無縁塚で、独りごち 〜この難易度Lunatic幻想郷で〜 作:胡桃の中の団子
「はぁ……はぁ……」
幾何紗は自分の袖口で目元を拭いながら、苦しそうに喘いでいた。
「ごめん……なさい」
背中を擦られて一頻りナニかを吐き出した。それは、幾何紗を形作る大切な要素の一つだった。幾何紗は先ほどまでシアタールームで一人、フィルムの光景を眺めていた。それは決して比喩とは呼べない克明なイメージであり、記憶の断片のようなもの。
だが、それ以上の記憶を呼び醒ますことができなかった。
「何を謝っているのよ。わたしを射殺すような殺気でも向けてみなさいよって」
蛮奇は軽口を叩きながら幾何紗の身体を起こし、一つしかない椅子に彼女を座らせた。少女は老婆のように静かに腰を下ろした。その上で蛮奇の手を両手のひらで包み込む。じっと誰かとの繋がりを感じているようだった。半面、蛮奇は困惑していた。
妖怪はその邪悪な精神から成り立っている。今の幾何紗は、ただの病弱な少女のようにも見えた。
(まるで心ここに在らずって感じね)
先ほどの独白が引き金だったとして、あの瞬間、幾何紗はナニかの舞台装置のように意識を蒸発させた。そして刻々と独り言のように前世について語り始めたのだ。
だが、蛮奇はソレを踏まえた上で信じようとはしなかった。蛮奇にとっては、そんなありもしないような記憶の話より、目の前の幾何紗 真成という存在がもう捨て置け無くなっていたのだ。
彼女は過去──それも有りもしない過去に囚われている。それはそれは残酷なことだ。
「ちょっと待っててね」
幾何紗の手を解いて台所のほうに向かう。蓋みたいになっている戸を開閉して、茶葉か何かでもあればいいのに。と肩を落とした、矢先──。
「どこからそれを……」
幾何紗が茶葉の入った筒のような容器を抱いていた。蛮奇はそれを手を伸ばして受け取ると、それはどこか温もりを帯びていた。
台所の隅々を探したのに、そんなものは見つからなかったはずだった。蛮奇は筒を開けた。その中身は、見たこともない茶葉──恐らくはそうなのであろう──で満たされていて、仄かに良い香りがする。
容器の蓋が熱に耐えきれるかは分からないが、これに池の水を加えて妖力で上手いことやれば、湯を沸かすことはできるだろう。
池の水を掬いに外に出て戻る。見れば、机の上にコーヒーカップが二つ、置かれていた。
「あるなら初めからそう言ってよね」
どうにか湯を沸かせることには成功した。茶葉の分量なんて全く分からないので大雑把にして、とりあえずそれっぽい茶を拵えることには成功した。
コーヒーカップの取っ手を掴んで茶を注ぐ。一先ず、といったところだろうか。
コーヒーカップを幾何紗に差し出すと、彼女は一生懸命ではあるが、未だ虚ろな様子でそれを受け取った。どこか、レモンを浮かべて飲んだらもっと美味しかったんだろうと思う。香り強めではあるが、懐かしさも感じさせる、郷愁的な味わいだった。
銀色に埋まった瞳に、再度生気が宿っていくのを見届ける。蛮奇は言葉に詰まった。彼女の瞳と同じ銀色が、蛮奇の指先に滲んでいたからだ。
*
「ありがとう」
幾何紗は紅茶を飲んで暫くすると、そう一言告げた。
ぼーっとしてる間に何かしてしまったのだろうか。蛮奇が猜疑心を剥き出しに、自身の指先と、を、見比べている。
「私、ふっかーつ!!」
幾何紗はそんな蛮奇をお構いなしに、豆腐小屋を飛び出した。
「まって!」
蛮奇は制止の呼び声をかけ、まだ安静にしているべきよ。と目で訴えかける。だが、残念ながらこの空気の読めない少女には、自身の身に起きたことなどとうの昔に忘れていた。建て付けの悪いドアを強引にこじ開け、ただ一言、
「行かないの?」
首を傾げて訴える幾何紗に、思わず呆気にとられる。
「何処によ」
一応、聞くだけ聞いておくか。そうぶっきらぼうに言い放った蛮奇に、幾何紗はニタリと微笑んだ。全ては幾何紗の計画通りだ。
「道具屋」
「……えっと、里の?」
「場所だけ聞いたことあるんだけど、魔法の森の入口にあるんだって」
「何処だよ」
「え、蛮奇ちゃんも知らないの?」
「今ナチュラルに蛮奇ちゃんって言ったな? ……まぁいいけど、『も』って何、『も』って?」
「私『も』場所を知らないから」
「お前アホなの?」
自身の失言に思わず口元を押さえる蛮奇だったが、幾何紗はクスクスと微笑んだ。肯定も否定もなく、蛮奇なら知っているんじゃないかと淡い期待を前提として行動していたらしい。蛮奇はジト目になりながら、幾何紗のワイシャツを引っ張った。
「真成、ちゃん。お前は計画性が無さすぎる」
それに対し、幾何紗は自信満々に胸を張って答えた。
「最悪私がそこらへんの妖怪たちにお願いして聞いてみるから大丈夫」
「初対面の時お前はそうだったけれど、それはお願いとは言わないんだわたしらみたいな弱小にとってはな? そんなのただの歩く災害でしかないのよ」
「うーん、じゃあやり口を変えるべき?」
「いや、お願いします。そうしないと小傘がいつまでも腹を空かせたままになっちゃうから」
「なんだソレ」
幾何紗は毒づきながらも空を飛んだ。幾何紗が体調不良を起こしていたうちに、いつの間にか太陽が傾きかけていたらしい。太陽の茜が目元を手で影を作らなければならないほど色濃く出ている。だいたい魔法の森といっても、ここを出た先は山と森しか存在しないのだからどれが魔法の森なのか区別のしようがなかった。
幾何紗はその二つの狭間にある道を、妖力最大の殺意マックスの状態で我が物顔で練り歩く。やがて秋になればこの道は彼岸花で咲き誇る。それはそれは幻想的なまでに。
そして幾何紗の来訪は、周囲の妖精や妖怪にとって、唐突すぎる死期の到来を意味するようだ。何人たりとて見かける姿はなかった。
そんな存在を友のように扱っていいのだろうかと、冷や汗交えて思案する。さりとて、そうなったことは仕方がない。蛮奇は森から漂う陰鬱とした空気に独りごちた。
「森の入口が分からないのよね」
「え? この森って『魔法の』森なの?」
その一言が意外だったのか、蛮奇は鼻で笑った。
「当たり前じゃないのよ」
「へぇー」
心底意外だったのか閉口する幾何紗。無縁塚に住んでいるのに無縁塚の周りを散策したことがないという事実が、より一層なにかアンバランスで。ちょっとどこか抜けた変わり者……というような印象を会話の節々で垣間見えてくる。
ひょっとしたら幾何紗の全貌は、実は大したことのないポンコツなのかもしれない。
辛くも蛮奇が辿りつきそうな幾何紗への評価は、かつての森近と同じ道を歩んでいた。
「ところで何だけど、小傘っていう子はどうしてお腹を空かせているの?」
「妖怪にも色んなのがいるでしょう? 真成ちゃんは埃かも知れないけれどね、小傘の場合は人の心を食べているんだ」
「人の心を、食べる」
「そう。恐怖とか、そういうのをね」
「だから人を驚かせるための商売道具がないと生きていけないのか」
「少し違う」
蛮奇は、若干の肯定を含めながら否定した。
「小傘にとっては、今は壊れてしまった唐傘こそが全てだから」
だからこそ唐傘が破けて壊れてしまった場合は、その妖怪の持つ矜持……アイデンティティが損なわれて弱体化してしまうということだろうか? 時たまにこうした不祥事は幻想郷のゆったりとした時の中で、知らず知らずのうちに紡がれているのだろう。幾何紗は今、そんな語られもしない、日常の断片に足を踏み入れたのかもしれない。
感慨に耽りながらも、物陰にじっと身を潜めていた妖精を捕まえた。
「近くにお店があるって聞いたのだけど……」
幾何紗はそんなこんなで震え上がる妖精を他所にお願いをし、快く道具屋の場所を教えてもらった。蛮奇はその光景を引き攣った笑みで見守るしかない。
結局のところ、森に沿うように飛行していけばいつかは入口に辿り着けるはずだったのだ。
そして、その件の道具屋──香霖堂は、幾何紗たちの目と鼻の先にあった。なんとも間抜けな話である。
蛮奇は、彼女がいつもこうして、張り詰めた死の空気の中で平気で戯けているのだなと、その底知れなさに内心で畏敬の念を抱いていた。