九州の地に根を張り、数多の荒ぶる怨霊や怪異を武力によって捩じ伏せてきた名門、阿宗家。
その血脈が、秋の陽光の中で、一滴の雫が乾くようにしてこの世から消え去った。
戸籍すら曖昧な霊能者たちの集団とはいえ、百名を超える人間が、その魂の欠片すら残さず、因縁もろとも「消化」されたという事実は、日本の呪術界を支える霊的な基盤そのものを、目に見えない震えで揺さぶっていた。
斉藤家の本邸。静寂が支配する奥の院で、当主・斉藤一成は、娘である香澄から届けられた「事後報告」の書状を手にしていた。
書状には、山田大輝の言葉が、震える文字で、そのまま引用されていた。「クロちゃんに全部食べさせた」「九州は別に無くなってもいいかなって」それらは、あまりにも軽やかで、だからこそ救いようのない絶望を孕んだ言葉の羅列だった。
一成は、古びた文机に頬杖をつき、ふっと深く、長い息を吐き出した。その唇の端には、自嘲とも、あるいは愉悦ともつかぬ、歪な笑みが張り付いている。
(……やはり、こうなったか)
一成は、あの日、山田大輝という少年と初めて出会った時から、彼の本質が「底なしの虚無」だと見抜いていた。
そして同時に、阿宗家の当主、阿宗猛という男の増長した自尊心もまた、熟知していた。
阿宗猛は、強きを尊び、弱きを挫く。
彼にとって、斉藤家が十四歳の少年に下ったという事実は、斉藤家の凋落を嘲笑う絶好の機会に見えただろう。
斉藤家が山田大輝に敗北したあの日。
山田大輝の情報を呪術界に流すかどうか、その是非を巡って斉藤家の重鎮たちは、一成を交えて何度も話し合った。
一族として彼の事を見守り、その理性に賭け、クロちゃんを制御してもらう。
そうするために斉藤家の術を彼に教える事を決めたが、他の家、特に間宮家が山田大輝という存在に対してどう出るかが不明瞭だったため、当初斉藤家の人間たちは、秘密裏に山田大輝の教育を進めようとしていた。
しかし、斉藤一成は斉藤家当主として、山田大輝という「爆弾」を有効利用する妙案を思いつく。
情報をあえて、隠すこと無く、全てを呪術界に公開する。そうすれば、間宮家は分からないが、少なくとも阿宗家は「山田大輝」という存在を討ち滅ぼすために動くだろう。
そして、我ら斉藤家が手も足も出ず敗北した山田大輝という存在に、阿宗家が勝てるなどとは微塵も思わない。十中八九返り討ちにあい、阿宗家は大きなダメージを受けるだろう。
頭の中に浮かんだ、悪魔のような考え。
結果として、斉藤家は意図的に、大輝の情報を何一つ、包み隠す事はせず、阿宗家や間宮家、東宮家。それら呪術界のコミュニティへと流した。
阿宗家、ならびにその当主、阿宗猛が必ず動くこと、そして、大輝という深淵に触れた瞬間に、阿宗家そのものが「餌」へと成り下がることを予見した上で。
一成の狙いは、呪術界におけるパワーバランスの再編だった。武闘派として発言力を強めていた阿宗家を、山田大輝という「天災」を用いて削り取る。
そして今、その思惑は想像以上の恩恵を斉藤家にもたらした。
空位となった九州の地、その霊的な利権と守護の役割は、今や斉藤家の掌中に転がり込もうとしている。
(猛よ……。貴様の誇りも、先祖の骨も、あの子にとってはただの栄養に過ぎなかった。だが、安心するがいい。貴様らの消滅は、斉藤家が真の頂へと昇るための、尊い犠牲となったのだからな)
一成の瞳は、野心にぎらついていた。しかし、その指先がわずかに震えているのは、自ら招いたその天災が、いつか自分の首をも刈り取るのではないかという、本能的な恐怖の顕れでもあった。
一方、東北の地――間宮家の地下深く。
そこには、術の真理を記述することを至上命題とする一族が、何年もの歳月をかけて磨き上げてきた「霊的地震計」が鎮座していた。
巨大な水晶の球体に、極細の銀線が幾重にも巻き付いたその装置は、下に垂れた錘とそこに取り付けられた筆によって、日本列島の霊的な歪みを常時観測している。
その装置が、狂ったように鳴動を始めた。
「……二度目の、そして前回を遥かに凌駕する『特異点』の拡張……」
間宮零は、激しく振動し、ひび割れさえ生じ始めた水晶球を、恋人を見つめるような熱っぽい瞳で見つめていた。
指針は既に測定不能な領域にまで振り切れている。
実は、この「地震計」がここまでの振動を記録するのは、二度目となる。
一度目は、後になって知った事だが、大輝の家族が死に、彼がその蠱毒の壺、クロちゃんに一族の魂を注ぎ込んだあの日。
そして二度目の今日、その振れ幅は、一個人の力の増幅などという次元を通り越し、世界を引き裂くほどの霊的な爆発となって空間を揺らしていた。
「ああ、素晴らしい……。なんてエネルギー……。まるで世界が哭いているようだわ」
零は、震える手で身支度を整え始めた。彼女の白い肌には、興奮による紅潮が浮かんでいる。
阿宗家が消滅したという報せなど、まだ届いてはいない。
だが、この地震計の波形が、何よりも雄弁に事実を物語っていた。山田大輝という特異点が、何か巨大なエネルギーを吸収し、さらなる「何か」へと進化を遂げたのだ。
「待ってなさい、山田大輝。あなたがどこまで人間を辞め、どこまで神に、あるいは魔に近づくのか。この間宮が、最前列で記述してあげる」
彼女は、恐怖という感情を好奇心で塗り潰し、再び山田家へと向かうべく、車へと飛び乗った。その顔には、破滅を予感しながらも、それを祝福するかのような狂気的な喜悦が刻まれていた。
そして、都内に邸宅を構える東宮家。
当主・東宮隆臣は、斉藤家から届けられた阿宗家消滅の報せを読み、持っていた磁器の茶碗を床に叩き落としていた。
「馬鹿な……! あり得ん! 一族郎党、百余名が……阿宗の精鋭が、たった一日で、一人残らず消えただと!? 術比べですらない、ただの『消滅』だと!?」
隆臣の顔面は土気色に変色していた。彼が何より戦慄したのは、阿宗猛が所持していた「先祖の骨槍」を媒介にして、阿宗家すべての血縁が呪いの連鎖に巻き込まれたという点だ。
呪術の世界において、血は呪いを伝える最良の導体だ。
だが、普通は当主という「盾」がそれを食い止めるはずなのだ。それが機能せず、逆に当主が真っ先に呑み込まれ、そこから末端の血族に至るまでが芋蔓式に「消化」された。それは、既存の呪いの常識を根底から覆す、あまりにも一方的な暴力だった。
骨の一欠片、それだけの縁を得ただけで、血族全てを滅ぼす『呪い』
そんなものがこの世に存在するという事実に、隆臣は震え上がる事しか出来なかった。
「……阿宗家と斉藤家は、千年前の祖を同じくする一族だ……。そして我ら東宮家は、代々斉藤家と婚姻を重ね、その血を濃く交わしてきた。ならば……」
隆臣の脳裏に、最悪の仮説が浮かび上がる。
もし、あの「クロちゃん」なる怪物が、阿宗家の血を食らったことで、その味を覚え、さらに「似た味の血」を辿り始めたらどうなるか。
阿宗家を呑み込んだ呪いの波紋は、それだけで止まってくれる保証などどこにもない。血縁の糸、婚姻の縁、霊的な繋がりの連鎖。それらを辿って、山田大輝という深淵は、日本の呪術界そのものを一つの「器」として扱い、自分たちを『中身の虫』として喰らい尽くすのではないか。
「斉藤……! あの狸め、何を解き放ってくれた……!」
隆臣は、自らの指先を見つめた。そこには、代々受け継がれてきた東宮の血が流れている。その血が、今この瞬間も、山田家の奥底で鳴動する「壺」の呼び声に共鳴し、騒ぎ始めているような錯覚に陥る。
隆臣は、二週間前に山田家を訪れた際の日を思い出していた。
東宮家当主として、形式的な挨拶と共に、自家の誇る「結界術」を伝授するという名目での訪問。
そこで彼が目にしたのは、少年の形をした「怪物」だった。
隆臣と共に訪れた東宮家の精鋭たちは、大輝を前にした瞬間、殺意に近い防衛本能を必死で抑え込んでいた。
攻撃しなければ、こちらが消される。そう本能が叫んでいた。
しかし、大輝は彼らに向けて、朗らかな笑顔で結界術の教えを請うた。
東宮家が何年もの歳月をかけて研鑽し、複雑極まる幾何学的術式として完成させた、最高峰の結界術。
大輝は、それを一度見せられただけで、呼吸をするかのように完全に模倣した。
それだけではない。
彼はその場で、呪力と霊力が混ざり合った自身の特異なエネルギー効率に合わせ、術式を最適化し、隆臣ですら想像し得なかった領域へと改良して見せたのだ。
修行という概念そのものを嘲笑うかのような、圧倒的な「質」の差。
あの時の絶望的なまでの才能の差を思い出し、隆臣は震える手で顔を覆った。
(あの怪物が、阿宗家の百人近い魂を食らい、さらに強大になったというのか……。我々にできることなど、もはや何もない。ただ、彼の機嫌を損ねぬよう、生贄を捧げる羊のように跪くことだけだ……)
隆臣は、神棚に向かって、生まれて初めて真剣に「祈り」を捧げた。
神に祈っているのではない。
山田大輝という深淵が、これ以上こちらを向かないように。
その「無垢な悪意」が、自分たちという存在を忘れてくれるように。
かつて彼らが誇り、特権としてきた「血脈」という絆が、今や、逃げ場のない死の道導へと変貌しようとしていた。
秋の夜風が、不気味なほど冷たく、呪術界を駆け抜けていく。
一人は野心に、一人は狂気に、一人は絶望に。
三家の当主たちがそれぞれの闇を見つめる中、その中心に位置する山田家の屋敷では、満腹感に浸る少年と怪物が、仲睦まじく眠りについていた。
世界の均衡が音を立てて崩れ去る音を、大輝だけが子守唄として聞いていた。
東宮隆臣くん
現代に生きる霊能者の中では最強クラスの人パートフォー。阿宗家消滅、それに合わせて空白となった九州を斉藤家が取り仕切ると書かれた報せを受け取って「謀ったな一成あの野郎」ってなった。ちなみに祈ってる時の考えは全部大輝くんに筒抜けになってる。
斉藤一成くん
めっちゃ強かな人。目的の為ならわりと手段は選ばない。後日、空っぽになった阿宗家の屋敷へと乗り込み、その倉から、平安の昔に一族が分かたれたと同時に、斉藤家から失われた術が記された書物を手に入れてウハウハになる。