蠱毒の壺をペットにしたバカの話   作:二度見屋

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第二十話

その通知は、もはや「選択」の余地を残していなかった。

 

ニューヨークの喧騒、ロンドンの雨空、ムンバイの活気、そして東京の静寂。世界中のあらゆるスマートフォンやモニターの画面が、持ち主の意志を無視して一斉に起動した。スリープ状態を強制解除し、通知センターを埋め尽くしたのは、あの不気味で、しかしどこか甘美なアイコン。

 

 

――「クロちゃんねる」がライブ配信を開始しました。

 

 

前回の放送を見て、直接的に「呪い」を流し込まれた者たちは、その通知を見た瞬間に全身の毛穴が逆立ち、呼吸を忘れた。しかし、彼らの指は、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、無意識のうちに画面をタップしてしまっていた。

 

いや、それだけではない。

 

今までクロちゃんねるの配信を見た事がない人間であっても、おすすめ欄に突如として現れた「キュートなクロちゃんの写真(中身は心臓のように脈打つ血まみれの壺)」に、抗いがたい好奇心と、生存本能が鳴らす警報を混同しながら吸い込まれていった。それが本当に自分の意思だったのかどうかは、本人にすら分かっていなかった。

 

配信開始からわずか一分足らずで、接続数はカウンターが追いつかないほどの速度で跳ね上がり、同接数は既に数千、数万という膨大な数になっていた。

 

彼らの見る画面に映し出されたのは、前回と同じ、山田家の「祭壇の間」。

 

青白い蝋燭の炎は、部屋の端々を照らし、中央に座る山田大輝の姿を、逆光の中に浮かび上がらせている。

 

大輝は、前回よりもさらに深みを増した灰色の和装に身を包んでいた。肌にびっしりと這い回る黒い「呪印」は、まるで生き物のように蠢き、時折、画面越しに「触れられる」のではないかという錯覚を抱かせるほどの立体感を持って呼吸している。

 

「やぁ皆さん。ごきげんよう。初見の人も、また見に来てくれた人も楽しんでいってね」

 

その声が響いた瞬間、世界中で「動揺」が起きた。

 

パリで画面を見つめる若者には、完璧なフランス語として。カイロで震える老人には、慈悲深いアラビア語として。

 

言語の壁という、人類が数千年にわたって積み上げてきた断絶が、大輝のたった一言で溶けて消えた。視聴者の耳には、あたかも自分の「魂の言語」で語りかけられているかのような、不可思議な納得感が広がっていく。

 

コメント欄は、爆発的な速度で流れ始めた。

 

前回のような「悪趣味なタトゥーだ」「フェイクだ」という嘲笑は、驚くほどに一掃されている。否定的な言葉を打ち込もうとした者の手元では、即座に爪の間から鮮血が滲み出し、あるいはスマートフォンの表面が火傷するほどの熱を放つ。物理的な「お仕置」という名の教育が、わずか数分で全人類のネットリテラシーを書き換えていたのだ。

 

『初めて見たけど、この人……怖いのに、離れられない』

『前の配信でお仕置されたやつです。今日は絶対に悪口言いません』

『壺が……壺が大きくなってない? ドクンドクン言ってるのがスピーカーからじゃなくて、自分の心臓から聞こえるんだけど』

『Hello from USA. I can't close this app. Help me.』

『謝れば助かるって本当ですか? すみません、すみません!!』

 

混沌とするコメント欄。絶望的な恐怖と、神々しいものへの畏怖が混ざり合う熱狂の中、大輝は満足げに微笑んだ。その瞳の奥にある底知れぬ虚無が、画面越しに数万人の脳幹を優しく愛撫する。

 

「うんうん、いい子だね。今日はクロちゃんの紹介を少しだけ済ませたら、特別な企画を用意してるんだ」

 

大輝は、横に置かれた「クロちゃん」――血脈の浮き出た禍々しい壺を、まるで愛猫を撫でるように愛おしそうに指先でなぞった。壺は「ギチ、ギチ……」と、空間を削るような音を立てて喜びを表す。

 

大輝はクロちゃんねるについての簡単な説明を終えると唐突に語り始めた。

 

「みんなは、世界で1番怖がられているものが何かわかるかな」

 

突然の問い。大輝の声はどこまでも澄み渡り、視聴者の脳裏に直接文字として刻まれる。

 

『え、急に何の話』

『哲学的な話?』

『事故とか病気とかじゃないの』

『まぁ死そのものとかそういうことになるんじゃない』

『マジの呪い使ってくるこの人の方が怖い』

『それはそう』

 

大輝は流れるコメントを、まるで慈父が子供の成長を見守るかのような、温かい眼差しで眺めた。

 

「うん、だいたいみんな合ってるね。その通り、人は死を恐れる。例えば戦争とかは、たくさんの恐怖を産んでるよね」

 

『せやろなぁ』

『今回は海外からのコメントも多いし余計にそうじゃない?』

『そういえば言ってた企画って何するの?』

『それ気になってた』

 

視聴者たちは、画面の向こう側の「怪物」が何を言い出すのか、固唾を飲んで見守る。その恐怖は、不可視の糸となって大輝の背後の壺へと吸い込まれ、クロちゃんをさらに一回り大きく、不気味に膨張させていく。

 

「そこで僕は考えたんだ。戦争に悩む人が居なくなれば、みんなもっとクロちゃんの事を見てくれるよねって」

 

『ん?』

『いやその理屈はおかしい』

『仮にそうだとしてもどうやってそれを実現するの?』

 

大輝は、楽しげに目を細めた。その表情は、これからおもちゃ箱を開ける子供そのものだ。

 

「という事で、今回用意した企画はこれだよ」

 

配信画面の中央に、デジタル処理とは思えないほど鮮烈な、そして絶望的にミスマッチな派手なテロップが踊り出た。

 

【世界から戦争消してみたw】

 

その瞬間、世界中の視聴者がフリーズした。

 

『意味がわからない』

『草を生やすな』

『編集下手くそすぎる』

『まぁ配信二回目だしな』

『こいつ自分に悪口言われる分にはお仕置してこないんだよな…』

『戦争止めるってもしかして呪いとかで?』

『本当に止めてくれるなら石油不足とか解消されて助かるけど…』

 

冗談。誰もがそう思いたかった。だが、これまでにこの「少年」が起こしてきた、物理法則を無視した数々の怪異が、それが単なる冗談ではないことを冷酷に告げている。

 

「じゃあどうやって戦争を消すかについてだけど……実は僕って催眠術が使えるんだよね」

 

『まぁ呪いが使えるんなら催眠術も使えるわな』

『そういうもんなのか……?』

『催眠術がどう戦争に関係してくるの?』

『戦争してる国のトップに片っ端から催眠術かけていくとか?』

 

大輝は、声を立てて朗らかに笑った。その笑い声は、聞く者の精神を安らげると同時に、深い淵へと突き落とすような魔力に満ちている。

 

「あはは、そんなテロみたいな事するわけないでしょ。……それにその方法だと別の指導者が出てくるだけになりそうだしね」

 

『テロっていう言葉知ってたんすね』

『この配信は犯罪じゃないと思ってそう』

『実際人を呪うのって犯罪なんだっけ』

『脅迫罪とか恐喝辺りが含まれれば犯罪になる。呪うだけならノーカン』

『ほな犯罪ちゃうかあ』

『でもそのやり方でやらないならどうやって催眠術で戦争止めるの?』

 

大輝の顔から、一瞬だけ「少年」の無邪気さが消えた。

 

代わりにそこに現れたのは、世界の理を自在に書き換える「創造主」の、絶対的な静寂。

 

 

 

「うん。よく聞いてくれたね。みんなには今日から『どうやったら人を殺したり苦しませられるか』という記憶を思い出せなくなってもらうよ」

 

 

 

さらりと告げられるその言葉。まるで、今日のおやつはこれに決めたよ、と告げるような軽さで。

 

『は?』

『催眠術っていうか常識改変とかその辺の類じゃねそれ』

『というかもはや洗脳だろ』

『そんなことが本当にできるの?』

『それって医者とかが医療知識失ったりする事にならない?』

 

困惑がドミノ倒しのように世界を駆け巡る。大輝はそんな視聴者の不安をなだめるように、優しく首を振った。

 

「安心して。『どうなったら人が死ぬか』ということはちゃんと思い出せるようにするから、お医者さんとかは今までと同じように働けるはずだよ」

 

『んん??』

『言っている意味が分からない』

『つまりどういうことだってばよ』

 

「うーんなんて言えばいいかな、例えば、人は包丁で刺されたら死ぬってことは分かるんだけど、包丁でどうやって人を殺すかを考えようとすると方法が思い出せなくなる感じかな……。まぁとりあえずやってみれば分かるよ」

 

 

大輝が、指を鳴らした。

 

 

その瞬間。

 

 

全世界の視聴者の脳内に、冷たい風が吹き抜けたような感覚が走った。

 

何かを、決定的な何かを、今この瞬間に失ったという喪失感。だが、その喪失感すらも、次の瞬間には「最初からそんなものはなかった」という、歪な平穏に塗り替えられていく。

 

『え、もうやっちゃった感じ?』

『あ、これもう催眠かかってるわ』

『この規模の能力が許されるのはエ○漫画の中だけだろ』

『これヤバすぎだろ。人類の歴史変わるぞ』

『でもこれってこの配信の視聴者だけにしか効いてないんじゃないの』

『既に同接100万越えてるけどな』

『だけと言うには多すぎる被害者数』

 

コメント欄の速度はもはや視認不可能なレベルに達していたが、大輝にはすべてが見えていた。彼は、世界中の「器」の中に、自分の意志という名の毒が、情報という神経系を通じて行き渡るのを愛おしそうに観測していた。

 

「安心して、君たちがこの配信の事や僕やクロちゃんの事を周りの人に言えば、それを通じて催眠術が伝播していくようにしたから。……いずれは全人類が戦争のやり方を思い出せなくなるはずだよ」

 

『エグすぎ』

『ミーム汚染か何かでいらっしゃる??』

『どっちかというと認識災害になるのか?』

『そんなのどっちでもええねん』

『変な感覚だな。包丁が「危ないもの」っていう認識はあるのにどう使ったら人を傷つけれるのか思い出せない』

『飲み込むんじゃなかったかな、なんか体内に入れればいいってのは分かる』

『でもそんなことしたら危ないじゃん』

『それもそうか』

 

人類から「殺意の技術」が抜け落ちていく。

 

核兵器のボタンを前にしても、「これを押せばどうなるか」は理解できても、「なぜこれを押そうとしていたのか」「どういう意図でこれを使えば敵を滅ぼせるのか」という、攻撃のロジックを脳が拒絶し始める。

 

毒ガスを生成していた科学者であっても、その薬品が人体に有害であることは知っているが、それを効率的に散布して人を死に至らしめる「手順」が、霧の向こうに消えたかのように思い出せなくなる。

 

これはそういう類の「呪い」だと、100万を越える視聴者は悟るしかなかった。

 

 

『マジで明日から戦争無くなるんじゃないのこれ』

 

 

誰かが呟いたその一言は、もはや希望ではなく、山田大輝という絶対的な支配者が強いた「強制的な平和」への、抗いようのない屈服だった。

 

「それじゃ、今日は短いけれどこの辺にしておこうかな、みんなちゃんとこのチャンネルの事を周りに伝えといてね。そうすれば世界はどんどん平和になっていくから」

 

大輝は、画面に向かって優雅に手を振った。その顔には、一仕事を終えたあとのような、清々しい笑顔が浮かんでいた。

 

「では、ごきげんよう」

 

配信が終了し、画面が黒く塗りつぶされる。

 

世界中の人々は、配信の終了した画面を見つめ、呆然と立ち尽くしていた。

 

本来なら娯楽として産み出されたはずの、情報端末。

しかし今、それらは、いつ、どこにいても、自分たちの魂を、記憶を、存在そのものを、山田大輝という少年が、あるいは彼の愛する「クロちゃん」という名の怪異が、指先一つで書き換えることができるという「神の刻印」そのものだった。

 

 

 

祭壇の間。

 

大輝は配信を終えた静寂の中で、一際大きく脈打つクロちゃんに寄り添った。

 

「……ね、クロちゃん。平和って、素晴らしいよね」

 

山田家の屋敷から漏れ出した「平和の呪い」は、光の速さで世界を覆い尽くしていく。

 

それは、人類が夢見た黄金時代か。

 

あるいは、山田大輝という名の飼い主が管理する、巨大なペットサークルへの変貌か。

 

世界界は、かつてないほどに静かに、そして狂気的に、一人の少年の手のひらへと収束していった。




今回の呪いくん
ガチヤバ認識災害系常識改変催眠術くん。大輝くんが有り余るパワーで作れそうだから作った伝染性の呪い。完全オリジナルの術式を用いてるので大輝本人も解除の仕方はわかってない。あと防ぐ方法とかも考えてないので大輝本人にも普通にかかってる。一応抜け道はあって「危害を加えるつもりじゃないこと」なら普通に行える。例えば警官が逃げる犯人に向かって逮捕のために銃を威嚇で撃ったりスタンガンで動き止めたりするのはできるし、医者が治療のために患者注射したりメスで人の腹を切り開く事もできる。大輝本人も呪いの影響を受けてるはずだが「お仕置の呪い」はまだ続いてる。つまりそういうこと。
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