半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】 作:神野あさぎ
森の中。シロホンが腕を組み立ちすくむ。
その後ろで、
そこへ現れたのは、モドキの小さな分身体であるシャチ。
「じゃあ連れていくよ」
「早く行け」
モドキが言うと、シロホンも短く答えた。
モドキの能力で、真白と翠は無事にこの場を離脱した。
二人の気配が完全に消えるのを確認したシロホンは、前を向く。
在庫を聞くのを忘れた……アヴェルスも来ているようだし、機を見て──……。
シロホンは此処に来るまでに何度か死に、吸血鬼の再生能力で蘇っている。
『在庫』とは血のことである。
吸血鬼の能力の代償である血液の補給、その切実な問題について考えていた。
「あーあ……」
不意に声が聞こえた。
足音を踏み鳴らし現れたのは、黒髪を一つにまとめ上げた背の高い女。
「逃がしてしまったようだね」
シロホンと対峙する女。
二人の間に風が舞い、木の葉が散る。
「まあ、ノルマは達成したようだから……良いかね」
女の言うノルマとは、魂回収のことである。
そのせいで、少しずつ追い詰めるって訳にはいかなくなったがねぇ……。
「ところであんたかい? 私の『音』を打ち消したのは」
女が問う。
音で軍人を操っていたのはこの女──音神である。
それを逆位相で打ち消したのはティーだが、シロホンは答えない。
「はあ? 知らねーよ」
シロホンは怒気を強めながら言い放ち、能力で木琴を展開した。
宙に木の板が周囲を囲むように広がる。
「違うみたいだねぇ」
音神は、シロホンの媒介が木琴であること、それでは自分の音を直接打ち消せないことを看破した。
「音」で強化して、一撃で終わらせる。
シロホンはそう思考し、ステップを踏み込もうとする。
だが、次の瞬間。
先に蹴撃を入れたのは音神の方だった。
音を置き去りにするような踏み込みで、シロホンの腹を音神の右脚が深々と射貫く。
「!?」
シロホンの眼がわずかに見開かれる。
「
音神は右足をシロホンにめり込ませたまま、軸足である左脚を蹴り上げ、シロホンの顎を下から射貫く。
強烈なサマーソルトキックがシロホンを襲い、宙へ高々と吹き飛ばされる。
音神は服の袖から優雅に笛を取り出した。
笛を奏で始める。
その怪しい音色は、空中のシロホンが展開した木の板──木琴を強制的に操りだした。
吹き飛ばされながら上体を起こしたシロホンは、その絶望的な光景を目にする。
あの音、人以外も操れるのか──……!
そう思考するシロホンへ、自身の武器であるはずの木琴が牙をむく。
無数の重い木の板が、シロホン目掛けて一斉に飛翔する。
地面へ突き刺さる音。
砂が舞い、大量の赤が飛び散った。
「おっと、そろそろ時間かねぇ」
音神は笛をゆっくりとしまう。
「もう少し遊んでいたかったんだけどねぇ……」
音神は、自らの木の板に身体を無数に貫かれ、磔のようになったシロホンを一瞥すると、踵を返す。
「ん? そう言えば……この顔、どこかで見た気が──……」
そう言い、記憶をたどる。
シロホンは大量の血を流し、完全に沈黙していた。
「! あの子が言ってた奴か──……!」
音神は右手で指を立てると、思いだしたかのように呟いた。
その言葉と重なるように、森の別の位置では、『あの子』と呼ばれた人物が鼻歌交じりに歩いていた。
手には妖しい容器が握られている。
「さて、私も向かうかね」
そう言い残し、音神は立ち去った。
◇
少しして、シロホンの意識が戻る。
奴の音のせいで、能力の制御もうまくいかなかった……。
身体中に木が刺さった致命傷だらけの状態ながら、冷静に分析した。
そして能力を解除し、自身に刺さった木を消していく。
流石に死に過ぎた……血が足りない……そう言えばさっきの奴は何処に……血が足りない。血が血が血が血が血血血血血血血血血……。
限界を迎えたシロホンの思考は、猛烈な渇きと血に支配されていく。
血血血血血血血血血血血血血血血血
……もう少し思考がまともに動くなら……敵を倒して血を奪うんだが──……。
血血血血血血血血血血血血血血血血
こうなると、むやみに突っ込むことしか出来ん。
右手で顔を覆いながら思考するも、まるでまとまらない。
「血……血が……」
このままじゃ味方を……。
「血が欲しい……」
襲ってしまう……。
シロホンは自らの右手の甲に深く噛みつき、理性をなんとか保とうとする。
「吸血鬼って大変だね~」
不意に、
シロホンは血走った目で、一筋の汗を流して凪を見た。
「私の血、あげるよ?」
凪の唐突な提案。その顔は普段通りの緩いものだった。
「はあ? ってかいつから……なんで此処に居るんだよ!」
シロホンは何とか理性を繋ぎ止めて問う。
「ついさっき来たばかりだけど?」
凪は両手を広げて答える。
凪は彼に刻まれた呪いを感知し、見事辿り着くことに成功したのだ。
「代理で呼びに来ただけよ」
「はあ?」
「敵の呪いの媒介は分かったんだけど、それをどうにかするには、お兄さんのチカラが必要みたいだから……」
凪はウミリンゴから提供された情報を手短に提示した。
シロホンは少し困り顔で黙った。
そして、苦しげに口を開く。
「あぁ……分かった……分かったから、お前は今すぐ此処を離れろ」
「でも……」
それでもシロホンは断固として、凪にこの場を離れることを指示した。
「オレの過去を見たなら知ってるだろ……早く行け。オレが、オレでなくなる前に」
凪はルリの能力で、シロホンの凄惨な過去を見た。
シロホンは完全に理性を失い人を殺したことはないが、渇きに負けて何度か襲いかけていた。
この人の過去は知っている。味方の血は、アヴェルスって人以外のはなるべく飲みたくないみたい。襲いたくないし、殺したくないから……だと思う。
凪は苦しそうにうなだれるシロホンを見下ろしながら考えていた。
「うん、知ってる」
凪は静かに続ける。
「そのうえで、提供すると言ってるの!」
凪は右手を胸に当て、左手をすっと差し出しながら力強く言い放った。
その眼は、一切の恐怖を見せず、まっすぐシロホンを捉えていた。
「は?」
シロホンはあっけにとられた。
「まあ……私、一応治癒能力持ってるし……いや、あの……加減はして下さい」
凪は両手を合わせて緩い顔つきになり、少しおどけて言った。
シロホンは沈黙した。
「……正直言うとね──……今何が起きているか分からないけど、敵が来てるのは分かる」
敵…あの人……辛君を殺したくないみたいだったけど……。
凪の頭には、城で別れた玄の姿が浮かんでいた。
私の母親が殺された真相を、知ってる気がする……。
「だから! なんとしてでも生き延びて! 奴を捕まえる!!」
凪は右手で拳を作ると、決意を込めて宣言した。
生きて玄に追及する。それが彼女の今の目的だった。
シロホンは凪の突然の宣言に「なんだ急に」と小さく呟いていた。
「兎に角、此処を乗り切らなきゃいけないわけでしょ? でも私に出来ることってあまりないから……お兄さんの方が戦力になるし」
凪は再びシロホンへと顔を向ける。
まっすぐに見据えて。
「これが最善手って思ったの」
凪の理路整然とした覚悟と、その言葉の重みを、シロホンはしっかりと受け止めた。
「じゃあ……」
そう言い、シロホンは震える左手で、差し出された凪の右手を取った。
ゆっくりと、自らの口もとへと引き寄せる。
「少しだけ……」
そう言い、シロホンは凪の白い腕へと、鋭い牙を立てた。