蠱毒の壺をペットにしたバカの話   作:二度見屋

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第十八話

夜が明けても、太陽の光は昨日までの健やかな輝きを失っているように見えた。

 

この令和の世において、「呪い」という言葉はエンターテインメントの記号に過ぎなかったはずだ。オカルト掲示板やSNSの怪談スレッド、あるいは手の込んだホラー映画の宣伝。それらの中にしか存在しないはずの概念。

 

しかし、山田大輝が放った「一滴の毒」は、一晩にして現代社会の脆弱な情報網を、修復不可能なほどに腐食させていた。

 

翌朝、日本の主要なSNSのトレンドは、たった一つの単語に支配されていた。

 

――『クロちゃんねる』

 

昨日、リアルタイムで配信を目撃した数千人の視聴者たちは、一睡もできぬまま震えていた。

 

窓から差し込む朝日は昨日と変わらず平穏に見えたが、インターネットの深淵では、目に見えない黒い染みが確実に広がり続けていた。数千人の視聴者が同時に体験した「集団出血」と「強制視聴」。それはSNSを通じて瞬く間に拡散されたが、その拡散の仕方もまた、既存のアルゴリズムを無視した「怪異」そのものだった。

 

ネット上には、狂乱に近い書き込みが溢れかえっていた。

 

『昨日のあの配信はガチの呪いだ』

『嘘だと思うならアーカイブを見てくれ』

『いや、見ないほうがいい。あれは動画じゃない、「窓」だ。一度覗いたら、こっちと繋がる』

『そもそもアーカイブを見ても、俺らと同じものは見れないぞ。あれ見る度に毎回内容変わるし、人によって違うらしいから』

『それとアーカイブだからって油断してクロちゃんの事バカにしたりするなよ。あいつはちゃんとこっちのことを見てる』

 

その言葉通り、昨夜の配信のアーカイブは、動画共有サイトのサーバー側に明確な「異常」をきたしていた。

 

ある視聴者は、録画されたアーカイブを再生して愕然とした。昨日、リアルタイムで見たはずの配信では、大輝はクロちゃんの「おやつ」について語っていたはずだ。しかし、今流れている映像の中で、彼はクロちゃんがいかに「日光を嫌うか」を、昨日より一層深く、耳元で囁くような音響で語りかけてくる。

 

別の者が再生すれば、そこには全く別の映像が流れる。ある者には大輝が「君、さっき鼻で笑っただろう?」と、画面越しに射抜くような視線を向けてくる。また別の者には、画面いっぱいに脈打つクロちゃんの壺が映し出され、スピーカーからはその者の名前を呼ぶ、くぐもった声が漏れ出す。

 

アーカイブであるはずの動画は、観測者によってその姿を変える生きた怪異へと変貌していた。さらに恐るべきことに、画面越しに呟いた独り言や、心の中での嘲笑にすら、大輝は反応した。

 

「ああ、今のは失礼だよ。……謝って?」

 

画面の中の大輝がそう微笑むと、スマートフォンの画面を眺めていた者の歯茎から、ドロリと鉄の味がする鮮血が溢れ出す。

 

その恐怖を払拭しようと、ネット上で「あんなのフェイクだ」「狂ってる」と書き込んだ者は、投稿ボタンを押した瞬間に、目と耳から温かい液体が噴き出す感触を味わうことになった。

 

命までは取られない。しかし、謝罪するまで終わらない執拗な「お仕置」。

 

世界は、画面の中に「生きた神」が顕現したことを、肉体の痛みを通じて理解させられていた。

 

 

 

一度でもその「瞳」と視線が合ってしまった人間にとって、大輝は画面の向こう側の存在ではなく、常に背後に佇む「隣人」となったのだ。

 

 

 

さらに、検証を試みた動画配信者たちの報告が、世間のパニックを加速させた。

 

「おい、これマジでどうなってんだよ……」

 

都内某所の防音室。登録者数十万を誇る大物検証系Y○uTuberが、震える手でマウスを操作していた。

 

彼はアーカイブを三つのモニターで同時に再生していた。左の画面には、蠱毒の壺だけが鎮座する「祭壇の間」の様子が、まるで静止画のように映し出されている。中央の画面ではカメラをじっと見つめる大輝が退屈そうに沈黙し、右の画面では――視聴者であるYouTuberの名前を、公然の事実のように語る。

 

「……アキト君。そんなに何台もモニターを使って、僕のことを監視してるのかい? 行儀が悪いなぁ」

 

画面の中の大輝が、ふっと口角を上げた。

 

その瞬間、部屋の中の全ての機械の電源が落ち、完全な暗闇となった。

 

男は悲鳴を上げて椅子から転げ落ち、後ずさった。

 

それと同じような事が、世界中で同時に起きていた。

 

 

 

そして、最も恐るべきは「クロちゃん」への不敬に対する即時的な報復、すなわち「お仕置」の徹底ぶりだった。

 

ネットの深淵、匿名掲示板の地下深くでは、この超常現象を「高度なAR技術を用いたサイバーテロ」だと決めつけ、大輝や壺を侮辱する書き込みを続ける不届き者たちがいた。

 

『どうせどっかの宗教団体の売名だろ。呪いとか有り得ねーし、集団で口裏合わせて変な壺担ぎ上げてるだけだろw』

 

そのレスが投稿された、わずか一秒後。

 

書き込んだ男の自宅のパソコン、タブレット、スマートウォッチ――それら全てのスピーカーから、泣き声に似た、湿り気を帯びたノイズ、怪音が漏れ出した。

 

「な、なんだ……?」

 

男が首を傾げた瞬間、彼の影から「夥しい呪印の入れ墨の刻まれた腕」が音もなく浮き上がった。その腕が、男の首へと絡み付いた。

 

男は、突然の事に必死の形相で口を開いた。

 

「ごめ、ごめんな……さ……」

 

声にならない謝罪が、血と共に溢れる。

 

その直後、まるで先程までの出来事が幻だったかのように、男の首を締め上げていた腕は、跡形もなく消え去っていた。

 

『謝罪すれば助かる』

 

その事実だけが、人々にとっての救いだった。

 

 

 

一方、警視庁の本庁舎内では、前代未聞の事態に怒号が飛び交っていた。

 

彼らも、この異常事態を黙って見ていた訳ではない。事態を確認して即座に動いた。

 

サイバー犯罪対策課の精鋭たちが、血走った目でモニターを見つめ、キーボードを叩き続けている。

 

「発信元の特定を急げ! プロバイダは何と言っている!」

「それが……ダメです。Y○uTubeの運営側に照会をかけても、『該当するチャンネルは存在しないが、配信は継続されている』という支離滅裂な回答しか返ってきません。パケットを追跡しても、すべての通信が『自分の端末』から発生していることになっていて、サーバーの所在地が物理的に存在しないんです!」

「ふざけるな! 衛星通信か? 海外経由か?」

「いえ、そうではありません……まるで、インターネットという概念そのものが、あの男の指先に握られているような……」

 

警察官たちは知らない。自分たちが「特定」しようとしている対象が、もはや現世の法や論理で縛れる存在ではないことを。彼らの脳内には、強力な暗示がかけられており、たとえ山田家の屋敷の住所を突き止めたとしても、門の前に立てば「ここには何もない」と思い込まされ、素通りしてしまうのだ。

 

 

 

その喧騒から隔絶された、地下深くの隠し部屋。

 

そこには「警察庁特異課」の看板を掲げた、数少ない「視える」側の人間たちが集まっていた。

 

部屋の中は、重苦しい沈静に包まれている。モニターに映し出されているのは、例の「クロちゃんねる」だ。しかし、彼らが受けている衝撃は、一般人のそれとは比較にならないほど深い。

 

「……ありえない」

 

課長である年配の男性が、震える手でタバコを灰皿に押し付けた。

 

「斉藤家からは、山田の長男には決して干渉するなと厳命されていた。だが、これほどまでとは……。見ろ、この術理の規模を。彼は一人で、この国に住む一億二千万人の意識下に、同時に『爪痕』を残している」

「特定できないのも当然だ。彼は今、神と同じ座に就こうとしている……」

 

特異課の若手霊能捜査官が、絶望に満ちた声で呟いた。

 

「私たちが知る警察の権力も、近代兵器も、彼にとっては子供の遊びに過ぎない。この配信が広まれば広まるほど、彼は強くなる。人々が彼を畏れ、許しを請うたびに、この国全体の霊的統治権が彼へと移っていくんだ」

「広範囲への同時干渉、物理現象の書き換え、そして全知に近い認識能力……。これほどの力を行使できるなら、それはもはや、私たちが定義する『術者』ではない」

 

課長は、モニターの中で無邪気に微笑む大輝を見つめながら、言葉を絞り出した。

 

「……神だ。我々は、デジタルという最新の祭壇に降臨した、新しい時代の神を相手にしているんだ」

 

特異課の人間たちは、ただ見守ることしかできなかった。

 

自分たち、そしてこの国の命運が、一人の少年の「ペット自慢」という名の気まぐれに委ねられているという、歪な真実。

 

その間も、クロちゃんねるの登録者数は、秒単位で万を超えて増え続けていた。

 

世界が、山田大輝という一滴の毒に、飲み込まれていく。

 

そして、その絶望は、山田家の祭壇の間へと集束していく。

 

 

 

祭壇の間では、大輝が満足げに目を細めていた。

 

目の前に置かれた壺――「クロちゃん」は、昨夜よりも一回り大きく膨れ上がっているように見える。表面の血管状の筋は、より鮮明な深紅へと染まり、そこから立ち上る邪気は、もはや陽炎などという生易しいものではなく、部屋の隅々を侵食するドロドロとした黒泥のような瘴気へと変質していた。

 

大輝には見えていた。

 

画面を通じて繋がった、数万、数十万という人間たちの「恐怖」が、目に見えない糸となって、この部屋に流れ込んでいる様が。

 

「すごいね、クロちゃん。みんな、君の魅力に抗えないんだ。あんなにたくさんの『心』が、君を想って震えてる」

 

大輝が優しく壺を撫でると、まるで地鳴りのような響きで、ガタガタと壺が震え上がる。

 

恐怖は、最も効率の良い霊的燃料だ。

 

文明が発達し、誰もが繋がれるようになったこの世界は、山田大輝という術者にとって、全人類を一つの「器」に閉じ込めるための、巨大な蠱毒の「餌場」に他ならなかった。

 

テレビのワイドショーでは、専門家たちが「集団ヒステリー」や「未知のコンピュータウィルス」という言葉を並べて事態を沈静化させようと躍起になっていた。

 

だが、彼らがカメラの前で喋れば喋るほど、その滑稽な否定は、大輝への信仰に近い恐怖を強めるスパイスにしかならなかった。

 

クロちゃんの中では、吸い上げられた負の感情が圧縮され、新たな命の形を成そうとしていた。

 

それはかつて、間宮家や東宮家が夢想した「神」の姿か。あるいは、それすらも凌駕する「終わりの始まり」か。

 

大輝は、スマホの画面に映る、自分のチャンネルの登録者数が一秒ごとに千単位で増えていくのを眺めながら、歌うように呟いた。

 

「次は、どんな遊びをしようか。……みんながもっと、君のことを忘られなくなるような、素敵な企画を考えなきゃね」

 

山田家の屋敷を包む静寂は、もはや死の沈黙ではない。

 

それは、世界を丸ごと飲み込もうとする巨大な怪物の、胃袋の中の胎動であった。




山田大輝くん
クロちゃんがお腹いっぱいになってて嬉しい。そのおかげでかなり力が増したので全世界を同時に暗示にかけたり出来るようになった。貞伽椰子を見て会得した分裂能力と、画面越しでの干渉力を応用して、全国のお茶の間に呪いをかけている。視聴者一人に対して一人の山田大輝がいるので実質無限に増えてる。
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