蠱毒の壺をペットにしたバカの話   作:二度見屋

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東北や九州、その他色んな地方出身のはずの霊能者の方々に方言や訛りが無いのは、術の詠唱の妨げになるので幼少期に矯正されるからです。どっかで描写しようと思ったんですがここで説明させてもらいます。


第十話

夏が終わろうとしている。しかし山田家の屋敷を包む空気は、熱を孕んだまま膠着していた。

 

庭園の池に浮かぶ錦鯉たちは、水面に落ちる紅葉の影を追うことすら忘れ、淀んだ水の底で静止し、屋敷の奥の「何か」を見つめるように、同じ方向を向いて固まっている。

 

屋敷の奥、山田大輝という存在から漏れ出す気配は、もはや物理的な重力となって周囲の時空を歪め、空飛ぶ鳥さえもその上空を避けるように羽ばたきを変えていた。

 

その日の午後、山田家の重厚な長屋門の前に、一台の質素な黒塗りの車が止まった。

 

降り立ったのは、雪のように白い肌と、銀色に近い鋭い瞳を持つ若い女性――間宮家当主、間宮零である。彼女が纏う空気は、東北の寒村で磨き上げられた研ぎ澄まされた氷のようで、触れる者すべてを拒絶するような冷徹な知性が、その小さな輪郭から溢れ出していた。

 

間宮家は、歴史の表舞台に出ることを拒み続け、ただひたすらに世界の「理」を記述することにのみ心血を注いできた一族である。

 

その現当主である零にとって、霊力も呪力も、解析されるべき数式や、分類されるべき標本に過ぎない。斉藤家からの「敗北宣言」を読んだ時、彼女が抱いたのは恐怖ではなく、純粋な、あまりにも純粋な知的好奇心だった。

 

彼女は、その好奇心ゆえに、どの家よりも早く、単身でこの山田家を訪れていた。

 

(斉藤家が屈したという『特異点』……。それがただの偶然や、一時の霊障によるものか、あるいは呪術の地平を塗り替える真理の具現か。この目で確かめるまでは信じない)

 

そんな思いを内に秘めた彼女が、しかし門を叩くよりも早く、重厚な門扉が音もなく左右に分かれた。そこには、表情を一切排した老いた使用人が、彫像のように立っていた。

 

その着物の裾には、目立たないように加護の呪符が貼られているのが見える。表面上から確認できる術式からして、おそらくは斉藤家が提供したものだろう。

 

「お待ちしておりました。間宮家当主、間宮零様とお見受けします。大輝坊ちゃんがお待ちです」

 

零の背筋に、冷たい氷の針が突き刺さった。彼女がここに来ることは、家の人間にしか告げていない。ましてや、彼女が間宮家の当主であることなど、この界隈の事情に精通していなければ知り得ないはずだ。

 

「……案内なさい」

 

努めて平然を装い、零は足を踏み入れた。

 

間宮家は、古来より「霊的な知覚」において他家の追随を許さない。彼女の瞳には、山田家の屋敷を覆う屋根瓦の隙間から、まるで火山が噴火するように立ち上る、どす黒い呪力の奔流がはっきりと見えていた。それは、斉藤家の報告書にあった「天災規模」という言葉が、いかに控えめな表現であったかを物語っている。

 

廊下を進むたび、自身の霊力が、周囲の圧倒的な呪力の圧力によって削り取られていくのがわかる。それは攻撃ですらない。ただ、そこに在るだけで周囲を塗り潰してしまう、存在そのものの暴力。

 

そして、ついにその場所へ辿り着く。

和室の中央、座卓で熱心にペンを動かしている少年

 

――山田大輝。

 

零は彼を一目見た瞬間、膝の力が抜けそうになるのを必死で堪えた。

 

斉藤家からの報告は、真実、いや過少報告だった。言葉という不完全な道具では、この存在の異常性を十全に伝えられていなかったのだ。

 

(……何よ、これ。これが人間だというの?)

 

零の視界に映る大輝は、少年の形をした「穴」だった。

 

膨大すぎる呪力と、それを完全に統御する静謐な霊力が、一点の矛盾もなく混ざり合い、彼の肉体という器の中で超高密度のエネルギー体として凝縮されている。彼の周囲一メートル以内は、物理法則そのものが歪められ、重力や光の屈折さえも彼に従属しているように見えた。

 

「あ、いらっしゃい。間宮さんですよね。ちょうど今、先生に教わった英語の課題が終わったところなんです」

 

山田大輝は、椅子からくるりと振り返り、春の陽だまりのような無垢な笑顔を浮かべた。

 

十四歳の少年。中学二年生。

 

しかし彼女の持つ、あらゆる知識と経験が、目の前の存在を「人間」と定義することを拒絶した。

 

大輝の肉体は確かにそこにある。だが、彼女の霊的な視界に映るのは、周囲のすべての呪力と霊力を吸い込み、同時に無限に吐き出し続ける、底の知れない空虚そのものであった。

 

視覚が捉えているのは、おっとりとした風貌の、どこにでもいる十四歳の少年だ。しかし、彼女がこれまで培ってきた「霊的な知覚」が、脳内で悲鳴を上げている。

 

大輝の周囲だけ、世界の解像度が狂っている。彼の輪郭は、一見明確でありながら、その内側には星々の死滅した宇宙のような「虚無」が詰まっているように見えた。

 

彼から放たれるのは、斉藤家からの報せを受け取った霊能者たちが危惧したような「暴力的な覇気」ではない。それは、光さえも逃げ出すことができない、絶対的な重力を伴った「静寂」だった。

 

「……山田、大輝様。初めまして。間宮家の当主……間宮零、です。斉藤家より、貴方の噂を聞き及び、居ても立っても居られず、参りました。唐突な訪問を、許してほしい。間宮家当主として、挨拶を……」

 

零は、自分が今、壊れかけた機械のように喋っていることに気づいた。膝が笑い、歯の根が合わない。斉藤一成が降伏した理由を、彼女は理屈ではなく魂で理解した。この少年の前では、誇りも術式も、塵芥に等しい。

 

「挨拶なんていいのに。面倒なことは抜きにして、ゆっくりしていってください。様付けなんてしなくていいですよ」

 

大輝は立ち上がり、零の元へ歩み寄った。

彼が近づくたび、零の鼻孔を、甘く腐敗した花の香りと、透き通った水の匂いが混ざり合った、この世ならぬ臭気が突く。

 

「あ、お茶でも飲まれますか? 外は暑かったでしょう」

 

大輝の屈託のない言葉。それが、かえって零の恐怖を煽った。これほどの格の違いがありながら、彼はその力の自覚すら持たず、あるいは自覚した上で、ただの子供として振る舞っている。

 

「……大輝くん。単刀直入に言うわ。私に見せて。あなたが育てた、その蠱毒の壺を。……それを見なければ、私は自分を納得させることができない……。私は、術の真理を知りたい。あなたがどのような理で、それを作ったのか……どうやってあなたが『そう』なったのか、それを知るためだけに、ここまで来たの」

 

零の言葉は、もはや懇願に近かった。彼女を突き動かしているのは、生存本能よりも深い、狂気にも似た知的好奇心だ。

 

大輝は一瞬、きょとんとした表情を見せたが、すぐに嬉しそうに目を細めた。

 

「クロちゃんのこと? 嬉しいな。みんな怖がって、なかなか近くに来てくれないんですよね。いいですよ、案内しますね。すごく可愛いんですよ。クロちゃんも、きっと喜ぶと思うな」

 

大輝は部屋を出て、軽やかな足取りで廊下を歩き始めた。零はその背中に吸い寄せられるように、重い足取りで続いた。

 

屋敷の北側。ひっそりと佇む「祭壇の間」

 

その扉が開かれた瞬間、零は肺の中の空気がすべて引き抜かれたような感覚に陥った。

 

部屋の中央に鎮座する、黒い大きな壺。

 

それが放つ気配は、もはや「呪い」などという低俗な言葉で表現できるものではなかった。それは、数多の生命の断末魔と、それを慈しむ狂信的な愛が練り合わされ、一つの「特異な生命体」へと昇華された結果だった。

 

「紹介します。これがクロちゃん。六歳の時から、ずっと僕が育ててるんです」

 

大輝は、まるで子犬を撫でるかのような仕草で、黒い陶器の表面に触れた。

 

「最初は虫だけだったんですけどね、だんだん可愛くなってきちゃって。僕の爪とか、髪とか、精液とか……。家族のみんなも事故で死んじゃったから、有効利用のためにここに入れたし、他にも色々あげたんです。あ、今はね、香澄先生に教わった術を使って、外から効率よくエネルギーを注ぐ練習をしてるんです」

 

一見すればただの古い陶器だが、零の目には、それが心臓のように脈打ち、周囲の空気を捕食しているように見えた。壺の表面に彫られた禍々しい文様は、生きているように蠢き、欠けた縁の穴からは、目には見えない紫煙のような邪気が絶え間なく溢れ出している。

 

大輝は楽しげに語り続ける。

 

その口調はまるで、ペットの犬猫を紹介するかのような気軽さで、本来あるべきはずの「重さ」が、そこには一切感じ取れなかった。

 

「昨日はね、香澄先生に教わった結界の術を、クロちゃんの呼吸に合わせて少し調整してみたんですよ。そうしたら、クロちゃんがすごく喜んで……」

 

大輝の言葉は、零の耳を素通りしていった。

彼女は、壺の表面に浮き上がる赤い筋が、大輝の呼吸と完全に同調しているのを、戦慄の面持ちで見つめていた。

 

(……違う。私は、勘違いをしていた)

 

零は、大輝という存在を、自分たち霊能者の延長線上にある「天才」か「傑物」だと考えていた。人並み外れた霊力を持ち、類稀なる制御術を身につけた、極北の術者だろうと。

 

自分たち霊能者が極限まで進化し、呪力という新たなエネルギーを取り込んだ「到達点」なのではないかとも考えた。

 

いつかは自分も、知識と修練を積み重ねれば、その地平に辿り着けるかもしれないという傲慢な期待。

 

だが、現実は違った。

 

この「クロちゃん」という、地獄を煮詰めたような呪物。そこに、自分の髪や爪、さらには一族の魂を流し込み、あまつさえ自身の精子までをも日常的に注ぎ込む。そんなことをすれば、普通の人間なら、最初の一週間で精神が崩壊し、肉体は内側から怪異に食い破られて果てるはずだ。

 

呪術的な繋がりを持つということは、相手の影響をそのまま受けるということだ。こんな深淵と魂を繋いで、どうして正気を保っていられる?

 

こんな呪物――一族の魂を啜り、人智を超えた呪力を孕んだ「神」とも「魔」ともつかぬ異形と魂を繋ぎ、二十四時間、寝食を共にする。そんなことが、正常な人間にできるはずがない。

 

もし、まともな感性を持つ人間がこれほどの深淵に接続すれば、一秒と経たずにその魂は砕け散り、狂死するか、あるいは壺に飲み込まれて終わる。

 

だが、山田大輝は、平然と笑っている。

 

彼は狂っているのではない。

 

最初から――この蠱毒を始める前から、彼の「人間としての情緒」や「魂の形」は、どこか決定的に欠落し、壊れていたに違いない。

 

彼にとって、死者の魂を壺に詰めることは、押し花を標本にすることと同じ程度の感性でしかない。

 

家族の死を「有効利用」と呼び、禁忌の呪物を「ペット」のように慈しむ。

 

その無垢なまでの欠落こそが、この天災規模の呪いと、完全な同調を可能にしているのだと、零は確信した。

 

(彼は、我々の物差しで測れる存在じゃない。霊能者でも、怪異でもない。……彼はただの、『空っぽの子供』なんだ。そこに無限の呪いが注ぎ込まれ、溢れ出し、世界を塗り替えている……)

 

恐怖、忌避、倫理。人間が自分を守るために持っているはずの『壁』が、この子には最初から存在しなかった。

 

大輝が語る「家族愛」。それは、我々が知る暖かな愛情ではない。

 

それは、自分の一部を切り取り、異形な化け物の中に埋め込み、それを愛でるという、究極の自己愛の変奏。

 

大輝にとって、クロちゃんは「外にある化け物」ではない。彼は、壺の内側で蠢く無数の怨念や毒蟲たちと同じ視座で、この世界を見ているのだ。

 

「間宮さん、どうしました? 具合悪そうですよ? クロちゃんに近づきすぎたかな」

 

大輝が心配そうに顔を覗き込んできた。

 

零はその瞳の中に、一瞬だけ、底知れぬ「無」を見た。

 

それは、自分を心配しているのではなく、ただ「観察対象の状態」を確認しているだけの、無機質な反応。

 

(私たちは……斉藤家も……そして私も……貧相な物差しで、この少年の力を測ろうとしていた。でも、測れるわけがない。彼は、人間という種の範疇を超えたのではない。彼は最初から、人間という形をした『別の何か』だったのよ……)

 

零は、その場に力なく崩れ落ちた。

 

「……あ、あはは……。そうね、大輝くん。素晴らしいわ。本当に……素晴らしい『家族』だわ……」

 

彼女の乾いた笑い声が、冷たい祭壇の間に虚しく響いた。

 

大輝は満足げに頷き、再び壺を優しく撫でた。

 

カタカタ……カタカタ……。

 

壺が、少年の愛に応えるように鳴動する。

 

その音は、もはや零には、世界を咀嚼しようとする怪物の咀嚼音にしか聞こえなかった。

 

知の探究者であった間宮零は、この日、深淵を目にした。しかしそれは、彼女が求めた「術の真理」などではなく、そこにあったのはただただ真っ黒な、全てを吸い込まんとする「闇」であった。

 

深淵を覗く者は、深淵に覗き返される。だが、山田大輝という深淵は、覗き返すことすらしない。ただ、そこに在るだけで、すべての光を奪い去っていくのだ。

 

夏の終わりの夕暮れ。

 

山田家の屋敷は、今日もまた、世界から切り離された静謐な絶望の中に沈んでいた




使用人の人が付けてる呪符は、香澄さんが顔色の悪い使用人の人たちを気の毒に思って提供した呪符ですね。怪異やそれに付随する呪力から来る邪気を退ける効果があります。使用人の人たちは涙流して喜んだとかなんとか…
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