深夜、山田大輝と斉藤香澄の二人は、人気の少ない廃墟となった学校を訪れていた。
山あいに位置するその廃校は、まるで巨大な獣の死骸のように、鬱蒼とした木々に飲み込まれかけていた。校舎のコンクリートはひび割れ、そこから這い出した蔦が血管のように壁を覆っている。
二週間前、肝試しにここを訪れた六人の大学生が忽然と姿を消した。
警察の捜査でも何の情報も見つからず、挙句にはここへ捜査へ向かった警察職員までもが帰らぬ人となっている。
警察庁「特異課*1」は即座にこの事件を怪異案件と断定し、斉藤家へとその処理を委ねた。
しかし、今日の目的は単なる「駆除」ではない。
今回ここに二人が訪れたのは、その怪異を調伏し、式神とする為だ。怪異を式神とする術理を実践し、その感覚を大輝に掴んでもらい、いずれ行うクロちゃんの調伏、ないしは制御のための糧としてもらうのが狙いだ。
「一応おさらいしておくわね。式神術には二つのやり方があるわ。大輝くんがやったように、蠱毒などの儀式で怪異を人工的に作成し、それを式神とする方法。本当は式神術の練習なら、この方法でやるのが一般的なんだけど、今回はもう一つのやり方、野生の怪異や怨霊を打ち負かして調伏するやり方で練習するわ。心の準備は良い?」
「はい先生。捕まえて言うことを聞かせるんだよね。ポ○モンみたいだなぁ」
そう話しながら、校門の前で車を止め、二人が降り立つ。
しかしそこへ、隠すことも無く、山田家を出た時から尾行を続けてきた黒塗りの車が追い付いてきた。
香澄が、背後に立つ「闖入者」へ向けた視線には、隠しきれない不快感と胡乱な色が混じっていた。
「……ところで、どうしてここに間宮家当主である零様がいらっしゃるのですか?」
間宮家は、日常の影に生きる霊能者たちの中でも、とりわけ表舞台に出ることは少ない。直接の面識は無かったが、香澄とて名家の霊能者の端くれ。間宮家当主の顔は、写真などを通して知っていた。
香澄の問いに、車から降りたその女性、間宮零は不敵な笑みを浮かべた。しかしその表情とは裏腹に、彼女の身には過剰なまでの防護策が講じられている。
耳元で揺れる、加護の術式が込められた蒼い石のピアス、指先にいくつも嵌められた、複雑な文様の破魔の銀指輪、さらには衣服の裏地にまで忍ばされているであろう守護の術式。それらが発する微細な霊力の波動が、彼女の恐怖を代弁していた。
「いいでしょ別に、減るもんじゃないんだから。私はただ、彼が『生きた怪異』と接触した際に、どのような観測データが得られるかに興味があるだけよ。間宮家は記述する一族。この特異点を見逃す手はないわ」
零は努めて平然を装っていたが、その視線は片時も大輝から離れない。香澄は、自身もいくつかの加護の呪符を懐に忍ばせていることを棚に上げ、「そこまで大輝くんのことが怖いなら来なければいいのに」と冷ややかな視線を送った。
「まぁ賑やかでいいじゃない。間宮さん、転ばないように気をつけてくださいね」
大輝の屈託のない言葉が、かえって零の肩を強張らせた。三人は、重苦しい沈黙を湛えた校門を抜け、廃校の内部へと進んだ。
校舎内は、腐敗した木材の匂いと、滞留した冷気が混ざり合う独特の静寂に支配されていた。
香澄は大輝の数歩後ろを歩きながら、今回の流れを低声で説明する。
「私たちは邪魔にならないように、隠密の術で姿を消して、後ろから見守っているわ。大丈夫だとは思うけれど……。大輝くんは怪異を見るのは初めてらしいから、もし何かあればすぐに呼びなさい。私が……あるいは間宮様が、すぐに対処するから」
「わかりました。行ってきます」
「彼をどうにかできるような怪異がいるなら私たちは既に死んでるわよ」という後ろからの野次を無視して、一行は暗い廊下を進んだ。
歩きながら、香澄は呪印の刻まれた外套を頭から被り、零は意味ありげに指輪の位置を入れ替えて、それぞれ隠密術を使用して気配を消し、その姿を背景に溶け込ませた。
大輝は一人、薄暗い廊下を歩いていく。
廊下の突き当たり、理科室の前。
暗視の術が無ければ見通せないような暗闇の中、埃の舞う空間に、それは唐突に「立って」いた。
人体模型。
しかしそれは、理科室にある備品とは決定的に異なっていた。内臓は生々しく脈打ち、血管を模した管からはどす黒い液体が滴っている。行方不明になった若者たちの「何か」を継ぎ接ぎしたかのような、歪な怨念の塊。
強さとしては、厳しめに見積もっても下の中。この三人の中で一番弱い事を自覚している香澄であっても、呪文を一節唱えるだけで塵に帰せる程度の低級な怪異だ。
「……来たわね」
大輝が一人、緊張した様子も見せずにその怪異へと歩み寄る。
大輝の足音が、静かな廊下に響く。
怪異がその存在を察知し、首を異様な角度で曲げた。ギチギチ、と骨が軋む音が聞こえる。本来なら、飢えた怪異が人間を見つけたなら、血の匂いを嗅ぎつけたピラニアのように猛然と襲いかかるはず。
しかし、奇妙なことが起きた。
怪異は、近づいてくる大輝の瞳を見つめたまま、一瞬、全身を小刻みに震わせた。そして、あろうことか自ら壁際に寄り、道を譲るようにして横へずれたのである。
それだけではない。怪異は、借りてきた猫のように大人しく、ふらふらとした足取りで、大輝に触れることすら避けるようにして、横を通り過ぎていった。
「……? え、行っちゃった」
大輝が拍子抜けしたように首を傾げる。
「……? ……何故、大輝くんを襲わないの?」
隠密の影から、香澄が驚愕の声を漏らした。
怪異は本能的に人を襲う。あのように無視して通り過ぎるなど、捕食者と被食者の関係においてはあり得ない事態だ。
(まさか……大輝くんは、すでに、霊的に『怪異』側へと完全にシフトしてしまっているの?)
香澄の脳裏を過った最悪の推論を、隣に立つ間宮零の声が否定した。
「やっぱり、こうなったわね……」
確信を得たような零の言葉に、香澄は思わず問いかけていた。
「一体、どういうことですか」
香澄の問いに、零は震える手で自身のピアスに触れながら、冷徹な解析を口にした。
「あの子はね、怪異をこれっぽっちも恐れていないのよ……。いいえ、恐怖という感情自体、感じた事がないのかもしれない。怪異というものは、対象が抱く『恐怖』という信号を道標にして獲物を認識し、喰らう存在よ。怖がってくれない相手を、彼らは襲おうとはしないのよ。虫や小動物を奴らが襲わないのは、それが理由よ」
零の瞳には、大輝の中にある虚無、その「闇」が見えていた。
「かつて行われたロボトミー手術を知っている? 脳の一部を切り取られ、感情を失った人間は、時に怪異から認識されなくなるらしいわ。今の彼はそれと同じ。恐怖という餌を出さない相手を、怪異は『食料』とも『敵』とも認識できないのよ……。多分、彼が蠱毒の壺と繋がって無事で居られるのも、同じ理由じゃないかしら」
香澄は絶句した。
大輝の力が異質であることは、彼との初対面の時、もしくは斉藤家が降伏したあの日、嫌というほど理解したつもりだった。
だが、彼の精神の構造そのものが、人間としての根源的な機能すら欠落させている事実。
その内面、精神構造そのものが、怪異からすると「人間ではない」と判断して回避するほどの異形。
戦慄が香澄の背筋を駆け抜ける。目の前の少年は、救うべき子供なのか、それとも、人という皮を被った「世界のバグ」なのか。
そんな二人の会話を余所に、大輝は「あ、待って」と言って、通り過ぎようとした人体模型の肩に、ぽんと手を置いた。
怪異の体が、ビクンと激しく震える。
大輝はそのまま、香澄から教わった式神術の調伏のための呪文を、律の入った超高速の速さで口にした。
その言葉が放たれた瞬間、大輝の足元にある影が爆発的に膨れ上がった。
影の中から、無数の細い黒い腕が伸び、人体模型の足を、胴を、頭を引きずり込む。怪異は悲鳴を上げることすら許されず、大輝の影の中へと沈んでいった。
香澄は大きく息を吐き出すと、外套を脱ぎ、隠密を解いて大輝の前に姿を現した。
「……よくやったわね、大輝くん。驚いたわ、あんなふうに無視されるなんて。でも、結果は完璧よ。さあ、今度は式神としたその怪異を呼び出してみて。命令に従わせて初めて、式神術は成功よ」
香澄は、師として努めて冷静に振る舞い、大輝を促した。
しかし、大輝は困ったように眉を下げ、自分の影を覗き込んでいる。
「あの……先生。ごめんなさい」
「どうしたの? 何か不具合でも……」
「さっきの怪異、僕が取り込むと同時に……クロちゃんが、おやつだと思っちゃったみたいで。今、影を通して食べちゃいました」
一瞬、廃校の廊下に静寂が訪れた。
「……は?」
「あ、ほら。美味しいって言ってますよ」
大輝が影を指差すと、確かにそこから、満足げに喉を鳴らすような不気味な振動音が響いてきた。
香澄は、天を仰いだ。
苦労して見つけ出し、式神術の実践練習に使うはずだった怪異。それが、大輝の内に棲まう別の「ナニカ」によって、咀嚼され、消化されてしまった。
せっかくの修行が、ただの餌付けに終わってしまったのだ。
「……ふっ、ふふふ……あはははは!」
背後で、同じく姿を現した間宮零が、腹を抱えて笑い出した。
彼女のプライドも、恐怖も、このシュールな結末の前では霧散してしまったらしい。
「最高だわ、山田大輝! 貴方は本当に、どこまでも私の常識を壊してくれるのね!」
零の笑い声が、不気味な廃校に響き渡る。
大輝は、笑い続ける零と、頭を抱える香澄を交互に見て、照れ臭そうに頬を掻いた。
「ごめんね、先生。次は食べないように言い聞かせておきます」
湿った風が、校舎の廊下を通り抜けていく。
影の中で満足げに鳴動を続ける「家族」の声を聞きながら、大輝は再び、無垢な少年の笑顔を見せた。
そんな明るい表情の裏で、その足元の影が、先ほどよりも濃さを増していた。
人体模型くん
今回の被害者くん。産まれたてなのもあって雑魚。お散歩してたらマジヤベェ存在と出くわして「何アレ……近寄らんとこ」した可哀想なやつ。そっと通り過ぎようとしたのに無慈悲に取り込まれてちゅるちゅるされた。それはそれとしてしっかり人間もちゅるちゅるしてたので同情の余地は無い。
間宮零ちゃん
現代に生きる霊能者の中では最強クラスの人パートツー。でもあんまり戦ったりはしないホワイトカラーの人。霊的感覚が敏感過ぎて、耐性は高いはずなのに香澄ちゃんよりも大輝くんの影響を受けやすい。ゴッテゴテに防御術式使った大量の装飾品用意して大輝くんの邪気を弾きながら野次馬根性で着いてきた。めっちゃフッ軽な人。知的好奇心をガソリンにしてメンタルを保ってる。
斉藤香澄ちゃん
やっぱり一番の苦労人。第一発見者が自分とは言え、こんな役回りを押し付けてきた父の事が若干嫌いになった。わざわざ怪異を見つけて式神術の練習に来たのは、そっちの方がどう考えてもクロちゃんを制御する時の感覚に近いだろうから。でもクロちゃんが食べちゃったので本当に制御が上手くなってるのか……?と不安になってる。あと大輝くんが私の教えた式神術を平然と改良して影の中に取り込む方式に変えてるのを見てちょっともにょってる。後で聞いたら呪文ド忘れしたからアドリブでやったらああなったと聞いて余計にもにょった。才能マンがよぉ……。