半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】   作:神野あさぎ

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No.110「不充分」

 幼い頃の(くろ)の話だ。

 

 親に捨てられた。だから一人で生きる為に、泥水すする思いで悪事(盗み)を働いていた。

 

 幼い玄は、薄暗い路地でターゲットを発見した。

 一人悠々と歩く男の背中を見つめる。

 男の頭の右側には、妖精の翅のような不思議な物が生えていた。

 

 あいつにしよう。気配を殺して……。

 

 そう思いながら背後から接近する。

 男の真後ろにつき、手に持つ荷物に狙いを定める。

 

 しかし、次の瞬間。

 足元から伸びた影が跳ね上がり、玄の顔を容赦なく鞭打った。

 

「!?」

自分(オレ)から盗めると思ったか?」

 

 男は影を触手のように展開しながら振り返り、静かに言い放った。

 

 やばい……殺される──……!?

 

 地に尻もちをついた玄の額から、大量の冷や汗が流れる。

 終わった。そう思ったが、沈黙が流れるばかりだった。

 

 しばしの沈黙の後、男が口を開いた。

 

「……まあいい。見たところ行く当てがないのなら、自分(オレ)のところに来るか?」

 

 まさかの発言。

 

「なっ」

 

 玄の眼が見開かれた。

 盗みに失敗し、殺されるかと思えばまさかの提案。

 

「え……何ッ……さっき会ったばかりなのに? なんで?」

 

 玄は極度の困惑を見せる。

 男は表情を一切変えず、展開していた影を静かに足元へ収束させていく。

 

「さあ? ただの気まぐれ」

 

 男の言葉に、玄の理解は全く追い付かなかった。

 

「よく分からない奴……」

 

 そう呟き、玄は得体の知れない男についていくことにした。

 

 彼は闇神を名乗り、玄を拾い、そして玄に能力の使い方を教えた。

 縁側で闇神──ラウロスが座り、庭で玄が右手をかざす。

 だが、上手く影が動いてくれない。

 

 親に捨てられた玄は、幼いながらにこう思っていた。

 

『誰もオレを救わない。誰にもオレは救われない』

 

 だがこの日、ラウロスに拾われ、考えが少しだけ変わった。

 

『次はオレが、誰かを救う側になれたら……』と、微かに考えるようになった。

 

 月日は流れ、お世話になってばかりでは悪いと、稼ぐために軍に入隊した。

 

「初めまして、玄です! よろしく~みたいな~」

 

 軽い調子で、緩い顔で、その場にいた(かのと)に向かって挨拶をした。

 

「……」

 

 しかし一切の返事はなく、辛の表情は『無』そのものだった。

 

 あれ!? 返事がない!? 何? 何か悪いことしてしまった?

 

 玄は流石に焦りを見せ、辛の顔を横から覗き込んだ。

 

「えっと~……」

 

 この間も辛に変化はない。

 表情からも感情が読めない。全く掴めない。

 

 なんだこいつ……。

 

 これが玄の、辛に対する第一印象だった。

 

 そして少し経った、とある日のこと。

 連日、妖退治の任務をこなしていた玄たち軍人。

 

「妖出すぎ~」

 

 玄はそうぼやきながら、薄暗い空の下で妖達と対峙していた。

 足元には瓦礫が大量に積み上がっている激戦区だ。

 

「あっち応援頼みます。俺は向こうに」

 

 翠が走り去りながら玄に指示した。

 

「へーい」

 

 玄は軽い調子で返事をした。

 全員が満身創痍。

 しかし空には、まだ妖の群れが飛び交っていた。

 

 玄はふらりとよろめいた。

 

 流石に戦いすぎた……『シン』が尽きたか──……。

 

 半ばあきらめの境地で居た玄の背後を、一体の妖が捉える。

 大きな顎を開き、食い殺そうと肉薄してきた。

 

 刺突音。

 

 上空から辛が刃を突き立てながら急降下してきた。

 体重を乗せた刃が、妖の急所を貫いていた。

 

 玄は思わず振り返る。

 

 妖は一回転して辛を振り落とした後、羽を広げて逃げるように空へと飛翔する。

 辛も身を翻して、着地を決める。

 

 玄は思わずよろめき、その場に座り込んだ。

 

「……」

 

 辛と妖が対峙しているのを見ていた。

 空を見上げれば、無数の妖が旋回している。

 

 ってまだまだ居る!?

 

 玄が大量の汗をかきながら焦燥を滲ませる。

 辛は妖を貫いた刀を捨てながら、静かに口を開いた。

 

「一番わかりづらい奴は目視で確認──……。残りは気配で把握済み……」

「ぬ?」

 

 辛のつぶやきに、思わず間抜けな声が玄から漏れる。

 玄は闇の能力で気配を完全に隠せる。ゆえに、辛は乱戦の中で玄の位置を「目視」で探して確認したのだ。

 

 そして辛は「(ごん)」の能力で無数の刃を形成して見せた。

 その刃は地面から瞬時に伸び、上空の妖達を次々と正確に貫いていく。

 この広範囲の無差別攻撃を、味方である玄に当てない為に、あえて目視で安全圏を把握していたのだ。

 

「はえ~……」と、玄は緩い顔のまま、その圧倒的な光景を見上げていた。

 

 しばしの間。

 そして、戦闘が終わった。

 

「先刻はどうも~ってかアレ、さっさとやれば良かったんじゃね? 的な?」

 

 玄が辛に歩み寄って尋ねる。

 辛が最初からあの刃を展開していれば、すぐに済んだのではないかと聞きたかった。

 

「あんたの気配が掴み難くて、目視できるまでは使えなかった。味方を巻き込むわけにもいかないしな」

 

 辛の表情は変わらなかったが、申し訳なさそうにしているのは痛いほど伝わってきた。

 玄は一瞬、沈黙する。

 

 悪い奴ではないらしい。

 

 辛への印象が、決定的に変わった瞬間だった。

 

「すまんな! 盗みの為に気配を殺す方法を身に着けてしまってな……的な!」

「……」

 

 玄はいつもの軽い調子で誤魔化すように答えた。

 

 その日、任務を終えた玄は家へと帰ることを許された。

 

「ただいま~」

 

 そう言いながら戸を開く。

 

「久々の帰還的な~? 闇神~ちゃんと飯食ったか~?」

 

 右手を前に突き出し、緩い顔で登場して見せた。

 しかし、家から返事が返ってくることはなかった。

 ラウロスの姿がどこにも見当たらない。

 

 出かけてんのかな?

 

 この時の玄は、その程度の認識だった。

 

 しかし、ラウロスは帰って来なかった。

 

 しばらくしてから、左眼を布で隠した金髪の男──鍵神に極秘裏に呼び出された。

 部屋の中央に鎮座する鍵神は、玄へ青い珠を冷酷に差し出した。

 

「闇神は我々に逆らった……だから罰として幽閉した」

 

 鍵神の右眼が、玄をねっとりと捉える。

 

「闇神の『シン』だ。貴様が次の闇神となり我々に従えば、いつか解放してやろう」

 

 鍵神の言葉を聞き入れる玄の脳裏には、ラウロスとの温かい思い出が巡っていた。

 

 闇神……。

 

 その名を頭の中で反芻しながら、不器用に能力の使い方を教わっていた時のことを思い返していた。

 

 闇神の為なら「悪」にだってなってやる──……。

 

 そう決心し、震える手で青い珠に手を伸ばした。

 

『次はオレが救う側──……』

 

 次の日。

 辛の前に現れた玄は、ラウロスとお揃いのペイントを顔に施していた。

 

「お前……」

「コレ?」

 

 辛がすれ違いざまに言う。

 すかさず玄が口を開く。

 

「恩人の真似的な~?」

 

 しかし、辛が気になったのはそこではなかった。

 

「いや、なんか……感じが──……」

 

 辛は、玄の気配や雰囲気の決定的な変化を、感覚で感じ取っていた。

 

「任務いってきま~す!」

 

 そう叫び、玄は話を打ち切るように足早に駆けて行った。

 辛は沈黙し、その背中を見送るしかなかった。

 

 走りながら、玄は冷や汗を流して思考していた。

 

 気配で勘付かれた? ってか気配で分かるって、どういう……?

 

 玄が闇神のシンを宿し、変わったことを悟られた気がしていた。

 しかし、その原理がどういうものなのか、玄には理解できなかった。

 

 しばらく後。玄は足を止める。そして物陰へと身を隠した。

 向かい側の通りで、北王(ほくおう)(ひのと)が何か話をしている。

 玄は完全に気配を殺し、様子を窺う。

 

 あれは……。

 

 任務の標的である丁の姿を確認した玄は、神に報告へ戻った。

 

 それから水神ウルが到着し、玄は丁のもとへと案内した。

 

「言ってた標的、居ますよって」

 

 そう言いながら、右手で指差しした。

 

「ご苦労さ~ん」

 

 ウルは笑顔で「レイン君まだかな?」と呑気に呟きながら、ゆっくりと歩いていく。

 その時、玄の目が見開かれた。

 

 丁だけではない。その場には辛もいたのだ。

 丁は必死に辛の後を追って走っている。

 

 アレ!? 辛君も居る!? 水神相手じゃ殺される……。

 

 そう思いつつも、木の陰に隠れて様子を窺うしかなかった。

 ウルは「アレもう乱入してよろしい?」と誰に確認するわけでもなく、楽しげな独り言をつぶやいていた。

 

 玄は沈黙を選んだ。

 

 闇神の為なんだ……仕方ない──……。

 

 そう自分に言い聞かせ、割り切ろうとした。

 しかし想定外のことが起きた。

 あの嗜虐的なウルが、辛を殺さなかったのだ。

 

 後から来たレインと共に、丁だけを連れ帰るウル。

 その姿を見て、玄は確かに胸を撫で下ろし、安心していた。

 

 何故安堵する? 闇神の為に、闇神の為なら……そう思って他の神の要求を聞いて、人も殺した。人を()めた。

 

 玄は木の陰で座り込み、頭を抱えて思考を巡らせた。

 脳裏には、絶望の中で自分を助けたラウロスと、戦場で背中を守ってくれた辛の姿が交互に浮かんでいた。

 

 自分を助けてくれた人を殺せない……オレには出来ない。

 「悪」で居るには、オレは不充分だった──……。

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