半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】 作:神野あさぎ
デュオラスは今後の作戦に向けて、自室で資料や本を広げて考え事に没頭していた。
「うわあああああっ」
不意に、廊下から叫び声が響いた。
「兄ィ──!! 大変だよ~!!」
声の主は妹のルリだった。
薄着のまま勢いよくドアを開け放ち、部屋へと駆け込んでくる。
「あれで、これで蝶神さんが──……」
ルリは伍の国の街で起きた事態を把握しており、それをすぐさまデュオラスへと報告した。
状況を飲み込んだデュオラスは、冷静に対処することを決める。
「敵の記憶に繋げられるかい?」
デュオラスが静かに問う。
ルリは一瞬考え、右手の人差し指を口元に当てた。
「能力の有効範囲内に居るから可能だけど──……?」
ルリが頷きながら答える。
◇
一方、街に取り残された
現在、岩陰から辛と
あ……あの人は……!
爪戯が鮫神の姿を確認し、思わず腰を浮かせかける。
「そっちは終わったのか……?」
禄が鮫神に問う。
「まあな。この通り『シン』も回収済みだ」
鮫神は淡々と答えながら、奪い取った蝶神のシンを掲げて見せた。
岩陰に潜む辛と爪戯の目が大きく見開き、冷や汗が流れ落ちる。
シン……ってことは……。
爪戯の頭が真っ白になる。
蝶神……!
辛もまた、最悪の結末を悟り奥歯を噛み締めた。
「……」
此処は今すぐ右眼を利用してあいつらを──……。
爪戯は沈黙したまま思考を巡らせる。
このまま身を隠した状態で魔眼を発動し、相手を強制的に制圧するべきか。
そう判断しかけた瞬間。
「ったく……」
鮫神が面倒くさそうに口を開いた。
突如、辛と爪戯が隠れている岩陰目掛けて、エナメル質の巨大な鮫が顎を広げて襲い掛かってきた。
轟音。
「右眼には注意しねーとな」
鮫神が振り返りざまに能力を放ったのだ。
辛と爪戯は間一髪で後方へと飛び退き、直撃を避ける。
「……っ!」
居場所がバレ……。
爪戯がそう認識した直後、背後から頭を鷲掴みにされ、強引に地面へと叩きつけられた。
「こんなところに、隠れてやがったのか」
禄が冷酷な声とともに、爪戯をうつ伏せの状態で完全に押さえ込む。
「爪戯……!」
辛は倒れた爪戯を助けようと振り返り、駆ける。
だが、その正面に一片が肉薄した。
一片の右足が、辛の腹部を正確に捉える。強烈な蹴撃により、辛の身体は宙を舞った。
再び轟音。
辛は後方の崖に激しく打ち付けられた。
「っ……」
この状況……これ以上味方を失う訳には……しかしどうすれば──……。
全身の痛みに耐えながら、辛は絶望的な戦況を打開すべく思考を止めない。
しかし、対峙するのは一片、禄、そして鮫神の三人。
禄は爪戯に魔眼を使わせないため、うつ伏せになった彼の背中に重く乗りかかっていた。
万事休すかと思われた、その時。
敵三人の動きが、不自然に硬直した。
「!?」
辛が怪訝に首を傾げる。
遠く離れた屋敷から、ルリが遠隔で記憶接続の能力を発動させたのだ。
「ちょっと記憶の中にお邪魔しますね~」
精神世界に干渉したルリが、のんきな声を上げる。
だが、彼女の目の前には禍々しい髑髏の幻影と、黒く閉ざされた鉄格子が立ちはだかっていた。
「ん~……一人は見せてくれないんだ? これ以上は進めない。もう少し近ければ、こんなの消せるんだけど……まあ、良いか」
ルリの侵入を阻んでいるのは、強力な呪いだった。
遠隔でなければ浄化して突破することも可能だが、今の距離では不可能。
「残り二人のを見させてもらうね」
ルリは標的の一人の記憶を諦め、呪いのガードがない残り二人、鮫神と禄の精神の深淵を覗き込むことにした。
現実世界。
敵の動きが止まり、押さえつけられている爪戯も首を傾げる。
……? 急に動きが……?
「……」
鮫神は自身の眼帯に手を当て、沈黙した。
ああ……誰かに記憶を見られている──……。
◇
これは、鮫神の過去。
鮫神は、神の手駒として使うために攫われてきた悪魔の一人だった。
兄と共に連れ去られ、幼い頃にその兄を無残に亡くしている。
教育などという名目で、日々苛烈な暴力を受けていた。
それでも当時の鮫神は『実験体にまわされた奴よりはましだ』と、必死に思い込むようにしていた。
そんなある日、神と悪魔の争いに巻き込まれ、瀕死の重傷を負う。
左眼の下は抉られ、右眼は完全に潰れた。
このまま死ねば楽になる。そう絶望した彼を救ったのは、その場に居合わせた死神──セーブルだった。彼は自身の右眼を鮫神に移植し、命を繋ぎ止めた。
死にたくない。でも、この場所には居たくない。
それが鮫神の偽らざる本音だった。
中庭の片隅に座り込み、顔の傷に触れながら独り考える。
……やっぱあの時死ねていれば……。
そんな暗い思考に沈んでいた時、蛇神と出会った。
蛇神は、自らの右眼の下を切り裂いて傷を作り、鮫神の痛みを物理的に理解しようとした。
「変な奴……」
それが、鮫神が蛇神に抱いた第一印象だった。
◇
そんな出会いから、さらに時は流れる。
鮫神は正式に神の「シン」を与えられ、名実ともに神となった。
ある日、鮫神、蛇神、蝶神の三人は街を連れ立って歩いていた。
「昇格なのか何なのかは分からんが、祝いじゃ~! 今日はパーッと行っちゃうよ~」
蛇神が鮫神の昇格を祝おうと、陽気に歩きながらはしゃぐ。
だが、三人が進む道にいる街の人々は、露骨に彼らを避けて逃げていく。
「なんか避けられてね?」
その違和感を、鮫神が素直に言葉にした。
先頭を歩いていた蛇神が振り返り、事もなげに口を開く。
「昔この辺じゃオレは有名だったからね……! まだ噂でも残っているのかな?」
「は?」
その言葉の意味を理解できず、鮫神から声が漏れた。
直後、道端から蛇神に向かって石が投げつけられた。
硬い石が、蛇神の後頭部に命中する。
「お前化け物なんだろ?」
石を投げたのは、街の子供だった。
蛇神は後頭部を右手で押さえながら振り返る。
「出ていけ! 化け物!」
子供は憎悪を込めて叫び、次々と石を投げ続ける。
「お願いだからあんなのに関わらないで!」
「でも!」
慌てて駆け寄った母親が、子供の首根っこを掴んで強引に連れ去っていった。
「なんなのよ、失礼な人達ね!」
理不尽な差別に、蝶神が怒りを滲ませる。
「あはは~元気だな~!」
対する蛇神は、呑気に笑い飛ばしていた。
「元気だなってお前……普通怒るか悲しむかする場面じゃないのか? 何笑ってるんだよ」
鮫神は呆れ果てて言う。「後は悔しがるとか?」とさらに付け加えた。
「え? なんて?」
蛇神が不思議そうに首を傾げる。
「いや、だから! 怒るか悲しめよ!!」
鮫神は苛立ちを込めて声を張った。
「ああ、ごめん。悲しむの前の部分が、どうしても聴き取れなくて……」
蛇神が困ったように答える。
「『怒る』って言ったのよ」
「……?」
蝶神が横から明確に伝える。
しかし、その言葉は蛇神に届かない。
「なんでかな? ノイズが走って……言ってることが分からない──……」
「■■っていったのよ」。蛇神の耳には、その概念を示す言葉だけが意図的なノイズによって削り取られていた。
鮫神と蝶神は顔を見合わせ、戸惑う。
「ちょっとそれってどういうこと!?」
蝶神が思わず問い詰める。
「まあ~良いじゃん! 好きに言わせておけば~! それより遠くなるけど、隣町くらいまで行こうかと思うんだけど~」
「ちょっと!!」
蛇神は踵を返し、再び陽気に歩き出す。自らの異常性に向き合うことなく、蝶神の言葉を無視した。
「ちゃんと説明しなさい!」
「え? 何を?」
蝶神が蛇神を追いかける。
蛇神は説明のしようもなく、適当な笑顔でかわし続ける。
変な奴だとは思ってたが……本当に変な奴だな……。
鮫神は、騒がしくやり取りをする二人の背中を見つめながら思考を巡らせた。
蝶神は必死に詰め寄っているが、蛇神は一向に要領を得ない笑顔を浮かべている。
どうやら奴は、『怒る』ということを知らないらしい──……。
鮫神は、友の決定的な欠落にそう結論付けた。