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ダーズリー家で過ごす一か月はそこまで悪いものではなかった。
いつもだったら口うるさく罵声を浴びせるバーノンは何も言ってこず、ダドリーが揶揄おうとするとペチュニアが止めに入る。
そのおかげで比較的平和な一か月を過ごしていたが、いざ魔法界へ向かう当日に、アイリスの体調は悪化した。
「ごほっごほっ」
「っ、大丈夫?」
アイリスが我慢できずに咳をすると、ハリーは心配そうに顔を覗き込む。
そんなハリーに「だいじょうぶ」と青い顔で小さく呟いたアイリスは、時間も押しているので立ち上がる。
前日にハリーがバーノンへお願いしてくれたおかげで、キングズクロス駅までは送ってもらえることになっている。
アイリスはバーノンの苛立った視線を受けながら、ハリーの手を借りて梟の入った鳥かごを持って、既に乗り込んでいたダドリーとペチュニアに嫌な顔をされながら、車の後部座席へと座り込んだ。
運転席へと座ったバーノンはハンドルを握り、左右の安全確認をしてから車を発進させた。
運転中、アイリスが咳をすると、バーノンは苛立ちを隠さずに「わしらに移したらただじゃおかんぞ」と呟いた。
アイリスは素直に「はい」と小さく返事をし、窓を開けて流れていく景色を見ながら咳をする。
アイリスの咳とハリーの心配の声だけが聞こえる車は、少しの時間をかけてキングズクロス駅へと辿り着いた。
バーノンが車に詰め込まれたアイリスとハリーのトランクをカートに放り込み、アイリスのカートを運んでいった。
ハリーのカートは運んでくれていなかったが、ハリーに不満はないようだ。
珍しく優しいな、と思っていると、プラットホームの前で止まってにたりと笑った。
「そぉーれ、着いたぞ。九番線と、十番線だ。お前さんらのプラットホームは中間らしいが、まだできてないようだな?」
バーノンの言う通り、"9"と書かれた大きな札がぶら下がるプラットホームと、"10"と書かれた大きな札がぶら下がるプラットホームの間には何も無い。
「新学期をせいぜい楽しめよ」と意地悪そうに言うと、それ以上は何も言わずに足早に去っていった。
バーノンが車に乗り込むと、ダーズリー家の笑い声が聞こえてくる。
ただそれより、アイリスは身体が重く、今すぐにでも寝てしまいそうになるのを我慢するのに忙しかった。
「ごほっ……」
我慢しようとしても勝手に出てくる咳。夏なのに感じる寒さ。アイリスがカートに寄りかかっていると、ハリーは心配そうに近くへとやってきた。
「アイリス、僕が押すよ」
そう言って、ハリーはアイリスのトランクが乗ったカートを右手で握り、自分のカートを左手で握った。
アイリスは自分で押せると言おうとしたが、口から出てきたのは乾いた咳だった。
優しく背中をさすってくるハリーの心配そうな顔を視界に収めながら、アイリスは早く咳よ止まってくれと願う。
だがその願いに反して咳はどんどん激しくなっていく。もはや立っていられずその場で膝を折り、手を口で抑えて身体を丸め、襲い来る咳を耐える。
「だ、大丈夫か君?」
あまりにもアイリスの様子が悪かったのか、非魔法族の大人の男性が心配そうに声を掛けてきた。
アイリスが涙で滲む視界の中、金髪の平凡な男性を見上げて「大丈夫」と言おうとしても、口から出てくるのは咳だけ。
「びょ、病院に行った方がいいんじゃないか?」
「送っていくからさ」と優しい非魔法族の人が提案してくるが、そんなことはできない。
今日はホグワーツへ行く日なのだから、なんとか我慢して向かわなければ。それにホグワーツへ到着できれば治してもらえるはず。
アイリスは少し咳が収まったので「大丈夫です、ありがとうございます」と咳混じりに答えてから、ハリーに「行こう」と消え入るように呟いた。
ハリーは困った顔で非魔法族の人をチラリと見て「すみません、学校ですぐに医務室へ連れていくので」と伝えてからアイリスのカートを押し始める。
梟の入った鳥かごと子供が押すには大きなカートを押しているからか、はたまたアイリスの顔色が悪いからか。周りの大人たちの視線を感じながら9番線を歩いていく。
ハリーは何も言わずにきょろきょろと辺りを見回している。九と四分の三番線を探しているのだろうか。
駅員に聞くわけにもいかず歩いていると、背後から女性の声が聞こえてきた。
「あなたたち、大丈……っ!」
アイリスとハリーが振り返ると、そこにいたのは赤髪のふっくらとした女性。振り返ったアイリスを見て目を見開き、小さく「リリー?」と呟いた。
後ろには同じ赤髪の男の子が四人並んでおり、一人だけアイリスと同じくらいの身長をしている赤髪の女の子が紛れている。
「だいごほっ! ごほっ!」
アイリスは大丈夫、と言おうとしたが、途中で咳によって遮られてしまう。
「っ! もうっ、やせ我慢しないの!」
アイリスの咳で驚きから戻ってきたのか。ふっくらとした女性はアイリスの脇へと手を入れてきた。
「だ、だいじょごほっ!」
「顔も真っ青だし熱もあるわよ! 親御さんはどこ?」
アイリスはふっくらとした女性によって抱っこされてしまった。
一応は大人の意識を持つアイリスは拒否しようと手で腕を掴んで離そうとするが、口から出る咳によって身体の力が抜けていく。
「あの、僕たち二人で来たんです」
「二人!? なんて無責……っ!?」
ハリーが女性へと話しかけると、ハリーのことを見た女性は再び目を見開いて硬直する。
そして小さく「ハリー・ポッター?」と呟いた。
「えっ、あの、そうです」
「じゃああなたは……」
ふっくらとした女性がアイリスの方を見てきたので名前を言おうとするが、口から出てくるのは咳ばかり。そんなアイリスの代わりに、ハリーが「その子は妹のアイリスです」と紹介する。
「……どうりで似ていると。私はモリー・ウィーズリーよ。あなたと同じ魔法使い」
「えっ! じゃ、じゃあ九と四分の三番線も知ってますか?」
「ええ、知っているわ。その辺は……パーシー!」
ふくよかな女性──モリーの呼びかけに、背後にいた一番年上らしい真面目そうな男の子──パーシーが反応する。
「分かったよ。ほら、君……ハリーも行こう。大丈夫、妹さんは母さんがなんとかするから」
「えっ、でも」と言うハリーに、モリーは「安心しなさい。この子も別の手段でホグワーツに連れて行くわ」と優しく微笑んだ。
それでも心配そうにアイリスを見るハリーだったが、モリーのことは信用できると思ったのか。頷いた後、「アイリスをお願いします」と頭を下げた。
「任せてちょうだい」
そうしてモリーに抱かれたアイリスへ何度も振り返りながら、ハリーは赤毛の集団に混じって去って行った。
モリーに抱かれたアイリスは列車に乗りたかったので残念がっていたが、それよりも緊張の糸が切れたのか。身体が言う事を聞かず、頭がふらふらとしてきていた。
咳も激しくなってきたせいで喉と胸が痛く、喉に絡まった何かが咳と共に出てしまう。
アイリスが口を抑えていた手を見てみると、そこには赤く染まった痰が見えた。
「安心して、きっと良くなるわ。それにホグワーツにもいけるわよ」
アイリスの手に付着する血痰を見て少し驚いた表情をしたモリーだったが、すぐにアイリスを安心させるように背中を手で撫で始める。
そんなモリーの優しい手つきにアイリスは安心感を覚え、完全に身を任せ始めた。
アイリスの緊張が解れたのを感じ取ったのか。モリーは赤毛の集団に加わらなかったアイリスと同じくらいの女の子──ジニーと共に、キングズクロス駅を離れていくのだった。