都内某所、とあるタワマンの一室。
私は彼女に膝枕をしながら、その頭をゆっくりと撫でていた。
「今日も1日、とっても頑張ったね。シオンちゃん」
「……ごめん、カノンちゃん」
「大丈夫、大丈夫……シオンちゃんはこんなに頑張ってるんだから、少しくらい私に甘えたってバチは当たんないよ」
私よりもずっと大きな、20cm以上背の高い彼女が、赤子のように、私の膝の上でうずくまっている。
目を瞑っている綺麗な顔は何時間でも、何日でも見惚れてしまいそう。
細い首筋をチョーカー越しにさすると、シオンちゃんは甘い吐息を漏らした。
「それで、今日はいくら負けちゃったの?」
「……ま◯マギと、エ◯ァで……」
尋ねると、シオンちゃんは指を2本立てた。
「2万円?」
「……発」
「分かった」
8万円に、加えて10万円。
18枚を財布から取り出し、私はうずくまったシオンちゃんの手に握らせた。
「はい。今日の分と、明日の分。好きに使ってね。」
「ありがと、カノンちゃん」
「ちゃんとお礼言えて偉いから、追加で2枚。楽しんでね、シオンちゃん」
「……うん」
「いい返事。週末まで頑張ったら、欲しがってた車、2人で買いに行こうね」
「うん、頑張る」
「ふふっ、いい子いい子……」
そして疲れが溜まっていたのか、シオンちゃんは私の膝の上ですやすやと寝息を立て始める。
その背中を、手を、頭を撫でて……
ああ、あっという間に数時間。
私も部屋の電気を消し、彼女を膝に載せたまま、眠りに落ちていった。
▽
裕福な生まれである、ということを除けば、至って普通の女子高生。
それが私。
人並みに遊んで、人並みに学んで、人並みに時間を過ごして。
そんな人生を送っていたある日、葉桜が綺麗な初夏の夜のことだった。
「お姉さん、私のスマホ、預かっててもらえませんか?」
舞台は気まぐれに入った近所の居酒屋。
大きなカキフライをつまんでいた私の背中が唐突に叩かれた。
振り向くと、そこには3つか4つほど年上の若い女性の姿。
ウルフカットの銀髪に、左耳の輪郭に張り巡らされたピアス、切れ長な紫色の瞳。
少し怖くて、綺麗で、とても可愛い人だと思った。
「どうかしたんですか?」
食べかけの欠片を呑み込んでから尋ねると、彼女は少し申し訳なさそうな顔で答える。
「……財布にお金、入ってなくて。ATMで下ろしたいんで、その間、逃げないように、って」
人付き合いが得意ではないのか、目線をそらしながらの彼女の供述。
私がいいと思った。
なら疑う意味もないし、疑う必要もない。
「いいですよ。もし聞かれたら、店員の方にもそう伝えておきます」
「ありがとうございます、すぐ、戻ってくるんで」
少し駆け足でお店を飛び出した彼女。
1分か2分したところで、私のところへ戻ってくる。
そして開口一番、彼女は謝罪の言葉を述べた。
「……すいません。急いでたら、全然帰ってもらって大丈夫なんですけど……もし大丈夫なら、30分くらい待っててもらえますか? キャッシュカード、家に置いてきちゃったみたいで」
「ああ、そうだったんですね。でしたら、この場は私が」
「え、いや、それは……」
「大丈夫ですよ。……店員さん、ここのお会計、まとめてお願いします」
そう声を掛けると、数十秒の内にまとめられた伝票が運ばれてくる。
生憎細かいものもなかったので、私はレジで一万円札をトレーに乗せ、いくらかのおつりを受け取った。
そしてテーブルの上の烏龍茶を飲み干してから、私達は店を出た。
「……あの、この後って、急いでたりします?」
「いえ。週末ですし、後はもうゆっくり眠るだけです」
「だったら……私の部屋、来てくれませんか? ちゃんとお金返しますし、お礼もしたいですし」
「そういうことでしたら、ぜひ」
「ありがとうございます。ちょっと歩きますけど……治安は良いんで、そこは安心してください。その制服……氷玲女学院、ですよね? あのお嬢様校の……」
「あれ、ご存知ですか?」
「一応、名前だけは」
時計は9時を回った辺りだったと思う。
思えば、あの時にはもう彼女が気になっていたのか、私は彼女を疑うことはしなかった。
彼女の案内に従って歩いていくと、繁華街の光が見えなくなった辺りで景色は閑静な住宅街に入れ替わる。
その片隅の、小ぢんまりとまとまった公園の前に建つシンプルなアパート。
2階、203号室が彼女の住処だった。
「……すいません、大したものはないんですけど」
「いえ、失礼します」
そこは何の変哲もない1DK。
適度に整頓され、適度に散乱したその空間は心地よい生活感に満たされている。
彼女は私に適当にくつろぐよう促すと、「今、こんなもんしかないんですけど」と麦茶の注がれた使い捨てのプラカップを目の前のテーブルに置いた。
「いただきます」
人の家の麦茶は好き。
生活とか、環境とか、その家、その人がどんな人なのか、ちょっと覗けるような気がするから。
「……味、大丈夫でしたか?」
「はい。濃くて爽やか。一番好きな味です」
「そう、ですか? 極々普通、安めのパック、なんですけど……ならよかったです。……あ、で、本題ですよね」
彼女自身の分の麦茶を飲む前に、彼女はクッションから立ち上がり、部屋の奥の寝室の方へ小走りで向かう。
そして彼女は樋口一葉の描かれた五千円札片手に戻ってきた。
「これ、さっきの代金です。ほんと、ありがとうございました」
「いえ、大したことじゃありませんし……そちらも、災難でしたね」
「あ、いや、あれは……自業自得、っていうか……」
「自業自得?」
「えっと……昨日、パチンコ打って、3万くらい負けたの、忘れてて……ほんと、ダメ大学生、って感じで……」
申し訳なさそうな、恥ずかしそうな顔で答える彼女。
すごく、可愛いと思った。
「パチンコ、お好きなんですか?」
「好きっていうか……やめられないって感じ、ですかね。バイト代とかつい使っちゃうから、貯金も全然ないし……」
「……へえ」
「あ……ごめんなさい、こんなくだらない理由で。ほんと、最低、ですよね。こんな理由で、自分より年下の女の子頼るとか……」
「いえ、大丈夫ですよ。人に頼られるのは好きなんです」
「あらためて、本当にありがとうございます」
そう言って、ぺこりと頭を下げる彼女。
ああ、優しくて、可愛くて、すごくいい子。
私は彼女が頭をあげるのを待ってから、名前を聞くことすら忘れて、一つの質問を投げ掛けた。
「損はさせないので、正直に教えてください。今まで、いくらくらい負けましたか?」
「えっと……分かんない、1年からだから……100万は、負けてない、のかな……」
「では、これで」
私は財布の中身をまとめて取り出し、目の前のテーブルの真ん中へと差し出した。
「……は、え……え?」
「多分、100万円はあります。どうぞ、あなたに差し上げます」
「え、いや……は、え?」
「ああ、ごめんなさい。私は現金の方が好みなもので。口座振り込みの方がいいですか?」
「いや、あの……」
「お名前は……ああ、「
「え、いや……お手伝い……?」
「はい。内容はシンプルです。パチンコ、競馬、服飾費、光熱費、食費、税金……あなたの被る不利益のすべてを私が引き受ける代わりに、あなたの利益の1割を私にくれませんか?」
「……な、何が……したいんです、か?」
絞り出したような声に、私は答える。
「私は頼られることが好きで、人に尽くすことが好きで、代わりに──」
そして私は、彼女の銀色のウルフカットを指でなぞった。
「私が欲しいものを、誰かに盗られるのが嫌いなんです」
「……?」
「浮気はしません。移り気はありません。飽きは来ません。ただ、あなたのために札束を積み上げます」
「……? ぇ? は?」
「私はあなたに、一目惚れしました。シオンさん。あなたのこと、私に飼わせてくれませんか?」