そして、今は認証外。
つまり、線の外だ。
◇
ルイが冷静に言う。
「制度上、直接介入は難しいな」
「認証外だからか」
「そうだ。現時点では監査権限が及ばない」
ハルが苛立つ。
「でも、このままだと消えるよ」
「分かってる」
レゴシが俺を見る。
「どうする」
答えは決まっている。
「探す」
「制度は?」
「後で追いつかせる」
ルイが小さく息を吐いた。
「強引だな」
「いつも通りだ」
イオリが淡々と言う。
「今回は“前圏観測”として扱います」
「線の外でも観測はできる」
「そうだ」
黒狼が笑った。
「結局、やることは同じか」
「そうだ」
◇
南部外圏。
青い灯りの範囲外。
戻る道の“外側”。
ここは、まだ制度が届いていない。
いや、届かせていないとも言える。
なぜならコストが高いから。
危険だから。
責任が重いから。
だから線を引いた。
その線の外に、リィはいる。
「位置は?」
イオリが端末を見ながら答える。
「最後の通信は、旧搬送路北支線付近」
「例の地下か」
「可能性が高いです」
黒狼が舌打ちする。
「嫌な場所だな」
レゴシが静かに言う。
「でも、戻れないって言ったなら……」
「ああ」
俺は答える。
「戻る道がない場所にいる」
◇
地下搬送路。
以前押さえた中継所とは別の支線。
空気は湿っている。
足音が響く。
レゴシの耳がわずかに動く。
「音がする」
「どっちだ」
「右」
進む。
やがて、小さな作業スペースが見えた。
灯りは弱い。
そこに、数体の獣がいた。
肉食二体。
草食三体。
そして、その中に。
小さなテンレック。
リィだ。
だが──
様子がおかしい。
動きが遅い。
目がぼんやりしている。
薬か。
レゴシが一歩踏み出そうとする。
「待て」
俺は止めた。
周囲を見ろ。
出口は一つ。
通路は狭い。
無理に入れば、草食を巻き込む。
「どうする」
黒狼が低く聞く。
「分断する」
イオリが即座に補足する。
「照明を落とします。三秒」
「やれ」
灯りが落ちる。
闇。
その三秒で動く。
俺は右。
レゴシは中央。
黒狼は左。
音だけを頼りに距離を詰める。
肉食が反応する。
「何だ!?」
遅い。
顎。
膝。
壁。
黒狼が一体を押さえ込む。
レゴシはリィの前に入る。
「大丈夫だ」
リィは反応が遅れる。
目が焦点を結ばない。
やはり薬。
もう一体の肉食が突っ込んでくる。
俺が横から叩き落とす。
短時間で制圧完了。
灯りが戻る。
草食三体は壁際で固まっていた。
リィは座り込んでいる。
「……お兄ちゃん」
小さな声。
遅れて、認識が戻る。
ミロが連れてきた写真と一致。
間違いない。
レゴシがゆっくり言う。
「迎えに来た」
リィは、ぼんやりとしたまま聞く。
「戻れるの?」
「戻れる」
俺が言った。
「道を作った」
リィの目が、少しだけ揺れる。
「……知らなかった」
「今知ればいい」
リィは、しばらく何も言わなかった。
そして、小さく頷いた。
「戻る」
◇
問題は、その場で終わらなかった。
拘束した肉食の一体が、笑った。
「意味ねえよ」
黒狼が睨む。
「何がだ」
「戻してどうすんだ」
肉食は言う。
「外に出たやつを、いちいち拾ってたらキリがねえ」
正論だ。
だからこそ、制度は線を引いた。
全ては拾えない。
だが。
「だから拾う範囲を決めた」
俺は答える。
「それでも外は残る」
「そうだ」
「じゃあ意味ねえ」
肉食は笑う。
「線の外は、結局同じだ」
黒狼が拳を握る。
レゴシが止めた。
「待て」
俺はその肉食を見た。
「お前は何だ」
「は?」
「施設か」
「違う」
「個人か」
「そうだ」
「なら、ここで終わりだ」
肉食は意味が分からない顔をした。
「どういう意味だ」
「お前は制度じゃない」
俺は言った。
「だから、潰せば終わる」
短い沈黙。
そして、黒狼が動いた。
◇
帰路。
リィはレゴシに支えられて歩いていた。
足取りは不安定。
だが、進んでいる。
途中、青い灯りが見えた。
“帰り道の灯り”。
リィがそれを見て、小さく言った。
「……これ、何?」
ハルがいれば答えただろう。
代わりにレゴシが言った。
「戻っていい場所の印だ」
リィは少しだけ考えた。
「最初から、あればよかった」
「これから増える」
俺が言う。
リィは小さく頷いた。
◇
ステイ区画。
ミロは門の前で待っていた。
リィを見た瞬間、駆け寄る。
「リィ!」
リィは少し遅れて、顔を上げた。
「……お兄ちゃん」
二体は抱き合った。
ハルが静かに目を逸らす。
レゴシも何も言わない。
黒狼は壁にもたれ、目を閉じる。
イオリは記録を止めた。
こういう場面は、数字にしない。
必要なものもある。
残さない方がいいものもある。
◇
詰所に戻り、俺は記録を書く。
対象:リィ(テンレック)
状態:薬物影響下・認識遅延
帰還:成功
外部接続:不適合
帰還妨害:あり(軽度)
再崩壊:未確認
そして、最後に一行。
線外回収。
新しい分類だ。
線の外から拾った個体。
制度の外にいたもの。
これをどう扱うか。
ルイが言った。
「これが増えると、制度が崩れる」
「分かってる」
「線を守るか、外を拾うか」
ハルが小さく言う。
「どっちもやるんでしょ」
「そうだ」
「無茶だね」
「いつものことだ」
レゴシが静かに言う。
「でも、やらないと……」
「消える」
カナンが続けた。
ライカも小さく頷く。
黒狼が笑う。
「結局そこか」
◇
夜。
屋上。
街の灯りの外側。
暗い部分が、まだ広がっている。
青い灯りは、そこまで届いていない。
イオリが隣に立つ。
「線外回収を制度に組み込みますか」
「まだ無理だ」
「コストが跳ね上がります」
「そうだ」
しばらく沈黙。
「ですが」
イオリが続ける。
「今日の事例は、無視できません」
「分かってる」
線の外にいるもの。
そこを切り捨てれば、制度は軽くなる。
だが、その分だけ“消える数”が増える。
ならどうする。
答えはまだない。
だが、やることは決まっている。
まずは記録する。
分類する。
積み上げる。
そして、いつか制度に押し込む。
無理やりでも。
──メインクーンの俺が、“線の外にいるもの”ごと、この世界の中へ引きずり込んでやる。