転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
“途中”は、場所ではない。
状態だ。
戻りたいわけではない。
外にいたいわけでもない。
内側のルールには耐えられない。
けれど、外側の雑音にも潰される。
そういう獣が、一時的に呼吸できる隙間。
それが“途中”だった。
だからこそ──
そこに長くいると、獣は自分がどこに向かっているのか分からなくなる。
緩衝帯、通称“途中”。
旧搬送路北支線に作ったその場所は、運用開始から三日で性質を変え始めていた。
最初はただの減圧区だった。
灯り。
水。
食料。
最低限の観測。
出入り自由。
それだけ。
だが、そこに二体が滞在し始めると、空気が変わる。
ヒョウ──名前はバルド。
暴走寸前で回収された大型肉食。
フェレット──まだ名前を名乗らない小型肉食。
この二体が、何もしないままそこにいる。
その“何もしない”が、最初の問題だった。
◇
朝。
黒狼が見回りから戻ってくるなり言った。
「バルドが動かねえ」
「暴れてないならいい」
「そうじゃねえ」
黒狼は眉を寄せる。
「座ったまま、ずっと出口見てる」
レゴシが反応する。
「出たいのか?」
「多分な。でも出ない」
ハルが小さく言う。
「出ていいって言われてるのに?」
「ああ」
出ていい場所で、出られない。
よくある。
自由は、選択肢として渡せば済むものではない。
使い方を忘れた個体には、自由そのものが重い。
「見に行く」
俺は立ち上がった。
◇
“途中”。
地下支線の空気は冷たい。
だが、以前のような死んだ暗さはない。
青い灯りが一定間隔で置かれ、床には簡易マットと水の容器。
奥に観測端末。
壁には大きく書かれた文。
出てもいい。
戻ってもいい。
止まってもいい。
ハルの案だ。
バルドは、その灯りの下に座っていた。
大きな体を丸めるようにして、出口を見ている。
「出たいのか」
俺が聞くと、バルドは低く答えた。
「分からねえ」
「なら何を見てる」
「出口」
「出ればいい」
「……出たら、戻れなくなる気がする」
なるほど。
戻る道があると分かっていても、身体が信じていない。
レゴシが静かに言う。
「俺、一緒に行こうか」
バルドの目が少し動く。
「狼が?」
「うん」
「俺が暴れたら?」
「止める」
「止められるのか」
「多分」
黒狼が横から言う。
「そこは言い切れよ」
レゴシは少し困った顔をする。
「止める」
バルドはしばらく黙っていた。
やがて、少しだけ立ち上がる。
一歩。
出口へ。
止まる。
呼吸が荒くなる。
「……無理だ」
「戻れ」
俺は即答した。
バルドは一瞬だけ驚いた顔をする。
「いいのか」
「今日は一歩で十分だ」
ハルが後ろで小さく頷く。
「うん。一歩はでかいよ」
バルドは何も言わず、元の場所へ戻った。
だが、さっきとは違う。
出口を見ているだけの獣ではなく、一歩だけ出口に触れた獣になった。
それでいい。
◇
一方、フェレットは別の問題を抱えていた。
名前を言わない。
食事は取る。
水も飲む。
暴れない。
逃げない。
だが、こちらの問いにほとんど反応しない。
ノエルが見て、短く言った。
「動きが薄い」
「薄い?」
ハルが聞く。
「いるけど、関わってない」
いい表現だ。
フェレットは、途中に“棲んで”いる。
だが、途中へ“関わって”はいない。
これは危険だ。
緩衝帯は、止まる場所ではある。
だが、完全に沈む場所ではない。
放っておけば、そこに根を下ろす。
根を下ろせば、もう動かない。
「役割を渡す」
俺は言った。
ハルが少し警戒する。
「また見る側?」
「違う」
「じゃあ何」
「灯り係」
◇
フェレットの前に、小さな予備ランプを置く。
「これを見ろ」
フェレットは反応しない。
「消えたら、こっちに替えろ」
沈黙。
「できるか」
数秒。
フェレットの耳がわずかに動いた。
「……消えたら?」
初めて声が出た。
「替える」
「替えなかったら?」
「暗くなる」
フェレットはランプを見た。
「……暗いのは嫌だ」
「なら替えろ」
フェレットは、ゆっくり頷いた。
それだけ。
だが、それだけでいい。
観測でもない。
戦闘でもない。
ケアでもない。
ただ、灯りを絶やさない役割。
途中には、それくらいが必要だった。
◇
詰所に戻ると、ルイが待っていた。
「議会から追加質問だ」
「何だ」
「緩衝帯は、支援なのか、隔離なのか」
当然の問いだ。
ハルがため息をつく。
「どっちでもないって言っても、納得しないよね」
「しない」
イオリが資料を出す。
「公式には、“高負荷個体一時減圧区域”と定義するのが妥当です」
「長い」
「必要なので」
レゴシが少し考えながら言う。
「でも、隔離って言われるのは嫌だな」
「なぜ」
「閉じ込めてるわけじゃないから」
「そうだ」
俺は頷いた。
「だから、出入り記録を公開する」
ルイが目を細める。
「透明化か」
「そうだ」
「危険だぞ。出入り自由を批判される」
「閉じ込めてると言われるよりマシだ」
イオリが頷く。
「出入り自由、滞在時間、介入回数、暴走件数。これを出せば、隔離施設ではないと示せます」
ハルが言う。
「バルドの“一歩出た”も記録する?」
「する」
「それ、成果?」
「成果だ」
バルドが外へ出て一歩で戻った。
普通の数字なら何でもない。
だが、ここでは成果だ。
途中では、一歩が数字になる。
◇
夜。
“途中”に、三体目が来た。
自分からだった。
種族はカラス。
黒い羽毛。
片目に傷。
青い灯りをたどってきたらしい。
入口で止まり、こう言った。
「ここ、止まっていい場所だろ」
黒狼が答える。
「そうだ」
「入っていいか」
「入ればいい」
カラスは中に入った。
名をクロウと名乗った。
そのままだな、とハルが小声で言い、レゴシが少し困った顔をした。
クロウは情報を持っていた。
「外で、ここを“沈み場”って呼んでるやつらがいる」
「沈み場?」
「ああ」
クロウは壁にもたれた。
「戻れないやつが沈む場所」
グレイか。
あるいは、その周辺か。
名前を変えることで意味を汚す。
緩衝帯。
途中。
沈み場。
同じ場所でも、呼び方で印象が変わる。
「誰が言っている」
「南部の連中」
「目的は」
「さあな」
クロウは笑った。
「でも、ここに来るやつを増やしたいんじゃねえか」
……なるほど。
“途中”を溜まり場にするつもりか。
拾いきれない個体を送り込み、緩衝帯を過負荷にする。
潰れれば、やはり重すぎる基準は現実的ではない、と言える。
「来たな」
俺は言った。
ルイが頷く。
「過負荷攻撃だ」
ハルが嫌そうに顔をしかめる。
「ほんと、嫌なこと考えるね」
「効果的だからな」
レゴシが低く言う。
「どうする」
俺は答えた。
「上限を決める」
沈黙。
カナンが緊張した顔をする。
「……また、切るんですか」
「そうだ」
ハルは口を挟まない。
もう分かっている。
場所を守るためには、入れない判断も必要だ。
「ただし、今回は入口で切らない」
俺は続ける。
「待機線を作る」
イオリが理解する。
「緩衝帯前の滞留管理ですね」
「そうだ」
ハルが頭を抱える。
「また層が増える……」
「増やさなきゃ壊れる」
「知ってるけど」
◇
翌日。
“途中”の入口前に、新しい小さなスペースを作った。
待機線。
そこには灯りは少ない。
水も最低限。
だが、完全な外ではない。
ここで、入れるかどうかを測る。
バルドは中。
フェレットは灯り係。
クロウは情報提供者として一時滞在。
上限は五体。
それ以上は入れない。
厳しい。
だが必要だ。
◇
その日の夕方、実際に六体が来た。
情報は正しかった。
“沈み場”と呼ばれたことで、線の外の個体が集まり始めている。
待機線で、俺たちは一体ずつ見た。
入れる。
待機。
外。
その判断を繰り返す。
四体目までは入れた。
五体目は待機。
六体目。
若い肉食獣。
目が完全に開いていない。
だが、腕には新しい傷。
他害の可能性が高い。
「入れない」
俺は言った。
レゴシが顔を歪める。
「外に戻すのか」
「待機線にも置けない」
「じゃあ」
「安全管理局へ回す」
若い肉食は笑った。
「結局、檻か」
俺は答えた。
「今のお前は、ここでは扱えない」
「見捨てるんだな」
「違う」
少し間を置く。
「扱える場所へ回す」
若い肉食は笑い続けた。
だが、その笑いは震えていた。
レゴシは何か言いたそうだったが、飲み込んだ。
黒狼が後で言った。
「よく耐えたな」
レゴシは苦く笑った。
「耐えたくなかった」
「でも耐えた」
「……うん」
◇
夜。
緩衝帯の記録。
入所三体。
待機一体。
外部回送一体。
拒否一体。
拒否。
嫌な言葉だ。
だが記録する。
記録しなければ、拒否したものは消える。
消えれば、こちらも偽物と同じになる。
ハルが記録を見て、静かに言った。
「拒否って書くの、きついね」
「きつい」
「でも、書くんだ」
「ああ」
ハルは少しだけ頷いた。
「じゃあ、拒否した理由も書こう」
「書く」
「よかった」
◇
屋上。
青い灯りが、少しずつ増えている。
その外側に、まだ暗闇がある。
そして、途中には小さな光。
だが、その光に獣が集まり始めている。
集まれば、濁る。
濁れば、沈む。
だから流れを作る。
途中もまた、流さなければならない。
イオリが隣で言う。
「緩衝帯は定着し始めています」
「同時に狙われ始めた」
「ええ」
「なら、次は出口だ」
「緩衝帯から、どこへ出すか」
「そうだ」
途中に入れるだけでは足りない。
そこから内へ。
あるいは外へ。
あるいは別の場所へ。
流す必要がある。
“途中”に棲ませてはいけない。
俺は街を見下ろす。
「次は、途中の出口を作る」
イオリが静かに頷いた。
「了解しました」
◇
途中は生まれた。
だが、そこに棲まわせてはいけない。
途中は、途中であるから意味がある。
──メインクーンの俺が、“途中に棲むもの”まで流れの中へ戻してやる。