転生したらメインクーンだった俺が、獣社会の“歪み”を踏み潰す話 作:微糖コーヒー
いなくなる準備には、段階がある。
手を離す。
口を出さない。
決めない。
そして最後に──
存在しない前提で回るかを見る。
朝。
詰所の扉を開ける前に、俺は止まった。
中の気配を、感じる。
声。
足音。
紙の擦れる音。
いつも通りだ。
だが、その“いつも通り”の中に、もう俺はいない。
──そういう前提で動いている。
扉を開ける。
誰もこちらを見ない。
違う。
見えている。
だが、“見る必要がない”と判断している。
それでいい。
黒狼が机に足を乗せたまま言う。
「巡回、南ルート増やした」
レゴシが地図を指す。
「こっちの導線、少し詰まってる」
カナンが記録を見ながら言う。
「昨日の衝突、原因は水場の配置です」
ライカが補足する。
「補充頻度を上げれば解決できます」
イオリが全体をまとめる。
「では、配置変更と巡回強化で対応します」
誰も俺に確認しない。
誰も俺に委ねない。
その判断が、その場で決まる。
流れが止まらない。
いい。
それでいい。
俺は何も言わず、端に座る。
ただ観測する。
午前。
最初の試験。
意図的に仕込まれた“複合例外”。
イオリが準備した。
外の途中と自由滞在区の境界で、
・水不足
・個体密集
・軽度衝突
・新規流入
これらが同時に発生するようにする。
普通なら──
判断が割れる。
優先順位がぶれる。
処理が遅れる。
だが。
現場。
レゴシが言う。
「まず分離」
黒狼が動く。
物理的に距離を取る。
カナンが言う。
「水は一時的に分配制御」
ライカがすぐに補充ルートを確保。
新規流入は──
イオリが遠隔で誘導。
導線を分ける。
衝突は拡大しない。
水不足は解消される。
流入は分散される。
数分。
それだけで収まる。
俺は、何もしていない。
イオリが言う。
「第一試験、完了」
ルイが静かに頷く。
「問題なしだな」
ハルはいない。
だが、その役割も、誰かが担っている。
昼。
第二試験。
これはより厄介だ。
判断が割れる案件。
自由滞在区の一体。
長期滞在。
役割拒否。
だが、暴力はない。
どうするか。
残すか。
動かすか。
外へ出すか。
カナンが言う。
「……動かすべきだと思います」
ライカが言う。
「でも、強制になるかもしれない」
レゴシが考える。
黒狼は何も言わない。
沈黙。
その沈黙が、重要だ。
数秒。
レゴシが言う。
「同行選択にする」
「一回だけ」
「選ばなければ、そのままにする」
カナンが頷く。
ライカも納得する。
判断がまとまる。
誰も“正解”を知らない。
だが──
全員が納得できるラインに収束する。
これだ。
これが“構造の完成”だ。
結果。
対象個体は、途中を選ぶ。
成功。
夕方。
第三試験。
最後。
最も重要なもの。
完全な不在。
俺は詰所を出る。
誰にも言わない。
どこへ行くかも。
屋上。
そこから全体を俯瞰する。
通信も切る。
観測だけ。
ここからは──
完全に俺抜き。
時間が流れる。
一時間。
二時間。
何も起きない。
そして──
起きる。
外の途中。
中規模衝突。
複数個体。
原因不明。
いつもなら俺が出る案件。
だが、出ない。
現場。
レゴシが即座に介入。
黒狼が横から制圧。
カナンとライカが分離誘導。
イオリが導線再配置。
処理される。
速い。
迷いはある。
だが──
止まらない。
数分後。
完全に収束。
俺は、何もしていない。
風が吹く。
屋上で一人、立っている。
その時。
気配。
振り返る。
グレイ。
相変わらずの距離。
相変わらずの笑み。
「消えたな」
短い一言。
「見てるだけだ」
俺は答える。
グレイは肩をすくめる。
「それが一番厄介だ」
少し沈黙。
グレイが言う。
「で、どうだ」
「回ってるか」
俺は街を見る。
灯り。
流れ。
そして、人の動き。
「回ってる」
グレイは少しだけ目を細めた。
「つまんねえな」
そう言いながらも、
その声には、どこか納得があった。
「終わりか」
「終わりだ」
短い会話。
だが、それで十分だった。
グレイは背を向ける。
「じゃあな」
止まる側として、残る。
俺は何も言わない。
夜。
詰所に戻る。
誰も驚かない。
誰も聞かない。
イオリが言う。
「最終試験、完了です」
ルイが言う。
「どうだ」
俺は答える。
「回る」
ハルはいない。
だが、その選択も含めて──
構造は成立している。
レゴシが小さく息を吐く。
「よかった」
黒狼が笑う。
「これでようやく、俺らの仕事だな」
カナンが言う。
「……任されるんですね」
ライカが頷く。
「はい」
それでいい。
屋上。
最後に、もう一度見る。
街。
流れ。
灯り。
境界。
全部、残っている。
俺がいなくても。
それでいい。
「終わりだ」
小さく呟く。
役割は終わる。
だが──
残るものがある。
選び方。
迷い方。
動き方。
それが残れば、十分だ。
──メインクーンの俺が、“消えても残るもの”ごと、この世界に刻み込んでやる。