イギリスのサレー州リトル・ウィンジング、プリベット通り四番地にある一軒家。
家主の裕福さがうかがえる一軒家からは、子供の楽しそうな声。
……いや、どちらかと言えば揶揄うような声が響いていた。
ドンッ、ドンッ、と一階と二階を繋げる階段の上で足を鳴らしているのは、この家の家主"バーノン・ダーズリー"と、妻"ペチュニア・ダーズリー"の一人息子。
本日11歳になったが、甘やかされて育ったのが一目で分かるほどの肥満体型をしている"ダドリー・ダーズリー"だ。
「起きろよハリー! アイリス! 動物園に行くぞ!」
そんなダドリーがバカにするように呼んでいるのは二人の兄妹。
大きな一軒家にもかかわらず、階段下の物置へと二人一緒に押し込まれている、額に稲妻の傷跡が付いている黒髪緑目の少年"ハリー・ポッター"と、赤髪緑目の少女"アイリス・ポッター"。
アイリスはダドリーの大きな声と足音、そして上から舞い降りてくる埃による息苦しさで目を覚ました。
「ごほっ、ごほっ!」
「っ、だ、だいじょうぶ?」
せき込むアイリスを心配そうに見るハリーに、アイリスは薄く笑みを浮かべながら「大丈夫」と小さく答える。
ハリーは上に置かれていた壊れかけの丸眼鏡を装着し、階段下の物置から出ようとすると、階段から降りてきたダドリーによって押し戻されてしまった。
「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ」
アイリスが物置へと押し戻されてきたハリーへ心配そうに語り掛けると、ハリーは強がっているのか、何も気にしていないといった風に立ち上がってリビングへと歩いていった。
アイリスはリビングから響くペチュニアの「焦がしたら承知しませんからね」という言葉を耳に入れながら、物置部屋から出てため息を溢した。
(はぁ……思ったよりもきつい)
10年前。ヴォルデモートから母の愛によって救われたハリーとアイリスは、アイリスの記憶通りにダーズリー家へと預けられた。
原作においてハリーを冷遇していたため、それは自身にも及ぶだろうと予測していたアイリスだったが、実際に体験してみれば想像よりも辛かった。
まず第一に、今世でのアイリスの身体はそこまで強くなかった。
埃が舞えばしばらく咳が止まらなくなるし、風邪を拗らせたことだって一度や二度ではない。
それでも階段下の物置へと押し込めるのをやめないのは、さすがダーズリー家と言った所か。
想像していた華やかさとは程遠い生活に肩を落としながらリビングへと入ると、ダドリーのわがままな奇声が聞こえてきた。
「36!? 去年なんか37個も貰ったのに!」
どうやらプレゼントの数で文句を言っているみたいだが、アイリスとしては36個も貰えれば十二分だろうと思ってしまう。
そもそも一個もらえるだけありがたいだろうとも思うが、生まれてから溺愛されてきたダドリーには我慢ならないのだろう。
どうせこの後も甘やかされるんだろうなと思いながら、ハリーの元へと歩いていく。
「兄さん、僕もやるよ」
「大丈夫だよ。それよりも咳は大丈夫?」
アイリスが手伝いを申し出ると、ハリーは首を振りながらコーヒーを注ぎつつ体調の心配をしてきた。
「大丈夫だよ。さっきのは埃を吸っただけ」
「そっか。よかった」
過保護気味なハリーに苦笑いを浮かべながら、何か手伝えないことが無いかと探していると、ダドリーの機嫌取りに成功したペチュニアが近づいてきた。
「アイリス、あなたはここに座ってなさい」
椅子を指差して指示してきたペチュニアに、アイリスは「はい、ペチュニアさん」と言いながら従う。
ペチュニアは眉を顰めて無言になりつつも、またダドリーの元へと歩いていって甲斐甲斐しく世話をし始めた。
「早く動物園に行きたい!」
「まずはご飯を食べましょ。いーっぱい食べてね」
~~~~
食事も終わり、ダーズリー家が諸々の準備を終えると、ダドリーはお菓子を手にペチュニアと共に外へと出て、意気揚々と車へと乗り込んだ。
今回の動物園にはアイリスとハリーも連れて行って貰えることになっているため、ハリーと手を繋ぎながら車へと向かっていると。
「いいか、ハリー、アイリス。ちょっとでも変な真似をしたら一週間食事抜きの罰だからな」
バーノンがアイリスとハリーの前で車の鍵を突き付けながら脅しをしてきた。
一週間も食事を抜かれたら死ぬと言いたいが、反論していいことなんて何一つない。
なのでアイリスが小さく頷くと、バーノンは鼻を鳴らして運転席へと乗り込んだ。
アイリスとハリーも後部座席へと乗り込む。
ダドリー・ハリー・アイリスの順番なおかげで、アイリスはダドリーのお菓子の食べかす攻撃を食らうことがなくなった。
まあこれはハリーの気遣いなのだろう、と察したアイリスは、ダーズリー家には聞こえないように小さく「ありがとう」と呟いた。
幸いハリーには聞こえたのか、ハリーは小さく「いいよ」と微笑みながら答えた。
動物園へと到着した一行は、爬虫類館へとやってきていた。
アイリス、ハリー、そしてダーズリー家で展示されているニシキ蛇を観察していると、またダドリーのわがままがさく裂した。
「動かしてよ」
そんなことできるわけがないのに。そもそも静かに過ごしているだけなのに、バーノンは息子の願いを叶えようと、「動けー」と言いながら展示ガラスを拳で叩く。
それでも満足できなかったのか。ダドリーはバーノンよりも大きく、それも複数回叩いた。
「動けよ!」
「寝てるんだよ!?」
正義感を発したのか、展示されている蛇に共感したのか。ハリーが制止の声を掛けると、ダドリーは「ちぇっ、つまんねェの」と言いながら別の場所へと歩いていった。
ニシキヘビの前にアイリスとハリーしかいなくなったころ。ハリーが蛇へと語り掛けると、蛇は返事をするかのように片目を閉じた。
ハリーは目を見開き、興奮した様子で「君聞こえてるの?」と問うと、ニシキヘビは首をもたげて頷いた。
「すごい。僕蛇と話してるよ」
本当にうらやましい能力だ。蛇と話せるなんて。
たとえそれが分霊箱になった影響なのだとしても、羨ましいものは羨ましい。
「いいなぁ」
「アイリスも話してみなよ」
アイリスは軽く言ってきたハリーに苦笑いしながら、試すだけはタダだと思ってニシキヘビへと話しかける。
「ねえ、僕の言葉、分かる?
分かるなら頷いて?」
すると、ニシキヘビは頷いた。
アイリスは目を見開いて硬直するが、ハリーはさらに興奮して様々な質問を蛇へとしていく。
だがそんなことが気にならないほど、アイリスは驚きすぎてニシキヘビを見つめることしかできないでいた。
「まま、ぱぱ早く! 信じられないことやってる!」
アイリスの困惑は、ダドリーに突き飛ばされたことによる危機によって、一旦置いておくことになった。
地面へと倒れる前に、ハリーが下敷きになってくれたおかげで怪我をすることはなかった。
ハリーがアイリスの肩に手を回しながらダドリーを見つめると展示ガラスは消失し、ダドリーは展示ケースの中へと落ちて水浸しになった。
外と隔離するためのガラスが無くなったため、ニシキヘビは悠々と脱走し、アイリスとハリーの前で「ありがとよ」とお礼を言い、外の世界へと脱走していった。
蛇が脱走したことでパニックになる人々。ダドリーが展示されることになって怒りが湧き出ているバーノン。その全てが気にならないほど、アイリスは衝撃の事実を咀嚼して飲み込もうとしていた。
(蛇語が……分かった……?)
~~~~
動物園から帰って家に到着すると、タオルを羽織ってぶるぶると震えるダドリーと共にペチュニアが家へと足早に入っていった。
アイリスとハリーはバーノンに無理やり家の中へと押し込まれ、髪を掴まれた。
「何をやらかした!?」
アイリスの髪は長いため掴みやすいのだろうか。後ろ髪をまるで縄のように鷲掴みにしながら、ハリーと共に壁へと押し付けられる。
「僕じゃない! 本当だよ! あっという間にガラスが消えたんだ! 魔法みたいに!」
ハリーの叫びを聞きながら、アイリスは髪を引っ張られる痛みに涙を浮かべていた。
所詮10歳の少女でしかないアイリスにとって、体格のいい大人の男であるバーノンの力は予想以上に痛い。
ぶちぶちと髪が千切れるような音が耳に入り、言葉が出ないほどの痛みで頬を涙が伝っていく。
バーノンは涙を流すアイリスと痛そうにするハリーを完全に無視し、階段下の物置へと無理やり押し込んだ。
勢いよく扉を閉めて鍵をかけたバーノンは、唯一外と繋がっている格子状の空気穴へと顔を近づける。
「魔法なんてものがな、あってたまるか!」
ばんっ、という音と共に光が遮られ、階段下の物置は暗闇へと包まれた。
アイリスが掴まれた髪を抑えていると、ハリーが電気を付けてアイリスの頭へと手を添える。
「だ、大丈夫?」
いつもの心配そうな声。しかしどこか怒りを滲ませた声色のハリーに、アイリスは心配させないように頷く。
今のアイリスは少女だとはいえ、前世ではそこそこの年齢を生きたのだ。年下のハリーに心配されるわけにはいかない。
……それでも、自分より体格のいい男に髪を掴まれ、詰め寄られるのは初めての経験だった。
そのせいか、目からは自然と涙が溢れて止まらず、次第に嗚咽の声を漏らし始める。
そんなアイリスをハリーは静かに撫でながら、その瞳に炎を宿していた。
一週間飯抜きはさすがに死ぬでしょって見た時に思ったけど、本当に一週間飯抜きにされたのかな?