World Replica: DRIVE   作:灰崎 快人

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お試しの作品です


仮想の風と、静寂を破る鼓動

フルダイブ型VR技術の結晶である次世代モータースポーツゲーム『World Replica: DRIVE(ワールド・レプリカ・ドライブ)』。

視界に広がるアスファルトの質感、頬を撫でる風の温度、そして鼻腔をくすぐる排気ガスの匂いに至るまで、現実と見紛うほどのクオリティがそこにはあった。

アクタイオン所属の「戌亥すばる」は、愛車である鮮やかなソニックブルーのスバル・インプレッサ 22B-STi Versionを駆り、夕暮れ時の公道セクションを流していた。ワイドフェンダーが特徴的なその名車は、彼女の穏やかながらも芯のある性格にどこか馴染んでいる。

「こんばんは、戌亥やで~。今日もやっていくよ。前回はストリートレースで3位に入って、かなり軍資金が懐に入ったから、これからインプをカスタムしていこうと思てるわ」

そんな関西弁で話しつつ22Bのステアリングを握り、3速・約2000rpm程で公道を走っていた。

配信と言うこともあり助手席にはタブレットが設置され、そこに視聴者のコメントが次々と流れていた。当然のことだが運転中によそ見運転をするわけにも行かない、タブレットを見るのは信号で停止中か休憩中に限られていた。

すばるが流しながら運転していると初心者マークが取り付けられているフルノーマルのAE86が後を付けていた、この世界で初心者マークはルーキーマークと言われており、この世界に来てまだ一週間も経っていない事を表していた。

「珍しいなぁ……初心者やとしても、どっかしら改造かドレスアップされててもええのにな。あえてのフルノーマル、ほんまにこの世界に来て1時間経ってへんかもしれへんな?」

すばるの真後ろを走っている86はしばらくして道沿いにある指定の整備ガレージへ、滑らかにしかし慎重に入って行った。興味を弾かれたすばるもまた、22Bのボクサーエンジンを響かせながらその後を追うようにガレージへと入ってった。

ガレージのシャッターが上がり、システム上の「セーフティエリア」特有の静けさが漂っていた。

すばるはタブレットを手に取りつつ隣のガレージから様子をうかがっていると、86の運転席からプレイヤーがゆっくりと降りてきていた。

「随分小さくて可愛らしい少年やなぁ、すごいモフモフのケモミミと尻尾持ってるから、私と一緒やん」

すばるの言葉通りAE86のドライバーは可愛らしい外見だった。

容姿は150㎝ほどの小柄であり、頭頂部からはふさふさとした大きな狼と思われる耳が突き出し、腰元からは立派な尻尾がゆらりと揺れている。服装は初心者らしくシンプルイズベストであり、パーカーにデニムといったラフなスタイルだった。

少年はやはりこの世界に来て1時間も経過していない様子であり、チュートリアルの真っ最中なのかメニュー画面を空中投影しながら作業を進めていた。今はどうやらドレスアップのチュートリアル中らしく、ホイールを選んでいる様子だった。

選択肢にはAE86のホイールと言えば!というラインナップであり、RSワタナベのエイトスポークやハヤシストリートの8本スポーク、ワーク・エクイップやスターシャークのホイールなども選択肢として上がっていた。

少年はおすすめであるRSワタナベのエイトスポークを選択しており、すばるのコメントでは「知ってた」というコメントで溢れかえっていた。

「こらこら、失礼なこと言わへんの。格好ええんねからええやん、無難な選択やとしてもその人が選んたんやから」

すばるの瞳が、すっと細められていた。

少年はドレスアップが無事完了すると嬉しそうに耳をぴこぴこと動かしており、彼女の視線はその耳に釘付けになっていた。

「触らせてくれへんかな……」

音もなく歩み寄るすばる。彼女の足音は他ガレージから聞こえる音やBGMにかき消されていた。少年の背後、その至近距離まで詰め寄ると、彼女は吸い寄せられるように指先を伸ばしていた。

「ひゃう!?」

少年の身体がびくんと跳ねる。

すばるの指先が狼の耳の付け根、一番柔らかい産毛の層へと深く沈み込んでいた。フルダイブ型ゆえに、少年には「他者に触れられる」という感覚が、電気信号を通じて鮮明に伝わってくる。

「凄い……想像以上にふわふわでモコモコしとる、ええ毛並みしとる」

「な、なんですか!?急に、後ろから……っ」

少年は顔を真っ赤にして、尻尾をピンと立てて振り返る。毛並みは逆立っているために警戒されているのは間違いなかった。

しかし振り返ってみれば、そこには大人の余裕を感じさせる微笑みを浮かべ、さらに指をわきわきとさせて「おかわり」を狙っている、アクタイオン所属のライバーが立っていた。

「ごめんな、あまりに立派な耳やったから。自分、この世界来て何時間?」

すばるは悪びれる様子もなく、それでいて優しく語りかける。

少年の背後では、磨き上げられたAE86と、凄みを利かせた22Bが並んでいる。最強のラリーベース車と、伝説のFRライトウェイトスポーツ。

「あ……はい、今日始めたばかりで。……でも、耳は、その、いきなり触られるのは弱いですから……」

俯き加減に抗議する狼の少年に、すばるは「よしよし」と、今度は頭を撫でるように手を伸ばした。夕暮れのガレージ。排熱で温まった空気の中で、初心者ドライバーとベテランライバーの、少しおかしな交流が加速していた。

ガレージ内に響くシステム音と、パチパチと冷えていくエンジンの金属音。すばるに耳を根元から揉み解され、完全に毒気を抜かれた少年は信頼して良いと思ったのか、真っ赤な顔のままようやく一息つくと、おずおずと自己紹介を始めていた。

「……白鷹鴉(はくたか からす)、って言います。あの、耳、もう満足しましたか……?」

年齢は19歳。幼さの残る顔立ちと150cmという小柄な体格からは中学生程度に見えるが、その声には落ち着いた青年らしさが混じっている。すばるが配信画面の向こうにいるリスナーたちへ「19歳やって、大人やん」と驚きの声を共有している間、鴉は少し照れくさそうに、この仮想世界へ足を踏み入れた経緯を語り出した。

「このゲームは、リアルの友達が『絶対楽しいから』って勧めてくれたんです。……あ、僕はその、プロを目指してるとか、誰かと競って一番になりたいとか、そういうのは全然なくて。ただ純粋に、この綺麗な景色の中を走るのが楽しくて始めたんです」

すばるが何気なく「学校とか行っとるん?」と尋ねると、彼は少し言い淀んでから「東京にあるレースアカデミーに所属しています」と答えた。その名を聞いた瞬間、コメント欄にはモータースポーツファンたちが反応し、どよめきが走る。そこは、実戦経験豊かなプロを輩出する国内屈指の名門校だったからだ。

しかし、鴉は慌てて首を振った。

「いえ! 選手候補じゃないんです。そこが運営してる『弟校』……一般教養クラスの生徒です。僕はあくまで、基礎を学びたいだけの一般人ですから」

「その友達と、ここで合流する約束をしとるん?」

すばるの問いに、鴉は露骨に尻尾を力なく垂らした。

「……はい。でも、その友達はすごく有名な……いわゆる『ランカー』で。僕は初心者だし、あんまり会いたくないっていうのが本音というか。住む世界が違う気がして……」

気になったリスナーから「友達のプレイヤー名、聞けないかな?」というコメントが流れるが、すばるそれとなく「そのお友達、なんてお名前なん?」と尋ねると、鴉の口から出たのは、このゲームの秩序を乱すことで知られる極悪非道なトップチームの中心メンバーの名だった。

 

コメント欄は一瞬で埋め尽くされた。

『えっ、あの狂犬チームの!?』

『鴉くん、あんな危ない連中に捕まったら一瞬で染められるぞ』

『すばるちゃん、今すぐ彼を拉致……いや、保護して!』

『「会わせない方針で連れまわせ」の指示が出ました』

 

すばるは小さく笑みを浮かべ、配信画面には映らない位置でリスナーたちの総意を汲み取った。

「なるほどなぁ……。鴉くん、せっかくやし、チュートリアルはうちが付き合ったげる。そのお友達とは、もうちょっと運転に慣れてからでもええんちゃう?」

「えっ、いいんですか!? すばるさんみたいな……その、速そうな人に教えてもらえるなら……!」

覚醒するリトラクタブル・ライト

鴉は嬉しそうに尻尾を左右に振りながら、AE86の運転席へと滑り込んだ。

フルノーマルの内装は、30年以上前の実車を忠実に再現した、無骨ながらも温かみのあるプラスチックと布の質感に満ちている。彼がメインスイッチを入れ、ライトのスイッチを捻った。

ガコッ。

重厚な作動音と共に、AE86の代名詞であるリトラクタブル・ヘッドライトが跳ね上がる。暗がり始めたガレージ内に、淡いハロゲン色の光が二条、真っ直ぐに伸びた。

「準備、できました」

フロントウィンドウ越しに見える鴉の表情は、先ほどまでの気弱なものから、どこか真剣な「ドライバー」の顔つきへと変わっていた。

「よし。ほな、まずは夜の峠を散歩しにいこか。ついてき」

すばるがタブレットを設置し、22Bのキーを回すとEJ22改エンジンが野太い咆哮を上げ、白光でガレージを照らし出した。22Bの鮮烈な青い背中を追って、パンダカラーの86がゆっくりと、しかし確かな足取りでガレージを後にする。バックミラー越しに見える、初心者マークを貼ったパンダトレノと、その運転席でぴこぴこと揺れる狼の耳。

極悪チームの影から守るため、そして純粋に走る喜びを教えるため。

スバルの名車とトヨタの伝説が、月明かりの下でテール・トゥ・ノーズの旅を始めた。

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