処女はお姉様に恋してる 季節外れの迷子(フェアリー)   作:パオパオ

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第10話 七月中旬、私の再戦。

「そう云えば、先日お姉さまを介抱したんだけどね」

 

「お姉さま……誰のこと? 淡雪の姉?」

 

「いや、違う……って、ああ、梓は知らないか。名前無しでお姉さまって呼んだら、それは基本エルダーのお姉さまのことを指すの。でも、今年のエルダーは二人居るから、どっちにしても解んないか」

 

 成る程。今月に入ってから『お姉さま』って云う女生徒が多くて若干気味が悪かったんだけど、そういう事情があったのか。やっぱり、もう少し交友網は広げるべきだな。ここでの常識を知るためにも、それが一番良いだろうし。

 ……転入してから一ヶ月以上経ってやっと学院に馴染もうとするのは、少々遅い気もするけど。思わないよりはマシだろうと考えて、そこで思考を振り払った。

 

「それでね、珍しくケイリと二人一緒だった時に、酷く顔色の悪いお姉さまが廊下を歩いてたんだ。休むところを探していたみたいだから修身室へ連れていって、そこで眠ったお姉さまの顔を見ながらケイリと喋って仲良くなってたんだ」

 

「あれ、二人って元から仲良かったんじゃないの? てか、それって秘密にしとかなくても大丈夫?」

 

 今一つ実感は湧かないが、『エルダー』という存在はこの学園における象徴のようなものらしい。そんな相手と一緒に居たと知られたら問題なんじゃないか、と不安気に訊ねるも、淡雪は大丈夫だと笑ってみせる。

 

「廊下で何人かに見られてるしね。少し耳の早い娘(こ)なら、大体知ってると思うよ。えと、まあ梓と三人でなら結構喋ったりはしてたけど、私とケイリの二人ってのはあんまり無かったんだ。ほら、ケイリって休み時間とか教室に居ないでしょ?」

 

「んー、そう云われれば、そうかもね」

 

 淡雪の言葉は真実なのだろう。記憶を探ってみるも、教室内でケイリが友達と喋っていたりする光景が浮かばなかった。

 

「ケイリは彷徨してるのが趣味らしいんだけどね。まあ、そんな訳で、時間もあったから色々喋ってたんだよ……主に梓のネタで」

 

「ちょっと、聞き捨てならないことを仰いませんでしたかな!?」

 

「冗談だってば」

 

 クスクスと朗らかに笑う淡雪を見て、二の句が継げなくなる。あー、うー、と唸った後、大きく息を吐いた。

 

「まあ、仲が良いのは美しいらしいから、良い事だったんだろうね。私がネタにされてなければ。異論はないさ……私じゃなかったのなら」

 

「あはは、御免ってば」

 

 不貞腐れています、とポーズするのもいい加減止め、頬杖を突いて淡雪を少しだけ見上げる。

 

「別に良いけどねー。実際、陰口叩かれてたって訳でも無いだろうし、目くじら立てても仕様が無いし」

 

「んー、盛り上がりはしたよ、とだけ。それより、梓はあの一年の娘とはどうなったの?」

 

 軽い口振りとは裏腹に、かなり気にしていたのだろう。淡雪の顔には真剣味があった。

 

「そっちは万事解決。確執も多分無し。寧ろあの面白い娘と出会えた分、溺れただけの価値はあったかなって思うよ」

 

「……今日の水泳では、また溺れたりしないでよ?」

 

「大丈夫だって。前回はちょっと体の動かし方忘れてただけだから。今日こそはケイリに勝つ!」

 

「うーん、どうかな?」

 

 微妙そうな表情をした淡雪の反応が気になった。

 

「どういうこと?」

 

「梓が運動出来るのは知ってるけど、ケイリもかなり出来るじゃない? それに、ケイリって水泳部所属だって聞いたよ。梓が勝つのは難しいんじゃないかな?」

 

「む……」

 

 確かに、現役の水泳部員相手は厳しいかもしれない。聖應の運動部はそれなりに仮入部して部員の運動技能を見て回っているが、今の所は私の得意な競技ばかりだ。それだけを見て聖應の運動部のレベルを判断するのは愚かでしかない。

 特に、一度練習風景を見たフェンシング部の熱気は凄かった。フェンシングは一度もやったことがないので何とも云えないが、上手い部類だと素人目にも解る人が多かった。

 そもそもの話、運動不足で体力に欠けている今の私は、ごく短時間にしか万全のパフォーマンスを発揮出来ない。本来運動部の部員に求められるのは継続して運動を行う能力なのだから、私とは力の使い方が違うのも当然なのだ。前の高校のような助っ人としての働きも、今の私では満足に出来そうもない。

 

「それでも、負けたくはないんだよね……」

 

 競技者の一人として、負けを前提にした戦いなど名折れも良いところだ。やるからには全力を尽くす。

 

「とりあえず、最初の授業は数学なんだから、そのやる気は抑えておきないさいよ。当てられたら答えられないでしょ?」

 

「う……はい。体育まで体力を温存しておきます」

 

 同年代なのに何故に窘められているんだろうかと疑問が浮かぶが、入室してきた先生を見て考えが霧散した。やはり、勉強は苦手だ。脳筋で何が悪いと云うのか。

 内心で文句を吐きながら、鞄から数学の用意を出していった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「さあ、ケイリ。リベンジマッチをしよう!」

 

「梓さん、私の指示を無視して勝手に泳ごうとしないで下さい!」

 

「すいません!」

 

「気が逸り過ぎだよ、梓」

 

 四コマ目、水泳の授業。溜め込んだやる気が抑えきれず、教師からの叱責を受ける羽目になった。呆れたようなクラスメイト達の視線が痛い。

 今日の水泳は二年B組との合同だ。体育は基本的にD組と一緒に行うので、見知らぬ面々がその肢体を露わにしている。お嬢さまだけあって、非常に眼福である。

 特に目を惹くのが、小柄な黒髪の美少女だ。どこかで見た覚えはあるのだが、イマイチ思い出せない。何と云うか、あるべきものが無いような、そんな物足りない感覚があった。

 

「やる気があるのは喜ばしい事ですが、まずは準備体操をして下さいね、梓さん。皆さん、各自でペアを作って体を解していって下さい!」

 

 はーい! と元気な返事が返り、それぞれが親しい者と一緒に体を解し始めていく。私も淡雪とペアで体の筋を伸ばしていき、泳いでいる最中に万が一が起こらないように努める。

 互いに体を引っ張り合ったり、背中を合わせて仰け反らせたりと十分に準備体操を終え、教師の号令で集合する。

 

「それでは順番に泳ぎ始めて下さい。今日は授業の後半で二十五メートルのタイムを取りますから、それを念頭に置いておくように。それと、くれぐれも事故が起こさ無いよう、きちんと気をつけて泳いで下さいね」

 

 教師の視線が完全にこちらを向いていたが、反応に困る。無茶するなとのお達しなのだろうが、生憎今日は無茶しかねない。勿論の事、溺れたりなど無様を晒すつもりはないけれど。

 

「さ、ケイリ。今日の勝負は、タイム計測の時でいい?」

 

「そうだね。それまでに十分、体を温めておくとするよ。今日も負けるつもりはないからね」

 

「言ったね? 吠え面かかせてやるから、楽しみに待ってなよ」

 

 無意識に獣性が発露する。抑えられない昴りが体に熱を帯びさせ、疼きが肉体に運動を促す。嗚呼、良い。素敵な気分だ。

 

「梓、口調が崩れてるって」

 

「んー……ごめん。ちっと抑えられそうにないから、暫く黙るわ」

 

「何それ? よく解らないけど、ケイリとの勝負に集中するって事でいいの? まあ、頑張りなよ」

 

「ありがと」

 

 淡雪には悪いけれど、集中した私は周囲に気を遣えないのだ。端的な感謝の言葉の後、意識を泳ぎにだけ向ける。

 

 乱暴になった言葉遣いは口を閉ざす事で解決する。興奮を少しでも留める様に。

 耳から入る情報を絶つ。内へと精神を潜り込ませ、昔日の経験を思い出す。

 泳ぎ方を思い出す。手の伸び。指先の形。足の動かし方。呼吸のタイミング。脱力。

 以前の我武者羅で、無駄な力が入っていた泳法を捨てていく。淡々と泳ぎを繰り返し、ぎこちない動作を減らし、スマートなフォームを形成していく。

 

「それでは、今からタイムを取っていきます。準備が出来た生徒から、順番に並んでいって下さい。見学の娘達は、先程云ったように計測をお願いします」

 

 個人的に満足出来るレベルには程遠いが、納得は出来る位に取り戻した。最低限、惨めな姿は見せずに済む。

 

「いや、梓。私は貴女を見誤っていたらしい。泳ぐ度に洗練されていくフォームを見ていると、心胆寒からしめるものがあるよ」

 

 ケイリが近付いてくる。水中には既にタイムを測っている生徒が居るが、ケイリはまだ泳ぐつもりはないのだろう。私としても、折角だから最後に皆が見ている前で、と思っていたので丁度良い。体力回復がてらに、軽く雑談をして時間を潰すとしよう。

 

「まだまだ、とも思うけど。やっぱ体力とか衰えてるし。夏は本格的に鍛え直さないと」

 

「それはそれは。けれど、調子が万全じゃないからって、負けた事に文句は云わないで欲しいね」

 

「そんな醜態は晒さないさ。負けないし、万が一でも負け惜しみなんて云うものか」

 

「おやおや。前回、あれだけの差をつけて負けながら、どこからそんな自信が湧いてくるのやら。精々、私と競える事を期待しているよ」

 

 やけに発破をかけられる。それは何となく、ケイリらしくない気がする。まだ一月少々の短い付き合いでしかないが、彼女は悪意を持って人を貶める質ではない事位は知っている。

 ……まあ、良い。どんな意図が隠れていようが、所詮は勝負の前の舌戦だ。勝負の結果に関わる訳でも無い。私は、ただ最善を尽くすのみ。

 

「まだタイムを測っていない生徒は居ますか?」

 

「すみません、今からやります!」

 

 ケイリとともに飛び込み台へ上がり、先端に足の指をかける。残っている生徒は、もう私とケイリの他に一人だけだった。黒髪が視界の端を過るも、気にならない。

 

「用意――」

 

 教師の声を受け、手を台に触れない位置へ下げる。今更に気付いたが、私は飛び込みの練習をしていない。事態の不味さは何一つ対処法が無く、私に取れる手段は一つしか無かった。

 

「――儘よっ!」

 

 ピー! と甲高い笛の音が鳴り、私とケイリは同時に台を蹴った。刹那の浮遊感。直後、全身を水面に叩きつけ、轟音と激しい水飛沫が引き起こされる。予期していたとはいえ、痛みで一瞬身動きが取れなくなる。

 

「ああっ!」

 

 その一瞬で、ケイリが頭一つ抜きん出る。彼女の飛び込みは、水面を波立たせることも無い綺麗なものだった。稼がれたアドバンテージは大きい。

 だが、私は負けたくない。焦りを抑え、崩れそうになるフォームを修正する。体は熱く、頭は平静に――。

 

「はっ」

 

 一度目の吸気。水面から上げた視界には、少しだけ先を行くケイリの姿が見えた。その距離は、確実に縮まっている。

 頭を潜らせる。手は大きく水を掻き、振られる足は強く水を蹴る。ストロークの度に体が引っ張られるように前進し、ケイリに迫るのを感じさせる。

 

「はぁっ!」

 

 二度目の呼吸。疾うに半ばを越えた勝負に、僅かに息苦しさを感じさせる。頭を上げる回数を減らす事で少しでも速く進もうとしているが、なまじ今回は距離が短い。追い上げにも限界がある。

 負けられない。連城梓としての意地が、矜持が、私の体を動かしていく。意識は体の動作から離れ、無意識が体の動きを効率化していく。

 加速する。ギャラリーの歓声が耳を通り抜け、ただ泳ぐ事に専心する。一掻き。また一掻き。水面を蹴り上げ、少しでも前へ――!

 

「がふっ!?」

 

 突然の激痛。頭頂部に生じた鈍痛は、思考を掻き乱して体を沈ませる。残っていた空気を吐き出し、反射的に立ち上がる。

 

「痛っ――あ?」

 

 頭を擦りながらの目の前には、壁。それが意味するものを理解した瞬間、手の動きも止まり、横を向く。

 

「ははっ、梓、凄いね、君は」

 

 息を乱したケイリ。上下する胸を押さえながら、笑って私を見ていた。

 

「ケイリさん、23秒8!」

 

「梓さん、22秒4です!」

 

 計測係をしていた二人の女生徒の声が聞こえた。耳を通り過ぎかけたそれは、その意味を咀嚼して理解するのに数秒を必要とした。

 ギャラリーが歓声を上げる。声が染み込んでいくように、微熱が体を覆い尽くす。

 

「っしゃあぁぁっ!!」

 

 拳を突き上げ、絶叫する。間違いなく淑女らしくない声を上げてしまったが、許して欲しいと思う。

 

「お疲れさま。凄かったよ、二人とも。見てるこっちが興奮する位の接戦だったし」

 

 中腰になって見下ろしてくる淡雪。私とケイリの興奮が伝播したのか、頬が微かに紅潮している。

 

「あー、うん。ありがと。何とか勝てた、っぽい」

 

「ありがとう、ユキ。私ももう負けるとは思わなかったよ」

 

 勝った、と実感を得た途端、どっと疲労が押し寄せてくる。じわじわと全身に痺れるような痛みも感じ始め、身を浸す冷水の心地よさに目を細める。

 ケイリは既に水中から上がり、気付けばもう一人もいつの間にか台を上っていた。海月のように水面に浮かぶのを止め、慌てて水中を出る。

 

「疲れたー。体力落ち過ぎだ」

 

 云いながら、プールサイドに寝転がる。荒く息を吐くのに合わせ、薄い胸が上下する。濡れた髪が潰れ、水滴が涙のように流れ落ちる。

 顔を上げると、上下逆の淡雪の水着姿が見えた。今日は気にする余裕が無かったが、やはり眼福である。

 

「ほら、寝転がってないで立ちなって。もう授業終わるから、皆整列してるし」

 

「ん、ありがと。っと、ごめん」

 

 差し伸べられた淡雪の手を取り、引っ張られる形で立ち上がる。勢い余って抱きつく形になってしまったのは、勘弁願いたい。しかし、絡み合う肌から伝わってくる体温が心地良い。

 密かに淡雪の体の感触も堪能していると、緩やかに体を放されてしまった。やはり、女同士と云えども、肌と肌との密着は気色悪く思ってしまうものか。まだ見極めが出来ていない。

 遊んでいると思われたのか、教師から咎めるような視線が飛んできた。先程は寝転がっていた事もあってか、その視線は厳しい。淑女らしからぬ振る舞いになってしまった事を反省せねば。

 

「ほら、行くよ。次はお昼休みなんだから、そこで体を休めなって」

 

「そうだね。早くお昼食べたいや」

 

 タイミング良く鳴った私のお腹に笑い合いながら、整列するクラスメイトたちの元へ向かった。疲労と痛みに、顔を綻ばせながら。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 待ちに待った食事の時間。混雑の中、見つけた座席を確保し、直ぐに弁当箱の蓋を開ける。

 

「頂きます! っと」

 

「梓、お祈りはちゃんとしなよ」

 

「ごめん無理。私のお腹は限界です。正直な話、食堂来る途中に弁当開けて食べたかった位だもん」

 

 一緒に来た淡雪がじと目を向けてくるが、反論せざるを得ない。四コマ目に多くのカロリーを消費したため、空腹で頭がどうにかなりそうなのだ。

 

「……廊下で食べてるとこ見られたら、シスターに説教されるよ? 多分一時間コースは確定じゃないかな」

 

「しないってば。と云うか、説教って真面目に?」

 

「真面目じゃない説教って何?」

 

「意味違うけど、まあ、そうだよね……」

 

 云いながらも箸を動かしている私を見て、淡雪が溜め息を吐く。淡雪が自身の弁当箱を開けると、もう一人の同行者が食事の載ったプレートを置いて席に着いた。香しい鰻のタレの香りが胃を刺激する。

 

「何だ、梓はもう食べ始めているのか。少し位待っていてくれないのかな」

 

「限界だったんだってさ。お祈りも無しにがっついているわよ」

 

「全く……」

 

 呆れたような様子のケイリ。淡雪もそれに同調し、少しばかり肩身が狭くなる。二人は律儀にお祈りの言葉を云った後、自分たちの食事に手を付け出した。

 

「それにしても、梓の運動神経は凄いね。あまり熱心にしていた訳ではないけれど、曲がりなりにも私も水泳部の一員だったから」

 

「私も吃驚したよ。バスケの時とか、噂に聞く部活荒らしで良いとは思ってたけど、改めて驚かされるよ」

 

「それだけが私の取り柄だし。てか部活荒らしなんて、やってるつもりは無いんだけど……」

 

「実際、二年の転校生が幾つもの運動部に体験入部して、レギュラーを悉く打ちのめしている、っていう噂はかなり広がっているよ」

 

 以前も聞いた覚えがあるが、何だか進化してないだろうか。私がやった事なんて、精々がレギュラーの練習相手をした程度なのに。そりゃあ、ちょっとした試合で私が勝ったのも事実ではあるけど。

 実際、私が体験入部した部活は県大会に出場すら出来ない弱小ばかりだった。加えて、エルダー選挙が近いという事で、部活全体の雰囲気が浮ついていた頃だ。少し前に偶然見かけた時、見違えるような練習をしていた。

 ……考え方によっては、私に負けてやる気が出た、とも云えるかもしれない。自惚れは程々にしておかないと、後で損をするのは自分になるから、自重はするけど。

 

「そこまでやってないってば。噂に尾鰭付きすぎじゃないの?」

 

 若干憂鬱になってしまう。新しい学校に来て、再び悪名が広がってしまうのは避けたかった。強ち悪名とも云えなかったりするのだろうか? 勇名だとは思えないけど。

 

「噂だからね。勝手に広がっていくものだから、信憑性はどうしても落ちてしまうだろう。今日の梓が噂になるかは、微妙かもしれないけれど」

 

「そうかな? 私としては、泳いでいる梓はかなり格好良かったし、噂の一つ位にはなりそうかなって思うけど」

 

「けれどユキ、最近のプールと云えば、お姉さまの事があるだろう?」

 

「そっか、そっちのインパクトの方が強いよね」

 

 二人だけで解り合っている様子の会話に首を傾げる。お姉さま、って事はエルダーの二人のどちらかだよね?

 

「梓は聞いてない? 千早お姉さまがプールの授業がある日は、楽しみで人が変わったかのようになってしまうってやつ」

 

「……は?」

 

 ぽかん、と口を開けて、箸で摘んでいたミニトマトを取り落とした。赤玉が生姜焼きのタレに漬かるのを見送る。

 

「え、それ本当?」

 

「んーと、今朝も云ったと思うけど、昨日ケイリと千早お姉さまの看病みたいなことしたんだ。その原因がプールが楽しみではしゃぎ過ぎたから、とか何とか。本人が云ってたから、多分本当だと思うよ」

 

「……何か、信じ難いものがあるわ。えっと、黒髪のエルダーのお姉さまの方では無いんだよね?」

 

 個人的な第一印象では、銀姫さまよりも黒髪美人のエルダーの方が活発そうに思える。銀姫さまは寧ろ、女性の鑑のような淑やかな印象を受ける。不思議と、銀姫さまも運動が不得意だとは思えないけど。

 

「薫子、いや騎士(ナイト)の君は、体育を楽しみにはするだろうけど、プールだから人が変わる程では無いだろうね。あの女性(ひと)は、良くも悪くも自然体だから」

 

「へぇ……」

 

 ケイリが不思議な表情で語る。裏の事情を知っているような、そんな謎めいた顔をして。

 それと、何となく黒髪のエルダーの方への云い方が知り合いへのもののように聞こえるが、気のせいだろうか。

 

「話変わるけど。ケイリ、貴女と私との勝負の前のあれって、もしかしなくても挑発?」

 

「うん? ああ、その通りだよ。梓が運動が出来るとは知っていたから、少しばかり奮起させてみようかな、という試みだったのだけど。まさか、最初の再戦で敗北を喫するとは思っていなかったよ」

 

 苦笑するケイリの表情には、必中の予想が外れたというような驚きがあった。勝負の時は自分でも驚く位上手く泳げたのだから、対戦相手としての驚きはそれ以上なのだろう。

 

「梓には、予想を覆す程の『勝負強さ』があるね。それは得難いものだ。大切にしていく事をお勧めするよ」

 

「それは、まあ。手放すつもりもないし、手放せるものでもないけど」

 

 自惚れではないけれど、私は勝負強さが人並み外れている。勝負所と言われる状況において、私は練習の成果を十二分に発揮できるのだ。その代償か、スタミナの消費も著しいから、短時間しか活躍出来ないのだけど。

 

「私も競技者の一員だからね。梓の資質は素直に凄いと思うよ。これからはもう少し真剣に部活に取り組んでみようかな?」

 

「……ちょっと、照れるわ」

 

 熱くなった頬を、二人から顔を逸らすようにして指で掻く。微笑ましげな視線が向けられているのを自覚する。瞼をぎゅっと閉じて、一秒でも早く火照りを無くそうと試みる。

 

「とは云え、次も負けるつもりはありませんよ、梓」

 

「ん? あ、そっか。まだ水泳の授業はあるんだっけ。今日に集中し過ぎてて、すっかり忘れてた」

 

 当たり前の事だが、ケイリとのリベンジに勝利したからと云って、次も勝てる訳ではない。寧ろ挑まれる側になる以上、今日よりも厳しい戦いになるだろう。勝利に浮かれていたせいか、すっかり失念してしまっていた。

 

「いやいや、梓。水泳の授業ってまだ二回目だよ?」

 

「あはははは……」

 

「笑って誤魔化せる事じゃ無いでしょ」

 

 呆れを滲ませる視線を空笑いで流し、ふと視線を壁の時計へ向けた。もう数分で、予鈴が鳴る時間だった。

 手元に視線を下ろす。先に下品になりかねない勢いで食べただけあって、もう残りは少ない。が、悠長に食べていれば昼休み中には間に合わないだろう事は明白だった。

 

「またか! ああもう、早く食べないと!」

 

「え? うわ、もう時間無いじゃない! 私、まだ半分近く残ってるんだけど!?」

 

「梓もユキも、話すのに夢中になってたからね。それでは、私は先にこれを片付けてくるよ」

 

「って何時の間に!? そう云えば、ケイリの淡雪の呼び方――ああもう、時間無い!」

 

 ケイリが米粒一つ残っていない鰻重のプレートを返却口へ運ぶ間に、私を淡雪は流し込むように弁当の残りを食べ進めていった。味わう余裕なんて当然無い。咀嚼し、飲み込む作業を繰り返す。

 気が付いたケイリの呼び方への言及も出来ぬまま、折角昼食を用意してくれた母へ謝罪しつつ、私は兎に象られた林檎を真っ二つに噛み千切った。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「さて、話を聞かせてもらおうか、二人とも!」

 

 放課後の教室。教室を出ていこうとしたケイリと淡雪を捕まえ、三人で机を囲む。

 

「話と云われても……何の事?」

 

「ユキの云う通り、少し要領を得ないかな」

 

 二人が互いに視線を向け合い、同時に首を傾げる。ああもう、その態とやってるような感じが!

 

「それだよ! ケイリが淡雪を『ユキ』って呼び捨てにしてる事! 昨日まではそうじゃなかったじゃん!」

 

「テンションたっかいなあ……」

 

 淡雪が机に頬杖を突きながら、隠そうともせず息を吐いた。

 ……何だか、ちょっとぶっきらぼうと云うか、今までとは違う印象を受ける。気安い? のだろうか。

 

「それで、梓は何が云いたいんだい?」

 

「私もあだ名呼びに混ぜて欲しいって事、だけども……」

 

 喋る勢いが落ちていく。今更ながらに、自分が何を云っているのか解らなくなった。いや、学園内で唯一の友達から疎外されているような錯覚を受けていたからなんだけど。所詮は錯覚と理解した。

 

「そうだね。なら、ここは梓の事を『あずにゃん』と――」

 

「ごめんやっぱ無しで!」

 

「突っ込みが早いね」

 

「黒歴史だから、あんまり弄らないで……」

 

 クスリ、と軽く笑う淡雪には、やはりどこか存在していた壁が減っているように感じた。一月も付き合ってきて、漸く遠慮が無くなってきたという認識で、きっと問題無いだろう。

 

「まあ、梓が呼びたいなら、好きに呼べばいいと思うよ。別に私は、余程変じゃなければどう呼ばれてもいいから」

 

「って云われても、うーん……」

 

 あだ名を考えろと云われても、パッと思いつくのは碌でもない。ペスとか、諭吉とか、人間に使うのはどうだろう。ケイリに至っては、何一つ思いつかない。

 

「んー……」

 

「ま、何か浮かんだら云ってね。それじゃあ、私は部活に行くから」

 

「私も校内を回ってくるよ。じゃあね、ユキ、梓」

 

 考え込んでいると、二人が鞄を持って出ていく所だった。そう云えば、二人に用事の有無を確認していなかった。

 

「あ、ごめん。部活とかあったのに拘束しちゃってて」

 

「少しくらいだから大丈夫だってば。じゃあねー、梓」

 

「ユキの云う通り。私はただ、校内を彷徨くだけの事だからね。それでは、また明日」

 

「うん、また明日」

 

 手を振って二人を見送る。誰も居なくなった教室に一人というのは、名状し難い寂寥を覚えさせる。沈みかけの黄色い陽射しに視線を向け、目を閉じる。

 

「んー? 何だか、ちょっと空回り気味。体動かして、発散させとこうか……参ったな、今日はどこの運動部にも体験入部する旨伝えてなかった」

 

 呟きながら、体を伸ばす。水泳の疲労は残っているが、運動に支障が出る程では無い。寧ろ、スタミナをつけるためにも動くべきだろう。

 

「飛び入りでも大丈夫な所無いかな? 顔見知りが居ればOKかもしれないけど、淡雪は華道部だし、ケイリは水泳部に行くって感じじゃなかったし……」

 

 とは云え、ここで考えているのも時間の無駄だ。当たって砕け位の気持ちで行くべきだろう。砕けたらアウトだが。

 鞄を手に取り、教室を出る。聞こえてくる運動部のかけ声。僅かな憧憬を覚えながら、小走りに廊下を駆けた。

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