蠱毒の壺をペットにしたバカの話   作:二度見屋

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第十五話

秋の風は冷ややかで、山田家の屋敷を囲む木々は燃えるような朱に染まっていた。

 

あの日、香澄と零の手によって大輝の全身に刻まれた「封印の呪印」

 

その刻印から二週間。その効果は劇的であった。大輝の白い肌を這う黒い蔦のような文様は、今や彼の肉体の一部として定着し、かつて火山のように噴き出していた悍ましい邪気を、その内側へと完全に閉じ込めていた。

 

「はい、大輝くん。この術式、昨日教えた呪文を応用してやってみて」

 

屋敷の書斎。香澄は以前のような重圧に顔を歪めることもなく、穏やかな表情で大輝の隣に座っていた。呪印による封印のおかげで、なんの気負いもなく家庭教師としての勤めを全うすることが出来るようになっていた。

 

「……こう、かな。指先の霊力を一点に絞るんじゃなくて、あえて霧のように散らしてから、対象へ力を潜り込ませる感じで」

 

大輝が淀みない動作で印を結ぶと、卓上の小さな紙片が音もなく捻じ切れ、消失した。

 

香澄は内心で、何度目かになる戦慄を覚えていた。本来なら数年はかかる高度な術理を、彼はたった数分の講義で自分のものにしてしまう。

 

その隣では、当主の公務を間宮家の他の人間たちに全て丸投げし、山田家に居候として居座っている間宮零が、退屈そうに爪を磨いていた。

 

「斉藤の術は相変わらず回りくどいわね。大輝くん、その術式なら、うちの律を組み込んだ方が三割は出力が上がるわよ。教えてあげましょうか?」

「あ、それ知りたいです。零さんの家の術、パズルみたいで面白いから」

 

零は不敵に微笑み、大輝の耳元で囁くように間宮家一子相伝の術理を語り始める。霊能者が一生をかけて追い求めるような真理が、この屋敷では日常の雑談として消費されていた。

 

斉藤家、東宮家、間宮家からの知識を伝授され、阿宗家の魂から直接記憶を読み取り、現代の霊能者の術の全てを会得しつつある山田大輝。

 

既に、彼の持つ知識は、一級の霊能者に比肩するレベルとなっていた。

 

 

 

そして今日、三人は県を二つ跨いだ郊外、荒れ果てた山裾に佇む廃屋を訪れていた。

 

そこはかつて、平凡な一軒家だった場所だ。しかし数日前から近隣住民が次々と行方不明になり、捜査に入った警察官さえもが「何か」に引き摺り込まれるように消え、消息を絶った。

 

警察庁特異課は、これを強力な怪異の発生と断定し、斉藤家へ討伐を依頼したのだ。

 

「……それにしても、間宮様。あなた、本当に暇なんですね」

 

香澄は、一行の最後尾を当然のような顔で歩く零を、半ば呆れたような、半ば諦めたようなジト目で振り返った。

 

「失礼ね。私はただ、大輝くんの事を研究するためにいるだけよ。術の真理の探求は間宮家当主としての正当な努めよ」

 

零は鼻で笑い、周囲を覆う枯れたススキを銀の指輪で弾いた。

 

今回、大輝(とそれに着いてきた零)が香澄に同行したのは、単なる見学の為でも、前回のような式神術の練習の為でもない。

 

大輝から香澄へ、ある要望があったのだ。

 

『普通の霊能者が、どのように怪異と戦うのか見てみたい』

 

その要望に応えるため、一行はこの廃屋を訪れていた。

 

 

 

廃屋の門をくぐった瞬間、空気が一段階、重く湿った。

 

香澄を先頭にして一行は、辺りを警戒しながら家に入った。

 

廊下は腐敗した畳の臭いと、滞留した冷気に満ちている。奥の寝室へと足を踏み入れたとき、そこには、かつて文明を謳歌していたであろうテレビの残骸が置かれていた。

 

バチッ……バチバチッ……。

 

電源も入っていないはずのブラウン管が青白く発光し、砕けた画面の隙間から、ドロリとした黒い泥が溢れ出した。

 

その泥は瞬く間に形を成していく。長い黒髪を顔の前に垂らし、四肢を異様な角度で曲げた女の亡者。それは、現代人がホラー映画や都市伝説で共有している「恐怖の偶像」が、人々の共通認識によって増幅され、実体化したような歪な存在だった。

 

「……これ、貞子と伽椰子がごっちゃになってるじゃない。ここに住んでいた奴は、よほど質の悪いホラー映画を観ていたのかしら」

 

香澄の背後から零がため息混じりに毒づく。しかし、その声には微かに警戒の色が混じっていた。

 

目の前の怪異から放たれる邪気はかなり濃い。以前の学校の人体模型とは比較にならないほど強いと確信した。

 

■■■■■■■■■■■■!!!(遊びましょ……遊びましょー!!!)

 

怪異が喉の奥から、爪でガラスを引っ掻くような悲鳴を上げた。

 

怪異の姿を認識した香澄は、即座に動いた。

 

香澄が両手で手印を組み、右足で床を強く叩く。

 

瞬間、床板に光の陣が走り、怪異の足元へと伸びた。女の亡者の白い肌に、拘束の呪印が浮かび上がり、その動きを鈍らせる。

 

しかし、怪異は咆哮と共に自身の呪力を爆発させ、陣を引き千切るような勢いで香澄へと飛びかかった。

 

「はっ!」

 

香澄は怯まない。襲いかかる怪異の腕を、古流柔術の理を応用した動きで捌き、そのまま相手の体勢を崩して床に押さえ込んだ。

 

香澄が懐から滅殺の呪符を取り出し、怪異の眉間に叩きつけようとした、その刹那。

 

 

 

香澄の背後の闇から、もう一つの「黒い髪」が鎌のように伸び、無防備な香澄の背中を狙った。

 

「――貸しよ、斉藤香澄」

 

零の声が響くと同時に、極細の銀糸が空間を切り裂いた。

 

目を細めなければ見えないほど細い、しかし霊的な加護によって鋼の如き硬度を持つ糸が、背後から現れた全く同じ姿をした「二体目」の怪異に巻き付き、その動きを完全に封じ込める。

 

香澄は背後の脅威を零に任せ、眼下の怪異に呪符を貼り付けた。

 

「灰燼に帰しなさい!」

 

激しい白炎が噴き上がり、一体目の怪異が断末魔を上げて消滅する。それと同時に、零が手元の銀糸を引き絞ると、二体目の怪異も肉片となってバラバラに切り崩され、ブスブスと音を立てて黒い泥へと還っていった。

 

「……助かりました、間宮様。まさか、分身するとは」

 

香澄は息を整えながら立ち上がった。

 

「複数対象への恐怖がブレンドされた怪異は、その恐怖の数だけ実体が分裂することがあるの。気を付けなさい」

 

零は涼しい顔で銀糸を指へ巻き取り、指輪へと変化させて回収した。

 

香澄は大輝の方を向き、少し誇らしげに微笑んだ。

 

「……それで、どう? 大輝くん。これが、私たち霊能者が行う、標準的な戦い方よ」

 

しかし、香澄が目線を向けた先、そこに立つのは、いつもの朗らかな少年の顔ではなかった。

 

 

 

大輝は、怪異が消滅した虚空を、何の感情も宿さない無機質な瞳で見つめていた。

 

 

 

その異様な雰囲気に、香澄の背筋を冷たいものが走る。

 

「……大輝くん?」

「……うん。こうかな。わかった気がする」

 

大輝がぽつりと呟いた。

 

その瞬間、彼の身体が陽炎のように揺らいだ。

 

前触れも、予兆もなかった。

 

大輝の姿が、細胞分裂のように滑らかに二つに分かれ、そこに二人の「山田大輝」が出現したのだ。

 

「ありがとう、香澄さん。僕だと、怪異は戦ってくれないからさ」

 

左側の大輝が、穏やかに微笑んで言う。

 

「どんな感じで人が『普通』の怪異を怖がるのか。『普通』の怪異が、どんな風に人を怖がらして、その感情を糧にするのか。それが知りたかったんだ」

 

右側の大輝が、全く同じ声で言葉を継いだ。

 

二人の大輝は、同時に、何事もなかったかのように一つの身体へと融け合い、元の少年の姿に戻った。

 

「……大輝くんあなた、怪異の真似事まで出来るようになったの?」

 

零が、信じられないものを見るような目で大輝を凝視し、天を仰いだ。

 

「魂が不定形に近い怪異ならともかく、人間の魂を保ったまま自分を増やすなんて、そんなこと、霊術の理論上あり得ないわ。自分の魂を削ってるとか、そういう自覚はないの?」

「え、そんなに大変なことでした? ……うーん、僕の魂はほとんどクロちゃんの方にあるから、それのおかげでイメージしやすかったのかな」

 

大輝は不思議そうに小首を傾げた。

 

香澄は、そのあまりの規格外さに、もはやため息をつく気力さえ失っていた。自分が必死に戦った「普通」の戦い方は、彼にとっては単なる「観察対象」の一つに過ぎなかったのだ。

 

「……帰りましょう。もう、お腹が空いたわ」

 

香澄は、崩れ落ちそうな膝を叱咤し、廃屋を後にした。

 

 

 

帰路の車内。

 

夕闇が迫る景色を窓から眺めていた大輝は、誰にも聞こえないほど小さな声で、独りごちた。

 

「……これなら、あの方法で上手くいきそうかな」

 

それは、香澄も、零も、そして呪術界の誰一人として想像すらしていない、深淵の先にある計画の断片。

 

呪印の奥で、クロちゃんが嬉しそうに、カタカタと鳴り響いていた。




今回の怪異ちゃん
作中で間宮零ちゃんが言っていた通り、貞子や伽椰子と言った「黒髪長髪の女性の怨霊」という存在に対する恐怖から産まれた存在。分裂能力はどっちが本体でどっちが偽物とかではなくてどっちも本物。片方を倒しても、残った片方からまた分裂する。自然発生した怪異の中ではかなり強い部類。
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