半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】   作:神野あさぎ

12 / 46
No.12「化け物」

 人を操り、人を食う(あやかし)

 人を惑わし、人を誘い込み――それが“蟲人(ちゅうじん)”。

 

「私が……死なせてあげる」

 

 白い靄が引きつつある森道に、女が草履の踵を鳴らして現れた。

 背中から生えた巨大な黒い翅をゆらめかせ、彼女は(かのと)が作り出した金属の壁へと視線を向ける。

 壁の手前には、焦点の合わない瞳で(なぎ)が立っている。

 

「来たわね」

 

 女は、壁の向こう――辛に向けて唇を歪めた。

 

「ねえ、ねえ。聞こえる? 半端者……」

 

 女は凪の背へ腕を回し、短剣の細い刃をその白い喉元に押し当てる。

 凪の手元、刃の先から、赤い雫が重力に従って落ちた。皮膚が裂ける微かな音が聞こえそうなほどの静寂。

 

「この子が殺される前に、出てきなさい」

 

 女は凪の耳元でささやき、愛おしげにその頬を撫でる。

 

「死ぬわよ? この子」

 

 金属壁の裏側では、辛と爪戯(つまぎ)が向かい合っていた。

 壁一枚隔てた向こうで、人質が刃を突きつけられている。

 

「どうする、辛……」

 

 爪戯が苦渋に眉をひそめる。

 

「あいつを見たらダメってんなら、この右眼も使えないか」

 

 辛は答えず、自身の首筋に触れる。

 先ほど凪を庇った際、女に爪で引っかかれた痕が熱く脈打っている。

 

「……なあ」

 

 壁越しの殺気と空気を読んで、辛は決意と共に一歩踏み出した。

 

 ◇

 

 辛が壁の陰から姿を現す。それを見た女が、歓喜に表情を歪めた。

 

「やっと来たわね」

 

 女が嬉しそうに目を細める。

 

「直ぐに出て来ないから、この子を殺すところだったわ。――まあ、いいわ。私の目の前で死んでくれれば、それで……」

 

 黒い翅が大きく羽ばたく。鱗粉のような光が舞い、甘い香りが漂う。

 

「……そうねえ。今ここで、自害してくれる?」

 

 辛は無言で女を見据える。

 視線が絡んだまま、一歩も退かない。その瞳に魅了の色はなく、ただ冷徹な意志があるだけだ。

 女はむっとして、刃を凪の手に強引に握らせた。

 

「無理と言うのであれば、先にこの子を自害させるわ」

 

 命令が下る。凪の手が震えながら持ち上がる。

 切っ先が、凪自身の喉へ向く。

 刃から落ちる血が、土に黒い花を咲かせる。

 それは先ほど、凪が辛を刺したときについた、辛自身の血だ。

 

 これは。

 辛の胸裏で、何かが繋がった。

 その時、凪の掌が小さく震える。

 視界の端で、彼女の虚ろだった瞳が揺れた。

 血。これは誰の。

 

 女が不審げに首を傾げる。

 

「動きがおかしい……?」

 

 凪の喉が詰まる。

 刃を握る手に、ぬるりとした感触と、辛との記憶が鮮烈に蘇る。

 優しくしてくれた彼。守ってくれた彼。その彼の胸に、この刃を突き立てた感触。

 

 そうだ、私――刺したんだ。刺した……私を助けてくれた人を……なんて酷いことを。

 涙が、あふれ出した。

 頬を伝って落ちた雫が、刃の上の血を薄める。

 

「……ごめん……なさい……」

 

 凪が首を振って抵抗する。刃は上がらない。

 女が苛立ち、凪の肩を爪が食い込むほどきつく抱き寄せる。

 

「!? 何故!? 私の思い通りに動かない!?」

 

 ◇

 

 金属の壁は、月光を受けてかすかな唸りを上げて光を返す。

 その壁の陰で、数瞬前――辛は爪戯に小声で策を授けていた。

 

「なあ爪戯。お前、水の状態変化ができるよな。……応用は? 少し離れた相手の“周囲”を凍らせるとか」

「出来るよ、一応。相手の周囲の水分子を凍らせて氷にできる。……でも俺、あいつは目を見たらダメなんだよね?」

「見る必要はない。凍らせて“一瞬”動きを止めて隙を作ってくれれば、あとは何とかする。ただし――凍らせるのは……」

 

 ◇

 

 そして現在。

 凪の抵抗で女が隙を見せた、その一瞬を辛は見逃さなかった。

 辛は息を整え、短く叫ぶ。

 

「爪戯!」

「了解!」

 

 壁の裏からの声。

 次の瞬間、凪と女の足元で霜が走る音がした。

 地面に含まれる湿気、空気中の水分が瞬時に白く凍りあがる。

 

「っ……!」

 

 女の肩が跳ねた。

 

「氷……!? なにを――操れない? なぜ、人間に……!」

 

 足首を絡め取る氷に、女の身体がわずかに縛られ、動きが鈍る。

 その刹那。

 

 辛が疾風のごとく走った。

 魅了は半分妖である辛には効かない。

 懐に滑り込み、逆手に持った鋼の短剣を女の胸へ突き出す。

 肉を裂く鈍い手応え。

 女の背で、透明の翅が大きく震え、膝が砕ける。

 

「貴様は……なぜ動け……凍っていない……?」

 

 女が呻くより早く、辛はその身体を地面に押し倒し、柄に体重を預けた。

 心臓を貫かれた女が、血の泡を吹く。

 

「――一つ答えろ」

 

 辛の声は低い。

 握る刃の震えが止まない。それは恐怖か、それとも。

 

「貴様は“どうやって”生まれてきた?」

 

 女の瞳が大きく揺れる。

 瀕死の脳裏で、ある矛盾が弾けた。

 

「だって……! 確かにあねさまは――人間の子を……。しかし、あねさまは“生む前に”人間に殺された! なのに、どうやって……!」

 

 辛は目を伏せる。

 その問いへの答えを、彼は知っているのか、知らないのか。

 

「……オレは」

 

 喉の奥で言葉がつかえる。

 脳裏に、幼い頃から夢に見る、掠れた声が甦った。

 

 うまれてきて……ごめんなさい。

 オレだけが、生き残って……。

 死にたく、なかった……。

 

 それは、死した彼女の腹に宿った何かが残した、生への執着の残響のようだった。

 母を捨ててでも生きようとした、業の音。

 

「……あれは――」

 

 女が悟ったように、うわ言のように呟く。

 目の前の青年は、甥ではない。もっとおぞましい何かだ。

 

「化け……」

 

 言葉はそこで途切れた。

 黒い飛沫が、白い世界に咲く。

 辛は柄を強く握り込み、刃を最後まで押し込んだ。

 女の身体から力が抜け、冷たい氷の上に崩れ落ちる。

 静寂と耳鳴りの中で、辛はただ短く息を吐いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。