無縁塚で、独りごち 〜この難易度Lunatic幻想郷で〜 作:胡桃の中の団子
黒いアゲハチョウが池の草花の周りをひらひらと飛んでいた。季節は春真っ盛り。小傘が「わぁ」と、何やらその光景を目にして足を止めているが、幾何紗としてはそんな光景はあまり響かなかった。
アゲハチョウを視界の端に追いやりながら、無邪気に、淡々と、草花を踏み鳴らして緑の絨毯の隙間に外来品が流れ着いていないかの確認をしていく。
その様を見て蛮奇はこう評した。
「やっぱり真成ちゃんって、普通に怖いよね。無自覚というか何というか」
「雑草って、踏んだりすると小賢しいらしくて、逆に良く育つって聞いたことがあるの」
「だからといって平気でそれができるのは、まさに真成ちゃんって感じなのよ」
呆れた話だ。蛮奇はまるでそう言わんばかりに頭を振った。
小傘がぴょこぴょこと効果音がつくような足取りで、ガラクタをまさぐっている。
黒いアゲハチョウがそんな三人から逃げるように、水草の葉っぱの上に留まった。そういえば蝶々なんかも見かけたことは殆ど無かった。が、珍しいものだ。まるで自然に興味がなかったからかもしれないが、例年よりも遥かに瑞々しいような気がする。
目を細めて額に滲んだ汗を拭う。骨組みだけの傘がパッチワークみたいな感じで、半透明のゴミによって覆われる姿が目に浮かぶようだった。
「す、スイレンはまだ咲いていないんですね。あと、幾何紗さん、こんなので合ってますか?」
小傘は半透明なビニールをおどおど集めながら震えた声調子で呟いた。
「グッド! それで合ってる!!」
幾何紗はハンドサインで太鼓判を押した。しかし小傘の反応は頗る悪く、引き攣った笑みで頷きはすれど……といった感じだ。
……おかしい。殺意は大分深呼吸を繰り返して抑えているはずだった。あの羽蟲もとうとうどこかに飛んでいってしまったし。
小傘の引き攣った笑みを見て、ようやく幾何紗は半歩後ろに下がった。
そしてそれはどう覆そうとしても今さら遅い問題らしい。
所作に狂気が染み付いているのだ。
思い返して見れば、ここ数年で殺した有象無象は数多い。容赦もなかった。
秘めた残虐性は隠しても隠しきれないのかもしれない。
幾何紗がかつて喉元を貫いたときの、空気の抜けるような断末魔や生暖かい感触。それらは今もなお、ビニールを拾い集める彼女の手の内で地続きなのは言うまでもなかった。
普通ならば忌避感を多少なりとも抱いてはいいはずだ。
だが、幾何紗には知ったことではない。
あいも変わらず、邪悪な笑顔を絶やさずに小傘と接した。
「結構集まったね、ゴミが!」
軽やかな足取りで豆腐小屋に戻っていく幾何紗に、小傘は誰にも気付かれないように、はたと溜息をついた。
「悪いやつだと思う?」
その一言に身体がびくりと跳ねる。
唐突な蛮奇の問いに、小傘は遠い目をしながらおそるおそる口にした。
「悪くないけど、怖くて眩しい」
蛮奇はそれを聞いた瞬間、吹き出した。
「ふふっ少なくとも眩しいはあり得ないわ。あいつが、ねぇ……!」
そう一頻り笑いをこらえた蛮奇は、旧知の友に対して、優しくポンと背中を押した。
豆腐小屋に少し遅れて戻ると、幾何紗は犬型ロボットをちょうど片付けている最中だった。
「それ、どうするの?」
蛮奇はさり気なく尋ねた。
「今度香霖堂に持っていこうと思って。これがツケの代わりになればいいよね〜」
「あの眼鏡の店主のことなんだけど、あんまり信用したらだめよ」
「どうして?」
「えっと……商人の言うことなんて話半分でいいから」
「森近を商人て呼ぶの、辞めてほしいな」
蛮奇が「ごめんなさい」と目を逸らした。
「……それでも」
「……」
幾何紗はその時、友達について少し考えが過った。
先日、蛮奇が何かを言い淀んでいた件だ。蛮奇はもしかしたら、森近をあまり快く思っていないのかもしれない。
幾何紗は森近と友達だと思っている。そして蛮奇に対しても同じような情を抱いている。
いや、少し違う。森近にはビジネスライクな感情を大半に寄せているが、長い付き合いだ。
なんだかんだ幾何紗があの悪魔に叩きのめされてから、はじめて出会ったのが森近だった。ある意味では、特別な感情を抱いている。
ただし、向こうがそうとは限らないと言いたいのだろうか。
……商人だから?
そんな理由で蛮奇が森近を警戒するには理由が薄いと見える。
もっと他に何か別の理由があるに違いないだろう。
だとしても、だ。虎穴に入らずんば虎子を得ずというように、それが香霖堂に赴かない理由にはなり得ない。喩え蛮奇の忠告が正しかったとしても、だ。
ふっと我に返り「ありがとう」と言うと、蛮奇は「うぅん」とぎこちない返事をした。
要領を得ない回答だったのかもしれない。幾何紗は色々な心配をしてくれたことに感謝を伝えたつもりだったが、彼女が『ありがとう』と述べると、“忠告“ありがとうという不遜な態度にも見て取れる。
幾何紗は自身の殺気が漏れていることを察して、深く息を吸った。
「森近は数年の長い付き合いなの、唯一のね。だから大切にしたいのは本当。向こうはどう思っているか知らないけど」
「案外優しいのね」
「そう? 裏を返せば利己主義っていうんじゃないの、こういうのって」
「誰もそんなことは思わないし、そう思ったやつがいたら懲らしめるんでしょ。真成ちゃんは」
「さっすが分かってるぅ! ……で、この骨組み傘、誰がどう修理するの?」
「わちきがやります。一応……そういうのは得意なので」
小傘の予想外の申し出に、蛮奇が付け足した。
「小傘は鍛冶が得意なの、こういうのもできるのは知らなかったけれど」
「何百年も生きてると傘が破れるなんて茶飯事みたいなもんだよ。しかも傘って何かと金がかかるからさぁ」
「お、意外とお喋り」
「幾何紗さん、殺生ですよぉ」
蛮奇に耳を引っ張られ、幾何紗は小さく唸った。小傘がクスクスと笑みを零していたのでよしとする。
早速作業を開始した小傘を邪魔をしない程度に雑談に耽った。もちろん許可を取って。
「例年より天候がいいからか、今年は植物が生い茂ってる気がするな。うちのこの小屋、油断すると蔦が絡まってくるんだよね。桜も綺麗だし」
「桜が綺麗みたいな感性がお前にもちゃんとあるのは驚きね。そういうところはズボラだと思ってた。……そう、ね。たくさんの花々が美しく咲き乱れるのは素敵だけれど、里とか凄いのよ? ちょっと怖さも感じるわ」
うんうん、と小傘が頷いた。
「ここはまだマシだね。わちきは里の柳の木の下でガキを化かそうとしたんだけど、隣の桜が満開でさ。怖い雰囲気が台無しになったよ。お陰様でそれでガキに報復にあった。……ってか最近のガキは怖いねぇ。妖怪に暴力を振るうなんて大したもんだよ」
「お前の場合は驚かし方に問題がある」
「やってる側は分からないもんなんだ」
「蛮奇も大分滑稽だったよ。頭だけ飛ばしてさ」
幾何紗のツッコミに、蛮奇は苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべた。
そうだそうだ。そういう風に小傘はしきりに頷きながら、骨組み部分を弄っていた。
「あれは……相手が悪いでしょ。それに小傘の真似をして驚かそうとしたのが間違いだった」
「あのねぇ」
「え? あの何も怖くない驚かし方、小傘がいつもやってるの? あの驚けーってやつ」
「……あ、一応」
「うん。私は個性があって面白いと思う」
ここで蛮奇が堪えきれずに噴き出した。「やめてよ」と言いながらも存外苦笑する小傘。
その時だった。来るはずもないと思っていた豆腐小屋の郵便受けにガコンと物音がした。