処女はお姉様に恋してる 季節外れの迷子(フェアリー) 作:パオパオ
キーンコーンカーンコーン。
「今日はここまでにします。委員長、号令を」
「起立、礼」
教師が退室するのを見送って、小さく息を吐いた。手元の紙に視線を落とす。赤く目立つ六十五の算用数字。もう少し良い点が取れそうな手応えだったのだが、詰め込みではこれが限界だったのだろう。
授業が終わったのとは別に、精神的に疲れるものがあった。場所が変わればテストの傾向が変わるのも当然だが、成績に悪影響が無くとも、もう少し良い結果を残したかったのだ。
「梓、次は体育だから、早めに更衣室に行こう」
「はぁーい」
前の席に座っていた淡雪が鞄を持って呼び掛けてくる。おざなりに返事をしつつ、私も着替えを持って立ち上がる。
因みに、さっき返却された淡雪のテストは七十三点だった。勉強しないと公言していた癖に、私より高得点なのは納得しがたい。まあ、ある意味いつものことなのだが。
私の僻みに満ちた視線に気付くこと無く先を進む淡雪を見て、私はもう一度息を吐いた。
「私って、やっぱり頭悪いんだろうな……色々な意味で」
呟きが私の口から零れる。顔を上げた私の瞳が振り返った淡雪の姿を映した。
「梓ー、どうかしたのー?」
「ごめん、今行くー」
頭を振って心持ちを新にし、小走りに淡雪に近付いていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「はい、整列!」
ピー、という笛の音が体育館に反響し、二クラス分の生徒がぞろぞろと集まっていく。私達二年C組と、お隣の二年D組を合わせた八十人近い女生徒が整然と並んでいるのは、個人的に物珍しさがあった。そもそも、徹頭徹尾男性が排除されたこの学院内では、そういった光景は日常的に見られるのだが。
「テストも終了したことですし、後数回で今やっているバスケも終わりになります。説明している時間ももったいないので、早速始めましょう。それぞれのグループに分かれて、各自で準備運動を済ませておいて下さい」
先生が簡単に説明を終えたところで、私は元気良く挙手した。
「はい! 先生、質問があります!」
「何でしょうか、えっと……」
云い淀んだ先生を見て、その理由が思い当たった。私に見覚えがないのだろう。
「先日転入してきました、二年C組の連城梓です! それで、私はどこのグループに入ればいいのでしょうか」
「ああ、貴女が連城さんですか。そうね……ああ、相澤さん達のグループは他より一人少なかったわね?そこに入って下さい」
「はい、解りました……?」
相澤さん? ……誰?
「私も相澤さんと同じグループだから、一緒だね」
……とりあえず、淡雪と行動を共にすれば大丈夫だろう。後ろを向いて小声でそう云った淡雪に頑張ろうと伝え、気を付けの姿勢を意識した。
「他に質問はありませんか? ……無いようですね。それでは皆さん、準備を始めて下さい」
はい、と揃った返事が返され、女生徒達は散らばった。数人のグループに分かれて談笑しながらストレッチしたり、ボールを取りに行ったりと様々だった。
「いや、一緒のグループになれて良かったよ。何分、友達の少ない身なものですから」
「クラスの中じゃ私とケイリだけじゃない? もう少し交友関係は広げなさいよ……」
「だから、これがいい機会になるんじゃないかな、って思ったり」
「そういえば、梓って運動得意なの?」
「それは見てのお楽しみ、ってね。ま、期待していて下さいな」
「あの……」
ふと気が付くと、私と淡雪の周りに三人の女生徒が集まっていた。クラスメイトとの交流が壊滅的な私では、彼女たちの名前が解らない。胸元に縫いつけられた名札を見なければ。
「えっと……相澤さんと、早瀬さん。それに、櫻井さん、だよね? これから宜しくお願いします」
「あ、はい。こちらこそ宜しくお願いします、連城さん」
差し出した手を、黒いおさげ髪の少女が恐々と掴んだ。軽く力を入れて握ると、きゃっという悲鳴が少女の口から零れ出る。パッと手を放すと、申し訳なさそうな顔で頭を下げられた。
「宜しくお願いしますね、連城さん。まだあまりお話したことはありませんから、これから仲良くしましょうね」
早瀬という名札を付けた茶みがかった髪の女性が、空いた私の手を握りながら微笑み掛けてくる。私も笑顔を浮かべて、はいと答えを返す。
「宜しく、連城さん。私はあまり運動が出来ませんので、頼りにしていますよ?」
同じグループの最後の一人である、華奢な体躯の櫻井という名の少女は、冗談っぽくそう云って手を差し出してきた。
「はい、精一杯頑張りましょう! 負けるつもりはありませんから!」
私はまだ外様と変わらないけれど、頑張ろうと思う。特に、体育なんていう絶好の活躍の場なんだから、自重する必要も無い筈だ。
とは云っても、正直ブランクがそれなりにあるのも確かだ。引っ越しの手続きやらテスト勉強やらで、最近碌に体を動かしていなかった。これでどこまで動けるか疑問は残るが、とりあえずストレッチだけはガッツリやっておかないと。
櫻井さんの小さな手をしっかり握り締めながら、闘争心が燃え上がっていくのを感じた。
……痛い痛い放してー、と軽く涙目になっている彼女や、私の手を外そうとしている淡雪にも気付かずに。
……要、反省だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それでは、AグループとEグループ、CグループとGグループの試合を始めます。用意」
ピー!
笛の音が高らかに響き渡ると同時に、審判役の女生徒がボールを高く放り投げた。それに続くようにして、相澤さんと相手側の女生徒が垂直に跳ぶ。
「やぁっ!」
「きゃっ!」
背の高さの違いが大きかったせいか、ボールは相手側に回った。あのDグループの女子、目算でも百七十センチはある。そんな相手を相澤さんに任せたのは失敗だっただろうか。いや、今は考えるよりも行動しないと!
「このっ」
「ふっ!」
止めに行った淡雪がするりと躱される。ボールを持っている女生徒の動きが、どう見ても経験者のそれだった。こっちには現役運動部員なんて居ないんだから、少しは自重してくれればいいのに、なんてことを考えたりする。
「えいっ!」
抜かれかけた早瀬さんが伸ばした指の先が、相手の女生徒の持つボールを掠めた。ボールの跳ねる方向が変化する。
「あっ……と、ナイス、おっさん!」
「おっさん云うな! 馬鹿山ぁっ!」
危なげなく相手側の生徒がボールを回収し、そのままゴールへ突き進む。軽口を叩けるあたり、二人には余裕が感じられた。
「止め――」
「っ、はぁっ!」
立ちはだかった櫻井さんを見て、おっさんと呼ばれた女生徒はすぐさまドリブルを止めてシュートを放った。美しい放物線を描いて落ちるボールがリングを通過する。
「よし!」
ボールが床を小刻みに跳ねながら、馬鹿山と呼ばれた女生徒をマークしていた淡雪の足にぶつかる切り込んできた二人がハイタッチを交わすと、観戦していた生徒たちが歓声を上げた。
「まずは一点、ってところか?」
「そうね。少し大人げない気もするけれど……」
「いやいや、バスケ部員として、これくらいはやらないとな。折角の活躍の機会なんだしさ」
「そうかな? そうだね。そうだよね」
おっさんと呼ばれた女生徒がうんうんと何度も頷く。いや、そこは自重しようよバスケ部。って云うかバスケ部員が固まってるとかどんな悪夢だ。
同じグループのクラスメイト達を見ると、やはり少しは気落ちしている様子だった。けれど殊の外悔しそうに見えないのは、こうなること予想していたからだろうか。
「ドンマイ! 次頑張ろ!」
「う、うん! そうだよね。次、頑張りましょう」
敵陣の奥からやっと戻ってきた私を相澤さんが迎える。相澤さんはまだやる気に満ちている。
「流石にバスケ部なだけあって、あの二人は上手いわね」
「せめて一点くらいは取りたいけど、五分じゃ難しいかなぁ」
「あっさり抜かれてしまいましたし、難しいでしょうね……」
「あぅ……」
早瀬さんと淡雪、それに櫻井さんが気勢を削ぐような言葉を並べる。そう思ってしまうのも仕方が無いのかもしれないけど、諦めるには早過ぎる。
「んー……ねぇ淡雪、こっちにボールくれない?」
「へ? あ、うん。はい」
足下に転がっていたボールが差し出される。
「そうじゃなくて、試合中に私にボール回して、ってこと」
「ああ、そういうこと? うん、解った」
「宜しくね、淡雪」
流れを変える。そのための一手を考えながら、体を解していく。
「とりあえずは、一点、かな。後は追々考えていこう」
口の中で呟きながら、私は戦いの準備を進めていった。勝てるかどうかは解らないが、全力は尽くす。その精神もまた、私の中に未だに根強く残っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「せー、のっ!」
エンドラインの奥にいる淡雪が投げたボールが、相手のバスケ部二人を避けて私の元へ届く。意外と力はあるらしく、ボールは中々に速さが乗っていた。
まあ、その分コントロールは損なわれているようで、私の近くに張り付いていた相手チームの女生徒へ向かっていったのだが。別に問題も無いので、動くとしよう。
「えっ?」
ボールを奪取し、そのままドリブルして女生徒の脇を抜けた。彼女は反応出来なかったらしく、手を伸ばした体勢で立ち尽くしていた。
「っ! 水仙寺さん、萩原さん、止めてっ!」
馬鹿山?さんが鋭い声を発し、それと同時に二人の女生徒が私の前に立ちはだかる。ジャンプボールをした背の高い女生徒と、それとは逆に小柄な女生徒の二人だった。
身長差が二、三十センチもあるときついが、本職相手じゃなければどうにでもなる、かな?流石にこの二人までバスケ部なんてことは無いだろうし。
「……」
「やあっ!」
フェイントを軽く入れ、大柄な女生徒と私の間に小柄な女生徒を挟む。至近から伸ばされた手をひらりと躱し、そのままゴールに向かって直進した。
「くぅっ!」
大柄な生徒は小柄な生徒の体が邪魔になってその手を届かせることが出来ない。でも、直ぐにゴール下に戻ろうと判断したのは称賛に値すると思う。残念ながら、それより先に私はレイアップ投げられるんだけどね。
走る勢いに乗って軽く跳躍し、バスケットに載せるようにボールをふわりと投げる。リングの上で二度三度と跳ねる音を耳にしながら、足を揃えて着地する。
「っぶなー! 危なかったー!」
おっさん?の言葉通り、残念ながらボールはリングを通らず落下していた。その言葉に私は即座に失敗を悟り、次の行動に移った。
落ちている最中のボールを右手で掴み取る。そういえば、前の学校の女子連中でこれが出来た人って多くなかったな、等と関係ないことを思い出しながら膝を大きく曲げた。そして、溜めたエネルギーを爆発させ、飛翔した。
「なぁっ!?」
「へっ?」
「えぇっ!?」
「はぁっ?」
其処彼処(そこかしこ)から驚愕の声が聞こえる。別に不思議なことでは無い。今の私は、一メートル以上も垂直跳びして空中に居るのだ。
私は運動が得意だと公言できる程度には、自信の能力に自信を持っている。その中でも特に得意な"跳躍"という行為は、昔から他の追随を許したことは無かった。そしてそれは、かつての運動が得意な仲間内でも変わらなかった。
だからこそ、私は自分が図抜けて"跳べる"ということを自覚しているし、それに対する他の人の反応も慣れている。と云うより寧ろ、狙ってやっている。
しかし、ああ、懐かしいこの感覚。運動の最中に注目が自分に集まった時の、この昴揚感。背筋に電流がビリビリ走るようなこの快感は、何度経験しても堪らない。病みつきになるのも仕方が無いだろう。
こうして、人の視線を浴びて性的興奮にも似た感覚を覚えるのは、私がマゾヒストだからなのだと、以前相談した友人に聞かされた。それも、ドが付く程の、らしい。
そんなことを云われた当時は勿論反発したが、こうして今、絶頂にも似た興奮を覚えている私は、確かに変態だと認めなければならないだろう。だがそれも私の一部であり、私のアイデンティティーを構築するパーツなのだ。否定する気はまるで起きなかった。
「っやあああぁぁぁっ!」
右手でしっかりと握り締めているボールを、力の限りリングに叩きつける。ダンクシュート。バスケのシュートの中でも、特に見栄えがするものだろう。乱暴になりがちなのは、流石にどうしようもない。何せ今は、興奮しっぱなしで自制が効きにくいのだ。
普段ならもう少し押さえられたのだろうが、いくつかの条件が重なっていてそうもいかない。百人近い生徒が私一人に注目し、またここ最近運動出来なかったので鬱憤が溜まっていて、なお且つそれが発散出来る場が与えられた。
そんな状態でまだ自制が効かせられる程、私は大人ではなかった。と云うか、大人の方が箍(たが)が外れたときは酷いんじゃないだろうか。
勢い良くネットを揺らしたボールが床を跳ね、ダンという着地音が続く。小刻みに跳ねるボールの音を最後に、体育館から音が消えた。怪訝に思うも、そんな間は無かった。
きゃあぁぁあああぁぁぁぁあああああっ!!
耳を劈(つんざ)くような歓声が大音量で響き渡った。地面が揺れたような錯覚を覚え、爆音から守るように反射的に耳を塞いだ。
「は、え、何? 何なの?」
いきなりの状況の変化に付いていけず、目を白黒させながら辺りを見回す私の元に、興奮した様子の淡雪達が駆け寄ってきた。
「凄いじゃない、梓! 何? 元バスケ部だったりするの?」
「連城さん、凄いです! 三人も抜いて、ダンクシュートを決めるなんて!」
「確かに、あのダンクシュートは格好良かったわね。それにしても、本当に驚かされたわ。連城さんって、運動神経が良いのね」
「連城さん、良いものを見せて貰いました。期待に応えてくれてありがとうございます」
「あ、ありがと……?」
流石に、ここまでの反応が返ってくるとは思っていなかった。いや、心のどこかでは予期していたのかもしれないが、それにしてもこの反応はどうだろうか。
高々一発ダンクを決めただけなのに、こうもベタ褒めされると奇妙に感じる。第一、バスケ部員と競った訳でも無いのに。
「はーい、そこ、静かにー! ちょっと騒ぎ過ぎですよー! いい加減にしないと、成績下げますよー!」
先生の言葉が聞こえるが、喧噪の熱はまだ冷めそうも無い。どうしたものかと思いつつ、私は頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
直に狂騒も収まりを見せ、互いに配置に就いていった。擦れ違ったバスケ部の二人の顔が引き締まっているように見え、思わず口角が吊り上がった。
「……」
「……」
ダンクを決めた時とはまた別の意味で、コートが静寂に包まれる。お互いに真剣味が先程までとはまるで違う。楽しい試合が出来そうだと思った瞬間、大柄な女生徒が奥まで下がった馬鹿山?さんにボールを投げ渡した。
試合、再開だ。地面を蹴ってバスケ部の二人組を抑えに行く。私とは別に桜井さんがおっさん?へ、淡雪が馬鹿山?さんへとそれぞれ妨害に向かった。
しかし、相手もやはりバスケ部なだけはあった。二人の妨害を物ともせず、小刻みにパスを回しながら凄まじい速さで突き進んでいる。だが、私の勝機はそこにある。
「あっ!」
高めに投げられたボールを、私は苦も無く奪取する。ボールを抱えて着地し、すぐ傍まで相手が近付いていることを見て理解する。バスケ部のダブルチーム相手にドリブルで抜く……流石に厳しいか。
そう判断すると、即座に体勢をシュートのものに切り替えた。スリーポイントラインどころかセンターラインより遠いが、相手を抜くよりは現実的だ。
頭上に上げた手から放られたボールが、弧を描いてバスケットに近付く。ガン、とリングの端にぶつかって落ちた。
「……やっぱそう上手くはいかないか」
内心で舌打ちを鳴らし、素早く次の行動に移る。相手側は既にリバウンドを済ませた大柄な女生徒から、戻ってきた馬鹿山?さんへとボールが回っている。こちらを見る視線が更に厳しくなっているので、警戒が強まっているのだろう。
とりあえず馬鹿山?さんを止めようと近付いたが、手の届かない位置への鋭いパスがおっさん?へと通った。バシンと良い音が鳴り、痛そうだなと余計な考えが脳裏を過(よぎ)る。
駆け出そうとした体を、寸前になって止める。私が今動いたところで、出来ることは何も無い。
自陣の深くまで入り込んでいるおっさん?は既にボールをシュートしているし、バスケット下では早瀬さんが待機している。寧ろ今は、切り返しのために前に出ておくべきだ。そう判断した私の視線の先で、リングを潜ったボールがネットを大きく揺らした。
「ぅしっ! どうだっ!」
「うん、上手いと思うよ。バスケ部なだけはあるね」
誇らしげな馬鹿山?さんにそう云う。若干上から目線になってしまったのは意図したところではない。シュートを決めたおっさん?なのに、馬鹿山?さんが自分のことのように喜んでいるのが羨ましく思ったからでは、ない。
……本当は、その姿に懐かしさを覚えていた。かつての友人達とのやりとりを思い出す。あの小さな集まりの中で私は弄られる側だったものの、とても心地良かったものだった。
「……はっ」
自嘲しながら頭を振って感慨を追い出す。今の私が居るのはあそこでは無い。聖應女学院というお嬢様学校だ。もう関係無いとまでは云わないが、思い出にするにしても早すぎるだろう。
それよりも、と思考を戻す。今は試合に集中するべきだ。視線を送ると、淡雪達の表情からは自信が無くなりかけていた。まあ、あっさりと点を取られたのが響いているのだろう。そちらに向かいながら、考える。
私が点を取るのは、それ程難しいことでは無いと思う。身体能力に関しては私の方が上だろうし、本職ではないにしろ私もバスケの心得はある。
転がっているボールを拾い、立てた人差し指の先で回転させる。こういった小ネタはかなり練習したので失敗するようなヘマはしない。指先で回るボールを見て、淡雪達は見入っていた。
「んー……それじゃあ次、ちょっとやってみたいことがあるんだ」
淡雪の顔を見て、私は微笑みを浮かべる。
「……え、何? 私?」
「うん。淡雪にちょっと頑張って貰おうかなって」
回転していたボールを早瀬さんに渡す。
「時間も後二分切ってるし、作戦を話したら直ぐ始めるからよく聞いててね。勿論三人にもやって貰うことはあるから」
「う、うん。解った、聞かせて」
ペロリと舌舐めずりをして、唇を湿らせる。そして、緊張している四人に考えたばかりの作戦を伝えた。
……上手く行くと良いけど、こればっかりは保証出来ない。最善を尽くしても、失敗するときは失敗するものだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
早瀬さんからボールを受け取る。作戦を伝えるのに時間を割いたため、相手は完全に配置に就いている。前に出ているのは馬鹿山?さんと最初に抜いた一人。おっさん?は中央でこちらを凝視していた。
警戒されてるなと若干呆れ混じりに思うが、仕方が無いかとも思う。バスケ部が二人も揃っているグループが、運動部員すら居ないグループと得点で一時的に並んでいたのだし。相手がそのことを知ってはいないと思うが。
じりじりと距離を詰めてくる相手を前に、私はその場でドリブルをしたまま動かない。いや、体勢は変えているものの、足を動かそうとしていない。ギリギリまでそれを続ける。
相澤さんと桜井さんがそれぞれバスケ部員をマークしているが、やはり効果は薄い。薄くとも効果があるだけ十分だと考える。素人なんだし、実際大して期待していない。
限界が近付くも、把握していた状況から成功も近付いていることを知る。体の向きを早瀬さんの方に動かし、注目がそちらに逸れた一瞬で跳び上がった。
「淡雪っ!」
叫んで、思い切りボールを投擲する。全力で投げられたボールは、一度二度と跳ねて勢いを削がれながら淡雪の腕の中に潜り込んだ。
「っ痛ぅ」
痛みで顔を僅かにしかめながらも、ボールを取り落とさない淡雪を心の中で称賛する。勢いの乗ったボールを受け取るのは、慣れていないと存外に痛い。特にあんな、胸で受け取るような真似をすれば、私でも痛みを感じるだろう。
「萩原さん、止めて!」
「解った……!」
「うわっ、待ってよっ」
ぎこちないドリブルで進み始めた淡雪に、奥に居た残りの一人が立ち塞がる。焦った様子を見せる淡雪に、内心で不安が募っていく。
「うっ……もう、ええい!」
何を思ったのか、淡雪はドリブルを止めてシュートを撃った。少し遠いように思うが、大丈夫だろうか。不安になりながら、ボールの行方を見守った。
少し歪な放物線を描いて進むボールは、バスケットではなくボードにぶつかった。そして、跳ね返ったボールがリングを通過する。その光景を見届けると、私は声を張り上げた。
「淡雪、ナイス!」
「あ……うん!」
嬉しそうな声音の淡雪にサムズアップする。こちらに気付いた淡雪も、サムズアップして返す。晴れ晴れとした笑顔の淡雪は、とても魅力的に見えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結果としては、三対四で敗北した。メンバーの地力の差が露骨に出た形になる。
私一人をバスケ部の片割れともう一人で抑え、残った相手が総力で攻めてきたのだが、それを守る力がこちらには無かった。後で聞いた話だが、相手は五人とも運動部員らしい。私一人居たところでどうにかなる訳が無い。
それにしても、たったの五分とは云え、久々に思い切り運動出来たのは良かった。やっぱり体を動かすのは気分が良いと、改めて思い直した。
……試合が終わった直後に、やたらと部活勧誘されたのが面倒だったけど。一つの競技に熱中するのは柄じゃないんだよなあ。自分が不真面目なのは解っているけど、どうしたものかな。
興奮の中に僅かな憂慮を残して、更衣室への道を歩いていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……これは、酷い」
「その、さ。梓って、テストとか苦手な人?あれだけ勉強してたのに、その点数って……」」
「云わないで……馬鹿なのは自分でも解ってるからさ……」
三コマ目の授業が終わって、私は頭を抱えていた。既に体育の後の興奮は冷め、上がっていたテンションは底辺まで落ち込んでしまっている。
理由は単純極まる。返ってきたテストの点数だ。五十二と赤い斜体で書かれた数字は、見る度に溜め息を吐きそうになる。
発表されたクラスの平均点は六十四点。再考査が五十点未満だと伝えられて、点数が取りやすいテストだったと理解させられる。
因みに、淡雪の点数は六十八点。いまいちだった、と云う淡雪が白々しく感じられた。淡雪に悪気は無いのだろうし、勉強していない癖に、と悪意を持ってしまう自分が嫌になる。
「っと、先生来た!」
「え、うわ、まだ授業の準備してないって!」
ぼんやりと眺めていたテストを仕舞い、慌てて授業の用意を取り出していく。途中、紙が潰れる感触がするも、気にせずそのまま奥に押し込んだ。あんなテストがどうなろうが、知ったことではない。
「はい、授業を始めます。委員長、号令を」
「起立、礼」
チャイムが鳴ったのは、皆が席に着いたのとほぼ同時だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今日は母が珍しく寝坊したため、昼食は学食で取ることにした。同席するのは、同じく弁当を持ってきていない淡雪とケイリの二人だ。
もし弁当を持ってきたとしても、今日は教室内で食べようとは思えなかった。何というか、自意識過剰で無ければ、私へと向けられる視線が痛いのだ。あれでは折角の食事が美味しく食べられそうにない。
「それにしても、大活躍だったね、梓」
スパゲッティーをフォークでくるくる巻きながら、ケイリが話しかけてくる。そんな動作一つとっても行儀良く見えるあたり、本当にお嬢さまなんだな、と改めて思い知らされる。
「うん?ああ、二時間目のこと?そこまで大活躍、って訳でも無いでしょ、あれくらい。普通だよ、普通」
お腹が空いたのでとりあえず肉、と頼んだハンバーグを口に運び、その味の良さに驚く。いつも家で食べている肉よりも質が高そうだ。うむむ、と唸る私を、二人が少し呆れたように見た。
「いや、無いわ。あれが普通ってあり得ないでしょ。梓って前は何やってたの?」
「そうだね。普通の人はあんなに高くジャンプなんて出来ないから……梓?」
「……週二、いや週一くらいで学食にして貰おうかな? でも家計に余計な負担かけるのもなあ……って、うん?何?」
考え事から戻って顔を上げると、何故か駄目な子を見るような視線を向けられた。何も云わないようなので、ハンバーグをもう一切れ口の中に放り込む。もぐもぐと口を動かす私を見て、二人は揃って小さく溜め息を吐いた。
「だから、前は何か部活とかやってたのか、っていう話。部活じゃなくても、何かスポーツはやってたでしょ?」
「……うん。運動を少々、ね」
付け合わせの人参のグラッセをフォークで突き刺し、噛(かぶ)りつく。強過ぎないバターの風味が広がり、人参の甘さに目を細める。
「運動って……また曖昧な答えね。じゃあ、具体的には?」
「んー……」
一度持っていたナイフとフォークを置く。ナイフの使い方は未だにぎこちないが、練習ということで使っている。開いた両手の指を十本とも立てる。
「バスケ、サッカー、ソフト、バレー、水泳、卓球に、ハンドボール、ドッジ、テニス、それと陸上もそうかな? まだあるけど、パッと思い付くのはそれ位かな。ああ、剣道とか柔道とか、後は新体操とかのルールが面倒なのは殆どやってないね」
立てた指を順番に折っていく。視線を手元から上げると、二人の動きが止まっていた。
「どうかした?」
「いや、どうかしたじゃなくて。何なのよその数は? 普通、一個か二個じゃないの?」
「好きな時に好きなものをやってたからね。それが『運動部』クオリティーってやつですよ」
「『運動部』、か。察するに、運動部の助っ人みたいなことでもしていたのかな」
「イエス、その通り!」
ナイフの切っ先をケイリに向ける。銀の刃が肉の脂でぬらぬらと照っている。
「ナイフを人に向けるのは行儀悪いわよ」
「あ、それはごめん」
注意され、直ぐにナイフを下ろす。そもそも人に向けるものじゃないしね、これ。一応ナイフだから、万が一のこともあるかもしれないし。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
各自の食器の上にある食物が残り僅かとなった時、不意にケイリが口を開いた。
「ところで梓、貴女は自分が噂になっていることに気付いているかい?」
「はあ? いくら何でもそんな訳は無いでしょうに」
思わず手を止めて反論する。だが、ケイリは澄ましたような表情を崩さずに続ける。
「そんな訳があるんだよね。ほら、耳を澄ませてみなよ」
拒む理由も無いので、云われた通り意識を周りに向ける。騒めきの中から漏れ聞こえる、丁度近くに居た生徒達の声を拾っていく。
――今日、二年のバスケで――
――一メートル近くもジャンプしてダンクを――
――嘘?あり得ないでしょ――
――でもうちの後輩が見たって――
――じゃあどんな娘なの――
「……結局、皆さんは何を話していらっしゃるのですか? あまり意味が汲み取れませんでしたが」
何故か変な敬語になった。
「多分、梓のことだと思うよ?あれだけ派手なことをしたんだ。閉鎖的なこの学院の中なら、噂になって広がるのも時間の問題だとは思っていたけど……予想以上だね」
誇張でも何でも無いように云うケイリに、私は一縷の望みを掛けて聞き返す。
「……マジで?」
「マジで、だよ」
クスリ、とどこか悪戯っぽく見える笑みが、こちらを眺めるケイリの口元に浮かぶ。冗談のように告げられた言葉は、とてもじゃないが冗談には聞こえなかった。
「はぁー……お嬢さま学校って凄いね。たかが体育の授業で少し目立った位で学校中に広まるとか……驚いた、としか云えないかな」
息を吐いてそう云った私に、淡雪は変なものを見たかのような顔を向けてきた。
「あのねぇ……梓のアレは、たかがで済むようなものじゃないでしょうに。どこにメートル単位で垂直跳び出来る女子高生が居るのよ」
呆れる様子を隠そうともしない淡雪の視線を受けて、右手に持ったナイフで自分を指す。ケイリと淡雪が更に呆れたような気がしたが、私は気にせず手を動かす。
左手のフォークに刺さった最後の肉片を口の中に入れる。うん、やっぱり美味しい。今度から母に頼んで週一位は学食に行かせて貰おう。
「梓はさ、自分が没個性な一般人だとか思ってる?」
じと目で睨まれる。当然のように首を横に振ると、淡雪は額に手を当てた。ケイリは口元を押さえているが、体が小刻みに振動しているところを見ると、笑いを堪え切れていない様子だった。
「自覚してるのに、どうしてそれが表に出てこないのよ……」
「だって私、変人だとは自覚してるよ? それに、昔から諦めるしかないと自覚する程度には、頻繁に騒ぎに巻き込まれてたしさ。前の学校で合計何枚反省文書いたか解らないしね」
「……梓って、意外とやんちゃだったりする?」
「私が引き起こしてる訳じゃ無いよ。幼馴染やらの姦計に嵌められて、毎回毎回連帯して責任負わされてたの。私の意志なんて関係無しに巻き込まれるから、ただ罰を受けるよりも楽しもうと思ってただけ」
「何と云うか……ご愁傷さま?」
「その結果、今の私があるんだけどね」
頬杖を突いて視線を中空に送り、ぼんやりと回顧する。いつも私に責任を押しつけていた友人達の姿を。傍観者から始まって、最後は必ず当事者になっていた昔を。刺激に満ちていても、決して嫌では無かった日常を――
キーンコーンカーンコーン。
――思い出そうとして、丁度予鈴が鳴った。ハッとなって周りを見渡すと、もう学食に残っている生徒は殆ど居らず、その数も急速に減っていた。
「っと、いけない! ケイリ、梓、急いで片付けるよ!話はまた今度ね」
「そうだね。何、時間はまだまだあるんだ。急ぐ必要なんて無いしね」
「解った。じゃ、えっと」
「ほら、分担して作業しないと授業遅れるよ! こっちに食器重ねて!」
パンパンと手を叩いて指示を出す淡雪を見て、私はどこか懐かしさを感じた。そのことに気付き、軽く頭を振って思いを逃がす。どうやら、私らしくも無く望郷の念に駆られているらしい。
ここでの生活が始まって、やっと落ち着いてきたということだろうか。何せ日常の中でそういったことを考える余裕が生まれたのだから。それ自体は良いことの筈だ。
けれど、昔のことを思い出さなかったことは良かったのか、それとも悪かったのか。未だ判断は付かず、また付けるつもりも無い。彼ら彼女らはただ対面することが難しいだけで、文を送ることも、声を聞くことさえも出来るのだから。
過去にするには、少し早過ぎる。