処女はお姉様に恋してる 季節外れの迷子(フェアリー)   作:パオパオ

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今話から新規の話が入ります。


第9話 七月上旬、休む私。

 ――トクン、トクン、トクン、トクン。

 

 白を基調とした小さな一室で、一組の男女が密接して女の心臓の鼓動を聞いている。時間の経過とともに、二人の耳に入る女の動悸は激しくなっていく。それを妨げるのは、微かな電子機器の動作音と遠い人の声だけだ。

 女は薄い紅色のシャツをたくし上げ、その下の黄色いチェックのブラまで外している。つまり、女のほんのり膨らんだ母性の象徴が外気に晒されていた。男の指が剥き出しの胸部に感触を伝え、女の頬は恥じらいで紅潮していた。

 電灯と窓から射し込む陽光が、男と女の姿を克明に照らしている。男は無言の女に何かを云おうと、その口を開いた。

 

「はい、OKです。これで診察は終わりですので、服を下ろして下さい。お疲れさまでした」

 

 聴診器を外した先生が云い終える前に、露出していた私の肌は既に隠されていた。いくら相手が医者とは云え、若い男の人に胸を見られるのは恥ずかしくて仕様が無かった。

 

「特に異常はありませんね。至って健康です。溺れて気を失っていたという話ですが、今のところどこにも後遺症は見られません。ご自分で何か不調などは感じられませんか?」

 

 年若い乙女の――それも女子高生というステータスまで付属した――肌を見たというのに、顔色一つ変えないで私に訊ねてくる先生。そりゃあ私の体が魅力に乏しいのも自覚しているし、相手は女の裸も見慣れているんだろうけど、それでも納得出来ないものがある。別に欲情して欲しいとまでは思っていないけど、無反応なのも乙女も尊厳が深く傷つけられる。

 

「いえ、どこにも問題は無さそうです。ありがとうございました、先生。多忙なところを、態々申し訳ありません」

 

「いえいえ、健康で結構です。水場での事故は万が一の事態に繋がりやすいですから、気を付けて下さいね? この季節は熱中症などの危険性も高まりますし」

 

「気を付けます。それでは、失礼致しました」

 

「ええ、お大事に」

 

 ガラガラと引き戸を開くと、次の患者の名前が看護婦さんによって大声で呼ばれた。今は看護士って云うんだったっけ? ……どっちでも良いか。

 待合室で暫く待ち、会計を済ませて病院を出る。燦々と輝く太陽の眩しさに、思わず眉をひそめる。

 

「暑……」

 

 ミンミン、ミンミンと喧しく騒いでいる蝉の声。吹き抜ける風が運ぶのは生温い空気。肌にまとわりつくような湿気を感じ、そのに立ち尽くしたまま夏を想う。

 

「……帰ろ。あー、学校行きたくない。夏なんて無くなってしまえ」

 

 誰に云った訳でも無い呟きが私の口からポツリと零れ出る。

 

「ふぅ……間に合うかな?」

 

 現在時刻、午前十時十三分。急げば三時貫目の開始には間に合いそうな時間だった。なまじそんな希望が生まれてしまうために、急がなければいけない気にさせられる。

 気怠い気分を入れ替えるように大きく息を吸い込むと、軽くむせた。空気の気持ち悪さが最悪だ。無駄に加速した不快感に苛立ちを募らせつつ、私は家路を走った。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 三コマ目の終わりを知らせる鐘の音が鳴って一分後、私は教室の後ろの戸を開いて足早に自分の席に向かった。こちらに向けられる心配や興味の視線を受け流し、無言で引いた椅子に腰かける。はぁ、と息を吐いた後、前に座る淡雪に声をかけた。

 

「お早う、淡雪」

 

「梓、お早う。今日は遅かったね?」

 

「んー、病院行ってた。昨日は休みだったから、朝一で行ってきたの。昨日プールで結構な量の水飲んだから、一応病院に行っておきなさいって先生にも云われてたしね。まあ、何も問題は無かった訳ですが」

 

「それは良かった……って云って良いんだよね?」

 

 こちらを少し窺うように聞いてくる淡雪に、私は笑って答える。もう体調は万全であると伝えるように。

 

「勿論ですとも。何か障害でも残ってたらヤバイけど、どこも問題ないって云われたからね。それに、序(つい)でで健康診断もやったんだけど、結果は健康体だってさ」

 

 そう云うと、淡雪はクエスチョンマークを浮かべるように首を傾げた。

 

「今朝やったんでしょ? 結果出るの早くない?」

 

「いや、お医者さまの見立てでは、って話。正確な結果はまた週末に取りに来てってさ」

 

「ああ、成る程ね。まあ、色々とお疲れさまでした、って感じかな?」

 

 苦笑する淡雪に、私も軽く笑いながら答える。

 

「云っちゃえば原因からして自業自得だからね。あんまり気にしてないんだよ」

 

「そういえば、ケイリもそんなことを云ってたっけ。私はその時見てなかったけど、潜水中に後続の一年生と頭をぶつけたって聞いたよ」

 

 淡雪の口から聞かされて、プールでの情景が蘇る。後頭部に走る衝撃、水を飲んだ息苦しさ、目眩が起きる程の吐き気。過ぎたこととは云え、思い出すだけでも不快感が込み上げてくる。

 

「あー……そんな状況だったんだ。混乱してて覚えてないや。辛かったことは思い出せるんだけど……って私、あの一年の娘(こ)に謝ってないかも」

 

「誰だっけ。えっと……そう、宮藤陽向って名前じゃない? 昨日の一件で悪い意味で名前が広がっちゃったよね、あの娘(こ)」

 

「確かそんな感じだったと思う……って、え? 噂にでもなっちゃった? そうだったら、少し申し訳ないかも」

 

 いくら水の中にしろ前方不注意だった彼女にも少しは過失があるだろうが、私にとってあれは私の自爆のようなものなのだ。前途ある一年の生徒に不名誉な称号を下手に付けさせたくはない。

 そして連鎖的に彼女とのやりとりを思い出し、地味に後悔した。いっぱいいっぱいだったとは云っても、少し礼を失した振る舞いだったかなと自省しなければならない。謝罪を無碍にして放置するなど、人として駄目じゃなかろうか。

 

「そういえば私、その一年の娘(こ)にかなり失礼な態度取ってた気がするんだけど」

 

「気になるんだったら、お昼休みにでも謝りに行ったら?」

 

「そうする。ありがとね」

 

 タイミング良く鳴った鐘の音を聞いて意識を切り替え、そそくさと授業の準備をしていった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 四コマ目の授業が終わり、昼休み。

 お弁当を携えて、私と淡雪は一年生の教室の前に立っていた。

 

「別に、保護者は要らなかったんだけど……」

 

「何の話? いや、私はただ梓とお昼一緒しようと思っただけだから。今日はうたちゃ――御前も用事があるって云ってたし」

 

「ふぅん。まあ、下級生とは云え、見知らぬ相手に一人で声をかけるのは心細かったから、ありがたいけどさ」

 

 若干ツンデレかな? と自分の吐いた台詞のことを思わないでも無い。か、勘違いしないでよね! なんて、少しどもりながら云えばもう完璧だろう。いや、凄くどうでもいいことだが。

 

「さて、えと、すみませーん! 宮藤陽向さんはいらっしゃいますかー? もし居たらこちらに来て――」

 

「ちょっと、梓!」

 

「え、何、ちょっと痛いって!」

 

 緊張も解れたので探している相手を呼ぼうと声を張ると、何故か淡雪に止められた。腕を抓るように引っ張られたため地味に痛い。

 

「いきなりどうしたのさ、淡雪」

 

「いや、直接呼んじゃ駄目で――って、梓は知らないのか」

 

「自己完結されても意味が解らないんだけど……」

 

 困惑する私に、淡雪は軽く笑いながら謝罪の言葉を口にする。

 

「えと、ごめん。梓は転入生だな、って改めて実感したの」

 

「それって、どういうこと?」

 

「うん。この学院では、他のクラスの生徒を呼ぶときは、『受付嬢』っていう生徒に呼んでもらうのが決まりなの。『受付嬢』のことは前に話したよね?」

 

「確か、前の扉に一番近い席の生徒のことでしょ? 後は……他のクラスの人への案内がどうとか云ってたよね。ああ、それがそういうことなのか」

 

「淑女たるもの、人に呼ばれて直接出向いてはいけません! ってことらしいけど」

 

「何というか、面倒だね。それぐらい良いじゃん」

 

「まあ、そんなことが積み重なってこの学院の伝統を形作ってる訳だから、それ位は慣れないと駄目だって」

 

 愚痴愚痴と文句を云う私に、苦笑する淡雪。そして、そんな私たちの様子を窺っている、周りに居る一年の女子達。その中でも、教室の中で『受付嬢』の座る席に居た娘(こ)が、恐る恐ると云った感じで話しかけてきた。

 

「あの……梓お姉さまと、淡雪お姉さまですよね? 私達のクラスに何がご用でしょうか」

 

「ああ、ごめんなさい。人を呼んで欲しいのですが」

 

 反射的に答えた淡雪に感謝しつつ、私は首を捻っていた。目の前にいる女生徒を見た覚えが無いのだ。うむむ、と小さく唸っていると、受付嬢らしき少女が私に声をかけてきた。

 

「梓お姉さま? どうかなされましたか?」

 

「んー、いや、ごめん。ちょっと気になったんだけど、私と貴女ってどこかで会ったことあるかな?」

 

「いえ、無いと思いますが……」

 

「梓さん?」

 

 疑問の目を向けてくる淡雪に、私は手を振って応える。

 

「単に、何で私の名前を知ってるのか気になっただけだってば」

 

「成る程ね。でも、受付嬢だったら不思議じゃ無いでしょ」

 

 納得した風の淡雪。しかし、受付嬢らしき少女の答えは少し違っていた。

 

「二年のお姉さま方の中でも、お二方の名前は有名な方でいらっしゃいますから」

 

「へ? どういうこと?」

 

「淡雪お姉さまは、その、金色の髪がとてもお目立ちになりますし、梓お姉さまは体育の授業でのご活躍は聞き及んでいますから。特に昨日の一件で、ここと隣のクラスは梓お姉さまのお顔を知らない生徒は数える程になりましたから」

 

「は?」

 

 間抜けな声を上げた私に、少女は簡単な説明をしてくれた。それでも返せたのは短い疑問の声だけだったけど。そんな私を見兼ねたのか、淡雪が元の話を進めた。

 

「……ともかく、人を呼んでもらっても構いませんか?」

 

「あ、はい。それで、どなたをお呼びすればよろしいでしょうか」

 

 一度振り返って教室内を見回してから、少女はこちらに問いかけた。それに答えたのは私だ。

 

「宮藤陽向さんをお願い出来るかな」

 

 そう云うと、受付嬢らしき少女はすまなそうに謝った。

 

「申し訳ありません。陽向さんは今席を離しております」

 

「それでは、どこに行ったかは解りますか?」

 

 続けて淡雪が訊ねると、少女は頷いた。

 

「はい、おそらくは学生食堂に居ると思います。先程、いつも通りに三年のお姉さまを迎えに行かれましたので」

 

「そうなんだ、ありがとうね」

 

「はい。それでは、失礼します」

 

 戻っていく少女を見送って、淡雪はポツリと呟いた。

 

「梓、もう少し言葉遣いとか気を付けようよ。下級生相手とは云え、少し粗雑だったよ」

 

「あー、ごめん。出来るだけ気を付ける」

 

 後頭部を軽く掻きながら、淡雪の呟きに反応する。淡雪やケイリに対する言葉遣いは、ここの初対面の生徒にするものでは無いだろう。

 

「まあ、時間も少なくなったし、早く学食行こうか」

 

「お昼食べてる時間あるかなぁ……」

 

 ぼやきながら、気持ち早歩きで学食へと向かった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「えっと、どこに居るかな……あ、居た。多分、あの娘(こ)がそうじゃない?」

 

 食堂に着いてすぐさま淡雪が指差した先には、二人の女生徒がテーブルに向かい合って談笑していた。大勢の女生徒が思い思いに喋っている食堂の喧噪の中でも、その二人の声は入り口まで微妙に聞こえてきていた。

 とりあえずその二人の座る席まで近付くと、忙しなく回っていた茶髪少女の口が丁度休まる。この機会を逃さぬように、私は急いで声をかけた。

 

「ごめんなさい、ちょっと時間を貰ってもいいかな」

 

「はい。何でしょ――」

 

 こちらへと見覚えのある顔を向けた茶髪の女生徒。予想通り、昨日私にぶつかった娘(こ)だ。非常に元気そうな第一印象を受ける。

 まどろっこしいのは嫌いなので早速本題に入ろうとしたが、茶髪っ娘の様子が変だった。持っていたフォークを取り落とし、その手は小刻みに震えていた。

 

 「ま、まさか、これが噂に聞く、お礼参りって奴ですか!? そ、そのですね、私もまだ覚悟が出来てるとは云い難いので、少しは加減してくれますとああいえ別に私がしでかしたことを有耶無耶にしようなどとは考えていませんからええと――」

 

 矢継ぎ早に言葉を重ねる茶髪っ娘を見兼ねたのか、隣に座っていた女性が助け船を出した。

 

「少し落ち着きなさい、陽向。そちらの二人は貴女が云う程険悪な様子は無さそうだから、一度リラックスしなさい」

 

「は、はい! 解りました、香織理お姉さま! えっと、ひっ、ひっ、ふー。ひっ、ひっ、ふー」

 

「……まあ、貴女がそれで落ち着けると云うなら、私に云えることは無いわね。存分におやりなさいな」

 

 明らかに狼狽した様子の茶髪っ娘に、ふわふわとした――視覚的な意味で、おさげの付いた髪の毛とか、少女とは到底呼べない豊満に過ぎる胸部とかが――大人っぽい雰囲気の女性が、呆れたような声をかける。

 ……ラマーズ呼吸法って、本当にリラックス出来ているのか甚だ疑問だ。大勢の女生徒が食事をしているここでそんな奇行をしている茶髪娘に、否応無しに視線が集まってくる。

 そんな周りの興味深げな視線が私にも向けられるのを、冷や汗が流れそうな背中でひしひしと感じる。ああもう、居心地が悪い。本来、食堂には疲れを感じる要素の欠片も無いだろうに。

 ……はあ、おかしいな。私はちょっと下級生の女子に謝ろうとしてここに来た筈なのに、何故こうも注目されているのだろうか。

 確実に唇の端が引きつっているだろうな、と他人事のように思いながら、私はこの奇特な状況の解決方法を必死に模索していた。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 結局、グダグダのノリが延々と続いてしまい、昼休み中に用件を済ませることは出来無かった。それどころか、食事をとる時間も無かったため、私と淡雪は次の短い休み時間中に急いで食べる羽目になった。特に私は朝食をマトモに食べていなかったので、五コマ目の授業は鳴き声を止まないお腹が憎くて仕様が無かった。

 一応、茶髪っ娘には今日の放課後に我がクラスへ出頭するよう脅しつけてきたので、問題を明日に持ち越すことはないだろうとは思う。首が千切れるんじゃないかと心配になる位ぶんぶんと振っていたので、忘れて帰ってしまうことはないだろう。

 

「はぁっ……! やっと終わったー」

 

「うん。お昼が食べられなかった分、五時間目の授業は長く感じたね。でも、梓は三限目からだからまだ良かったんじゃないの?」

 

 六コマ目の授業が終わって、クラスメイトの何人かが一斉に伸びをする。私や淡雪もその中に含まれていた。

 

「いや、朝健康診断してきた、って云ったじゃない? そのせいでさ、朝は殆ど何も食べてないのよ」

 

「え? 健康診断なのに朝食抜かないといけなかったの?」

 

 机の上から勉強用具を片付けながらも、淡雪は疑問に思って訊ねてくる。こちらに視線を向けてくる彼女から、私はそっと顔を逸らした。

 

「いやさ、ちょっと勘違いしてて……」

 

「ああ、成る程。自業自得な訳ね。何とも梓らしい感じがするボケね。すっごくしょうもないもの」

 

 そんな短い言葉だけで解ったらしく、淡雪は納得したようにうんうんと頷いていた。その顔には、呆れたような苦笑が浮かんでいた。

 頬の紅潮をそっぽを向いて隠しながら、私はせっせと掃除を始める準備を進めていった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「し、失礼します! あの、あ、梓お姉さまをお呼びして貰っても宜しいでしょうか?」

 

「ええ、解りました。梓さん、一年の娘(こ)がご指名ですよ」

 

「あ、はーい、今行きます」

 

 帰りのHRも終わり、淡雪が部活の方に行ってしまったのですることもなく、ぼぅっと空を見上げていると、ようやく私のお客さまが来たらしかった。

 突いていた肘を外し、おもむろに立ち上がる。くるりと体の向きを変えて、教室の入り口に独り立つ茶髪っ娘に視線を送る。かち合った視線は、相手に即座に逸らされた。

 ――嫌われたかな? そんなことを思いながら、つかつかと茶髪っ娘との距離を詰めていく。心なしか、その肩が震えているように見えるのは気のせいだろうか。気のせいだろう。

 

「お待たせしました……ええと、その、ありがとうございました」

 

「何に対しての感謝でしょうか、梓さん? ……もしかして、私の名前をご存じありませんか?」

 

「あはは、すみません……何分、交友関係も狭いもので。淡雪とケイリ以外では、体育で一緒になった三人ならどうにか名前を覚えているのですが」

 

 体育と云った瞬間に、茶髪っ娘の体が跳ねたような気がした。立ち位置の関係でそれが見えていない我がクラスの受付嬢|(らしき人)は、気づかぬまま話を続ける。

 

「いえ、こちらも自己紹介をしていませんので、お気になさらないで下さい……改めてまして、真鳥蓮芭(まとりはすば)と申します。宜しくお願いしますね」

 

「あ、はい、こちらこそ。連城梓です。宜しくお願いします」

 

 茶髪っ娘の目の前で、私達は互いに頭を下げ合っている。端から見ると、さぞかし奇妙な光景ではないだろうか。事実、教室の隅からヒソヒソと話し声が聞こえてきているし。

 

「……あら、申し訳ありません。私としたことが、梓さんのお客さまを差し置いて話し込んでしまいました。私はこれで帰宅しますので、後はお二人でどうぞごゆっくり」

 

 それは何か違わないかと思いつつも口には出さず、こちらに頭を下げて教室を出ていく蓮芭さんを見送った。そして残るのは、頭を掻く私と、恐る恐る私を上目遣いで見る茶髪っ娘。

 無意識に溜め息を吐きたくなったが、ぐっと堪えた。今そんなことをすれば、茶髪っ娘がより一層怯えかねない。苛立ちを吐き出して掻き乱すように頭を擦り、結果として茶髪っ娘を怯えさせることになった。

 

「あー……本当、そんな大した用事でも……いや、そんなこともないかな?」

 

「は、はい!」

 

 明らかに緊張している茶髪っ娘を見て、本当にどうしたものかと頭を悩ます。何気なく周りを見回して、教室に残る生徒達の注目を集めていることに気が付いた。

 ――ビクビク怯える下級生を呼び出した、不機嫌そうにする上級生。特別親しくもない生徒がその光景を目にしたら、一体どう思うだろうか?

 傍目から見ると、私が悪役にしか見えないだろう、これは。流石にクラス内で今以上に立場を悪くしたくはないんだけど。

 

「そう畏まって欲しくないんだけどね……そうだ、ここじゃ人目もあるし、ちょっとついてきてくれる?」

 

 名案を思いついたとばかりに提案すると、茶髪っ娘は何故か更に絶望したように顔色を青くした。とりあえず頷きはしたので、先導するために先に教室を出る。

 

「人気が少ない方が、貴女にとっても良いでしょう……?」

 

「そ、そうです、かね……? あは、ははは……」

 

 安心させるように声をかけるも、引き攣ったような笑みを浮かべられる。尻すぼみな声の茶髪っ娘をいよいよ不審に思いながらも、階段へ向けて廊下を歩いていくのだった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「良い風……まだ初夏だから陽射しもキツくないし、もう少し人も集まりそうなものだけど。いや、時間を考えれば暑すぎるのかしら?」

 

 予想通り鍵の開いていた屋上へ出て、地平線に沈む夕焼けを見ながら深呼吸。夏の湿った空気もここまでは届かず、吹く風の心地よさに思わず目を細める。

 

「あ、あのー、勝手に使っちゃって大丈夫なんでしょうか……?」

 

 私に続いて屋上へ出てきた茶髪っ娘が不安そうに訊ねてくるが、笑って返す。

 

「大丈夫だって。使用禁止なら鍵がかかってる筈だしさ。最近見つけたばかり何だけどさ、結構穴場なんだよ、此処。もし注意されたらその時はその時って事で」

 

「そ、そうなんですか」

 

 うーん。気を遣わせないように人気のない場所まで連れてきたのに、まだ緊張が抜けないか。そこまで自責の念が強いとは思ってなかった。

 失敗したかと内心で反省を終え、長く拘束するのも相手に悪いと思い本題に入る事にする。私とは違って、部活もあったかもしれないし。そっか、茶髪っ娘が遅れたのはその辺りの調整もあってかな?

 

「さて。今日呼び出しのは他でもない、先日のプールの件について、です」

 

「……はい!」

 

 どこか決意でもしたかのような茶髪っ娘の表情。そう言えば、謝ろうと思ってはいたが、何に対して謝るべきだろうか? 不味い、何も言葉を考えてなかった。

 

「んー、何て言うのかな」

 

「…………」

 

「この間は御免ね? 私のせいでちょっと悪目立ちさせちゃってさ」

 

「…………はい?」

 

 茶髪っ娘はぽかんとしたような顔をした。もしかして、改めて私に詰られるとか考えていたのだろうか。だとしたら、本当に申し訳なく思う。

 

「あれは私が悪いでしょう。泳いでいる人が多い中で潜水するとか、殆ど自業自得じゃない」

 

「え、いや、でも! 私が前方不注意だったから、その!」

 

「あー、もう謝罪とかいらないけど、取りあえずこれだけは言わせてね」

 

 混乱しきった様子の茶髪っ娘へと、真剣に頭を下げる。これだけは、競技射としての私のケジメなのだ。人の邪魔をしておいて、人に謝らせるなんて真似は、どうあっても許容出来るものではない。

 

「――貴女は悪くないから。迷惑かけて御免なさい」

 

「いえいえ、そんな! えっと、何て言いますか……」

 

 私が頭を下げている間に、茶髪っ娘の挙動不審も治まってきているらしい。バタバタと何かをしている音が止み、落ち着きを取り戻すためか咳払いが聞こえた。

 

「頭を上げて下さい、梓さま。そのですね、やはり私も悪かったと思っていますし、そこまで謝って頂くのは私が申し訳ないです。だから、その、此処は喧嘩両成敗という事で如何でしょうか!?」

 

 最後の言葉に思わず苦笑し、私はゆっくりと頭を上げる。

 

「何だか若干言葉が違うかな、とも思うけど。ニュアンスは伝わって来るからいいのかな? それじゃあ今回の件は、私達にとっては此処で終わり、でいいのね?」

 

「はい!」

 

 元気のいい返答に、苦笑ではない笑みが浮かぶのを自覚する。この娘結構好みかも、と浮かんだ思考をどうしようか悩み、食堂で会った先輩の姿が浮かんできた。

 あの先輩は何と云うか、同類……いや、私以上に、である可能性がある。横取りするような真似と云うか、下手に手を出したらマズイのはこちらになるだろう。

 

「もしかしたら、って事もあるよね……」

 

「何か仰いましたか、梓さま?」

 

「ううん、何でも無い。そうだ、良ければ一緒に帰らない? 貴女の事、個人的に気に入ったかもしれなくて、ね」

 

 流し目気味に視線を送ると、茶髪っ娘は一瞬きょとんとした後、顔を真っ赤にして狼狽を始めた。こういう反応をしてくれるあたり、誰かの毒牙にはまだかかっていないらしい。

 

「え、えーっ!? それは所謂、百合とか云う奴ですか! あわわっ、まさか私が餌食になるとはっ!?」

 

「いやいや、そこまではいかないってば…………まだ」

 

「すっごい不安になる言葉を付け加えないで下さいー!?」

 

 あくどい笑みを浮かべているんだろうな、と他人事のように思いつつ、この愉快な後輩との時間を楽しむのだった。

 ……後で、溜まってるな、と自己嫌悪した。

 

 

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