転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
すべては拾えない。
それは最初から分かっている。
どれだけ制度を整えても、どれだけ灯りを増やしても、どれだけ戻る道を広げても──
必ず、手から零れるものがある。
問題は、その零れたものをどう扱うかだ。
見なかったことにするのか。
仕方ないと切り捨てるのか。
それとも、無理を承知で拾い続けるのか。
どれも正しい。
どれも間違っている。
だから選び続けるしかない。
◇
朝。
ステイ区画の詰所には、いつもより静かな緊張があった。
理由は一つ。
線外回収が二件、同時に上がった。
イオリが端末を操作しながら報告する。
「南部外圏、西側廃倉庫群。草食獣一体、肉食獣二体の目撃情報」
「もう一件」
「中圏外、旧鉄道跡。小型肉食複数、状態不明」
ルイが眉を寄せる。
「同時か……」
「偶然じゃないな」
俺は答える。
黒狼が壁にもたれながら言う。
「“戻る道”が広がったからだろ」
その通りだ。
灯りが増えた。
帰還が認知された。
戻れる可能性が見えた。
だから、線の外にいた個体が動き出した。
──こちらへ。
ハルが小さく言う。
「いいこと……だよね」
「いいことだ」
俺は答える。
「だが、同時に危険だ」
レゴシが頷く。
「拾いきれない」
「そうだ」
カナンが少し強く言った。
「じゃあ、どうするんですか」
ライカも不安そうにこちらを見る。
いい。
その不安は必要だ。
現実を見ている。
「優先順位をつける」
俺は言った。
「切るんですか」
カナンの声が揺れる。
「切る」
即答。
空気が少し重くなる。
ハルが俺を見る。
だが止めない。
理解している。
「だが、見てから切る」
俺は続ける。
「見ずに切るのと、見て切るのは違う」
イオリが静かに補足する。
「観測を優先し、回収可能性と危険度で分類します」
ルイが言う。
「今回は二班に分けるしかないな」
「そうだ」
レゴシが一歩前に出る。
「俺は西側に行く」
黒狼が笑う。
「じゃあ俺もそっちだな」
ハルがすぐに言う。
「レゴシ、無茶しないで」
「しない」
少しだけ間。
「……戻る」
ハルは小さく頷いた。
「うん」
短い。
だが、それで十分だった。
◇
西側廃倉庫群。
古びた建物が並ぶ、半ば放棄された区域。
青い灯りはまだ少ない。
ここも、線の外だ。
「匂いがある」
黒狼が低く言う。
「新しいな」
レゴシが耳を動かす。
「音も」
進む。
倉庫の奥。
そこにいたのは、予想通りの構図だった。
草食一体。
肉食二体。
だが、少し違う。
肉食が草食を囲んでいるのではない。
三体とも、同じ方向を見ていた。
こちらではない。
倉庫の奥。
さらに暗い場所。
そこに、何かがいる。
「……何だ」
黒狼が呟く。
次の瞬間。
影が動いた。
速い。
肉食の一体が弾き飛ばされる。
壁に叩きつけられ、動かなくなる。
レゴシが即座に前に出る。
「止まれ!」
影が止まる。
暗がりの中から現れたのは──
大型の肉食獣。
種族は……ヒョウ。
だが、状態がおかしい。
目が濁っている。
呼吸が荒い。
明らかに制御が効いていない。
黒狼が舌打ちする。
「やべえな、これ」
ヒョウは低く唸った。
草食と肉食、区別していない。
ただ、“動くもの”を見ている。
レゴシが一歩前に出る。
「落ち着け」
無意味だ。
だが、それでも言う。
ヒョウが飛び込んでくる。
速い。
レゴシが受ける。
重い。
完全に本能側へ傾いている。
「黒狼!」
「分かってる!」
黒狼が横から入る。
だが押し返される。
力が違う。
俺は距離を詰める。
関節。
重心。
だが──
止まらない。
理性がほぼ残っていない。
この状態で止めるなら。
選択肢は一つだ。
「……やるか」
黒狼が低く言う。
レゴシが叫ぶ。
「待て!」
その一瞬の隙で、ヒョウが再び飛びかかる。
レゴシが踏み込み、受け止める。
押される。
だが、離さない。
「まだ……戻れる!」
無理だ。
そう判断しかけた、その時。
ヒョウの動きが、ほんの一瞬だけ鈍った。
何かを見た。
草食の一体──小さなウサギ。
震えている。
だが、逃げていない。
その目を見て、ヒョウの瞳が揺れた。
ほんの一瞬。
それで十分だった。
俺は顎を打ち、黒狼が脚を払う。
レゴシが体重をかけて押さえ込む。
ヒョウが崩れた。
意識はまだある。
だが、動けない。
荒い呼吸。
そして、低い声。
「……戻れるのか」
レゴシが息を切らしながら答える。
「戻れる」
ヒョウはしばらく黙り、それから目を閉じた。
「……遅えよ」
その言葉は、誰に向けたものか分からなかった。
◇
結果。
西側案件は、四体回収。
だが、そのうち一体──ヒョウは重度。
通常のステイ区画では扱えない可能性が高い。
つまり。
線の内側でも、扱えない個体。
これが出た。
◇
同時刻。
旧鉄道跡。
イオリとルイが担当した案件は、別の意味で厄介だった。
そこにいたのは、小型肉食の集団。
群れではない。
寄り集まり。
互いに干渉せず、ただ同じ場所にいる。
そして──
戻る意思がない。
イオリの報告。
「外部接続拒否。保護拒否。帰還導線の説明にも反応なし」
ルイが言う。
「つまり?」
「選ばない個体です」
選ばない。
戻らない。
進まない。
ただ、そこにいる。
これもまた、線の外。
◇
夜。
ステイ区画。
詰所に、両方の報告が揃った。
空気が重い。
ハルが小さく言う。
「……増えてるね」
「増える」
俺は答える。
「灯りを増やせば、外も動く」
カナンが拳を握る。
「全部は拾えないんですよね」
「拾えない」
「じゃあ……」
言葉が続かない。
ライカがぽつりと言った。
「でも、見た」
全員がそちらを見る。
「ヒョウの人、戻れるって聞いた」
「……ああ」
「それ、前はなかった」
静かな言葉。
だが、核心だ。
前はなかった。
戻る道も。
灯りも。
選択肢も。
今はある。
全部は拾えない。
だが、“拾えるもの”は確実に増えている。
ハルが小さく頷く。
「それでいいと思う」
レゴシが言う。
「俺も」
黒狼が笑う。
「全部やろうとして潰れるよりマシだ」
ルイが静かに言う。
「問題は、その“拾えないもの”をどう扱うかだ」
その通りだ。
ヒョウのように重すぎる個体。
鉄道跡のように、選ばない個体。
制度の外。
制度の内でも扱えないもの。
これをどうする。
◇
俺はホワイトボードに書いた。
線内。
線外。
その下に、新しく線を引く。
緩衝帯。
ハルが眉を上げる。
「何それ」
「中でも外でもない場所だ」
「そんなの作れるの?」
「作る」
イオリがすぐに理解した。
「高負荷個体の一時隔離・観測・減圧施設」
「そうだ」
ルイが言う。
「コストが跳ねるぞ」
「分かってる」
「場所は?」
黒狼が口を開く。
「地下だろ」
全員がそちらを見る。
「搬送路の使われてない支線、まだある」
「危険だぞ」
「だからいい」
黒狼は肩をすくめた。
「外よりマシで、内ほど厳しくない場所」
「ちょうどいいだろ」
……悪くない。
ハルがぽつりと言う。
「それ、“帰り道の途中”って感じだね」
レゴシが頷く。
「うん」
俺は決めた。
「やる」
◇
こうして、新しい構想が生まれた。
緩衝帯。
線の内でも外でもない場所。
重すぎる個体を、一度受け止める場所。
選ばない個体を、放置せず観測する場所。
戻る道の、さらに手前。
そして──
戻るかどうかすら、決めなくていい場所。
当然、反発は来る。
コスト。
危険。
責任。
全部乗る。
だが、それでも。
拾いきれないものの重さを、少しでも減らすなら。
やる価値はある。
◇
夜。
屋上。
街の灯りの外側を見ながら、俺は呟いた。
「次は、間を作る」
イオリが静かに言う。
「難易度は上がります」
「知ってる」
「それでも?」
「それでもだ」
少し間。
「拾いきれないなら、落ちる場所を作る」
イオリは、わずかに頷いた。
「了解しました」
◇
全部は拾えない。
だから、落ちる先を用意する。
それが優しさかどうかは分からない。
だが、消えるよりはいい。
──メインクーンの俺が、“拾いきれないものの重さ”ごと、この世界に受け止めさせてやる。