神ゲーなのに、今日も釣り日和   作:ひよこ大福

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帽子の兎

火加減の修行がひと段落したころには、厨房の空気は最初に入ってきた時よりも少し落ち着いていて、鍋の音や包丁の音は相変わらず続いているものの、えびす天丼の周囲だけはひとまず作業を終えたあとの緩い空気が流れており、調理台の上には何度も焼き直した肉や、火の入り方を確認するために切り分けた野菜が並んでいた。

 

最初はただ焼くだけでも感覚が掴めず、強火にしすぎれば表面だけが固くなり、弱くしすぎれば香りが立つ前に水分が抜けてしまうという当たり前のようで難しい差に振り回されていたが、何度も繰り返すうちに、火の音や匂いの変化、表面の色の変わり方を合わせて見ることが少しずつできるようになっていた。

 

「……これ、思ったより疲れるな」

 

えびす天丼がそう言いながら息を吐くと、隣で調理台の上に立っていたエミィルがふんすと胸を張る。

 

「当然ですわ! 料理はただ材料を焼くだけではありませんもの!」

 

「それはもう、だいぶ分かってきた気がするよ」

 

そう返しながら、最後に焼いた肉の断面を確認する。

 

中心にほんのり火が通り、表面には焦げではなく焼き目がついている。

 

最初に比べれば、かなりまともになった。

 

「……さっきよりは、ちゃんと料理っぽいな」

 

「今のは悪くありませんわ。けれど、まだ火を落とすタイミングに迷いがありますの」

 

「そこまで分かるのか……」

 

「分かりますわ!」

 

エミィルは誇らしげに耳を揺らしながら、切り分けた肉の一切れを手に取り、香りを確かめるように鼻を近づける。

 

「素材の香りが立つ前に火を落とすとぼやけますし、待ちすぎると固くなりますの。今のは悪くありませんけれど、もう少しだけ早く返して、余熱を使った方が良かったですわね」

 

「……完全に先生だな」

 

「先生ですわ!」

 

即答されて、えびす天丼は少し笑う。

 

最初は勢いで修行に巻き込まれたような形だったが、こうして実際に教わってみると、エミィルの言っていることはかなり理にかなっていた。

 

農場で見た食材も、厨房で扱った素材も、それぞれに癖があり、ただ同じ手順をなぞるだけでは同じ結果にならない。

 

「……釣りもそうだけど、こういうのって結局、場所とか素材の癖を見るのが大事なんだな」

 

「良い気づきですわ!」

 

エミィルが満足そうに頷く。

 

「食材にも気分がありますの!」

 

「気分まではまだ分からないかな……」

 

「そのうち分かりますわ!」

 

「本当かそれ」

 

そんなやり取りをしていると、厨房の奥から別のヴォーパルバニーが顔を出す。

 

「エミィル様、こちらの仕込みは終わりましたわ!」

 

「分かりましたわ。では休憩に入ってよろしいですの!」

 

「はいですわ!」

 

厨房の兎たちが一斉に耳を揺らしながら散っていくのを見て、えびす天丼もようやく肩の力を抜く。

 

「これで一旦終わりか?」

 

「そうですわね。今日の分はひと段落ですわ!」

 

「助かった。さすがにずっと火の前にいると集中力切れるな」

 

「それも大事ですわ。料理人は休むタイミングも覚えるべきですの」

 

「そこまで修行に入るのか……」

 

そう言いながら調理器具を片付けていると、エミィルがふとこちらを見上げる。

 

「それで、えびす天丼様はこれからどうしますの?」

 

「一回サードレマに戻るつもり。道具も整理したいし、釣り場もまた見たいから」

 

「ふむふむ、ならわたくしも行きますわ!」

 

「……え?」

 

手を止める。

 

エミィルは当然のような顔をしている。

 

「行きますわ!」

 

「いや、行きますわって、兎の国から出られるのか?」

 

「出られますわよ?」

 

「出られるのか……」

 

少し驚きながらも、サンラクと一緒にいたエムルのことを思い出す。

 

そう考えれば、ヴォーパルバニーが外へ出ること自体はおかしくないのかもしれない。

 

「でも、その姿で街に入ったら目立たないか?」

 

えびす天丼がそう言うと、エミィルは待ってましたと言わんばかりに耳をぴんと立てる。

 

「そこは問題ありませんわ!」

 

「問題ないのか?」

 

「わたくしたちには擬態がありますの!」

 

「擬態?」

 

聞き返した瞬間、エミィルがその場でくるりと回る。

 

淡い光がふわりと広がり、エミィルの小さな体が一瞬だけ輪郭を失ったように揺れたかと思うと、次の瞬間、そこにいたはずの料理番のヴォーパルバニーの姿は消えていた。

 

代わりに、床の上にころんと一つの帽子が落ちている。

 

白い布地に、兎の耳を思わせる飾りがついた小さめの帽子。

 

見た目は少し変わっているが、街で被っていてもぎりぎり装備品で通りそうな形だった。

 

「……帽子?」

 

えびす天丼が呟くと、その帽子がぴょこっと跳ねた。

 

「はいな! わたくしですわ!」

 

「喋る帽子は目立つだろ」

 

「喋らなければ大丈夫ですわ!」

 

「それはそうかもしれないけど……」

 

帽子になったエミィルは、床の上で小さく跳ねながら得意げに続ける。

 

「外ではこうして擬態できますの。人族の街では、装備品のふりをすれば問題ありませんわ!」

 

「エムルもそんな感じなのか?」

 

「エムルはまた別のやり方を使いますけれど、わたくしはこれが一番落ち着きますの!」

 

「料理人なのに帽子なの、妙に合ってるな」

 

「でしょう!?」

 

帽子が嬉しそうに跳ねる。

 

その動きがあまりにも感情豊かで、えびす天丼は思わず笑ってしまう。

 

「じゃあ、被ればいいのか?」

 

「はいですわ!」

 

「本当に大丈夫なんだろうな……」

 

少し不安を覚えながらも帽子を拾い上げると、手触りは普通の帽子とほとんど変わらない。

 

ただ、ほんのり温かい。

 

「……なんか、生き物感あるな」

 

「生きてますもの!」

 

「それを帽子として被るの、ちょっと不思議なんだけど」

 

「慣れますわ!」

 

「そうかなぁ……」

 

そう言いながら、えびす天丼はエミィルを頭に乗せる。

 

帽子は不思議なくらい自然に収まり、重さもほとんど感じない。

 

ただ、耳飾りのような部分が軽く揺れるせいで、普通の帽子より少しだけ存在感がある。

 

「どうですの?」

 

「……思ったより違和感ないな」

 

「当然ですわ!」

 

「でも喋るなよ?」

 

「分かってますわ!」

 

「今喋ってるけどな」

 

「今はまだ兎の国ですもの!」

 

言い返せない。

 

えびす天丼は軽く息を吐きながら厨房を出る準備を整え、インベントリを確認する。

 

調理器具、食材、釣り道具、魔核共鳴弓。

 

持ち物は問題ない。

 

サードレマへ戻ったら、まずは素材整理と買い足しをして、それからまた釣り場へ向かうことになるだろう。

 

「……じゃあ、戻るか」

 

「はいですわ!」

 

帽子が小さく揺れる。

 

厨房を出ると、通路にいたヴォーパルバニーたちがこちらを見て耳を下げる。

 

「エミィル様、お出かけですの?」

 

「サードレマへ行ってきますわ!」

 

「お気をつけてですわ!」

 

「お土産期待してますの!」

 

「料理番に土産を頼むのか……」

 

えびす天丼が小さく呟くと、頭の上の帽子が揺れる。

 

「良い食材があれば持って帰りますわ!」

 

「そこはちゃんと料理人なんだな」

 

そのまま城を出て、兎の国の草原へ足を踏み入れる。

 

来た時と同じように、遠くには花畑と切り株の家々が広がり、ヴォーパルバニーたちが忙しそうに駆け回っている。

 

不思議な場所だ。

 

だが、少しずつ見慣れてきている自分もいる。

 

「……慣れるの早いな、俺」

 

「良いことですわ!」

 

「そういうものか」

 

「そういうものですの!」

 

エミィルの明るい声を聞きながら、えびす天丼は兎の国へ来た時の門へ向かう。

 

湖面のように揺れる光の門が開き、その向こうにサードレマ近くの景色がぼんやりと映る。

 

「……戻ったら喋るなよ」

 

「分かってますわ。帽子として完璧に振る舞いますの!」

 

「完璧な帽子はそもそも喋らないんだよな……」

 

そう言いながら門へ足を踏み入れる。

 

視界が白く染まり、次の瞬間、サードレマ近くの転移地点へ戻っていた。

 

石畳の道。

 

行き交うプレイヤー。

 

遠くに見える街の門。

 

そして頭の上には、やけに存在感のある帽子。

 

「……戻ってきたな」

 

えびす天丼が小さく呟くと、帽子がほんの少しだけ揺れる。

 

だが、声は出さない。

 

ちゃんと帽子のふりをしているらしい。

 

「……意外とできるんだな」

 

そう言うと、帽子が誇らしげに少しだけ跳ねた。

 

それを見て、えびす天丼は笑いそうになりながらも、なんとか表情を抑えてサードレマの街へ向かって歩き出した。

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