幸いと言っていいのか。アイリスとハリーは、二日後に階段下から出ることを許された。
一週間もご飯抜きだと間違いなく死んでいたため、アイリスはホッと胸をなでおろした。
以前の出来事で。……いや、実は結構前から薄々気が付いてはいた。前世の記憶を持っていることによるアドバンテージなんてものはほとんど存在しないことを。
どれだけ成熟した精神を持とうとも、身体は幼い少女で世間的にも子供だ。
子供ができることなんてたかが知れており、前のように肉体的に強い大人の男性に詰め寄られれば何もできない。
精神は身体に引っ張られる。前世に存在した言葉通り、どれだけ成熟した精神を持とうとも、前のように涙が溢れてしまうこともある。
魔法が使えればよかったのだが、残念ながら杖無しで呪文を使えるほどの才能は無かったみたいだ。
仮に使えたとのだとしても、人目掛けて魔法を撃つのは良心が痛んで使えないが。
アイリスが自身の弱さを自覚しつつ、動物園の出来事からは特に何事も無く過ごしていたある日。朝ごはんを食べている際に投函された手紙を持ってきたハリーが、アイリスへと一枚の手紙を渡してきた。
やっとここから抜け出せるのか。そう思ったアイリスは、バーノンの呆然とした顔を見つつ、怒られるよりも先に自分も手紙を差し出したのだった。
空気を読んで被害を避けるように動ける。これが精神的に成熟しているアドバンテージと言えるだろうか。
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アイリスは雷鳴と豪雨の音を聞きながら、一枚の薄い布にハリーと一緒に入っていた。
アイリスとハリーへ魔法界への招待状が初めてやってきてから、バーノンはあの手この手で手紙を無視しようとしていた。
だが魔法界はそれを許さなかった。
家中から入ってくる無数の手紙に我慢の限界を迎えたバーノンによって、ダーズリー家と共にアイリスとハリーは、孤島の灯台の襤褸小屋へと避難してきていた。
「アイリス、誕生日おめでとう」
ダドリーの付けている腕時計が0時を知らせる音を鳴らした後。剥き出しの地面へ描いた円の中に"Happy Birthday"と書いたハリーが微笑んできた。
「兄さんも、誕生日おめでとう」
アイリスもハリーの誕生日を祝うと、ハリーは嬉しそうに微笑んだ。
そして円の上部に描かれた線──蝋燭の火を「せーの」で吹き消した瞬間、ドォン、という凄まじい音と共に、小屋の扉が叩かれた。
すぐさま起きたダドリーが扉の反対側へと避難し、アイリスもハリーに連れられて見えない位置へと隠れる。
階段の上から寝間着のまま降りてきたバーノンの手にはショットガンが握られており、その後ろではペチュニアが共に階段を降りてきている。
バーノンは怯えながらも一家の家長らしく、家族を守るために一番前でショットガンを構える。
「だ、だだだだ誰だ!?」
バーノンが扉へとショットガンの銃口を向けていると、ついに耐えきれなくなった扉が内側へと倒れ込んだ。
その瞬間、ダーズリー家が悲鳴を挙げると共に、扉から雷雨の外を背に一人の大男が小屋の中へと入ってきた。
その身長は2mを優に超え、髪と髭はもじゃもじゃ。片手には身長に似合わない小さな傘を持っている。
大男は傘を懐へとしまうと、「すまんかったな」と場の雰囲気に似合わない軽い口調で謝罪をした。
振り返った大男は地面に倒れる扉を片手で悠々と持ち上げ、無理やり嵌め直した。
「今すぐにここから出て行け! 家宅侵入罪だぞ!」
勇ましく、しかし震えた声で張り上げるバーノンに近づいた大男は、「黙れダーズリー。お前はすっこんでろ」と言いながらショットガンの銃口を片手で軽々と曲げた。
驚いたバーノンが引き金を引いたのか、上に曲がった銃口から銃弾が発射され、火薬の爆音が鳴り、火薬の匂いがほんの少しだけ匂ってきた。
大男はバーノンから離れておびえるダドリーの元へと向かうと、10年来の親友に語り掛けるような声色で話し始めた。
「ハリー、赤ん坊の時以来だな。思ったより丸っこくなっちょる。主に腹のあたりが」
アイリスは自身を抱きしめるハリーの手がピクリ、と反応したのを感じ取った。
「そういやぁアイリスはどこだ? 久しぶりに会いたいんだが」
「ぼ、ぼく、は、ハリーじゃ、ないよ」
恐る恐る言うダドリーに、まあそうだろうな、と言った表情をする大男。
そんな大男の前へと、ハリーはアイリスを背中に隠しながら、隠れていた場所から出て行った。
「僕がハリーだよ」
「そう、お前さんだよな。
それで、そっちがアイリスか」
見た目に似合わず優しそうに語り掛けてくる大男に、アイリスはハリーの背中から出て「そうだよ」と呟く。
大男はアイリスの姿を視認すると、目を見開いて「リリー……」と呟いた。
「リリー?」
「お、おお、そうだ。お前さんらの母親だ。優秀な魔女だったんだ」
「魔女?」と疑問を口にするハリーに「まあ待て。その前に土産があるんだ」と言いながら大男は懐から二つの箱を取り出した。
「ほら」
アイリスとハリーが受け取って中身を見ると、そこには"Happy Birthday"と書かれた硬そうなケーキが入っていた。
「「ありがとう」」
アイリスとハリーが揃って礼を言うと、大男は「立派な十一歳だからお祝いせんとな」と言いつつ、くたびれたソファーへと座り込んだ。
そして懐から取り出した傘を暖炉に向けると、先端から炎が噴き出て暖炉に光が灯った。
ハリーは箱を近くに置くと、隠しきれないほどワクワクした表情で大男へと問いかけた。
「あの、母親が魔女ってどういうことですか?」
「おお、そのままの意味だ」
「そのまま?」
語る前に、と大男は自己紹介から始めた。
大男の名前はルビウス・ハグリッドと言い、ホグワーツで鍵と領地の番人をしていると。
アイリスは原作のことをそこまで細かく覚えているわけではないが、大男であるハグリッドの名前は一致していたことに心の中で安堵する。
「ジェームズとリリーはそれはもう優秀な魔法使いだった。ホグワーツで学んどったんだ。
ホグワーツは知っとろうな?」
ハグリッドは知っているのが当然と言わんばかりに聞いてきたが、残念ながらハリーはホグワーツのことを知らないため「いいえ」と答える。
アイリスはホグワーツのことは覚えているため知っているが、変な詮索をされないために首を横に振る。
「なに? 知らん?」
「うん。それより魔法使いってどういうこと?」
ハグリッドは少し眉を吊り上げたが、ハリーの質問には笑顔で答え始める。
「魔法使いってのはそのまんまの意味だ。お前さんらの親は二人とも優秀な魔法使いだったんだ。
もちろん、お前さんらも魔法使いだ」
「僕たちが、魔法使い?」
ハリーは目を見開いて驚き、アイリスも演技として驚くふりをする。
アイリスとハリーの驚き顔を見たハグリッドは楽しそうに語り始める。
「そう、それも凄腕の魔法使いになれる。訓練さえすりゃあな」
あり得ない事実を必死に否定していくハリーに、ハグリッドは「怖かった時や怒った時に何か不思議な事は起きなかったか?」と問いかける。
当然、ハリーには思い出があったのだろう。納得したような表情になりつつ、アイリスの方へ向いて嬉しそうに破顔した。
ハグリッドは立ち上がり、少し前までバーノンがノイローゼになるほど送られてきた手紙を取り出してアイリスとハリーへと渡した。
アイリスは受け取った手紙を感慨深げに見つめてから、封を切って中身を取り出す。
取り出した手紙には、前世で自分にも送られないかと妄想していた、魔法界への招待状が入っていた。
「ふざけるな! 二人をそんな所へは行かさんぞ!」
決意を秘めた目でアイリスとハリーの元へとやってきたバーノンは、怒りを露わにしながら声を発した。
そこからの流れはアイリスの記憶通りに進んでいく。
ペチュニアがアイリスとハリーの父母のことを嫌悪の表情で語り、吹っ飛んで死んだという言葉に怒ったハグリッドが立ち上がって静かに語気を荒げる。
ダドリーのお尻に豚の尻尾を生やした後、ハグリッドは「行こうか」と言って扉へと向かっていく。
扉を外すことで開けたハグリッドは、その場で立っているアイリスとハリーへ振り返ると、「ここにいたいなら別だがな」とお茶目に言ってから、雷雨の外へと出て行った。
アイリスがハリーの方を見ると、希望に満ちた瞳をして破顔したハリーが見えた。
ハリーはアイリスの手を取ると、ハグリッドの出て行った扉へと歩いていく。
アイリスはハリーの手の温もりを感じながら、やっと辛い場所から抜け出せることに安堵の息を漏らした。