半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】 作:神野あさぎ
今より一年ほど前の話。
軍の医療棟にて、
「辛は無事なのか?」
翠の問いに、玄は本を広げながら悠々とした態度で返す。
「大怪我してたけど、一応無事」
玄の答えを聞いて、翠は静かに拳を握りしめた。
「妖……許さん」
「……」
翠は軍での妖退治に強い誇りを持っており、妖を絶対的な敵と認識していた。
そんな翠を、玄は黙って見つめていた。
当時、妖退治に向かった部隊の仲間が、辛一人を残して全滅し殉職した。
この時の翠は、上層部からそう聞かされていたのだ。
◇
しかし、時は進んで四十話の襲撃前のこと。
薄暗い一室に、片目を布で隠した金髪の男が座っていた。
「貴様達の中に『辛』って奴がいるだろ? 奴の半分は妖だ」
男が告げた衝撃の真実。
辛は、母親が妖である。
「は?」
部屋の入り口に立っていた翠が、思わず声を上げた。
隣では、
「殺し屋に依頼したが失敗した……使えない
男が言うには、辛を殺すために殺し屋を雇ったのだ。
その殺し屋とは、
「……貴様はできるな?
男は冷酷に告げる。
軍の任務の一つに、妖退治がある。
妖……辛、オレ達を騙していたのか?
翠は思考を巡らせる。
冷や汗が流れた。
普段退治している憎き相手が、軍内部に潜んでいたという事実。
「……協力を申し出た者が一人いる。そいつと合流し、
男は冷徹な眼差しのまま、翠達と視線を交えることなく命じた。
協力を申し出た者とは、爪戯の兄・
翠と真白は命じられた通り、協力者である爪雲と合流し、辛のもとへ向かった。
その際、辛は「妖には触れられない札」に触れることができなかった。
男の告げたことは本当だったのだ。
妖は、翠にとっては敵である。
◇
襲撃失敗後のこと。
「失敗しました。申し訳ありません」
翠は金髪の男の前で膝をつき、深く謝罪した。
男は壁際、戸の外を眺めながら口を開く。
「一年前……
翠は男の唐突な言葉に首を傾げた。
けれどすぐに、その表情は驚愕に染まる。
「貴様の仲間を殺したのは、
男の告げる残酷な真実。
冒頭の、一年前の殉職事件の話だ。
「正体がバレて、口封じに出たようだ」
その言葉に、翠の目が見開かれた。
やっぱりあいつが──……。
翠はそう確信した。
「もう一度だけ機会をやろう。次に
「はっ」
命令は極めてシンプル。
妖である辛を殺せ。
翠はまっすぐ前を見据え、応えた。
人を騙し、人を食らう。そんな妖が嫌いだ──……。
それが翠の揺るぎない考えであり、行動原理の一つだった。
◇
そして現在。
辛の前に、翠が刀を構え宣言する。
「お前は殺す!! 外なら前回の手は使えまい!」
翠が地を蹴り、鋭く間合いを詰める。
周囲に
辛も即座に戦闘態勢に入る。
足から『シン』を放出し、地面を割った。
翠の足元が崩れる。
地面を割って足場を崩そうってか。なら、札を貼って地面の動きを止めてやる!
翠はそう思考しながら、空いている左手で能力の札を形成し始める。
だが、形成された直後の札に、鋭利な金属が突き刺さった。
「なっ……!?」
翠の視線が、金属に貫かれた札へと移る。
「初手を防いだ時に、わずかな金属片をつけておいた」
辛が淡々と答える。
翠に斬りかかられた初撃を金属生成で防いだ際、目に見えないほどの金属片を翠の袖に付着させていた。
その金属片を起点に、新たに金属生成を行ったのだ。
こうして遠隔で札を無力化した。
翠はすぐさま体勢を立て直す。
まあいい、この程度……。
そう考えながら、左脚を強く踏み込む。
だが、踏み込んだ瞬間、足場の土がさらりと崩れだし、地中へ向かって流れ始めた。
「足場が砂に!?」
翠の眼が丸くなる。
蟻地獄のように、中心へ向かって急速に吸い込まれていく。
完全に体勢を崩した翠を、辛は見逃さない。
左手を軽く上へあげる。
すると、地中へと向かっていた砂が一斉に反転し、空中へと舞い上がった。
圧倒的な砂の奔流に押され、翠は上空へと吹き飛ばされる。
硬質化した砂が刃となり、翠の全身を細かく切り裂いた。
翠の頭の中に、真白の姿が浮かんでいた。
玄に洗脳され、心を失った状態の真白の姿が。
「真白さん、しっかりして下さい!」
翠は真白の肩に手を置き、必死に揺さぶった。
けれど、一切の反応はなかった。
「意識を奪ったけど大丈夫。キミがきちんと任務をこなせば元に戻すよ」
玄はいつもの軽い調子でそう答えた。
翠は金髪の男に命じられて辛を襲い、そして玄の言葉に従い、真白を助ける為に行動していたのだ。
……すみません、真白さん。失敗しました。
翠は落下しながら、頭の中で真白へ謝罪した。
◇
翠は地面に叩きつけられ、太い金属の帯で地面に拘束されていた。
砂の刃で全身から血がにじんでいたが、意識ははっきりしている。
地面に転がされたまま、辛を見上げていた。
「お前……なぜ殺さない」
翠が純粋な疑問をぶつける。
辛は立ったまま、表情も変えずに答えた。
「生き埋めにするのは流石に……それに殺す理由もない」
蟻地獄のまま、彼を生き埋めにすることも出来た。けれど、しなかった。
「またそれか」
前回の襲撃でも、翠は辛に敗北した。そして「殺す理由がない」と放置されたのだった。
「オレはただ……
「?」
辛は、弟の丁の情報を聞き出せさえすればそれでよかった。
けれど、翠の怪訝な反応を見るに、何も知らなさそうだと悟り、言葉を紡ぐのをやめた。
翠はもう一つの、ずっと抱えていた疑問を口にする。
「お前……あの時何があった? 本当にお前が、
一年前の殉職事件。
本当に辛が殺したのか、あの場で何があったのか、直接聞き出さねばならなかった。
辛は淡々と、しかし深い悲しみを帯びた瞳で口を開く。
「あれは──……」
一年ほど前のこと。
玄が、血まみれの辛に肩を貸して戸を開いた。
「軍医~! 辛君が!」
玄はいつもの緩い表情ではなく、珍しく真剣な顔だった。
「どうした?」
対応した軍医は、辛の父である
辛を寝台に横に寝かせ、手早く処置をしていく。
「妖討伐の任で、とある地に向かったんですけど……妖たちはすでに死んでて、どうも妖達の間で流行っている病にやられた様だった的な?」
玄が北王の横で状況を説明する。
討伐に向かった先の妖たちは、未知の病で既に全滅していた。
そして、辛だけが酷く体調を崩したのだ。
それから辛は、父・北王が必死に調合してくれた薬のおかげで、なんとか持ち直した。
だが、病の件で疑念を抱いた一部の軍人に薬を盗まれ、その後、人気のない場所へ呼び出された。
呼び出しの場所。
軍人達は辛へ、氷のように冷たい視線を送っていた。
「この薬、調べさせてもらった。人には使えない成分が含まれていた。お前はそれを平然と薬として取り入れている」
軍人達の刃が、一斉に辛へ突き立てられる。
赤が滲み、崩れ落ちる辛。
「死ね、化け物」
辛だけの不可解な体調不良。そして、人には劇薬となる成分。
辛が人間の枠を外れた化け物であることを証明するには、十分な証拠だった。
そして辛は──丁の母を殺した時と同様に、妖の力を解放してしまった。
二度目の妖の異能。その暴走を引き起こしてしまったのだ。
軍人達は未知の力に操られ、互いに殺し合った。
北王が駆け付けた時には、凄惨な肉の海が出来上がっていた。
生存者は、辛一人。
「辛……!」
北王がしゃがみ込み、息子の名を呟く。
辛は血溜まりの中で、わずかに涙を流しながら一言、
「ごめんなさい……」
これが、一年前の殉職事件の真相だった。
「騙す気も、殺す気もなかったが、能力が暴走して……あの場に居た者を死なせてしまった……だから、オレが殺したという事実に変わりはない」
辛は俯き気味に言う。
翠は黙ったまま、辛の懺悔を聞いていた。
「……今のオレにはやることがある。だから、まだ死ぬわけにはいかない」
辛は丁を助け出すまで、死ぬわけにはいかない。
「今はお前に殺されてやるわけにもいかない」
そう力強く言いながらも、不意に辛の視線が遠くへ向く。何かの気配に気づいた様子だ。
翠はその言葉を聞いて思考する。
今のを聞いて同情する気も、仲間を殺されたことを怒る気もない。別に俺は敵討ちをしたかったわけじゃないし、真相を一応知っておこうって思っただけで……こいつを殺したいのは、俺が妖を嫌いって、ただそれだけで……。
翠の頭に、色んな感情や理屈が浮かんでいた。
「今回だけは見逃してやるが、俺を生かしておいたことを後悔させてやる。俺が再び退治しに行くまで、せいぜい生き……延……び……」
翠は強がって鼻を鳴らし、捨て台詞を紡いでいた。
もう居ねえ!
気が付くと、翠の目の前から辛の姿は完全に消え去っていた。
「って! 拘束解除していけよ!」
やっぱ妖は嫌いだ。
そう心から毒づきながら、金属に拘束されたままの翠は喚き散らし、その叫び声だけが虚しく森の木々に木霊した。