半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】 作:神野あさぎ
茨の拘束から逃れられないティーは、その惨状をただ黙視することしかできない。
このまま……朽ちるしかないのか……。
ティーの胸中に、濃密な焦燥が渦巻く。
リューは視線だけを後方へ流し、ティーの末路を冷徹に観察している。
オレが殺した、オリジナルのように……。
ティーは神の実験により誕生した複製物であり、彼にはかつて自らの手で葬ったオリジナルが存在する。
リューに砕かれた膝のひび割れは確実に侵食範囲を広げ、ティーの身体は少しずつ、だが不可逆的な崩壊を始めていた。
「即死狙いの頭でしょ」
ウルは口端から鮮血を流しながら、這いつくばる玄を嗜虐的に見下ろして言った。
「!!」
何故教える……!?
氷に貫かれた右腕の激痛に耐えながら、玄は敵の意図を高速で分析する。
舐めているのか……まあ良い。大分傷も貰ったし、それなら──……。
玄の有する「病み使い」の能力は、肉体にダメージを蓄積するほどに出力が向上するという特性を持つ。
痛覚を起爆剤とし、玄は地を蹴って一瞬でウルの死角へと肉薄した。
残された左手には、限界まで圧縮された影の刃が握られている。
「おお?」
ウルは予想外の加速に、純粋な感嘆の声を漏らした。
「!!」
しかし玄はそのまま刃を振るわず、意図的にウルの視界から姿を消す。
負傷による身体能力の底上げが、その常軌を逸した機動を可能にしていた。
「速い……!」
消えた!? 傷つくほどに強くなるだっけ……? でも……。
ウルは視界から消え失せた玄を追おうともせず、その場に立ち尽くして不敵な笑みを浮かべる。
風圧で周囲の木々が揺れ、葉が空中に舞った。
狙いがバレバレ。
ウルが退屈そうに思考した次の瞬間、玄は死角であるウルの背後を完全に掌握していた。
左手に握り締めた影の刃を、急所である頭部へ向けて無慈悲に振り下ろす。
しかし、ウルは振り返ることすらなく背後に分厚い氷の壁を形成し、その必殺の刃を容易く弾き返した。
「くっ」
玄は致命的な計算違いに直面し、戦慄と共に表情を強張らせた。
「はー……狙いを教えると、分かりやすくなっていけないね」
ウルはひどく落胆したようなため息を吐いて言った。
玄は背後を取り、最も確実な頭部を狙った。
だが、自ら急所を教示しておきながら、そこを警戒しない人間などいない。
狙いが限定されている以上、防御は極めて容易な作業だった。
ウルは視線を背後に向けることもなく、己の能力を励起させる。
玄の足元の地面から鋭利な氷柱が爆発的に隆起し、無防備な胸部を容赦なく貫通した。
「かはっ」
玄は肺の空気を鮮血と共に吐き出し、貫かれた胸部からも致命的な出血を強いられる。
「あ」
ウルは肩越しに視線だけを玄へ向け、何かの失敗に気づいたように声を漏らした。
翠……ごめん。助けられなかった……
玄は霞む意識の中で仲間たちへの謝罪を反芻し、虚空へ右手を伸ばそうとする。
だが限界を迎えた肉体は言うことを聞かず、そのまま力なく崩れ落ちた。
闇神、ごめん……キミの『シン』……守れなかった──……。
神々の真の標的は、玄自身ではなく彼が宿す闇神の『シン』である。
それを奪われるという絶対の敗北を悟りながら、玄は静かに意識を閉ざした。
「玄さん!!」
水で満たされた氷の牢獄から、翠の悲痛な絶叫が響く。
「あーアヴェルス君と違って、不死じゃないんだった~もったいないね」
ウルは右手を額に当て、さも些細なミスを犯したかのように言った。
吸血鬼であるアヴェルスのような不死性を備えていない人間に、胸部貫通という手荒な真似をすれば当然死に至る。
その当たり前の生物学的脆弱性をうっかり忘れていた、という狂気的な言い種だった。
「まあ……良いか」
ウルは独り言ちて膝を突き、息絶えた玄の肉体から無造作に『シン』を抉り出した。
「くそっ出せっ!!」
翠が怒号を上げる。
彼を閉じ込める氷壁の中の水は、既に自身の血で赤黒く濁っていた。
「この……」
ヤバい……目がかすんで……きやがった……。
大量出血による急激な血圧低下が、翠の視界から光を奪っていく。
だが、ここで意識を手放し姿勢を崩せば、即座に水底へと沈み溺死する。
俺はこんなところで仇も討てずに──……。
強靭な意志とは裏腹に、翠の肉体から急速に力が抜け落ちる。
辛うじて確保していた空気の層から顔が沈み、鼻と口が完全に水面下へと没した。
肺から空気が無情に抜け出し、呼吸という生物の絶対条件が絶たれる。
「あ……そっちも逝ったか」
ウルは氷壁の中で事切れた翠へ無関心な視線を送る。
その右手には、抉り出したばかりの闇神の『シン』が握られていた。
「さてさて。闇神の『シン』も回収完了ですが……」
ウルは、少し離れた場所で立ち尽くすリューへ向けて声をかける。
ティーは拘束された状態で、己の無力さにただ強く歯を食いしばっていた。
「リュー君……トドメ刺さないの? それ!!」
ウルはリューを指差し、不満げに声を上げる。
未だにティーへ明確な死を与えないことへの疑問だった。
「放って置いても死ぬって言ったじゃん」
「言ったけど」
リューは悪びれる様子もなく、ひどく緩慢な調子で答える。
「この状態で放置するのはありでしょ! こいつの能力は要らん」
リューは両手を広げ、大袈裟なため息を吐いてみせた。
このまま放置しておけば、自壊作用によってティーは確実に息絶える。
あえて自らの手を汚す手間すら惜しむ、残虐で怠惰な人間性の表れだった。
「ありだけど、オレみたいになってるよ?」
ウルは、リューの行動が自らと同じような歪んだ嗜虐性を帯びていることを指摘して嗤う。
ティーの身体から、音を立てて肉体の欠片が零れ落ちた。
ひび割れは容赦なく全身へと拡大していく。
「ちょっと壊しておいたから、早めに完全崩壊するとは思うけどね」
「くっ……」
その冷徹な宣告を突きつけられ、ティーは屈辱と激痛に苦悶の声を漏らした。
「じゃ、応援が来る前に退こうか」
リューは興味を失ったように踵を返し、撤退を宣言する。
「え~帰るの~?」
ウルは子供のように露骨な不満の声を上げた。
この血生臭い遊戯を終わらせるには、まだ遊び足りないという渇望だった。
「闇神の『シン』は無事に回収出来たわけだし、それも要らないし……もう此処に用はない」
リューにとって、目の前で崩壊していくティーは既に路傍の石と同義だった。
最優先目標であった闇神の『シン』の回収が完了した以上、長居する理由は存在しない。
茨に拘束されたティーは、圧倒的な蹂躙劇の前に一矢報いることすら叶わず、ただ己の死を待つことしかできなかった。