処女はお姉様に恋してる 季節外れの迷子(フェアリー)   作:パオパオ

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第4話 六月上旬、テストが終わって。

 キーンコーンカーンコーン。

 

「終わったー!」

 

 鐘の音と同時に、どこかのクラスからそんな声が聞こえてきた。私も云い掛けたが、担任が監督していたので自重した。

 テスト用紙を回収し、担任に渡す。担任が用紙を確認していき、それを終えると職員室に戻っていった。

 いやあ、やっと終わった。今になって思うと、何でわざわざテストなんて受けようと思ったんだろう。やらないならやらないままで良いのに。

 

「お疲れさま、梓。出来はどう?」

 

 晴れ晴れとした表情で、淡雪が声を掛けてくる。テストが終わった解放感を、勉強しないと自称していた淡雪も感じているらしい。

 

「お疲れさま、淡雪。全体的にそれなり、って云ったところかな。そっちは?」

 

「少なくとも赤点や追試にはならないかな、って感じ。それにしても、テスト、疲れたー」

 

「……碌に試験勉強もしていない癖に」

 

 ボソッと呟いた私の台詞は、淡雪の耳には届かずに済んだらしい。ホッとする私に、心の中でだったら云うなよと思う私も居た。だが、自他ともにボケ&ツッコミと称されていた私としては、云わずにはいられなかった。

 いや、ツッコミは自称じゃんって云われることも多かったんだけど……私はボケじゃないってば。ボケでツッコミなんだって。

 

「ねぇ、百面相してて見てて面白いんだけど、どうかしたの?」

 

「……何でも無いよ」

 

 云いながら顔を逸らす。恥ずかしい……何やってるんだか、私は。

 

「んー、と。私はこの後部活に行くけど、そう云えば梓って部活どうするの?」

 

 その問題もあったか。流石にこの学校に「運動部」は無いだろうから、考えないといけないな。

 

「先生からは何も云われて無いんだよね。全く、どうすればいいのやら。ま、やるとしても色々見て回ってから決めるつもり。前の学校で無かった部活とかもあるだろうし」

 

 それこそ漫画だのに出てくるような、お嬢様っぽい部活もあるんじゃないかと密かに期待している。

 

「そっか。だったら、今からうちの部の見学に来てみる? 本当なら今日は休みだから他の部員は居ないと思うけど、どんな部か紹介する位なら出来るからさ」

 

「部員一人で紹介になるの? まあ、誘われたんだし断るつもりもないけど。それで、何部なの?」

 

「云って無かった? 華道部だよ、私」

 

 華道部……ああ、図書室で銀姫さまと話していた時に話題になってた……んだっけ? あんまり印象に残って無いな。

 

「聞いた覚えが……あるような、無いような。華道って、花を剣山に刺してハサミで切ったりするやつだったっけ?」

 

 華道って、確かそんな感じだった筈。どこかで蒲公英の一輪挿しとか見たことある気がする。何だったっけ?

 そんなことを考えていると、淡雪は微妙な顔をしていた。どうやら、私の云ったことは専門の人からすると変に感じるようだ。

 

「間違いじゃ無い、と思うけど……ま、いいや。それじゃあ、修身室に行こうか。そこが部室だから」

 

「ん、解った。場所解らないから道案内宜しくね」

 

「うん、ついて来てね」

 

 そういう訳で、私の部活動見学は華道部から始まることになった。多分、華道部に入部することはないだろうけど。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 全体的に西洋風の校舎の中にあって、修身室はとても和風だった。畳敷きの床に、部屋の奥にある床の間。古き良き日本と云った風情が、どことなく漂っていた。

 藺草の匂いが鼻を突く。やはり私も日本人ということなのだろう。その香りを嗅ぐと、不思議と心が落ち着く気がした。

 早速入ろうとした私を、淡雪が声を掛けて止めた。

 

「あ、修身室に入る時は、台帳に名前を書いてね。もしここで盗難とかが起きた時に、参考にするらしいからさ」

 

「え? ……この学校でも、盗みとかって起きたりするの?」

 

 純粋に疑問に思う。お嬢様が盗みなんてする必要があるのだろうか……反社会的行為とか?無いな。

 しばらく考え込んだ後、淡雪は首を横に振った。

 

「……修身室でそういうのが起こったって云うのは、私は聞いたことが無いかな。でもまあ規則だし、ここにあるのってかなり高価な物もあるから。用心するに越したことは無いんでしょ」

 

 失敗から学ぶのでは無く、そもそも失敗を起こさないように努める、というのは凄い。思わず感心してしまった。

 

「それはまた、凄いね。えっと、連、城、梓、っと。書けたよ。これで良い?」

 

「うん、問題無いよ。それじゃあ、どうぞ、お入りくださいな」

 

「……失礼します」

 

 何となく、気持ちが引き締まる気がする。足の裏に感じる慣れない畳の感触や、未知の部屋への好奇心のせいだろうか。悪い気はしない。

 思わず背筋がピンと伸びる。そんな私を見て、淡雪は微かに笑っていた。

 

「緊張してるね、梓。別に誰かに見られてる訳じゃないんだから、もっと気楽にすればいいのに」

 

「いや、初めてじゃ無理だってば」

 

 この部屋独特のしんとした空気に、私が慣れることは無いだろう。私はもっとこう、人の声に溢れている空間の方が好みだし。

 

「それじゃあ、準備するからちょっと待ってて。その辺りの物に触って壊したりしないでね」

 

「解ってるよ。勿論、解ってるって」

 

「そう? ごめんごめん。梓なら好奇心に負けて何かやっちゃいそうでさ。子供じゃないんだからやる訳無いよね」

 

「……」

 

 ついと視線を逸らす。その私への評価は妥当過ぎる。

 もし前の学校だったら、フリだと思ってやらかしていた可能性は否定できない。と云うか実際、ここに来てからも前科があるし。

 

「ちょっと、梓ー? 信頼して良いんだよねー?」

 

「だ、大丈夫。高価な物があるって解っててやる程私は馬鹿じゃないから。うん、その筈。きっと、多分」

 

 そう。百円単位の物なら壊してもいいかなと思うけど、それより二つも三つも桁が上になってくると、小市民としては流石に手を出す気にならない。弁償代的な意味で。

 

「安心できない……まあ、冗談だと思って流すけどさ」

 

「あははは……」

 

 この芸人体質っぽいのも、この学校で直ると良いな……やっぱり無理な気がする。

 ちらちらとこちらの様子を窺う淡雪を眺めながら、そんなことを考えていた。信用無いね、私。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 無駄話に興じているせいか、淡雪の準備は遅々として進まなかった。私としてはただ淡雪と交流を深めにきただけのつもりなので、それでも構わなかった。

 そんなまったりとした空気を変えたのは、外部からの侵入者だった。正確には、この場所の主だったのだけど。

 

「さ、どうぞ千早お姉さま」

 

「ええ、お邪魔するわね……あら、淡雪さんと梓さん」

 

 聞き覚えのない声とともに修身室の扉が開かれた。そこに居たのは、黒く長い髪の美少女と銀髪の美女だった。と云うか、片方は銀姫さま――千早お姉さまだった。

 

「あ、千早お姉さま……ってもしかしてうたちゃ……じゃないや御前、わざわざ迎えに行ったの!?」

 

「ふふっ、だって待ちきれなかったものだから」

 

「どうして……」

 

 淡雪が驚きと疑問に満ちた声を漏らし、黒く長い髪の美少女はそれに答えていった。それも何故か、その豊満な胸を誇るように、堂々と。

 

「千早お姉さまはこの学院で唯一、私を甘やかしてくださるお姉さまですから」

 

「へ……甘や……かす?」

 

 淡雪はぽかんと口を開けたまま、その美少女を見詰め返した。私も驚いているのと、黒く長い髪の美少女の観察で声が出せずにいた。銀姫さまが、何とも云えない表情で苦笑いしていたのを見逃しながら。

 腰まで伸びた濡れ羽色の髪に、茶色がかった大きな瞳。落ち着いた物腰からは、銀姫さまに似た風格が感じられる。大和撫子という形容がこれ程相応しい女性は、おそらく他に現存していないだろう。その豊かな双丘は、あまり日本人らしく無いが。

 その美少女――御前?さんは、私と目が合うと静かに一礼した。始まりから終わりまで洗練されたその動作からは、どことない優雅さが感じられた。

 ――と、そこまで見届けたところで、ようやく目の前の美少女が私に礼をしたのだと気が付いた。慌てて礼を返した私を見て、銀姫さまが心なしか笑った気がした。

 

「そちらの方は、初めまして、で宜しいですよね。私は華道部の部長を務めております、二年の哘(さそう)雅楽乃(うたの)と申します」

 

「は、初めまして! 先日この学院に転入してきました、二年C組の連城梓です! 宜しくお願いします!」

 

 少し高めのテンションで、御前?さんに自己紹介する。軽く見惚れていたせいか、声が上擦ってしまった。

 

「こちらこそ、宜しくお願いします。それで連城さんは、本日はどのような用件でこちらに?」

 

「えと、淡雪さんが私に華道部の紹介をしてくれるとのことで……もしかして、何かマズいことでもありましたか?」

 

 不安げに訊ねた私に、御前?さんは笑顔で答えた。

 

「いえ、勿論歓迎致します。梓さんは雪ちゃんのお友達のようですし、是非ご覧になっていってください」

 

「ありがとうございます」

 

 私がぺこりと頭を下げると、淡雪はちょうど放心状態から戻ったのか、御前?さんに食ってかかるように話しかけていった。

 

「ちょっと御前、どうしちゃったの……いつもの威厳はどこに置いてきちゃったの?」

 

「威厳と云われても……特に私が持とうと思ってそうなっている訳ではないでしょう」

 

「それはまあ、そうなんだけど……でもなんか、凄く違和感があるって云うか」

 

 遠慮の無い言葉をぶつけ合っている二人を見て、不覚にも羨ましく思えた。

 

「あ……千早お姉さまは、そんな顔をなさらなくても良いのです」

 

 ――と、いつの間にか蚊帳の外にされて表情を曇らせていた銀姫さまに、御前?さんが苦笑混じりに微笑んだ。その笑みは私に向けられている訳でも無いけれど、私の眼にはとても魅力的に映った。

 

「私は、自分の行動の責任を……他人様に押しつけるような真似は決して致しません」

 

「……そう。貴女、面白い子ね」

 

 そして、御前?さんの笑みに応えるように、銀姫さまもまた微笑みを浮かべた。思わずため息が零れてしまう程の、美麗なまでの笑みを。

 銀姫さまに見惚れていたのだろう。御前?さんはハッとして佇まいを直すと、改めて銀姫さまを部屋の中に招いた。

 

「さ、どうぞお上がりになって下さい。今お茶をお淹れしますから」

 

「ええ、ありがとう」

 

 銀姫さまを中に案内すると、御前?さんはとても嬉しそうに部屋の奥に消えていった。お茶を淹れるだけなのに、何故そんなに嬉しそうなんだろうか。

 御前?さんが聞いていないことを見計らって、淡雪が銀姫さまに心底不思議そうに訊ねた。

 

「あの……千早お姉さま」

 

「何でしょう、淡雪さん」

 

「一体、お姉さまは御前に何をなさったのですか?」

 

「……む、難しい質問ですね」

 

 困った顔で苦笑いしながら、銀姫さまは淡雪の質問の答えを考えているようだった。

 

「本当、何をしたんでしょうね?」

 

 ……結局思い付かなかったのか、更に困ったように銀姫さまは苦笑した。

 

「お、お姉さまがご存知でなかったら、私が知ってる訳が無いじゃないですか……」

 

 まあ、それも当然だよね。そして私の存在感の無さに脱帽する。いや、何となく話に入りにくいんだよ。空気的に。

 

「淡雪さんとしては、雅楽乃にどうして欲しいのですか?」

 

「どう……って云うか。まあ、いつも通りで居て欲しいかなって思いますけど」

 

「けれど、雅楽乃に甘えたい、迷惑は掛けない……と云われたら、私はそれをとがめたりすることは出来ないわね……あの子、みんなに尊敬されて、『二年生のご意見番』って云われているのでしょう?」

 

「そうです。それなのに、急にあんな風に……」

 

 会話は続く。手持ち無沙汰に指を絡めたりしながら、淡雪と銀姫さまの話を耳に入れていく。ちらちらと御前?さんが消えていった方を見て、早く戻ってこないかな、と考えつつ。

 

「そうね。けれど、みんなが頼っている雅楽乃には……そんな風に威厳のあるあの子には……誰かを頼ったり、甘えたりしてはいけないのかしら?」

 

「えっ……そ、それは」

 

 淡雪が口籠もる。ずっと正座していたせいで足が痺れてしまった私には、淡雪と銀姫さまの話していることは解らない。

 

「そう考えたら、例え私が雅楽乃よりも頼りなかったとしても……雅楽乃のことを解ってあげていなかったとしても、あの子に『甘えるな』なんて云えないもの。そうお思いにならないかしら?」

 

「千早お姉さま……」

 

 云い聞かせるようにそう訊ねた銀姫さまに、淡雪はむすっとした表情で応えた。銀姫さまは困惑しながらも、微かに笑みを浮かべて続ける。

 いつもならもっと楽しめるのに、足に気を取られて二人の会話に集中できない自分が憎い。ここで足を崩したら、空気読めないにも程があるし。

 だから私は、私以外の誰かがこの会話を終わらせてくれるのを期待する。そろそろ、真面目に限界が近いから。空気は読みたいから。

 

「私は雅楽乃に出逢ったばかりだから、そんなことが云えるのかも知れないわね」

 

「雪ちゃん、雪ちゃんもお茶菓子食べますか?」

 

「あるの!? もっちろん食べますとも!」

 

「ふふっ、はいはい」

 

 ようやく救いの一声が部屋の奥から掛けられる。密かに足を崩し、何とも云えない感覚に恍惚とする。正座も率先してやりたくはないけど、偶にやるとかなり良い。

 今の私には、いきなりテンション上がった淡雪も、そんな淡雪を見て少し驚いた様子の銀姫さまも気にならない。

 

「梓さんはお茶菓子如何ですか?」

 

 ――と、気を抜いていたところで御前?さんから声が掛けられる。一瞬体をびくつかせた後、慌てて返事をする。

 

「あ、はい! 貰えるのでしたら、お願いします」

 

 返事をした私の横で、銀姫さまに見られていたことに気付いたのか、淡雪はまた頬を膨らませた。ああ、リラックスしてる今だとそんな淡雪が可愛くてしょうがない。

 

「……ご、御前が楽しそうにしてるから、とりあえず何も云わないでおきますけど」

 

「ふふっ……はい」

 

 言い訳を口にする淡雪に、それを簡単に肯定する銀姫さま。意外とこの二人、良いコンビなんじゃないだろうか。まあ、まだこの二人が話しているところなんて二度しか見たことがないのだが。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「ご馳走様でした」

 

「はい、お粗末様です」

 

 お茶と一緒に出された水羊羹を、ペロリと平らげた。これだけでも華道部に見学に着た甲斐があるな。

 満足感を覚えて良い心地になっているところで、ふと気になっていたことがあるのを思い出した。

 

「ところで、華道部には何の関係も無い話で申し訳ないのですが」

 

「何かしら、梓さん」

 

 私の突然の開口にも銀姫さまは和やかに応じた。以前と同じく、銀姫さまの対応は優しい。私も来年にはこんな人になれるだろうか。

 っと、関係ないことはひとまず置いておいて。

 

「あの、千早お姉さま、淡雪さんが哘さんを呼ぶ時の『御前』とは何なのでしょうか? 渾名のようなもの、と考えれば良いのですか? もしそうでしたら、私も哘さんのことは御前とお呼びした方が良いのでしょうか?」

 

 銀姫さまは少し考えるように、組んでいた手の片方を顎にかけた。ちらりと横目で御前?さんの方を見て、次いで淡雪の方へと視線を向けた。

 

「そうね……私もあまり詳しいことを知っている訳ではないのだけれど、渾名とは少し違うと思うわ。二つ名、と呼ばれていて、特別に優れたところがある人に付けられるもの、なのかしらね」

 

「二つ名……ですか……?」

 

 凄く、十四歳病っぽいような……。

 

「そうね……以前に雅楽乃の『御前』という二つ名には、才色兼備でお姫様みたいだ、ということで付けられたと聞いたことがあるわ。そう考えると、二つ名は公式の愛称のようなものと考えて良いのではないかしら」

 

「成る程……説明ありがとうございます、千早お姉さま」

 

 要するに、お嬢様学校だけあって、独特の慣習があるらしい。それも普通の学校じゃあり得ないような、雅?な感じのものが。

 いやあ、探せばもっと面白いことがありそうだ。少しばかりわくわくしてきた。

 

「まあ。千早お姉さまは、私のことをそうお思いになられているのですか? 私は千早お姉さまからそう評価していただける程、殊勝な人間では無いのですが」

 

「そんなことはないと思うわ。私はまだ雅楽乃と知り合ってから日が浅いけれど、それでも貴女がそう呼ばれているのは納得できるもの」

 

「あ、ありがとうございます。千早お姉さまからそう云われるなんて、光栄です」

 

 仄かに頬を紅潮させながら、御前さんが銀姫さまに礼を述べる。はにかんだその顔が、私の琴線に触れて悶えそうになるのを必死で自制する。うあ、じたばたしたい。

 

「そう云えば、今日は華道部はお休みですか?」

 

「ええ、ですから千早お姉さまと御前が入って来て、ちょっとだけびっくりしたと云うか……」

 

 銀姫さまの質問に、淡雪が答えを返す。まあテストが終わったばかりだし、普通は部活休みだよね。私たちが今ここにいるのがイレギュラーなんだし。

 

「淡雪さんは梓さんに華道部の紹介をしに来た、と云っていましたね」

 

「あー、千早お姉さま。私のことは、雪って呼び捨てで良いですよ。御前が呼び捨てなのに私がさん付けされてると……その、何と云うか私が落ち着かないし。それに、淡雪って呼びにくいと思いますし」

 

 淡雪がそう云うんだったら、私も続かないと駄目だよな。さん付けされてること自体、あんまり好きじゃないし。

 

「雪ちゃん、大胆で積極的……でも、千早お姉さまは私のお姉さまですから。取っては嫌ですよ」

 

 ……少し云い遅れたら、御前さんが爆弾発言をしやがりました。私の……お姉さま? 何、それ?

 

「別に張り合おうとか、そういう意図は無いんだけど……」

 

「ふふっ、じゃあ私も雪ちゃんって……そう呼ばせて貰うわね」

 

「え、いえ、ちゃん付けは……まあいっか」

 

 呆然としている私を置いて、いつの間にか話は進んでいた。って、私だけ銀姫さまにさん付けとか耐えられないですから!

 

「あの、千早お姉さまと御前さん。出来れば私のことも、さん付けでは無く、梓と呼んでくれませんか? さん付けで呼ばれますと、私はこう、背筋がむずむずしてしまうので」

 

「解りました。これからは、梓ちゃんと呼ばせて貰いますね」

 

「そうですね。では私も、千早お姉さまに倣って、梓ちゃんと呼ばせて頂きます。構いませんか?」

 

 名前にちゃん付けされるのも子供っぽくて微妙に嫌だが、さん付けよりはまだ良い。名字にさん付けならまだしも。

 

「はい、それでお願いします」

 

「それから、そうですね……梓ちゃん、私のことも、御前では無く雅楽乃と呼んで下さい。あまり、御前と呼ばれるのも好きではありませんから」

 

 少し意外に思ったが、よく考えれば当然かもしれない。銀姫さまの云ったような意味が『御前』に込められているのなら、私だったら恥ずかし過ぎる。

 ……けれど、御前さんが放つ威厳のような何かが、彼女を呼び捨てにすることをためらわせる。同年代の筈なのに、まるで先輩と話しているかのような錯覚を覚えてしまう。

 

「解りました。それでは雅楽乃さん、改めて宜しくお願いします」

 

「こちらこそ、宜しくお願いします」

 

 互いに頭を下げあって、私の疑問はやっと一つ解けたのだった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「……ところで、何の話をしていたんでしたっけ」

 

 お茶を啜りながら、淡雪がふと呟いた。

 

「確か……雪ちゃんが梓ちゃんに華道部の活動を見せようとしている、ではなかったかしら」

 

 湯呑みを盆の上に置きながら、銀姫さまが答える。ああ、そう云えば私って、部活動の見学に来たんだっけ。お茶菓子も食べたし、もう気分的には十分だけど。

 

「……そうでした。それじゃあ御前、始めませんか?」

 

 淡雪が思い出したようにそう口にする。まあ、見せて貰えるのなら見せて貰いましょう。興味が無い訳じゃないし。

 

「ええ、始めましょうか……そう云えば、千早お姉さまも華道を嗜んでいらっしゃるとか?もし宜しければ、腕前をお見せ頂いても?」

 

「まあ、私のは真似事のようなものですから、それでも良いのなら構いませんよ。尤も、雅楽乃には遠く及ばないでしょうけれど」

 

 どう見ても謙遜だと思うけど、銀姫さまはそう云って生け花をすることになった。それにしても、御前さんが『お願い』したせいなのか、淡雪の顔が少しむくれていた……嫉妬かな?

 

「御前、千早お姉さま、早く始めましょう!」

 

「あら、雪ちゃん。そう焦らなくとも良いと思うのですけれど……ああ、梓ちゃん。もしかして、何かご用事がございましたか?」

 

 淡雪の様子を見て、御前さんが私に確認をする。言葉自体は何もおかしくないけど、少し意地が悪そうな笑みを浮かべているのは、きっと淡雪の反応を期待してのことだろう。

 

「い、いえ、今日は帰っても特にやることがありませんから大丈夫です。そもそも私は見学させて貰う側ですし、皆さんの都合の方を優先して下さい」

 

「そうですか? 千早お姉さまと雪ちゃんも、何か不都合がありましたら仰って下さいね」

 

 御前さんの問い掛けに、銀姫さまと淡雪がすぐに答えを返す。

 

「教室でも云ったように、私は何も用事はありませんよ」

 

「わ、私だって別に、何も無いですよ」

 

「でしたら、そう焦らなくとも良いではないですか」

 

 淡雪にどこか挑戦な笑みを向けながら、御前さんがそう云った。不満そうにする淡雪を見て、私は笑い声が出てしまうのを抑えるのに必死だった。横を見れば、銀姫さまも口元を手で隠しながら微笑んでいた。

 

「……とは云いましても、時間に限りがあるのも事実ですから……始めましょうか」

 

「そうですね」

 

「……むー」

 

「あははは……」

 

 あっけらかんと生け花の準備を始める御前さんと、その場で微笑んでいる銀姫さま、そして頬を膨らませている淡雪を見て、私は何とも云えずに笑うしかなかった。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 ――パチン、パチン。

 

「……」

 

 ――パチン、パチン。

 

「……ふわぁ……」

 

 思わず感嘆の息が零れる。言葉に出来ない感覚に、私は息を吐くことしかできない。と云うより、声を出してはいけない気がしている。

 御前さんが、淡雪が、そして銀姫さまが、手元にある花々を、切り、しならせ、形を整えていく。似たようなことをしているようでいて、そこに出来ていくものは大きく違う。

 

 ――パチ、パチン。

 

「……こんな感じで、どうでしょうね」

 

 握っていた鋏を下ろすと、二度三度と見直して、銀姫さまはそう呟いた。

 

「千早お姉さま、もう出来たんですか!?」

 

「まあ、早いですね、千早お姉さま……それに、とてもお上手です」

 

「そうですか? ありがとうございます」

 

 賞賛の言葉を受けて微笑む千早お姉さまに、私は珍しく反応しなかった。華道に疎い私でも解る程に、銀姫さまの作品には人を引き付ける魅力があった。

 別段、煌びやかという訳ではない。逆に慎ましいという形容の方が合っている。けれど、派手とは云えないその花々が、とても魅惑的に見えるのだ。

 横にある淡雪の花々に視線を送る。花の彩りで云えば、こちらの方が断然鮮やかな筈だ。その筈なのに、銀姫さまの花々の方が華やかに見えるのは何故だろうか。

 ……まあ、素人が考えても解らないことだけは確かだ。

 

「……私も、これで完成ですね」

 

 パチン、という鋏の音を最後に、御前さんが鋏を置いた。そうして完成した花を見て、私はまた息を飲んだ。

 脈打つような躍動感、とでも云えばいいのだろうか。本来無機物である花とは懸け離れた雰囲気が、御前さんの花々からは感じられた。

 

「うわ……凄……」

 

「うん、やっぱりうたちゃんは上手いね……」

 

 思わずこぼれた呟きに、淡雪が反応を返した。淡雪も華道部の一員としてある程度の実力はあるのだろうが、御前さんはやはり別格なのだろう。

 何と云うか、御前さんの花はそれこそ作品と呼べるような、一学生レベルのものだとは到底思えないのだ。いくら華道部の部長とは云え、普通はこんなに凄い作品が作れはしないだろう。

 

「やはり雅楽乃は上手ね。流石は華道部の部長と云ったところかしら?」

 

「ありがとうございます。けれど、そう仰る千早お姉さまも、とてもお上手でいらっしゃいますよ」

 

「あら、ありがとう」

 

 銀姫さまと御前さんが視線を絡め合う。御前さんの頬が少し赤らんで見えるのは、きっと初夏の暑さのせいだろう。修身室は風通しが良いので、私としてはまだ涼しい位なのだが。

 

「むー……」

 

 淡雪は手元をパチパチと動かしながら、面白くなさそうな表情で二人を凝視していた。そんな淡雪を見て、私は不覚にも吹き出しかけた。

 今までの二人の会話からして、おそらく淡雪と御前さんは仲が良いのだろう。その御前さんが銀姫さまに懐いているのを見て、友達を取られたような気にでもなっているのだろう。

 ……しかし、刃物を扱うときに集中していないのは危なくないか?

 

「痛っ!」

 

 淡雪が上げた声で、全員の視線がその手元に集まった。花に添えられていた指先から、一筋の赤い線が垂れていた。

 

「あはは……やっちゃった」

 

 淡雪は苦笑しつつ、逆の手に持っていた鋏を下ろした。その刃が僅かに赤く濡れているところを見ると、あれで指を切ってしまったのだろう。

 

「もう、雪ちゃん。刃物を持っている時は手元を疎かにしてはいけませんよ。特にその鋏は切れ味が良いのですから、指を切り落としかねませんし」

 

「うん、気を付ける……ええと、絆創膏ってあったかな……?」

 

 ゴソゴソと鞄の中を漁っている淡雪に、私は財布の中から取り出した絆創膏を差し出す。まさか、私が使うより先に誰かにあげるとは思わなかった。

 

「使って、これ」

 

「あ、ありがと、梓。使わせてもらうね」

 

 柄の無い実用本位の絆創膏を、淡雪は片手だけで器用に傷口に張り付ける。赤い染みが広がるも、直ぐにその勢いは衰えた。

 

「本当は消毒した方が良いと思うけどね……鋏にもばい菌とか付いてるだろうし」

 

 傷口が化膿したらと思うと、恐ろしくて堪らない。例えそれが、自分のことじゃなくても。

 

「あー、うん、別にこれだけで大丈夫だって」

 

「そう? ならいいけど」

 

 でもまあ、淡雪が気にしてないならいいや。切り傷一つで騒ぐつもりも無いし。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 キーンコーンカーンコーン。

 

 下校を促す鐘の音が、修身室にも届いた。

 

「もうこんな時間でしたか。それでは、これで終わりにしましょう」

 

 御前さんはそう云うと手際よく茶器等を片付け始めた。そんな彼女に銀姫様が声を掛ける。

 

「雅楽乃、今日はありがとう。楽しい時間を過ごさせて貰ったわ」

 

「いえ、こちらこそありがとうございました。もしよろしければ、これからも華道部にいらして下さい。華道部一同、歓迎させて頂きます」

 

「そうね、考えておくわ」

 

 会釈を一つして御前さんが部屋の奥に消えていく。遠くで水の流れる音を背景にして、銀姫さまがこちらに顔を向ける。

 

「雪ちゃんと梓ちゃんも今日はありがとう」

 

「いえいえ、私も楽しかったですから……あの、千早お姉さま、お願いがあるんですが」

 

「何かしら?」

 

「都合がついたら、で良いんですけど、私と華道で勝負してくれませんか?」

 

「……構いませんよ」

 

 淡雪のお願いを銀姫さまは快く引き受けた……ように見えた。

 

「けれど、勝負、というのはよく解らないわね。そもそも華道とは競ったりするものではないでしょう? 明確な点数が付く訳でもないのだし、どうやって優劣を付けるつもりかしら」

 

「そこはほら……御前とか、他のみんなに聞けば解りますって、多分」

 

 頭を掻きながら、淡雪は銀姫さまから視線を逸らす。徐々に自信を失っていく淡雪の言葉に、私は口元が緩むのを自覚した。

 

「それじゃあ、次に来た時は一緒に花を生けましょうか、雪ちゃん」

 

「あ、はい! お願いします!」

 

 銀姫さまの言葉に、淡雪は喜びを隠せないようだった。あれだけ上手い銀姫さまと一緒にやれるのが嬉しいのだろう。もしかしたら、単純に銀姫さまと一緒にいる口実が出来て嬉しいのかもしれないが……まあ、こっちは御前さんの領分だと思う。

 

「それでは、そろそろ帰る支度をしましょうか」

 

 銀姫さまはそう云うと、正座の姿勢から立ち上がった。

 

「そうですね。と云っても、特にすることもありませんけど……」

 

 淡雪もそれに続いて腰を浮かせた。別に鞄から何かを取り出している訳でも無いので、帰る支度なんてそれこそ鞄を持つだけで終わってしまう。

 

「淡雪は雅楽乃を待ってる今の内に、鞄の中を整理しておけば? さっき絆創膏探し――ッ!?」

 

 立ち上がろうとした私の体が、勢いよく無様に倒れ込んだ。咄嗟に手を出して顔だけは守ったものの、打ちつけた痛みで這うような体制のままでいるしかなかった。

 

「梓ちゃん、大丈夫ですか?」

 

 心配そうな声を掛けてくる銀姫さまとは裏腹に、淡雪は呆れたような視線を向けてくる。私が倒れた原因を良く理解しているのだろう。

 

「あー、千早お姉さま、心配しなくても大丈夫ですよ」

 

「そうですか?でも、いきなり倒れるなんて……」

 

「多分ですけど……梓、足が痺れたんでしょ?」

 

「え?」

 

 目を丸くしているだろう銀姫さまの方は見ずに、私はコクコクと頷きを返した。ぶつけた痛みのせいか、まだ声がうまく出せずにいた。頭の奥から熱いものが込み上げてきているので、おそらく涙目になっている私の姿は、事情が解っていればとても滑稽に見えるだろう。

 

「ほら、さっきも足を崩してくねくねしてましたし、畳に慣れていないんでしょう」

 

 ……よもや見られているとは思わなかった。注目が集まらない時を狙ったのに……恥ずかしいから。

 

「私も普段はあまり正座をすることは無いのだけれど……」

 

「そう云った体質の方も居るそうですから、千早お姉さまもそうなのではないですか?」

 

「あら、雅楽乃。片づけは終わったみたいね」

 

「ええ、お待たせしました」

 

 手元をハンカチで拭いながら、御前さんが部屋の奥から戻ってきた。未だにプルプル震えている私のことは、一瞥しただけで反応しなかった。事情は理解していたのだろう。

 

「それでは、帰りましょうか」

 

「はい、千早お姉さま」

 

「千早お姉さまは寮生でいらっしゃいましたよね。でしたらそこまでご一緒させて貰ってもよろしいですか?」

 

「勿論良いわ。ええと、それで梓ちゃんはどうするの?」

 

「放っておいて大丈夫ですよ。きっとあれ、もう直ってますから」

 

「……そうなんですか?」

 

 三人の視線が集まり、震えを止めてすっくと立ち上がった。何とも云えない空気が流れる。

 

「そう云えば、もう倒れてからそこそこ時間も経っていたわね」

 

「だからきっと、あれってネタ振りだったんですよ」

 

「成る程……」

 

「……突っ込み待ちだったんですけど、そもそも淡雪以外には伝わっていませんでしたか」

 

 それと、ボケを納得で潰すのは心情的に辛いものがあるので止めてください。泣きたくなります。

 三人の生温かい視線を浴びながら、私も修身室を後にした。

 

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