半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】   作:神野あさぎ

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No.133「非無救」

 昔のこと。

 傷だらけの顔、右眼を覆う眼帯。

 中庭に腰を下ろし、顔の傷に触れる鮫神。

 セーブルから右眼を移植された、その後の出来事だ。

 

「キミ、こんなところで何をそんなに(つら)そうにしてんの?」

 

 ふらりと現れた蛇神が、鮫神に声をかける。

 

「!」

 

 蛇神は右手で拳を作り、左掌に打ち付けた。

 

「痛ーーーーーーーっ!」

 

 急な叫び声に、鮫神は肩をびくつかせて顔を上げた。

 蛇神は地面に転がり、顔を両手で覆っている。

 

「な、何やってんだ……!?」

「いたたたたたたた」

 

 地面を転げ回る蛇神を見下ろし、鮫神は冷や汗を流す。

 

「同じ状態になれば、心情を理解できるかなと思って」

 

 蛇神の右手に握られていたのは、鋭いガラスの破片だった。

 彼は自らの右眼の下を切り裂き、血を流していた。

 鮫神が顔に傷を負っているのを見て、同じ状態になろうと自ら傷を作ったのだ。

 

 その異常な思考回路に、鮫神は絶句した。

 

「何してるのよ、馬鹿みたいよ」

「蝶神~!」

 

 そこへ蝶神が現れる。

 蛇神は血まみれの破片を蝶神へ向けて、無邪気に口を開いた。

 

「蝶神も顔に刻んでみな~い?」

「なんの勧誘よ」

 

 顔に傷を刻む狂気的な勧誘に、蝶神がすかさず突っ込む。

 

「と言うか私は既に刻んでいるわ」

 

 蝶神の右眼の周囲には、蝶の模様が鮮やかに刻まれていた。

 

「そうだった! どこぞの一族との契約の証なんだっけ? ずるいな~」

「ずるいって何よ!?」

 

 蛇神が軽口を叩き、蝶神が返す。

 その平和な光景に、思わず鮫神から小さな笑みがこぼれた。

 

「変な奴……」

 

 鮫神はぽつりと呟く。

 

「もっと笑いものにしてやりなさい」

「ええ!?」

 

 蝶神は腕を組んで言い放ち、その横で蛇神が驚いたように声を上げる。

 

「あ! オレ、蛇神やってます、よろしく」

 

 そう言って、蛇神は鮫神に向けて血のついた右手を差し出した。

 

 ◇

 

 そして、時が流れる。

 冷たい雨が降っていた。

 

 切断された蛇神の手が地面に転がり、赤黒い血が水溜まりに広がっている。

 蝶神が駆けつけた時、すでに蛇神は物言わぬ亡骸となり、成長した鮫神がその場に立ち尽くしていた。

 

 鮫神の右手には、蛇神の体内から抜き取られたシンが固く握られている。

 

 どうして、こうなってしまったのかしら……。

 

 ただ立ち尽くす鮫神の背中を見つめ、蝶神は絶望とともに思考した。

 

 ◇

 

 それから数日後。

 

「蛇神はそんなに悪いことをしたの? 何も殺さなくたって良いじゃない」

 

 蝶神は縁側に座り、猫神へ向けて吐き捨てるように言った。

 

「蛇神って半人半妖でもあったっちゃろ?」

 

 猫神は畳の部屋に寝転がったまま、気怠げに返す。

 

「だからって! う~ん。大体、なんで鮫神に命令したのよ……殺したくなかったでしょうに」

 

 蝶神は右手を頭に当て、苛立ちと葛藤を滲ませる。

 

「悪魔やからやないと?」

 

 猫神が淡々と事実を告げる。

 

「悪魔に限らず人を攫っては一部、手駒にする動きがあったらしいけん……その一環かも」

 

 神が、悪魔を攫い実験体にしたり、手駒として扱うために洗脳教育を施している。猫神は冷徹な事実を並べた。

 

「攫った!?」

「なん? 知らんかったと?」

 

 蝶神が振り返って叫び、猫神がすかさず答える。

 

「悪魔なのと、神に育てられたのは聞いていたけれど……」

 

 悪魔だからぞんざいに扱うってこと……?

 

 蝶神は右手を口元に当て、背筋の凍るような悪意の構造に気づく。

 

 ◇

 

 結局、蝶神は蛇神の死後、鮫神と会うことはなかった。

 そんなある日。

 

 鮫神に会ったところで……どうするのが正解かしら……。

 

 蝶神は当てもなく思考を巡らせながら、木々の間を歩いていた。

 やがて、森の奥に無機質な巨大施設が建っている場所へとたどり着く。

 そこには、建物を静かに見据える一人の影があった。

 

「? こんなところで何をしているの?」

 

 蝶神はその人物──ゴータスに声をかけた。

 

「襲撃しようかと」

 

 ゴータスは右手で施設を指差して平然と言った。

 これが蝶神と、とある悪魔──ゴータスとの出会いだった。

 

 蝶神は彼の話を聞き、同行を決意する。

 

「あれは所謂研究所ってやつだ……」

「!」

 

 ゴータスが研究所と呼ぶその施設へ、二人は足を踏み入れる。

 そして蝶神は、地獄のような惨状を目撃した。

 

「何よこれ」

 

 分厚いガラスの向こう側。血まみれで横たわる人々や、無数の管に繋がれ苦悶の表情を浮かべる人々が並んでいた。

 

「やっぱなにも知らないんだな。神の癖に」

「え?」

 

 ゴータスが呆れたように口を開く。

 

「悪いが貴様の思考は読ませてもらった」

 

 ゴータスは心を読み取る能力を持っていた。

 だからこそ、目の前の神がこの惨状と無関係であることを察し、同行を許したのだ。

 

「……こいつらは実験に耐え切れずに死んだ、というところか」

 

 ゴータスはガラス窓の向こうの死体を見据え、淡々と分析する。

 

「神は何をしようとしているの!?」

 

 蝶神は冷や汗を流し、激しい嫌悪感を露わにする。

 

「欲しいものを手に入れたいんだろ。その為なら自分たち以外がどうなろうが構わない。悪魔ならなおさら」

 

 ゴータスの言葉が突き刺さる。

 神は渇望するもののために非人道的な人体実験を繰り返し、悪魔相手であれば一片の慈悲すら持たない。

 

「まあ……どうやら貴様は違うらしいが」

 

 ゴータスは蝶神の純粋な思考を読み取り、警戒を解いていた。

 

「……こんなことが行われていたなんて……」

 

 蝶神はうつむき加減に歩を進める。

 

「それにしてもやけに静かと言うか……他に神は居ないのか?」

 

 警備や研究員の姿が見当たらない異常性に、ゴータスが呟く。

 

「あ!」

 

 蝶神が何かに気づき、視線を横へ向けた。

 

「あれ……一人生きてる」

 

 蝶神はガラスの向こうを指差した。

 死体の山の中で、一人立ちすくむ影がある。

 

 唯一の生存者だった。

 蝶神たちは施設の機能を破壊し、その生存者を連れ出した。

 

 生存者は心ここにあらずといった虚ろな様子で、うわ言のように呟いていた。

 

「……が……来て」

「大丈夫かしら?」

 

 蝶神が生存者に声をかける。

 

「あれは、悪妖精」

 

 生存者は不可解な単語を呟いた。

 

 その後の調査で、彼が蝶神と契約している一族の者と血縁関係にあることが判明する。

 この生存者こそが、後の北王(ほくおう)である。

 

 ◇

 

「また伯父さんを殴ってしまった!」

「今度は何を言われたの」

 

 北王と名乗るようになった彼は、一族の元へ帰還したものの、折り合いが悪くトラブルを繰り返していた。

 

 さらに時は流れ──……。

 

「北王~元気にしてた~?」

 

 (きゅう)の国の総合病院。蝶神がロビーに現れて声を張る。

 

「あ! 煩いのが来た!」

「酷っ!」

 

 白衣姿の北王が深いため息をついた。

 彼の傍らには、幼いデュオラスが控えている。

 

「でもまさか貴方が医者になるとはね~」

「まあ、救う側になってみたかったんで」

「ふ~ん」

「お前……」

 

 蝶神の言葉に北王が真面目に答えるも、彼女は適当に聞き流した。

 

「あ、噂の息子第一号?」

 

 蝶神がデュオラスを指差して問う。

 

「そうだけど違う!」

 

 北王が全力で複雑な血縁関係を否定する。

 

「は、初めまして……」

 

 デュオラスが丁寧にお辞儀をした。

 

「……こいつは蝶神だ。神だが悪い奴ではない……多分」

「多分って何よ、失礼ね!!」

 

 北王の紹介に、蝶神がすかさず食って掛かる。

 

「あ、はい……話は聞いています」

 

 デュオラスが静かに答える。

 

「私が北王を助けたのよ!!」

「お前何かしたっけ?」

「酷っ!」

 

 蝶神の恩着せがましい主張を、北王が適当にあしらう。

 

 やがて北王は、呼び出されたゴータスと二人で密談を始めた。

 その傍らにはもう一人の影があった。

 その間、病院のロビーに残されたデュオラスと蝶神は、並んで椅子に腰かけていた。

 

「ところで、貴方も何か特殊ってことで良いのかしら?」

 

 蝶神がデュオラスに単刀直入に問う。

 デュオラスの目が僅かに見開かれた。

 

「あ、ごめんなさい。変なことを聞いて……少し話は聞いてたし、なんて言うかその~」

「悩みですね」

 

 失言を悟って焦る蝶神に対し、デュオラスが的確な言葉で遮る。

 蝶神は「何故分かる」と内心で驚愕し、動きを止めた。

 

「すみません、少し心が読めるので」

 

 デュオラスは静かに告げた。

 彼は蝶神が抱える深い悩みを読み取っていたのだ。

 

「……なんて言うか、なんであんなことするのかしら神って……」

 

 蝶神は、遠くで話し合う北王の方を見つめながら口を開く。

 

「北王は被験体だったし、悪魔をぞんざいに扱ったり、妖との間に生まれた者を殺したり……同じ人間なのにって思う訳よ。ごめんなさいね、貴方にこんな話をしてしまって……」

 

 全ての人間を幸せには出来ないけれど、もうちょっとこうね……まあ、私もキレると暴力に訴えるタイプだけど……。

 

 蝶神は内心で自嘲気味に思いながら、本音をこぼした。

 

「……悪魔や北王さんは『人』ですけど、蛇神さんについては『人』じゃないです」

「えっ……?」

 

 デュオラスの思わぬ言葉に、蝶神は驚きに声を上げた。

 

「本物の神が作ったこの世界から逸脱した存在ですので──……。本で言うなら、作者の意図しないキャラクターが生まれたようなものです。悪魔の『マナ』も同様なんですが……扱う身体は『人』なので……」

 

 デュオラスは前を真っ直ぐに見据えて、世界の構造を論理的に解き明かす。

 

「それに蝶神さんは、過去に蛇神さんに違和感を覚えたはずですよ」

 

 デュオラスの指摘に、蝶神はかつて感じた名状しがたい違和感を思い起こす。

 

「『あれ』はオレ達が、この世界に存在する為に起きる現象で──……それでもこの世界では『人』とは認められない。そんな存在を生かしておく必要はない」

 

 デュオラスが淡々と冷酷な理を並べる。

 

「もしかして貴方も『ない』の?」

 

 蝶神の頬を汗が伝う。

 デュオラスにも、蛇神にも共通する絶対的な事実。何かが欠落しているという証。

 

「昔は……今は『創った』ので」

 

 デュオラスが答える。

 かつては欠落していたが、今は自ら創り出した。

 

「その代わりに体調は悪化したんですけどね」

 

 欠落を無理やり埋めた代償として、彼は健康な肉体を失ったのだ。

 

「デュオラス、行くぞ」

 

 ゴータスが声をかける。

 デュオラスは静かに立ち上がると蝶神に一礼し、彼のもとへと歩み寄った。

 

「……」

 

 『人』じゃない……ね……『人』にしか見えないけど……。

 

 蝶神は、小さくなるデュオラスの背中を見送りながら思考を反芻した。

 

 ◇

 

 現在。

 鮫神によって頸動脈を斬られ、蝶神の血が空を舞っていた。

 

 他の神は他人を見下しているかもしれない。世界から見ても『人』じゃない存在が居るのかもしれない。でも私から見れば同じ『人』なのよ──……。

 

 全てを救うことは出来ないけれど、目の前の友人が『人』でない扱いを受け、虐げられる環境に居るのなら……救い出したいと思ってしまうの。

 

 蝶神は目を見開いたまま、自身を切り裂いた鮫神の姿を見つめていた。

 

 神の呪縛に逆らえず、友を殺すことを強いられる鮫神の絶望。

 

 ああ……私が死ねば……貴方は一時的にでも救われる……?

 

 凄惨な痛みの中でそんなことを思いながら、蝶神の身体は重く地面へと伏した。

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